疲労
理佳は、病院を出て実家に寄る。
そんなに経っていないのだが、久しぶりの感覚に陥る。
玄関のチャイムを鳴らし、ドアを開けて家に入る。
「ただいま」
「おかえり」母の声が聞こえた。
時間は15時を過ぎたばかりで、まだ夕飯には時間が早い。
居間のソファーに座る。
すると、いつの間にか寝てしまった。
「ご飯だよ」母が肩を軽く叩いて起こす。
「あ~、寝っちゃった」と起き上がる。
目の前に大好物のカレーがテーブルに置いてある。
何故だろう、自然と涙が流れる。
涙が止まらない。
こんな、いたって当たり前の事なのに、涙が止まらない。
この当たり前の事が失われていたのだ。自分では知らず知らず緊張した毎日を送っていた事に気づいた。
父「大丈夫か?」
母「なんだかんだ疲れていたのよ。ゆっくりしていきなさい」
「うん。ありがとう」
たわいもない会話をしながら食事も終わった。
しばらく、ソファーに座りTVを観ながら談笑する時間が過ぎた。
そして、立ち上がり
「じゃあ帰るね」
母「今日、泊まっていけば?」
「明日、仕事だから今日は帰るね」
母「アパート一人だと寂しいでしょ。たまには泊まりにくれば?」
「うん、そうするかも。ありがとうね」
と言い玄関を出る。
アパートに着く。
普段は俊が居るので暖かい気持ちになるのだが、真っ暗な家に入る寂しさを感じる。
1,2週間程の入院なのだが、一人で居る寂しさは想像以上であった。
ふと、「もしかしたら、このまま帰って来ないのでは?」と考えてしまう。
一人で居ると、いろんな事を考えてしまう。それも前向きな事は考えれずに後ろ向きの考えばかりである。
俊といると前向きな気持ちになれるのだが、見えない事で余計、不安が増長する。
不安と寂しさが容赦なく襲い掛かり、なかなか寝付けず、気がつくと外が明るくなっていた。
一人で居ると嫌な事ばかり考えてしまうため、早めに会社に向かう事とした。
会社に着いて、仕事に集中しようと頑張るが、眠気と襲い掛かる不安で集中できない。
昼休み
課長が話し掛けてくる。
「やまし・・岩崎さん、ちょっと一緒にランチに行かない?」
課長の名前は「秋元 順子」42歳の女性課長である。
旦那さんは別の会社に勤務しており、子供2名。共働き家族である。
男性顔負けの能力の持ち主であり、女子職員の目標でもあった。
今回の結婚等の一連の事は話しており、常に相談に乗ってくれていた。
二人は社外にあるスパゲティの専門店に入り、本日のランチを注文したところで課長が話し始める。
秋元「旦那さん大丈夫なの?」
「迷惑かけてすいませんでした。昨日入院したのですが、結婚して同じ家で住むようになってから、初めての入院だったので、昨夜はいろんな事を考えてしまって寝むれなくて、気づいたら朝になっていて・・・・」
「本当は休もうか迷ったのですが、一人でいると不安が増すので、仕事に集中出来ればと思って出社しました。みんなに迷惑を掛けるつもりは無かったのですが・・・」
秋元「その気持ちも分かるけど、睡眠を取らないで仕事すると、身体を壊すわよ。あなたが身体を壊すわけにはいけないでしょ。」
「はい」
秋元「こういう時は、親を頼りなさい。たぶん親もそう思っていると思うよ。もし、本当に付き添いが必要な時は介護休暇もあるんだから、相談してね」
「ありがとうございます。」
睡眠不足で感情がコントロール出来ないのか、自然と涙が溢れる。心から人のありがたみを感じた。
秋元「ちなみに、もし私の子供が貴方の立場に陥っていたら、引きずっても家に連れて行くと思う。親にとって子供はいつまでたっても子供よ」
「はい」
注文したスパゲティがテーブルに置かれた。涙をハンカチで拭い昼食を食べた。
そして、課長の言葉を受け、午後から休暇をもらい帰宅する事にしたのだった。
まだ面会時間まで時間があるので、一度家に帰る。そして母に電話をする。
「もしもし、ごめんね。面会終わったら、そっちに泊まってもいい?」
母「待っているわよ」
と短い言葉が返ってきた。
この短い言葉に愛情を感じた。
「ありがとう。8時くらいになると思う。」
母「では、ご飯作っておくからね」
「ありがとう」
電話を切る。
家にいた時と変わらないやりとりである。
まだ家を出て日が浅いが、今まではこのやりとりが当たり前であり、ありがたみを感じれずにいた自分を恥じる。
私たちの家庭でも、こんな当たり前の事を当たり前に出来るのか?
等を考えて時間が過ぎていく。そして面会時間に合わせて家を出た。
病院のある駅を降り、病院まで歩く。病院の正面玄関を入り、入院している病棟のある階までエレベーターに乗る。
そして病室の前まで来て、入ろうとすると中から笑い声が聞こえた。
病室に入ると俊が加藤君と話をしている姿が目に入る。
「理佳」
俊がこっちに向かって呼びかけている。
私は俊のところに近づく。
俊といると今まで考えていた不安が吹き飛ぶ。元気のある姿を見ると病気の事も一瞬忘れられる。
二人は高校の時の吹奏楽の事で話が盛り上がっていたみたいだった。
理佳「そういえば、加藤くんは高校でもトランペットを演奏していたの?」
加藤「俺はトランペット一筋だよ。ただ岩崎と違ってセンス無かったけど。」
俊「そんな事無いよ、一番大きな音を鳴らしていたよ」
加藤「大きければいいってもんではないでしょうが?」
3人が一斉に笑う。
加藤「中学の時の大河内さんもアルトサックス上手かったよな」
大城さんの顔が曇り出す。
俊「うん。大河内さんの方が僕の何倍も上手かったよ」
加藤「でも高校でも続けていた岩崎の方が今はうまいと思うよ」
面会時間が終わるまで、3人で話が盛り上がった。面会時間が終わり二人で病室を出る。
エレベーターの前まで俊が見送りに来た。
俊「ありがとうね」
エレベーターに乗り、1階に着く。病院を出て駅の方に歩きだすと、加藤が
「俺、これから飲み会があるから」と言い、駅とは逆の方向に歩き始める。
「加藤くん」自分でも信じられないぐらい大きな声で加藤君を呼び止めた。
「どうしたの?」
「加藤君にお願いがあるの」
二人は、病院の近くの喫茶店に寄った。
以前、俊の母親と行った店である。
二人は席に座りコーヒーを頼む。
理佳「ごめんね。忙しいのに」
加藤は笑いながら
「いいよ、それで話って?」
「2ヶ月後のライブで、1曲でもいいから一緒に演奏出来ないかな?」
加藤「う~ん。岩崎からライブの事聞いて、行ってみたいんだけど、実はその日学会があって札幌に行くことになってて・・・」
理佳「そっか。ごめんね、無理言っちゃって」
加藤「曲は何やるの?」
理佳は、曲目を伝える。
加藤「上を向いて歩こう やるの?」
理佳「何か、思い出の曲なんだって、大学の文化祭の時に言ってた。」
加藤「実は高校の時、岩崎に対するいじめがエスカレートしてて、部室で残って「上を向いて歩こう」を演奏してたんだ。演奏というか単純にメロディを二人で合わせて吹いていただけなんだけど・・・」
加藤君は改まって
加藤「ごめんね」
理佳「私こそごめんね。勝手なことばかり言って」
二人は、コーヒーを飲み干し喫茶店を後にし、理佳は実家に帰った。
実家に帰った理佳は、夕食を食べそのまま居間で深い眠りについた。
翌朝
母「理佳起きなさい。まったく部屋で寝ないで、こんな所で寝て!」
母の怒り声で目覚める。
「ふぁー よく寝た!」と叫ぶように起き上がる。
昨日の体調と異なり、すっきりとした気分で朝食を食べ、仕事に向かう。
会社の入り口に課長がいたので、挨拶をして実家に泊まった事、今日の体調を伝え仕事場に就いた。
このような生活が2週間程続き、退院の日となった。




