前編 -銀行強盗の裏で起きた謎の事件-
――――一発の弾丸が、彼の肺を撃ち抜いた。
彼は胸を押さえながら一歩二歩下がった後、棚と棚の間へと倒れこんだ。
もう間もなく他の仲間がここにやってくるだろう……
梅宮主任……俺は越えてはならない一線を越えてしまいました。しかし、どうか信じてください。俺――杉森健也は、一警察官としてやるべきことをやったのだと……
俺は自分のこめかみに銃口を押し当て、これまでのことを振り返った。
この数日間、本当にろくでもない日常だったが、それでも仲間と過ごした時間は悪くなかったよ……
――――数日前。
「おかしいでしょうっ!!」
と、俺は両手で係長のデスクを思いっきりぶっ叩いた。
「おかしいも何も、なんか変な圧力がかかっちゃったんだから、仕方ないだろ?」
キャスター付きの椅子にふんぞり返って、くるくる回りながらそんなことを言ってのける、この警察署刑事課特別捜査係の係長、野原慎太郎。
無精髭を生やし、みっともなく足をぶらつかせ、くるくる……くるくる…………ずっと回っている。
特別捜査係といっても聞こえはいいが、ただの便利屋みたいなもので、時にはこんな十六畳あるかどうか分からないようなせまっ苦しい部屋の中、並べられたデスクの上で交通課がやるような業務を延々とさせられたり、時には命がいくつあっても足りないような人質籠城事件やテロリスト予備軍の制圧といった凶悪な事件に巻き込まれたり……挙句の果てにまるで捨て駒のようにあれやこれや好き放題使い回されたり、責任や面倒なことを押し付けられたり、ろくなことなんて何一つありゃしなかった。
それを思い出し、だんだん腹が立ってきた俺は係長を睨み付け、怒鳴り散らした。
「何でそれで引き下がっちゃうんですか! 考えてもみてくださいよっ! ここ数年間で発生した殺人事件のほとんどが、『容疑者死亡』で書類送検されてるんですよっ!!? いいですかっ!? 『容疑者死亡』ですよ! そいつら全員『自殺』してるんですよ!? なんかおかしいじゃないですか!」
「うーん…………って言ってもねぇ…………」
「『うーん』じゃないでしょっ!」
怒りが収まらなかった俺は、自分のデスクの引き出しの中から地図と書類を引っ張り出して、課長のデスクに叩きつけた。
「この近辺で言ったら……ほら、ここっ!」
地図を広げ、この警察署から一キロメートルほど離れた、廃墟と化したオフィスビルを指さす。
「当時、オフィスにいた社員たちの証言ではありますけれど、一人のOLが社員たちを次々に殺害し、屋上で建物内に火を放った後、飛び降り自殺をしたとされています!」
「…………あぁ、そんなこともあったっけ……?」
「――殺害された社員たちやその容疑者の遺体も、俺たちは確認さえさせてもらえぬまま、急ピッチで処理されてるっ! その後なぜかこの会社は消滅し、ビルのオーナーも行方知れずとなり、このビルは廃墟と化した! 他にもあります!」
――ここ近年で発生した『容疑者死亡』で書類送検されているおかしな事件を洗いざらいピックアップしたのち、俺は言った。
「――俺たちの知らないところで、一体何が動いてるんですか!?」
「……………………お前さん、まだこの捜査係に配属されてまだ間もないんだったな?」
――係長は突然立ち上がって俺のところまでやってくるなり、そんなことを訊いてきた。
「えっ……? はい、そうですけど……」
確かに、警察学校を卒業し、数年間の交番勤務を経てやっと刑事課に配属されたと思ってたら、本当に便利屋みたいにいいように使い回されるくらいで……配属されてからまだそんなに経ってはいないが。
係長は僕の肩に手を置いて一言。
「――――今、お前さんがピックアップしたその事件について、これ以上首を突っ込まない方がいい。どうやら公安が動いているらしくてな。こう言っちゃ悪いが、何てことのない殺人事件にしちゃ、あまりにも大きな力が働きすぎてる。お前さんはこのことを忘れて、始末書でも書いておけ。他にも仕事は沢山あるんだからな」
そう言うと、係長は部屋から出て行った。
「まぁ、杉森さんが怒りたくなる気持ちもわかりますけどね……」
と、業務用パソコンとずっとにらめっこしていたアニメ好きの短髪眼鏡オタク、立木典史――略してノリちゃんと呼んでいる――がやりきれないといった表情でこちらに振り返った。階級は俺と同じ巡査長、二十五歳で同い年、彼女はいない。ちなみに警察学校時代は同期として仲良くしていた。
「――今はこっちの案件が最優先ですよ」
そう言ってノリちゃんは俺にパソコンの画面を見せる。
モニターには『連続銀行強盗事件』という大きな表題が映し出され、詳細がびっしりと綴られていた。
「――おいおい、これを俺たちにどうしろっていうんだよ」
詳細を追っていくと、次の標的になりそうな銀行がピックアップされていた。まさか俺たちだけでこの銀行強盗犯を洗い出し、未然に防げというわけじゃあるまい?
もうすぐここにやってくるであろう女性主任と先ほどの係長を合わせ、たった四人しかいないこの係で、いったい何ができるというのか。
――しばらくして。
「ごめん遅れたーっ! 資料の確認は済んだー?」
と、ショートの髪の女子大生――――じゃなくて、俺たちの尊敬する先輩刑事の梅宮理紗主任が、満面の笑顔で手を振りながら特別捜査係に入ってきた。
「俺は作業どころじゃないですけどねっ!」と俺は先ほどの係長とのやり取りを話しつつ、不満を漏らした。
「仕方がないわ……私たちは与えられた任務を全ううしないと。こうして考えてる間にも、どこかで犯罪が起きてるのよ?」
「……仰る通りですけど……なんか釈然としないです」
そう言って俺は主任にパソコンのデータを見せつつ、銀行強盗犯の容疑者リストと、標的になりそうな銀行について説明していく。
「こりゃ、他の係と合同捜査になりそうね」と、梅宮主任はため息をついて自分のデスクへ戻っていった。
そりゃそうだ、こんな大きな事件、俺たちだけじゃ無理に決まってるじゃないか。
――そして、翌朝のことだった。
早速他の係や県警の刑事たちを交えての合同会議が行われた。それだけ大きな事件に、俺たちは立ち向かわなきゃいけない。
しかし、俺らの係の戦力が……なんて心細いものだろうか。せめてあともう二人くらいいれば変わっただろうに。
頭脳派のノリちゃんは情報収集や何かしらの策を練り上げ、俺と主任は足を使って現場を動き回る……そうやって役割分担をして上手く立ち回ってきたのに、係長はいつも上膳据膳で指示を飛ばすだけで何もしてくれやしない。まったく何を考えてるのやら。
――それから数日後、とある銀行で大きな取引が行われるという極秘情報を入手した俺たちは、その取引が行われる数時間前に銀行から数十メートル程離れた道路に車を路上駐車させ、車内で待機していた。
度々起きている銀行強盗事件を、今度こそ未然に防がないといけない。今、他の刑事たちが銀行周辺を見張っているところだ。
銀行の見取り図をもう一度思い出す。
入口は南西方向に一ヶ所、従業員出口が裏側の北西方向にある。
入って正面がATM、そのすぐ右隣がカウンター。右手は広間になっていて来客用の椅子がずらりと並んでいて、奥には男性用と女性用のトイレがある。
さて、他の刑事たちと合同で強盗犯を押さえるといっても、一筋縄ではいかない。
なぜなら、この銀行強盗犯は巧妙な手口を使っているからだ。
予め銀行員の誰かの家族を人質にとっておき、電話をかけて脅す。
そして取引が行われるその日に白昼堂々と銀行に現れ、その銀行員にメモ用紙を見せるのだ。
『金を出せ、妙な真似をするなよ。銀行員の中にも仲間がいる。この意味が分かるだろう? 分かったら言う通りにしろ。メモを読んだ後、紙は処分しろ』と。
そうして銀行員に横領の手引きをさせて金を強奪する。
銀行強盗が成功した後、他の仲間が人質を解放するのだが、どこかの道端に放り去っていくため、いつどこで解放されるのかは分からない。
事を終えて、被害者となった銀行員は当然警察に通報するのだが、時はもうすでに遅し。
容疑者がリストアップされるものの、そいつらの行方を掴めぬまま、迷宮入りになってしまう。
内密で警察に通報するという手もあっただろうが、これもまた犯人は知能を働かせ、『警察にも仲間がいる』と言って先手を打っておくのだ。
そこまで来ると銀行員も下手に動くことができず、家族を助けるために焦ってしまい、結果的に銀行強盗犯に協力せざるを得なくなってしまうのだ。
似たような強盗事件が何件も相次いで起こるので懸命に張り込み捜査や潜入捜査をおこなったが、それでも犯罪を未然に防ぐことはできなかった。
来客者全員が容疑者に見えるくらい、そいつは堂々としていたということだろう。
そんなやつ相手にどう動けと……?
縁起の悪い話だが、『強盗だーっ!』と叫んで銃を乱射してくれる方がまだ対処しやすいのだが。
「杉森さーん? あなた、今ものすっごく縁起の悪い事、考えてませんでしたかー?」
と、後部座席にいたノリちゃんが助手席で考え事をしていた俺に顔を覗かせ、そう訊いてきた。
「大丈夫よ杉森くん、私もあなたと似たような事考えてたと思うわ」と運転席でハンドルをせわしなく指でつついていた梅宮主任は微笑む。
――そろそろ取引の時間だ。今回も強盗犯は同じ手口を使うのだろうか?
ひょっとしたら、最悪の展開も有りうるかもしれない……
中の状況を知る手段は、服の内ポケットに忍ばせているインカムのみ。
係長はどうしてるのかといえば、他の捜査員に混じって銀行前で待機してるようだ。
『俺が先陣を切って犯人の相手をしてくるさ』とか何とか言って、結局俺たちのことはほったからしだ。まったく、とんだ係長さまだ。
――刑事たちがインカムで「中の状況はどうだ?」と逐一報告を促している。「今のところ怪しい動きはありません」と。「油断するな、客の顔じゃなくて銀行員の顔をよく見ろ」と、そんなやり取りが交わされている間に、何人かの一般客が銀行を出入りしていた。
サラリーマン風の男だったり、帽子を被った主婦だったり、アニメ柄の服を着たオタクだったり……こうして眺めていると、本当にどいつもこいつも怪しく見えてくる。
少しして、「こちら高橋、何やら客同士が揉めている模様。銀行員一人が仲裁に入っています」とインカムで連絡が入った。
すかさず他の捜査員が「おい、他の銀行員から目を離すなよ。ひょっとしたら、その客も共犯の可能性があるぞ」と割って入る。
――そんなゴタゴタが起こっている間に、イチャイチャする男女の若いカップルや、老夫婦がリズミカルに杖をつきながら鞄を持って銀行から出てくる。
まったく、どいつもこいつも……もうちょっと強盗犯だと分かるような服装をしてればいいのに!
あぁ駄目だ駄目だ! 冷静な目で人を見れてないな……俺は。
「ひょっとして、今日はもう来ないんじゃないかしら?」と主任が不満を漏らす。
「おかしいですね…………もしかしたら、手口を変えられたんじゃないでしょうか? 例えば振り込め詐欺とか」とノリちゃん。
「それってつまり、警察が動いてることに勘づかれたってことじゃない?」と主任は後部座席に振り返り、ノリちゃんに問いかける。
「そうとしか考えられないでしょう」
「強盗犯側に警察の情報が洩れたのかしら」
「うーん……」
――二人が会話を交わしている間、俺は先程銀行から出てきたあの老夫婦が気になっていた。
足が悪くして杖をついて歩いているという割には……"足取りが軽い気がする"のだ。
トン、トン、とリズミカルに歩いている。――“二人とも”だ。
「…………俺、ちょっと出てきます」
と車から出ようとした。
「ちょっと杉森くん?! どこに行くの!?」と主任は慌てて俺の手を引っ張り、止めようとする。
「あの老夫婦、何かおかしいですよ」と俺は言う。
「は……? ほんとに?」
梅宮主任とノリちゃんも身を乗り出して遠くなっていく老夫婦の姿を確認する。
俺は「やっぱ出ます!」と言って車から出た。「一人じゃ危険よ! 私も行くわ!」そう言って梅宮主任も後ろからついてくる。
「じゃあ僕は車の中で待機してますね!」とノリちゃんは一人、車内に残った。
俺はインカムで「怪しい二人組を発見、杉森と梅宮主任で尾行します」と仲間に伝え、彼らの後をつけた。
彼らの歩行スピードはなぜかどんどん速くなっていく。何度か小路を通り抜け、建物が密集した路地裏へやってきたことろで、いきなり姿が見えなくなってしまった。
まさか見失ったかと思った刹那――
「うぉあああああっ!!」
――いきなり後ろから聞こえてきた謎の叫び声に驚き振り返ると、先ほどの老人がナイフを片手に襲い掛かってきたところだった!
「やっぱお前かよっ!!」と俺は突っ込みを入れながら老人の腕を蹴り上げ、ナイフを明後日の方向へと弾き飛ばす。
直後、物陰から走り去る女の後ろ姿が見えた。
「杉森くんっ! そいつを押さえてて! 私が追いかけるわ!」と主任は猛スピードで女を追いかけて行った。
俺は言われた通り、そのまま老人を地面に叩き伏せ、叫んだ。
「公務執行妨害で逮捕する! あと、『銀行強盗』についても話を聞かせてもらおうか。なぁ? "謎の老人"さん?」
俺は老人の顔を乱暴につかむと、それを剥がしにかかる。
ベリベリッという変な音と共に皮のようなものが剥がれ落ちた。まだ二十代前半の若い男の素顔がそこにあった。
「どうせ変装するなら、もっと上手くやれよな?」
「…………チッ……」
「それで? また銀行員の誰かの身内を人質に取って強盗をやったのかな?」
「あぁ? 何のことかなぁ? 俺は何もやってねえよ」
「何もやってないなら、何で逃げた?」
「てめえらが追っかけてくるからだろ」
「尾行を気にしてたってことは、何かやましいことがあったからだろ? 現にナイフで襲い掛かってきただろうが。もっとマシな言い訳をして見せろって」
「うっせえな! 人質の命がどうなってもいいのか!」
「――『人質』? やっぱりお前、銀行強盗犯か」
「――あっ……」
「署のほうでゆっくり話を聴かせてくれよ、な?」
「いや、待てっ! 俺の話を聴いてくれ!」
「はあ? だから署のほうでゆっくり話を聴いてやるって――」
「だから、ここで話すから署はやめろって!」
……言い逃れにしては変なことを言うなぁと思った。
男は狼狽えながら俺にこう言った。「これはあんたのためでもあるんだぞ」と。
俺は声を潜め、「――どういうことだ?」と男に問い質した。
「『闇社会』だよ。『闇社会』の連中がサツの中にいんだよ。俺らがしくじったことはもうバレてるだろうから、サツに行けば消されんだよ……! あんただって、無事じゃ済まなくなるぞ」
「……おい、『闇社会』って何だ!?」
「もし俺を助けてくれるなら、人質の場所も教えてやる、だから――」
――刹那、そいつの頭から血が噴き出した。
…………次の言葉を待っていたが、男は目を見開いたまま、二度と動くことはなかった……
「杉森くーんっ! ごめん、こっちは取り逃がしちゃったー!」
主任が小路の向こうからそう言って駆けてきたが、俺はすぐに応えることができなかった。
「…………杉森くん? どうしたの?」
俺は一度首を振った後、顔を上げて「こいつ……もう死んでます」と報告した。
――銃声はなかったがおそらく、周辺の建物の屋上から消音付きの銃で頭を撃ち抜かれたのだろう、というのが俺の見立てだった。
そして相手を一撃で絶命させるほどの射撃力を持っている、相当厄介な相手だろう。
主任からこの男との会話のやり取りについて訊かれたが、咄嗟の判断で『闇社会』のことは伏せ、『しくじったことがバレたら、俺は殺される』と狼狽えられ、その直後に狙撃された……というシナリオに作り替えた。うん、嘘は言ってない。
『闇社会』とやらが、どんな存在なのか分からないし、迂闊に喋って先輩や他の刑事たちを危険な目に遭わせたくなかった。
――そして。
結局、あの後いつまで経っても銀行に強盗犯は現れなかったそうだ。というのも、先程の客同士の喧嘩がどんどんエスカレートしていったため、潜入していた捜査員たちもやむを得ず仲裁に入るしかなかったそうだ。
まあ、俺だったら……そんな状況の中で強盗をやろうだなんて思えないが。きっと強盗犯も同じ気持ちだったんじゃないか、そんな気がする。結局その日の取引は延期になったそうだし。
あと、人質にされていたと思われる人物が銀行近くの路上に放り出されていたらしい。目撃者の話では、黒いバンが路上に停まり、その人を路上に放り出した後、猛スピードで走り去ったのだとか。残念ながら、そいつらの行方はまだ掴めていないらしい。
それと、主任が惜しくも取り逃がしてしまった共犯の女の行方も分からないままだ。
ひょっとしたら……あの男と同じようにもうすでに…………
「――杉森くん? 聞いてるの?」
「え??」
いつの間にか考え事をしていたらしい。
署に戻って状況報告を終わらせ、特別捜査係に戻ってからはこうしてずっと考え事をしてばかりだ。
「すみません主任、何か言いました?」
「もう……聞いてなかったの?」
主任は少しむくれながら、もう一度言った。
「銀行強盗犯が潜伏していると思われる建物を見つけたそうよ。捜査会議の召集がかかったから、早く行きましょう?」
俺ははっとして聞き返した。
「もう割り出せたんですか?」と。するとパソコンで作業をしていたノリちゃんがこちらに振り返り、
「はい、なんか公安が色々動いているらしくて……強盗犯たちの潜伏先を突き止め、情報提供をしてくれたみたいです」と。
「公安が動いてる……? なんか大きい組織が絡んでるのか?」
俺がそう問いかけてもノリちゃんは「さあ?」と首をかしげるばかりだ。
「でも、妙だわ」と主任は言う。
……やはり、この二人には心当たりは無さそうだ。もし、ここで『闇社会』という言葉を出したらどんな反応をするのだろうか?
純粋な好奇心だったが、公安が絡んでるところを見ると、この強盗事件の背後に何か大きな闇が隠れていることに間違いはなさそうだ。
―――それに、俺はあの銀行強盗犯の最後の言葉が気になっていた。
「『闇社会』だよ。『闇社会』の連中がサツの中にいんだよ。俺らがしくじったことはもうバレてるだろうから、サツに行けば消されんだよ……! あんただって、無事じゃ済まなくなるぞ」
――俺らが連行しようとしていた警察署はここだ。あの銀行強盗犯は頑なに同行を拒否しようとしていた。つまり……この警察署内にあの男の言う『闇社会の連中』とやらがいるということになる。
そしてその『闇社会』は今回の銀行強盗事件――正確には未遂だが――に関わっているんだろうか。
まあいい、残りの銀行強盗犯を捕まえればこのモヤモヤもスッキリするだろう。
俺は席から立ちあがり、「それじゃ、行きましょう!」と言って梅宮主任らと共に捜査会議室へと向かった……ただ一人、行方知れずの係長を除いて…………
「ちょっと! それどういうことなんですか?!」
珍しく主任が声を荒げる。そりゃそうだろう。
県警本部からやってきた連中を交えての会議の中で、この白髪頭の刑事部長様は俺たち特別捜査係に「今夜、強盗犯が潜伏しているアジトに突入する。まずは特別捜査係、お前たちがそのアジトに潜入し、活路を開け」と言い放ったのだ。
こんな大事な会議にも関わらず、係長はどこかに行ってしまってるし、もう何もかもくそ食らえだと思った。
緊迫した空気の中、俺は静かに席を立って刑事部長の前まで歩くと、語尾を強くしてこう聞き返した。
「それは……俺たちに死ねって言ってるんですかね、刑事部長殿?」
「ちょっと、杉森くんっ!」
横に立っていた梅宮主任が慌てた表情で俺を静止するが、もう手遅れだ。この白髪野郎はどんどん眉間にしわを寄せていき、やがて言った。
「なんだと……? この青二才が。俺の意見に口出しするのか?」
「そうやってでかい態度を取る人間に限って、ロクに現場を見てないクソ野郎なんですよね」
「す、杉森さん、今の言葉はさすがにまずいですって……っ!」
ノリちゃんが小走りで俺の後ろにやってくるなり、俺の腕を引いて刑事部長から遠ざけようとする。しかし俺はノリちゃんの手を強く振り払い、更に続けた。
「あんたもあのろくでなし係長と同じだっ! いや、それ以下のクソ野郎だ! どれだけ危険な任務か分かっておきながら、そうやって簡単に人に指図するんだもんなっ!!」
「――もういい、誰かそこのクソガキどもをつまみ出せ!」
刑事部長はどこ吹く風で、他の捜査員たちに指示を出し、俺たち特別捜査係をこの捜査会議室から追い出そうとするが、それでも俺はわめき散らした。
「あんたらも同じかよっ!? 誰かが何とかしてくれるって思ってんのか! 誰かを身代わりにしないと、現場にも行けないチキン野郎なのかっ! それでも警察官かよっ!! ふざけんなよクソがっ!」
――捜査会議室から追い出された俺たちは、仕方なく特別捜査係へ戻った。
…………それぞれのデスクに腰掛け、俺とノリちゃんと梅宮主任、三人の中に気まずい空気が流れる。その長い沈黙を先に破ったのは主任だった。
「……杉森くんのさっきの行動は……一警察官としては恥ずべきことだけど…………」
「……はい」
「……代わりに怒鳴ってくれてありがとうね……」
「え……?」
梅宮主任は少し微笑みながらそんなことを言った。俺はてっきり怒られると思って身構えていたから、ちょっと拍子抜けしてしまった。
「杉森くんが怒鳴ってなかったら、私が怒鳴り散らしてたかもしれないわ」
「梅宮主任……」
「だってそうでしょう? さっきの刑事部長の言葉通りなら、私たちに死ねって言ってるのと同じなんだもの。その銀行強盗犯を狙撃したのが、他の仲間だったとしたら……相手は銃を持っているということよ? 大事な後輩たちにそんな奴らと相手なんかさせられないもの」
そしてノリちゃんも頷いて続けた。
「僕も……杉森さんや主任が怒ってなかったら、暴れてたかもしれません」
ノリちゃんにしてはらしくない言葉だったので、俺はついついからかってしまった。
「えー、オタッキーなノリちゃんに暴れる勇気なんてあるのかー?」
「ぼ、僕だってやるときはやりますよっ!」
「ほんとかー?」
「そういえば立木くんって、警察学校時代、射撃の成績はトップだったんじゃないかしら?」
「は??」
「私が聞いた情報に間違いなければ……立木くんはほとんどの学科は"そこそこ"だったけれど、射撃の成績"だけ"は非常に優秀だったって」
「そんな話、今まで聞いたことなかったぞ。マジなのか、ノリちゃん」
「……警察学校時代の話でしょう? 卒業してからは銃なんて指一本触れる機会はありませんでしたし、力を発揮できるかどうかなんて分かりませんよ」
…………確かに。警察学校卒業後、凶悪な犯罪を担当することはあっても、銃を携帯する機会は全くなかった。というのも、"本当は携帯していいレベルの犯罪"であっても、なぜか“俺たち特別捜査係にだけ”許可が下りなかったのだ。よくそんな状況で生き残ってこられたものだと感心するくらいだ。
……今回に至っても、ドラマによくあるような銃を乱射する強盗犯ではなく、まるで詐欺師のように、誰にも気づかれないように事を成す『知能犯』だと決めつけていたんだろう。
それで、銀行内では変な喧嘩が起こって強盗は未遂に終わり、逃亡を図った強盗犯の仲間は何者かに狙撃されて死亡するという訳の分からない展開になったわけだから。
「"今回"は拳銃の携帯許可が下りてるみたいですね」
と、無意識のうちにそんな言葉が口について出てた。
「さすがにね。もしそんな丸腰の状態でそのアジトに行けだなんて言われたら、問答無用でそいつらを殴り倒すわよ」
「ちょっと見てみたい気もしますけど……」
「――杉森くん? まずはあなたから締め上げてもいいのよ?」
「冗談です!」
「ふふっ……」
こうして梅宮主任とノリちゃんと楽しく会話して緊張がほぐれてきたところに、その空気をぶち壊す人間が部屋の中に入ってきた……
「なんだなんだお前さんたち、俺を抜いて雑談タイムか?」
――係長だ。この人は今の今まで俺たちをほったらかしにしてどこにいたというのか。義憤を覚えていた俺の代弁をする形で梅宮主任が席を立ち、係長を挑発した。
「あれー? 誰かと思えば係長じゃないですか。会議にも参加しないでどこをほっつき歩いてたんですかー?」
そして主任は係長の目と鼻の先まで近づくと、声色を低くしてこう言い放つ。
「――会議よりも大事な行事だったんでしょうかね……係長? もしそうじゃないなら…………その身勝手な振る舞いも大概にされた方がよろしいかと」
梅宮主任の迫力に圧された係長は、少し後ずさりながら「まさか! 大事な行事に決まってるじゃないか」と両手で否定の意を示して軽く咳払いをした後、言った。
「敵のアジトへの潜入は今夜だろ? それまで身体を休めておくんだぞ」
係長はそれだけ告げると再び部屋から出て行った。……結局何をしにこの部屋に来たんだ、あの人は。
「ホント、あの係長ムカつくわね、この特別捜査係を出禁にしてやろうかしら」と梅宮主任も憤りを感じている様子だ。俺も「『不信任決議』みたいなこと、できないんですかね」と続けた。
まぁ、俺たちがここでああだこうだ文句言っても、あの人は変わらずマイペースなんだろうな。
とりあえず俺たちは夜になるまでこの特別捜査係で仮眠を取ることにした。
――自分のデスクに突っ伏していた俺はふと目を覚ました。時計を見るとまだ夕方の六時過ぎで、ノリちゃんも梅宮主任も自分のデスクに突っ伏してぐっすりと眠っていた。
変な時間に目が覚めてしまったので、俺は廊下に出てぶらつくことにした。
――緊張していない、と言えば嘘になる。これはただの銀行強盗事件で片付きそうにないからだ。俺たちの知らない闇が牙をむいて獲物を狩ろうとしているみたいで薄気味悪さを感じていた。
「ん……?」
廊下の奥から別の課の二人の若い男性刑事が会話をしながら歩いてきた。
「それにしても……何だったんですかね」
「気になるよなぁ、あの杉森のインカムの後、ほんの数分間全くインカムが繋がらなくなったんだもんなぁ」
――ちょうどすれ違い様、そんな言葉を聞いた。二人は俺のことには気付かず、そのまま奥へと消えていった。
今の話、本当だろうか……?
――どんっ! と、廊下の角を曲がったところで誰かとぶつかってしまった。前方不注意というやつだ。
俺はすぐに「すみませんっ!」と慌てて謝ったが、その人は振り返ることなく俺が先程やってきた方向へと歩いて行った。
「…………なんなんだ……? あの人は……」
全身ライダースーツを身にまとって、ヘルメットを被っていた。その外見から男か女かの判別はできそうになかったが、歩き方からして男のように見えた。
「……ん?」
ふと、内ポケットに違和感を感じて手を突っ込んでみると、何か紙のようなものが入っていることに気がついた。
気になって取り出してみると、それは綺麗に折りたたまれていた。さっきまでこんなものは入ってなかったはずだが……
紙を開くと、それはどこかの見取り図のようなものが印刷されてあった。
「…………これって……」
ビルだろうか? 六階建ての構造で、ワンフロアごとに印刷されている。よく見ると、フロアのあちこちにカメラとマイクのマークが手書きで書かれている。
一階から見ていくと、ロビーだけで四か所にカメラとマイクのマークがある。上に行く手段はフロアの中央部に位置するエレベーターと、東側と西側にある階段だ。二階は西側から西階段、西トイレ、一番倉庫、二番倉庫、A室、B室、東トイレ、東階段と並んでいる。三階から五階までは二階と同じ構造のようだった。六階は屋上になっていて、東階段からのみ行けるようになっている。全フロアにカメラとマイクのマークが書かれていて、トイレを除いてどの部屋も一台ずつ設置されているようだった。どうやら、屋上には設置されていないようだが。
しかし妙なことに、どのフロアも"二番倉庫"だけはカメラのマークのみしか書かれていない。これが何を意味するのか、今の俺には皆目見当がつかなかった。
……それで? こんな紙がいったい何になるというんだ。どこのビルなのかもわからないし、持ってても仕方がない、そう思って紙の下の方に視線を移動させたとき、小さな字で何か書かれているのが目に入った。
『これを見たら処分するように。健闘を祈る』と。
――――時が刻々と迫っている。作戦開始まであと一時間…………
(後編へ)