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「イヴェンヌ嬢から王国での扱いを聞いているうちに今までの自分が学んできたことは無駄になってしまったというようなことを考えていそうでしたので、思わず妃になって欲しいと言ってしまっただけです」
「・・・お茶をかけないだけの理性が残っていたことに感謝すべきですね」
ドラノラーマの湯呑みにはお茶は残っていなかった。
入っていてもかけることはしなかっただろうがヒュードリックの軽率さを咎める気持ちには変わりがない。
「王国での問題が解決したら考えて欲しいとも言っています」
「・・・辛うじて及第点をあげましょう。少なくともイヴェンヌには求婚されるだけの価値があると思わせられたでしょうから」
「自分でも早急であったとは実感しています」
「一目惚れとは恐ろしいものですね」
表情という表情が欠落しているのではないかと思ってしまう甥の照れた顔に叱責することは止めた。
ヒュードリックにとって初恋だというのはドラノラーマも気づいている。
思わず求婚してしまうという暴挙がどこからくるものなのかも分かっている。
分かっていないのは当人であるヒュードリックだ。
そしてイヴェンヌにとっても初恋だというのは分かる。
話だけであってもイヴェンヌのことを幼いときから見てきたドラノラーマだ。
心にもない男性と会話ができるほど、イヴェンヌは器量に優れている訳ではない。
しかし結婚と恋愛を切り離して考える教育を受けてきた者同士だ。
おそらくは拗れるだけ拗れることが目に見えている。
さらに周りの環境も恋愛というものからは縁遠い生活を送ってきた。
恋愛をしたことがあるのはドラノラーマとマーロくらいだが、関係性から参考にならない。
今の王国の王と王妃は恋愛結婚に近いが、あんな夫婦になって欲しくはない。
「イヴェンヌは、わたくしの娘のようなものです。泣かせることだけは許しませんよ」
「心得ています」
「それにしても女性に侍られても眉一つ動かさない貴方が恋とは面白いものですね」
「叔母上」
どんなことがあっても冷静に対処してきた誰よりも皇帝の器を持っていると噂される甥が情けない表情を浮かべるのは見ものだった。
長い時間を王国で過ごしたドラノラーマはヒュードリックが過ごした幼少期をすべて知っているわけではない。
それでもイヴェンヌと関わることで初めての感情に出会うことだけは予感できた。
「国内の美女という美女が嫁いでいた後宮に見向きもせずに年下の娘に一目惚れとは」
「叔母上」
「まぁイヴェンヌを見初めたことは褒めてあげても良いでしょう」
ドラノラーマとて帝国の益になることを考えるがイヴェンヌに対する情がないわけではない。
皇帝が命令したことに真正面から否を述べることが出来るかと問えば、出来るが撤回させることは出来ない。
ヒュードリックも同じだが、次期皇帝という立場から保留という形に持っていくことは可能だ。
「告白するつもりはありませんでしたよ」
「ヒュードリック」
「イヴェンヌ嬢がまだ第一王子の婚約者である以上、他国からの求婚など受けられるはずがない。下手をすれば戦争になりかねない」
「そうですね。その点は早計でしたね」
「それでも告白せずにはいられなかった」
あの諦めた目を見たときには考えるよりも先に言葉が出ていた。
早計であったことを後悔はしても言ったことは後悔していない。
「ロカルーノ王国に求婚したことが知られたところで打つ手はあります」
「叔母上?」
「イヴェンヌが幸せになるのなら相手は問いません」
婚約破棄という突拍子もないことから帝国に有利になるように動いたドラノラーマのことだ。
次の一手を考えていることには違いがなかった。
「わたくしは休みます。イヴェンヌと兄を会わせるつもりはしばらくありません」
「では、俺もそのように」




