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空は雲がありつつも穏やかで散歩をしたくなるような天気だ。
風が吹き、木々は木の葉を揺らしながらも爽やかさをもたらしている。
それなのに、太陽を遮るほどの雲が広がり、雷鳴轟く稲光が支配する空気を持った部屋があった。
実際には窓からそよ風が入り、ゆっくりと昼寝でもしたくなるような気温だ。
そこには、王国の公爵令嬢とお付きの侍女がいた。
優雅なティータイムではなく、できることなら近づきたくない空気がそこにはある。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「明日の予定は何かしら?」
「明日は、イヴェンヌお嬢様とルシャエント第一王子殿下の婚約発表パーティでございます」
「そうだったわね」
気だるげにソファに座ったまま気のない返事をする。
見えない稲光が見えた気がした。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「婚約発表に着ていくドレスは何色かしら?」
「婚約発表ではございますが、社交界初日でもありますので、ライムグリーンの色をお召しになるのが良いかと思います」
「そうだったわね」
これまた気のない返事をする。
揺れていない窓が揺れた気がした。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「わたくしのクローゼットにライムグリーンのドレスはあったかしら?」
「昨日までお召しになられたドレスはパープルばかりですので、一着もございません」
「そうだったわね」
こんなやり取りが何度も続いている。
ティーカップにひびが、入った気がした。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「明日までにライムグリーンのドレスの仕立ては間に合うかしら」
「間に合いません」
「そうだったわね」
社交界初日のドレスは、婚約者がいる場合は男性から女性に贈られるのが慣例だ。
それを守らないのは、婚約という契約を蔑ろにしたと後ろ指を差されることになる。
お金のない下位貴族はドレスが無理でもストールや手袋など何かしら贈ることになる。
公爵令嬢のイヴェンヌの婚約者は国の第一王子だ。
ドレスを贈れないということは、まずもってない。
かなりの小国で貧乏だというのなら話は別だが、それなら社交界すらない。
そんな状況でドレスが無いというのは由々しき事態でもあった。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「わたくしは明日、裸で行けば良いのかしら?」
「それは淑女としてあるまじき行動でございますので、謹んでいただきとうございます」
「冗談よ」
返答の言葉が変わった。
このやり取りは今日始まった訳ではない。
婚約発表の日取りが決まり、ドレスが届くと思われる日から毎日繰り返されている。
そのたびに見えない何かが見える気がするのも繰り返されている。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「ネイビーのドレスを用意してくれるかしら?」
「かしこまりました」
ネイビーのドレスは流行色にならず、いつ着ても良い色のドレスだ。
ただし家の中に限ったことで社交界に着ていくのに、ふさわしい色ではない。
それを分かっていて選ぶのだ。
飾りもほとんどなく外出には不向きだった。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「アクセサリは何を付ければ良いかしら?」
「慣例ですと、嫁ぎ先の家紋が入ったイヤリングとネックレスを付けることになってございます」
「そうだったわね」
返答がまた戻ってしまった。
このアクセサリは嫁や婿を貰う立場の者が家紋入りを作って贈る習わしだ。
これもまた蔑ろにできない。
男性から女性へはイヤリングとネックレスを贈る。
女性から男性へはカフスやタイピンを贈る。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「わたくしのクローゼットに王家の家紋入りのアクセサリはあったかしら?」
「僭越ながら、王家の家紋入りを王家以外の家が作りましたら打ち首モノでございます」
「そうだったわね」
社交界のルールも婚約発表のルールも完全に無視をしている婚約者への恨み言を呟く令嬢と、それに根気よく答えた侍女のやり取りは何とか終焉を迎えた。