棘
夫はミルクに浸かったシリアルをスプーンですくい取っては口に運んでいる。その目はずっとスマホの画面を睨んだまま。私はコーヒーサーバーの淹れたてをマグカップに移し、テーブルに置いた。
「ねえ、夏みかんだけど」
「ん?」視線を上げずに返事。
「夏みかんの木。ぼさぼさになってるけど、どうする」
うちの庭にはいくつかの庭木があり、そのひとつが夏みかんだった。結婚して、この家を購入したときに植えたその木は今では私の背丈よりも大きく育ったが、枝葉が茂るばかりで実をつけるどころか花さえ咲かせたことがない。おまけに枝という枝には太くて先が鋭く尖った棘がぎっしりとついている。
「どうするって、なにが」
「実はならないし花も咲かないし、鬱陶しいったら。もう伐っちゃわない」
「いいよ、伐っちゃえば」空になったシリアルのボウルにスプーンを置くと、その手でマグカップを引き寄せひと口啜る。ちらりとこちらを見上げた視線はまたスマホに戻った。
私は自分のマグカップにもコーヒーを満たすと、サーバーをコーヒーメーカーに戻した。ガチャンと大きな音がして自分で驚いてしまう。
「あの木、枝は堅いし棘はあるしで私の手におえないのよ。ねえ、あなたなんとかしてくれない?」
「ん。んん。そうか……そうだなあ」夫はコーヒーをぐいっと飲み干すと立ち上がった。「お、もう出ないと」
居間のソファーに置いてあった背広とカバンを引っ掴み、いそいそと玄関へ向かった。
「それじゃお先に。今日も遅くなると思う」
「行ってらっしゃい」玄関ドアのばたんと閉まる音に向けて声をかけた。
食器を洗うと、マグカップを片手に居間へ行き、窓ガラスごしに庭の夏みかんの木を眺めた。先日に枝を剪定しようとして、うっかりと枝を掴んでしまい指に棘が刺さり酷く痛い思いをした。軍手の指先にじわりと赤黒い血の染みが広がっていったのを思い出す。実のならぬ木。心の中でつぶやくとぬるくなったコーヒーを口に含んだ。
身支度を終えシューズボックスから靴を取り出したそのときに、スマホが着信を知らせた。見ると夫からのメッセージだった。
『金曜の夜久しぶりに食事に行かないか。予定空けておいて』
私は上り框に腰かけてその文字を見つめた。
『了解』
返信を送り、立ち上がって玄関のドアを開けた。庭の夏みかんの木は朝の柔らかな陽の光を受けて青々と輝いていた。




