その1
けたたましい空襲警報のサイレンが鳴り響く
轟々と燃える我が家...正確にはさっきまで我が家だった物
そこにかつての我が家の姿は無くただの瓦礫の山と化していた
そして無力にも瓦礫の下敷きになりピクリとも動かない女性
それが...母であった
自分が幼い頃に父は他界し女手一人で自分をここまで育ててくれた母は突如街を襲った空襲で瓦礫の下敷きになったのだ...
「母さん...なぁ母さん」
「返事してくれよ母さん!」
「おい!聞いてんのかよ」
「なぁ目を開けてくれって...なぁ」
「頼むから...」
俺にはただその場に立ち尽くすしか出来なかった
自分の命に危機が迫っていてもそこに立ち尽くすしか出来なかったのだ
運良く近所を通りかかった知らないおじさんが俺の事を無理やり避難所に担ぎこんだから助かったものの
あのままでは死んでいただろう
いや...もしかしたらあそこで死んでいた方が良かったかもしれない
あそこで死んでいればこの下らない戦争の泥沼に足を突っ込まなくて住んだのかもしれない...
これが当時高校1年生の俺が経験した伊勢崎大空襲の全貌だ
その後家を焼かれ親を殺され居場所を無くした俺は帝国軍に入隊した
いや入隊するしか無かったと言う方が的確だろう
当時はよくある事だったあの空襲で家を焼かれ孤児となった子供はかなり居た
それに追い討ちをかけるように栃木軍の戦車部隊が街を蹂躙しそれによって孤児 難民は増える一方であった
これがかの有名な伊勢崎撤退戦である
最も撤退戦とは名ばかりで軍が出動する前にほとんどが蹂躙され反撃の余地など何処にも無かったのだ
この戦闘により伊勢崎市より東側の太田市及び館林市が栃木軍に占領され帝国軍東方司令部は総崩れとなった
この影響もあり逃げてきた敗残兵と難民で帝都前橋市は溢れかえり行き場を無くした者達の行先は帝国軍しかなかったのだ
そしてそれから俺は軍学校で小銃射撃や戦略・戦術などを集中的に学び本来3年教育で学ぶ予定の事をわずか半年で終了し直ぐに全線配備が決まった
そして今前線へ向かう輸送車両の中に居るのであった
素人ですし投稿頻度もgdgdですが呼んでくれたら嬉しいです