03 狩人は捕らえる
爽やかな初夏の夜明け前、果樹園を護るように取り囲むように植えてある低木の茂みの陰に、弓矢や剣を持った数人の男達が息を潜めて身を隠していた。奴は今日きっと来る! と手練れの者達が言うので、積もりに積もった恨みを晴らそうと、それぞれお得意の武器を手に敵を待ち構えている。
たわわに実った好物の果実の果樹園の木々や畑が目の前に広がっている。こんなに見通しが良いのに、敵は見つかる危険に臆することなく、毎回見事な速攻攻撃に迅速撤退をするのだ。しかもここのところ連日七日の強襲だ。
「あの者、もう許さん。堪忍袋の緒が切れた。我が怒りを思い知れ」
思わず恨みを込めてボソボソと呟きを漏らす。
「旦那、声を立てちゃあいけません。勘付かれます。奴はその道の達人ですぜ」
「ああ、済まない」
弓を手にして血気に逸った主人を村の男が小声で窘めた。そう言われても、悔しい想いは抑えきれず、ギュッと弓を握る。すぐにでも射ることができるように矢は既に手にして準備済みだ。
その背後で、まだ十三歳の従者ヨルンも、鼻息荒く敵が現れるのを今か今かとソワソワ待っている。ある意味、この少年にとっては初陣だった。主人以上に落ち着きがない。逸るあまり、手にした弓矢で間違って主人を背後から射ってしまいそうだ。
その時、山の斜面と果樹園を分ける低木の茂みが、風も無いのに不自然にゴソゴソと揺れた。どうやらあそこに一見では分からない茂みの穴があるらしい。この騒ぎが終わったら塞がねば、と誰もが思った。これ以上横暴を許すわけにはいかないからだ。
(来た!)
薄明るい夜明けの日を浴びて、犬よりも大きく丸々とした茶色い生き物がゴソゴソ茂みを掻き分け姿を現した。
「この野郎!」
「……!! まて、射るな!!」
勇ましく素早く立ち上がった従者の一人が矢を射るのを止めようとしたが、遅かった。一本の矢がヒュンッ!と鋭く風を切って飛び、獲物へと襲い掛かってしまったのだ。ドッ! と鈍い音を立てて矢が茶色い獲物に突き刺さった。
「キャアアー!!」
夜明けの薄闇を引き裂くような甲高い悲鳴が上がった。
「ま、まずい! 女か!? あの『猪帝王シシー』じゃなかった!?」
静かな果樹園は一転して大騒ぎになってしまった。従者は間違って人を射ってしまって激しく動揺して弓矢を投げ出し大声を上げ、同じく隠れていた村人達もヤバイ! マズイ! と口々にワーワー騒ぎながら射られた女の下へと駆け寄る。
「ご、ご主人! この女、動いてねえ! 死んだんじゃ……」
「ワー!! それだけはヤメテー! ご主人、助けてー!」
「落ち着け! まずは手当てだ! 女の怪我の様子を確かめろ!」
嘆きの悲鳴をあげる従者を怒鳴りつけるや、グラントは茂みの陰で身を丸めるようにして動かない女の体に手を掛けて、そっと茂みから引き摺り出す。明け方の光の中で見ると、スカートの袖や裾すら裂けたボロボロの衣服に、くしゃくしゃにもつれた長い金髪の若い娘のようだった。泥だらけ傷だらけの顔は青いが、そっと口に手を当ててみると浅く息はしている。
矢傷の様子を診ようと首から肩へ、肩から矢の刺さっている背へとそっと手で触れてみると、妙な弾力のある固い物の手応えがある。もしゃもしゃの長い金髪を左右へと掻き分けて触れてみると、皮鎧のような物をマントの様に肩から巻いていた。矢はその皮鎧を脇から突き抜け、娘の背中を掠ったらしい。大きすぎる皮鎧をマントの様にまとって四つん這いになっていたため、皮と素肌の間に隙間ができ、そこに威力が落ちた矢が刺さって背中を傷つけたようだ。
「ご、ご主人、俺……」
「ヨルン、大丈夫だ、死んではいない。矢も直接は刺さってはいないし、傷も深くはない。びっくりして気絶したようだな」
まずは泣きそうな従者を慰めるように、グラントは軽く背を叩いてやった。死んではいないと聞いて、ヨルンは泣きそうな顔からホッとした表情になった。
本当なら、毎回果樹園を荒らし、グラントの大好物である瑞々しい果物『カスイ』の実を喰い散らかす大物猪『猪帝王シシー』を狩るはずだった。あの悪賢いシシーは不規則な日程で明け方前にこの果樹園に現れ、頭部大に育ち一番おいしく熟れたカスイだけを狙って食べていく。シシーのせいで、この領地の特産物カスイをなかなか食べられずにいたグラントは腹に据えかねて、村人と共に狩りだすところだったのだ。
だが狩れたのは帝王シシーではなく、ボロボロの身なりの汚い娘だった。靴すらはいていない。身寄りのない浮浪者なのかもしれない。
予定とは異なってしまったが、怪我をさせてしまっては手当てを優先しなければならない。
グラントはその娘をそっと抱き上げた。モコモコ丸々している見かけよりずっと細く軽く感じる。案外、華奢なのかもと思った。
「あっ! それ! この間、果樹園小屋の裏に干していて無くなった俺の鎧!」
「いつの間にか無くなった小屋の敷布! この女が?」
より明るくなった陽射しの下で、村人達が娘の身に纏ってるものを認めるや、次々と声が上がった。
(我が領内にここまで貧しい者はいないはず。やはり流れ者か。どこの国から流れて来たのか……)
細く軽い身体に傷だらけ。山に迷い込み、夜の寒さから逃れるためにそこら辺にある物を手にしたのかもと思うと、グラントは哀れに思った。だが、気のせいか身に纏っている服の生地は高価な物の様に見える。そうそう手には入らない貴族が纏うような上質な布地だ。更に泥汚れを落とすと、顔つきも痩せこけてはいないようだ。何者なのかと疑問が膨らんだ。
「邸で手当てする。ヨルン、馬を」
「はい! 大丈夫ですよね! 俺、人殺しじゃないですよね!」
「ああ。この娘はしっかり生きている」
ぬくぬくサラサラしたシーツが気持ちいい。ここ最近、夜はやたら寒くてぐっすり眠れなった。目を瞑ったまま体に手を滑らし、よくよく確かめてみれば、生乾きで張り付いて不快だった衣服ではなく、肌に優しい軟らかい布地の物を身に着けている。ただ、身じろぎすると背中が痛かった。
「XXXXX(目が覚めた)?」
若い女性の声に応えるように目を開けて見ると、メイドの制服らしきものを着た二十歳半ばくらいの茶色い髪の気さくな感じの女性がいた。そして自分が、掃除が行き届いた狭い部屋のベッドに寝ていることに気付く。だが、さっきの女性は何て言っていたのか理解できなかった。
『あの、ここはどこですか? 何があったのでしょう?』
「XX、XXXXXX、スレイン、XXX?(やだ、ちょっと、あんた何語? スレイン語、わかる?)」
ゆっくりとベッドで上半身を起こすと、目に疑問を浮かべて小首をかしげ、しばし時間を掛けて目の前の女性の言葉を脳に浸み込ませる。すると、何とか言葉を翻訳できそうだった。
「……申し訳ございません。スレイン語、ですよね? 私は、スレイン語に慣れていません。もう少しゆっくりお話いただけますか?」
「スレイン育ちでは無いのね。気分はどう? 名前は? 何処から来たの?」
「な、名前?」
「そう。あなたの、お名前は、何ですか? 言葉、分かる?」
何処からと問われても、何も浮かばない。更に、自分の名前すらも分からないことに気付いた。頭の中は真っ白の空っぽだ。理解不可能な状況に、じわりじわりと恐怖が湧き上がって、思わず上掛けをギュウと握り締めてしまう。ザっと血の気が引いてきた。
「あら、大丈夫? 顔色、悪いわよ、横になる?」
「ココはイツ? ワタシは何処? イマは誰デショウ?」
蒼白な顔になって、人形の口のようにカクカクとした動きになり、妙な文法の言葉を述べるや、目の前の少女が固まった。それこそ人形のように。
「ちょっと! 何言ってるの? ムチャクチャ変よ!? もう、スレイン語になってない! だ、旦那様!」
慌てた様子で若いメイドらしき女性は、ビクッとするほどドタバタ大きな足音を立てて、部屋を出て行ってしまった。
(名前、自分の名前? どうしよう、何も浮かばない!?)
浮かぶのは焦りばかりだ。
バンッ! と突然扉が勢いよく開けられた。無遠慮にズカズカ入って来たのは三十歳前後の身なりの良い男性だった。明らかに高価な生地で仕立てたシャツにズボンを身に着けている紅い髪の長身。しかも文官というより、快活な騎士風の生気あふれる筋肉質で細身の美形。
だが、いくら美形でも、女性の部屋に許可も得ずに入るとは『何て無礼な!』と内心ムカッと腹が立った。しかし、ここは他人の邸なのだと、怒りを顔に出さないよう努めて平常心を保つ。
「XXXXXX?」
口調が速すぎて、この紅い髪の男性が言っている事が分からない。焦って首を横に振ってしまう。すると、まるで慰めるかのように口元に優しい微笑みを浮かべて、ギュッとシーツを握りしめていた手を優しく覆う。そんなに強く握っていては、手を痛めてしまうよ、とでも語っているかのように。ジッと見つめてくる琥珀色の瞳。
美形の優しい眼差しに、思わず知らず頬が熱くなってきた。
『かわいこぶってるんじゃねーよ』
聞き捨てならない言葉が、優しい微笑みを浮かべる口から紡ぎ出された。心配そうな優しい表情は変わってはいない。
今のは空耳かしら? と少女の表情も不自然な笑みのまま固まる。
「あ、アレジオス語に反応した。一瞬だけ眉間にしわが寄った」
「……何を言われているのですか?」
ひくひくと少女の口元が引きつる。
「何語に反応するか試してみた。俺が最初に言ったのはグローデン語。そしてお前は二つ目のアレジオス語に反応した。身に着けていた衣類は上等な生地で仕立てられた貴族子女の日常着のドレスらしい。ボロボロだったが」
再び琥珀色の瞳が少女をジッと見つめる。
「二、三日前、アレジオスの王女が国境付近で行方不明になった。この領地にも当然捜索の依頼が入っている」
さりげなく少女の肩に手をおいてその長い金髪を撫でる、と思いきやプチプチッと二、三本引き抜いた。
「痛い! 何をされるのですか! 乙女の大事な髪になんてことを!」
「現在も王女捜索中だ。出回っている王女の特徴は、金髪に碧瞳の十八歳の少女だ。この髪は根元まで紛れもなく金髪だ。瞳も光線の加減によっては碧と言えなくもない」
済まないとばかりに、今度はわざとらしく優し気に頭を撫でて、髪を引き抜かれて涙目の少女を慰める。
「当然母国語はアレジオス語。『かわいこぶってる』なんて、第二言語では一瞬では理解できない単語だ」
「そ、それが何か?」
不意に優しかった眼差しから、面白いおもちゃを見つけた子供みたいに紅い髪の男は笑みを浮かべた。だが、少女を見つめる目は笑みの形を取っているだけで、全然笑っていない。奥の奥まで見通そうとするかのような鋭さだ。少女は恐ろしさを感じた。
「おまえは王女かもしれない」
今度は本当に楽しそうに、紅い髪の美形はニッコリと笑った。