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81話 野生の本能と少女の心


 少女は、とあるケモミミ族の集落に生まれた。


 両親に愛され、満開の蒲公英のような愛らしい笑顔に誰もが癒されるような、そんな存在に育っていった。


 しかし、何時からだろうか。少女は自分の胸のうちに渦巻く不思議な感情の存在に気付いていた。あってはならないようなその感情に、少女は不安を覚えながらも変わらぬ笑顔を振りまいた。


 しばらく時が経ち七歳の誕生日を迎えたある日、少女は近所に住むおじさんに声を掛けられた。誕生日だということを把握していたおじさんが、お祝いの言葉を伝えるというありふれた幸せな日常。だが、そのおじさんが少女と眼を合わせた瞬間、ある感情が爆発した。


『殺せ!!』


 少女は必死に堪えるが、そのせいで男を見上げたまま固まってしまう。不思議に思った男がしゃがみこんで目線の高さを合わせても、少女は動けない。むしろ、頭に響く声は強さを増していく。


『食らい付け!!』


 今まで抑えこんで来た以上の、凄まじい感情の奔流が、少女の意思を飲み込み、染め上げる。


 少女が気がついた時には、目の前には顔面を両手で覆って赤い水溜りの上で悶える男の姿だった。


 それ以来、少女は人と眼を合わせることが出来なかった。集落の誰もが、少女の前では眼を逸らしてしまうのだ。


 ケモミミ族とは、獣の耳を有する人の姿をした種族で、人よりも身体能力に優れ、獣人よりも知性に溢れると言われている。その分人よりは知性に劣るし、獣人よりも野生の本能が薄い。


 しかし、極稀にケモミミ族であるにも関わらず類稀な野生の本能を有した子が生まれることがある。そうした場合、大抵は屈強な戦士としての才能を有しているのだが、この少女もそうであった。これを“先祖返り”と呼んで人々は奇跡として崇めていた。


 集落の大人達が少女と視線を合わせなくなったのは、“先祖返り”であることを察したのと、近所に住む男に怪我をさせて落ち込んでいた少女を知っている者達が、同じ経験をさせないようにという配慮であった。


 しかし、少女は誰もが自分を恐れている、自分のことが嫌いなんだと思ってしまった。目を逸らさせるような自分はダメなんだと。


 そして少女は考えた。眼を合わせると襲い掛かってしまう。それならば、自分が眼を逸らし続ければいいと、そう結論を出して辿り着いたのは、誰もいない空間を視線をさ迷わせることだった。


 少女は野生の本能に恵まれていた。そのせいか、少しだけ馬鹿だった。


 しかし、同年代の子供達に恐れられ、馬鹿にされても、年頃の女の子がしてはいけないような顔をし続けた甲斐もあり、周りの誰もが彼女を避けることは無くなった。そして少女の才能を活かしたいと思った族長の手により、少女は戦闘訓練を積む事になる。


 数年も経てばメキメキと実力をつけ、集落でも指折りの戦士となった。


 だが、それは周囲に恐怖を抱かせた。いくら視線を虚空にさ迷わせているとはいえ、少女は既にケモミミ獅子族最強の戦士が認める程の腕前であり、不意に眼が合うことがあればほとんどの者は一瞬でミンチにされてしまうのは想像に難くなかった。


 そして、恐れていたことが現実のものとなった。


 少女が十四の誕生日を迎えたある日、少女に恋心を寄せていた族長の息子がサプライズを仕掛けた。少女が家から出てきた瞬間にプレゼントを渡すという簡単なものだったのだが、そこで族長の息子はやってしまったのだ。


 少女が家から出かけるタイミングで、何故か屋根の上から飛び降りた族長の息子は、少女とばっちり目があってしまった。戦士としての才能も実力も少女の次くらいに有していた族長の息子は無駄なクオリティで気配を消したせいで、何もいないはずの空間を見つめていた少女の視線を鷲掴みしてしまったのである。


 族長の息子は空中で迎撃されて向かいの家の壁に激突し、全治三ヶ月の重症を負った。少女と同じくらいの実力者とされていた青年が大怪我を負ったことにより、少女への畏怖の念はますます高まった。そして、再び親しい相手を傷つけてしまった少女もまた、集落に残ることが許せず冒険者として旅立つ決意をした。


 そうして色々な出来事を経験を乗り越え、Bランク冒険者として、ターナは今日までやってきた。


 ターナは、魔物と戦うのが好きだった。何故なら、魔物を傷つけても褒められるのだから、誰に遠慮することなく眼を合わせて対話することが出来るのだ。


 そんな彼女にかけられたスキルは、ターナの正気を崩壊させるのには充分な効果を発揮した。


「いや、もういやああああああああああ!!!」


 ターナは、絶叫した。


 それも仕方のないことだろう。ターナは、自身の意思とは関係無く、家族や、集落に済む知人、パーティーメンバー、今まで出会った人々を、眼が合ったからという理由で惨殺していっているのだから。


 いつまでそうしていたか、気付けばターナの周囲の風景は、どこまでも広がる青い空とさわやかな風の吹く平原だった。そして、膝を付いて呆然としていたことに気がついたターナはゆっくりと立ち上がった。


 ふらふらと歩き出した先には、女を抱きかかえた一人の男が立っていた。男は明るい表情でターナへと声をかけながら近寄っていく。そして、ターナの虚ろな瞳は、男の真っ直ぐな瞳と視線を交わらせた。


 あ、殺さなきゃ。


 自然とそう思ったターナは、何のためらいも無く手にした大剣を振り下ろした。男は咄嗟に回避しようとしたが、抱えていた女を庇ってその両腕を差し出した。


「ぐ、があああああああああああっ!!!」


「うあああああああ!!」


「危ない!」


「ちっくしょ!!」


「っ!?」


 一撃で仕留め切れなかったことに苛立ちと、早く殺さなくてはという強迫観念に襲われ、ターナは叫びながら再度剣を振りかぶる。が、男が蹴り上げた己の腕を顔面に受けてターナは怯んでしまう。赤い液体がターナの視界を封じる。


 獲物の癖に抵抗するなんて。


 目の前の男をもはや知人だと認識していなかった。トラウマに捉われていたターナは、危ういバランスの上で成り立っていた精神を崩壊させて、ただ混乱していたのだ。


 そんなターナが男を全力で殺そうとする中で、男は信じられない行動に出た。


 ターナの振るう大剣を掻い潜って、ターナを抱きしめたのだ。



「誰も見てくれねぇって言うんなら、オレが見つめてやる。誰も目合わせてくれねぇって言うんなら、オレが見詰め合ってやるよ」


「あ、あ・・・ジェノ、さん・・・」


 その言葉は、ターナの心に響いた。


 責めるでも、否定するでもない、かっこよくもない、ただターナに甘いだけの言葉。


 それでも、男の心からの言葉。両腕を切断されても、殺す気で襲い掛かっていた相手に対して言い放った受け入れる意思。それは、ターナが初めてもらったものだった。


「だから、誰の眼も見れねぇって言うんなら、オレの眼を見ろ。本能で襲い掛かっちまうにしても可愛い女の子の攻撃くらい、いくらでも受け止めてやるぜ」


 ターナはその言葉に深く感謝し、そしてやっぱり自分の行動が申し訳なくて、泣いた。


 

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