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71話 野生の獣

「レルカさんを襲った魔物の正体は分かりませんが、臭いで気付けなかったことには心当たりがあります」


 ジェノ達一行は、スプリが連れ去られた時に盗賊達が飛び出してきた森の中へ足を踏み入れていた。レルカが一人残って探索したところ、隠れ家と思しき入り口を発見したのだ。ジェノとスプリの間の繋がりを強化する指輪もその方角を指し示していることからスプリがそこへ囚われていることはほぼ確実だったのだ。


 ツォルケン大森林程ではないにせよ人の手がほとんど入っていない森は樹や草が生い茂っていて内部は薄暗い。その中をレルカが先導しつつ奥へと進んでいく。二人のすぐ後ろにはターナ、ユヴィクスが続きリアクース、ナムカラ、リクルース、ジェノ、クードの順に並んでいて、ナムカラの隣には茶色い羊が一匹歩いている。


 ある程度は急ぎつつも慎重に早歩き程の速度で進んでいく。そんな中でナムカラが、レルカを襲った魔物について知っていると口にした。面々は周囲を警戒しつつもナムカラの言葉に耳を傾ける。


「以前戦ったことのある魔物で、自分の周囲の臭いを消す【消臭空間】というスキルを持った魔物がいました。範囲内の臭いを全て消すので隠れる時というよりは、魔物が血の臭いに誘われて食事を邪魔しに来るのを防ぐ目的で使用するようですが」


 その時から既にパーティーとして活動していたのか、ユヴィクスは頷き、ターナも「そうでしたねー」等と懐かしそうに呟いている。相変わらずどこを見ているか分からない程に視線をさ迷わせているが、誰も気にしていない。気にしてもし目が合ってしまうと襲い掛かられてしまうからだ。いつ何があってもいいようにターナの両手は拘束から解き放たれている為、もし目が合えば一瞬でミンチにされてしまう、とはナムカラ談である。


「へー、ちなみにそいつはどんな奴だったんだ?」


「僕達が討伐したのは大きなトカゲのような魔物でした。狩りの時以外は潜んでいるし、血の臭いも漂ってこないから探すのに苦労しましたよ」


 一応参考までにと『野生の獣』が遭遇した魔物の詳細を聞いたジェノにナムカラの返した言葉に、ユヴィクスは頷き、「そんなこともありました」と苦笑いしている。探し出すのにそれなりに苦労したのだろうと、ジェノやリアクース達は察した。


「え、それはどうやって見つけたんですか?」


「出せる限りの羊を出して山の中を虱潰しですね。あの時は流石に疲れました」


 問いかけるリアクースにナムカラが苦笑しながら言うと、周りも釣られて苦笑する。Bランク冒険者の体験談というのは普段中々聞けるものではない。ジェノなどは特に、この数日前まで修行とバイトに明け暮れていて同年代の友達どころか知り合いすらほとんどいない。なので急に訪れた先輩の冒険者の体験談を聞く機会に目を輝かせている。


「もう少しで入り口の近くに着く・・・ん?」


「どうした?」


「レルカ?」


 到着が近いことを告げようと振り返ろうとしたレルカの動きが止まる。微妙な違和感に気付けず不思議に思ったジェノとリアクースが声を掛ける。他の者も気付くことは出来なかったが、動きを止めたレルカを見て一つ思い当たることがあった。


「臭いがしない・・・」


「なるほど、確かに慣れてしまった臭いは感じなくなってしまうから無臭になってもほとんど気付けないですね。これは面白い」


 そう、またしても臭いが途切れているのだ。それはつまり、この近くにレルカを襲った熊の魔物がいるということを表していた。全員の顔が真剣なものへと変わる。ナムカラは初めて【消臭空間】の効果範囲内に入ったことで感心したように臭いを嗅いだりしている。その姿は実に楽しそうだ。


「それで、どうしますか?」


「んー・・・」


 ユヴィクスは振り返ってそう問いかける。視線の先にはジェノ。この一行はスプリを救いたいというジェノに付いて来た。つまり、どう行動するかを決めるのはジェノであり、その決断で生じる全てに責任を持つのもまたジェノなのだ。


 ジェノは目を瞑り腕を組んで少しだけ考えると、すぐに目を開いた。その顔に迷いは無い。


「無視して行こう」


「ほう、それは何故ですか?」


 ジェノの発言に、面白そうな表情のまま問いかけるナムカラ。羊の頭でありながらその表情は実に豊かだ。そんなナムカラや他の者達にも、ジェノは説明する。それを簡単にまとめるとこういうことである。


 【消臭空間】が発動しているということは、熊の魔物は食事中でありその場所へ行かなければわざわざ襲い掛かってくることは無い。更に、戦闘の音や熊の魔物を倒した後に解き放たれる大量の血の臭いで他の魔物も寄って来るだろうし、拠点に潜む者達にも接近がばれてしまうかも知れない。


 わざわざ連れ去ったことを考えれば殺されることはないだろうが、人質にされたり危害を加えられる危険性は捨てきれない。ジェノはそれを考慮したのだ。そして、近づかなければ背後から襲われることはないだろうとも考えた。


 実際、その考えは正しかった。先程レルカが襲われたのは熊の食事中に近寄ったからであり、邪魔さえしなければ食事中に新たな獲物を探してさ迷うこともないのだから。


「なるほど、ではそうしましょうか」


 感心したように頷くナムカラ。ユヴィクスも、少しだけ見直したらしくジェノを見る瞳は優しい。他の者達も全員がナムカラに同意するように思い思いに返事をする。ターナ以外は。


「あれ、そういやターナはどこいった?」


「え、そういえばいませんね・・・んぐっ!?」


「ん?」


「お?」


「うっ」


 ふと気付いたジェノが辺りを見渡すもその姿は無い。どうしたのかと思っているメンバーに、不意に強烈な鉄の香りが漂ってきた。全くの無臭状態から急に濃い血の香りを感じ取った鼻はもはや痛みを脳へと伝える。特に嗅覚の優れた亜人達には酷く応えたようだ。皆一様に渋い顔をしている。


 そして茂みの中からターナが姿を現した。その全身は真っ赤に染まり、手には余程新鮮なのかボタボタと液体が零れ落ちている大きな獣の頭を持っている。背負った大剣も同じく血に染まっており切っ先からは真っ赤な液体が滴っていた。


 完全に殺戮者の様相のターナは相変わらず視線だけを明後日の方向にさ迷わせたまま、極上とも言える満面の笑みを浮かべて魔物の生首を掲げる。


「殺ってきました!」


「「「・・・・・・」」」


「ははは、さすがターナさん」


 あまりの光景に、『野生の獣』以外のメンバーは一様に唖然として言葉を発することが出来ない。ユヴィクスは半ば呆れたように苦笑いを顔に貼り付け、ナムカラは愉快そうに笑っている。ジェノが真面目に考えて決めたことを一切無視して獲物を求めて突貫していったターナは、野生の獣どころかもはやバーサーカーであった。


 しかし、いつまでもこうしている訳にも行かないと真っ先にジェノが我に返る。やっちまったもんはしょうがないと、虚しさを押し込んで声を上げる。


「敵の拠点に急ぐぞ!レルカ、全速力だ!」


 こうなれば速度が命だと言わんばかりに、ジェノ達は走り出した。



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