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66話 まるで我が子のように

 バロムスは突然、本当にそうとしか言えない一瞬の間に己の真後ろに現れた男に対して咄嗟に膝を上げる。バロムスと、突如現れた謎の男の身長は同じくらい。その為、男の股間を潰すつもりで放たれた膝蹴りは直撃すればバロムスの狙い通りに男の尊厳を打ち砕いていただろう。


 しかし、バロムスの膝に柔らかい感触は無く、虚しく空を切るのみ。間違いなく眼前に存在していたはずの男は、気が付けば1m後方へずれていた。その動きはバロムスの目をして、捉えることが出来ていなかった。


 そこでようやくバロムスは目に入る情報を纏めて状況を切り抜ける為の材料とせんとする。バロムスの目の前で薄く笑う男はぼろきれを身に纏っていても分かる程に、身体が細い。目元以外が隠された顔も同様だ。そして扉は閉まっていて、いつこの部屋へと入ってきたのかバロムスにはやはり分からなかった。


 痩せた男は薄く笑いながら手にしていた鉄製の槍の切っ先をバロムスに向けた。それは飾り等も無い簡単な作りで、そこらで買えそうな何の変哲もない槍だ。それでも、先程まで相手取っていた者達とは格が違うことを理解していたバロムスの顔は険しい。


 素手では敵わないと判断したバロムスは足元に転がっていた小太りの男の腹にその剛脚をもって踏みつけて意識を刈り取ると、縛り上げていたハンカチーフを回収する。そしてそれを、今度は片手で端を持つスタイルでは無く、両手で対角線上の別の角を持って紐のようにして構えた。


 特に語ることも無いのか、構えたバロムスに準備は出来ただろうとばかりに細い男が動き出す。そう、痩せた男はバロムスが得物を手にするのを待っていたのである。まるで素手の相手を殺しても楽しくないとでも言うように。


 痩せた男が放ったのは神速の突き。バロムスの鳩尾を目掛けて放たれたそれを、バロムスはハンカチーフの中心で受け止める。どれだけ技量があろうとも、鉄製の槍ではこのハンカチーフを貫くのは難しい。バロムスはそう判断したのだ。


 そしてバロムスの予想通り、槍の穂先はハンカチーフに食い込むようにしているものの貫くことは出来ていない。バロムスは突きが伸びきる前に身体をずらし、かつ突きが左脇の下を通るように誘導する。そのまま脇を締めて槍を戻せなくした上でハンカチーフの端を握っていた右拳を僅かに緩めてそのまま踏み込んだ勢いも乗せて顔面に叩き込むつもりだった。


 しかし、それは叶わなかった。


 痩せた男の放った突きの軌道上にハンカチーフを割り込ませたバロムスは流石の腕前であったし、鉄の槍ではハンカチーフを貫けなかったのもバロムスの想定どおり。ただ、痩せた男の放った突きはハンカチーフごとバロムスの鳩尾に叩き込まれた。ハンカチーフによって刺さるのは防がれていた為に出血こそしていないが、衝撃は丸ごと伝わりバロムスの筋肉すら貫いて内臓にダメージを与えた。


「がほっ!?」


 予想外の衝撃にバロムスは肺の中の空気を吐き出しながら呻いた。後ろに吹き飛ばされまいと咄嗟に踏ん張った足から力が抜けて膝をついてしまう。


 何故バロムスは防いだはずの突きでダメージを受けたのか。答えは単純にして明快、力で押し負けたのだ。一瞬の拮抗すら許さずダメージまで与える程の突きを放った男は、貼り付けたような笑みで膝を折って呻くバロムスを見下ろしている。


 たったの一撃でバロムスはもはや慢心相違。それでも、バロムスは間違いなく熟練の執事長であった。もしハンカチーフを割り込ませることすら出来なければ、間違いなく死んでいたのだから。


「じゃあ、とっとと片付けますか」


「ぐ、ぅぐ・・・!」


 細い男は槍をバロムスへ向ける。軽い口調とは対照的に、その瞳に油断は無い。バロムスもなんとか立ち上がろうとするが、先の一撃のダメージは甚大で呼吸も儘ならず唇は紫色に染まっていた。


 そして細い男が槍を振り下ろそうとした時、大きな音を立てて扉が開かれた。


 カリウェイ、バロムス、細い男が一斉に扉へ顔を向けると、そこには一人の男が立っていた。








「ん、んん・・・。ふあぁー・・・・ふぁ。・・・あー、少し早く目が覚めちまったな。どうすっか・・・」


 目を覚ましたジェノはもそもそと起き上がり大きなあくびをした。そして時計を確認して予定よりも早く起きてしまったことを理解して頭を掻いた。


 ジェノは貴族の依頼を受けて出発したスプリの身に何かが起きたと感じて、翌日であるこの日に助けに向かうべく色々準備をしていた。そしてその場に居合わせたリアクースとリクルースが帰還して詳しい話を聞く中で、依頼を出した貴族もしくは貴族の関係者が怪しいと感じた。しかし、既に街は寝静まる時間になっていた為に領主であるカリウェイのところへ報告に行くのは憚られた。


 なにせ相手は貴族であり、ジェノ達は平民である。カリウェイがいくら人格者だとは言っても人目のあるところでの無礼に対して何も無しで済ますことが出来るかと言われれば、否である。更に、リアクース達は万が一、依頼を出した貴族でありカリウェイの甥に中るリグシェイムが屋敷に滞在している可能性を考えると、まだぎりぎり起きているかもしれない時間帯に行くという判断は出来なかったのである。


 リグシェイムこそが今回の一件を仕組んだ可能性が高く、もし仮に違うとしても関係者であることは間違いないのだから。もしリグシェイムが黒幕で、鉢合わせるようなことがあれば口封じの為に適当な理由をつけて処刑することだって難しいことではない。ジェノはそれでも特攻したがったが、リアクースとリクルースはそれを恐れたのだ。


「・・・とりあえず支度するか」


 しばしぼーっとしていたジェノは、身支度を始めた。いつも通りの軽装で、スプリとお揃いの指輪を嵌め、ガイサの宝石につけられた鎖を自分の首に掛ける。いざというときの魔法具も忘れない。ガイサ討伐の際にも使われたそれらを、服や装備の下にもいくつか忍ばせている。


 ガイサ戦で使い切ったそれらの魔法具は、スプリ救出の為に再び買い揃えられた。その為に領主からもらった報酬の八割以上が消し飛んだが、ジェノにとっては特に痛くも無い。自らの相棒を救い出すために必要な物だから仕方ないときっぱり割り切っているのだ。


 ジェノが準備を終えて何をするでもなくベッドに腰掛けていると、ドアがどこか軋むような音を立てて開いた。こんな時間に何だとギョッとしたジェノが視線を向けると、そこには正に準備万端と言った風なコノミがいた。扉を開けたまま、部屋の入り口で仁王立ちである。


その服装はいつもの白いワンピースではなく、スプリが作った聖騎士と聖職者、そして若干のエロティック成分をない交ぜにした新装備を纏っていた。ミニスカニーソに臍出しなのはスプリの趣味だ。その手にはスプリの作った回復スキルを付与したコノミの身長程もある杖が握られていて、その細い腰に巻かれた二本のベルトにはそれぞれ銃と五つの弾丸が収められていた。いざという時のサブウェポンとしてスプリが用意したものだ。


 髪は田吾作の羽で作った髪飾りで一房まとめて結っており、その頭の上にはスプリのペット田吾作がとまっていた。


「スプリは心配いらないだろうが、ポーツタフ家の者は心配だ。様子を見に行くの」


「おー、じゃあ少し早いけど行くか」


 そして唐突にそう言った。あまりにも急な話ではあるが、女の子に甘いジェノは二つ返事で承諾した。引き止めるリアクースとリクルースもいないし、屋敷にリグシェイムがいたとしても寝ているであろう時間にいって詳しい話をしてしまおうという思惑もあったが。






 そしてコノミと共に門の前までやってきたジェノは、違和感を感じた。門番は交代制のようでジェノが昨日訪れた時とは違う人物であったが、確かに自分の脚で立ってはいるもののその瞳はどこか遠くを見てるかのように微動だにしない。ジェノが門の前まで近寄っても、騎士の頭を軽く小突いても、何の反応もない。


「あちゃー、こりゃあまずいかもしんねぇな」


「何かが起きてるのかの?」


「しゃあねぇ、急ぐぞ!」


 そんな騎士の様子に、ジェノは思わず顔を顰める。そしてつい口から零れてしまったセリフに、コノミの顔も不安に染まる。


 コノミの正体は龍神である。コウロの街が街になる前は、ただの村だった。その村が出来たのは、龍神王と呼ばれる強大な存在がこの地に一枚の鱗を落としたことが始まりであった。聖なる地と崇めた者達が集い、やがて村になった。コノミはそんな村が出来た時からこの土地を守護してきたのである。


 その為、元々この辺り一帯を治めていたポーツタフ家の人々のこともよく知っているし、ガイナース帝国に対する備えとしてコウロの街の建造をきっかけに他の領地を親族に譲ってコウロの街へ移り住んだカリウェイの父親とカリウェイのこともよく知っていた。その頑張りや、成長をずっと見てきたのだ。コノミの中ではこの街に住む全員をわが子のように思ってはいたが、カリウェイやその父親に対してはその感情がより一層強かった。


 それ故に、危険が迫っていると知ってその胸中には不安が広がっていく。コノミは思わず、スプリの作った魔銃のグリップに手を添える。コノミの正体をスプリから聞いて知っているジェノは何となくその辺りのことを察してコノミの頭に手を置く。二度三度と、ポンポンと軽く叩く。不安を払うように。


「大丈夫だ、オレがなんとかしてやる」


 そして頼もしいセリフと、優しい笑みをコノミへと伝える。それは、信念の篭った力強い言葉。それを受けてコノミは


「我に気安く触るな!」


「あ、はい」


 魔銃を引き抜くと同時に筒状の銃身が半ばから折れた。そこに素早く弾を装填して手首のスナップだけで元の状態へと戻った魔銃は真っ直ぐにジェノに向けられ、そのまま引き金が引かれた。幸い狙いが甘かったようで放たれたピンポン玉サイズの光弾はジェノの頬を掠めて塀に当たって弾けた。石で出来た塀が少し抉れているのを見たジェノは、冷静に返事をした。


 決して自分に向けられた銃の威力に青ざめている訳ではないし、スプリのやつなんてもんをコノミに買い与えてやがるんだ、と心の中でモンクを言っている訳ではない。


 そしてジェノとコノミは屋敷の中へと駆け出していく。


 屋敷の中に入ったジェノは、真っ直ぐに領主の部屋へと向かい、コノミはその後を付いていく。道中に門番と同じように明後日を見るようにぼーっとしたまま突っ立っている者達が何人かいたが、二人は無視して領主の部屋だけを目指していた。


「やけに自信有り気だが部屋がどこか知ってるのかの?」


「おう。オレに任せとけって」


「知ってるならいい」


「おっ、ここだ。ぐへぁっ!?」


「ここか、開けるぞ!」


 コノミの問いかけに即答しつつも時間が惜しいのかジェノが詳しい説明をすることはなかった。コノミもどうせ大したことじゃないだろうと判断してそれ以上は聞かない。


 そして、一つの扉の前でジェノが立ち止まった。


 コノミもジェノに体当たりして盛大に吹き飛ばした反動で止まり、扉を力いっぱい押し開けた。




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