65話 領主の館の襲撃者
スプリが絡まないからさくっと流そうと思ってるはずの戦闘シーンがやけに長くなるのは何故でしょうね
空を覆っている黒は薄くなりつつも朝と呼ぶにはまだ少し早い頃、コウロの街の領主が住む屋敷で、普段の彼を知る者が見たならば誰もが驚く程に焦燥を顔に浮かべて走る老人がいた。執事長を勤めるこの男は常に冷静沈着で長年領主に仕えてきた執事オブ執事とも呼べる存在であった。執事長は普段ならばノックもせずに主人の私室へ入ることなど有り得ないのだが、この時は主人の返事を待つ間も惜しいとばかりに盛大に扉を開け放って部屋へと飛び込んできた。
「ご主人様、お目覚めください。非常事態にございます」
「・・・む、何事だ?」
執事長は精一杯冷静さを失わないよう努めながらカリウェイの身体を優しく揺さぶる。カリウェイはガイナース帝国領に程近い辺境の領主として、いつ何が起きてもいいようにすぐに起きられる癖を付けていた。そのお陰か執事長の呼びかけにすぐさま目を開き、続いて身体を起こして事情を把握しようと問いかける。カリウェイは目覚めたばかりの頭でも、タイミングからある程度の予想は付いていたが。
「どういう手段を使ったかまでは確認出来ませんでしたが、リグシェイム様が騎士達を無力化し、その隙を付くように賊が侵入して参りました。数は四名ですが、身のこなしからよく訓練された者だと思われます。真っ直ぐこの部屋へ向かっております」
「無力化だと? どういうことだ。ああいや、今はそんな時間など無いか。隠し通路より出るぞ」
「はっ」
「おっと、させねーよ?」
「!?」
突如掛けられた声に、カリウェイと執事長の二人は咄嗟に声のした方を見やる。すると、まるで浮かび上がるように闇の中から一人の人物が現れた。ボロボロの布切れのような服を身に纏い、顔もギラギラと光るような眼光を放つ目元以外は布で覆われている。そして手にしているのは黒い短剣。服装とは裏腹によく手入れされたその短剣は枕元に置かれた小さなランプの光を受けて、妖しい光沢を放つ。姿だけを見れば盗賊の一人にしか見えないが、その研ぎ澄まされた殺気と武器は明らかに只者ではなかった。
「まさか既に侵入されていたとは、不覚です」
「バロムス、この場を頼めるか」
「命に代えましても」
突如として現れた賊の一人に、二人は動じない。カリウェイは信頼する執事長に目線を向けて言外に身を挺しての時間稼ぎを指示すると、バロムスは即座に了承して見せた。その顔には言葉の通り、死んでも主人に触れさせまいとする覚悟が見てとれた。
それを眺めていた賊は面白そうに笑いながら短剣の先をカリウェイへと向ける。その動きは乱雑で、洗練されたものとは程遠く、切っ先を向けただけで構えも何もあったものではない。しかし、バロムスの目から見ても隙の少ないその姿はやはりただの賊とは思えなかった。
そして、賊の男の姿が闇に紛れるように薄れていった。次の瞬間、ベッドから降りてバロムスの後ろを移動しようとしていたカリウェイの背後に男が現れ、振り上げていた短剣を振り下ろした。
パシィッ!!
「っつぅ!?」
のだが、賊の男の右腕は何かに弾かれて空を切った。乾いた音を部屋に響かせて男の腕を打ったそれは、バロムスの右手に握られた純白のハンカチーフだった。バロムスは賊の男が背後へ移動したのを察知して振り向きながら優雅な動きで執事服の胸ポケットからハンカチーフをシュルリと引き抜いて、振り向いた勢いと肘から手首にかけてのスナップで鞭のように男の腕に叩き付けたのだ。
特殊な魔法の込められた魔法具であるハンカチーフは一見ただのシルクの布のような見た目と手触りであるが、その性能は折り紙つきである。強力な自浄作用を持ち、どんな汚れを拭いてもすぐに純白の姿を取り戻す。そして何より、とても丈夫である。その耐久性は、並みの刃物なら通さない上に再生能力を持ち、更に伸縮自在でもある。どんな局面でも対応できるこのハンカチーフは、正に執事に相応しい魔法具である。
そしてそれを振るうバロムスも、領主に仕える執事として相応の戦闘力を有している。それは、暗殺を主な業務としておりその為の厳しい鍛錬を積んできた賊の男が痛みに顔をしかめて距離を取る姿からも窺えるだろう。
そしてまずは目の前の執事をどうにかせねばカリウェイを殺せないと判断した賊の男は絨毯の敷かれた床
を蹴ってバロムスに肉薄しようとした男は、己の直感に従って瞼を閉じた。本来、戦いの中で目を閉じるという行為は有り得ない。極限の戦闘の中では、瞬きすら許されない状況も存在するのだ。しかし、この時においては男の判断は正しかった。
スパァン!!
「ぅぐ!?ちくしょう、目が・・・!」
再び部屋に響く乾いた音と賊の男の苦悶の声。男が踏み出そうとした瞬間、バロムスの持つハンカチーフが防ぐ暇すら与えずに顔面、主に目の辺りを強打したのだ。辛うじて瞼を閉じるのが間に合った男は失明まではしていなかったが、衝撃まで防ぐことは出来ずに顔を押さえて痛みに呻いている。閉じた瞼の隙間からは涙が止め処なく溢れているようだ。
「抜け駆けしやがった癖に何手こずってんだか」
「ざまぁねーぜ!」
カリウェイはその隙にとばかりに移動しようとしていたが間の悪いことに、目を押さえている隙に延髄にバロムスの一撃をもらって気を失った男の仲間と思われる同じく賊風の男達が更に二人部屋へと侵入してきた。逃がさないようにする為か、扉を閉めてその前で気絶している男に背の高い方は呆れたように呟き、太い方は小ばかにしたように指を指して笑っている。
脱出口自体はベッドの裏にあるのだが、スイッチは反対側に設置してあった為にカリウェイは止まらざるを得なかった。秘密の通路が即座に発見されるリスクを避けた配置が仇になったのだ。
「ご主人様、私の後ろへ」
「すまぬ、なんとか切り抜けてくれ」
新手の二人はそれぞれが短剣を取り出してじりじりとバロムスへと距離を詰めてくる。秘密の通路での脱出を諦めたカリウェイは部屋の隅へと自ら納まり、バロムスは自らの主人を背負うように立ちはだかった。
「ここから先へは一歩も通しませぬ」
その言葉には、確固たる意志が込められていた。一歩も通さない、一歩も下がらないと。背中に守っているのは己が生涯を掛けて仕えると誓った大切な存在。相手の実力は未知数で、カリウェイが一人でスイッチを作動させに動けばその隙を付かれるかも知れないとバロムスも判断した。故に、バロムスは時間を稼ぐのを止めて襲撃者を全員叩きのめした上で脱出することを決意した。大切な誓いを守るために。
「ひゃっはー!死ねー!」
「ふっ、俺達二人相手にどこまで持つか楽しみだ。行くぞ!」
抜け駆けした男が返り討ちにあったことがそんなに嬉しかったのかテンションが振り切っている小太りの男と余裕そうに笑う男は、まるで示し合わせたかのように絶妙なタイミングで一気に加速した。そして、驚愕に目を見開くことになる。
「ぬあっ!?」
「ちっ!?」
先ほどの男と同様、身体が前に傾いた瞬間その顔面に純白の布が迫っていたのだ。違っていたのは、相手が二人に増えているにも関わらず先程と同等の速さで二人同時に攻撃したことと、攻撃された二人の賊の男が腕で防いだということだ。
「なんつー威力だ。鉄板を仕込んだ腕が痺れてやがる」
「あいたた、確かに速いけどここは俺にやらせてもらうぜ!【岩鉄】!」
バロムスの奇襲をきっちり防いだ二人は、しかしその威力と速さに感心する。背の高い方は受けた左腕を眺めながらにやりと笑う。バロムスの実力に何か感じるものがあったようだ。
そして自信満々に一歩前に出たのは小太りの男だ。スキルを発動させると、小太りの男はゆっくりとバロムスへと歩き出した。バロムスがすかさずハンカチーフを振るい、顔面へと叩きつけられる。
パシィン!!
何度目になるか、乾いた音が部屋に響く。今度は防ぐことも出来ず、顔面に直撃した。
しかし、小太りの男は歩みを止めない。翻したハンカチーフを続けて叩きつけるが動じた様子はない。小太りの男が使ったスキル【岩鉄】は、動きが遅くなる代わりに自身の身体を金属並みに硬くすることが出来るスキルである。バロムスの攻撃に動じない小太りの男はその口元を歪めさせて笑みを浮かべる。それは、か弱い獲物を前にした狩る者の笑みだ。
「何だとっ!?」
「させるか!」
小太りの男が迫る中、バロムスは突然攻撃をやめて小太りの男に向かって走り出した。その動きは早さを犠牲にした小太りの男には付いていくことが出来ず、頭上を飛び越えたバロムスにあっさりと背後を取られる。させまいと駆け出そうとする背の高い男に白い布が迫る。咄嗟に顔面を左腕で覆うと、その白い軌跡は男の股間へと吸い込まれた。
「~~~っ!?」
その身を襲う壮絶な衝撃と痛みに、もはや言葉になっていない叫びをあげて床をのたうち回る背の高い男を尻目に、バロムスは小太りの男の手足や首に長く伸ばしたハンカチーフを絡ませる。バロムスが小太りの男を一瞬の内に縛り上げてしまうと、ハンカチーフは収縮を始めてぎりぎりと締め上げていく。
身体が硬くなり打撃が効かなくなった小太りの男にバロムスが選択したのは締め技だった。強力な力で収縮していくハンカチーフに抗おうとするも、敵わず関節を決められていく小太りの男をバロムスは軽く脚払いをする。バランスを崩していた小太りの男はいとも簡単に、転がってしまう。そして、小太りの男の身体はメキメキと嫌な音を立て始めた。
「いだだだだだだあだっだだだ!!!」
「いつまでも硬くしているとぽっきりと折れてしまいますよ」
「か、解除!解除!・・・ぐぐぐ」
金属とも同等と言える程に硬くなった身体は確かに生半可な打撃や斬撃ではダメージを与えることは出来ないだろう。しかし、そのスキルはあくまでも肉体を硬くするだけで金属に変化する訳ではない。動きが鈍るのもその為で、動きをスムーズに伝えることが難しくなるせいである。
つまり、その硬さゆえに関節の稼動域以上動かそうとすればどうなるか。生身の肉体ならば痛みを感じはしても外れたりすることは無い。しかし、筋肉本来の柔らかさを失った硬い状態では、あっさりと折れてしまうのである。その可能性を痛みとバロムスの言葉で感じ取った小太りの男はスキルを解除し、それでも関節を極められていることには変わりないので痛みに呻く。
「!?」
「やぁ、おはようおはよう」
三人を無力化したバロムスは、今の内にカリウェイを連れて脱出しようとカリウェイの方に向き直って歩き出そうとした。そして、強烈な気配を感じて即座に振り向いた。今まで誰もいなかったはずのバロムスの真後ろの空間、息が掛かるほどの距離に賊風の男の四人目が虚空のような漆黒の瞳でバロムスを見つめていた。目が合った瞬間にバロムスは驚きで固まり、目の前の男は軽い挨拶を口にする。
バロムスの戦いは続く。