59話 波乱の幕開け
それは、二人にはとても信じられない光景だった。あれだけの強さを誇った仲間が、突然空間に空いた穴から女が出てきたと思ったら抵抗もせずに盗賊達に縄で縛られていたのだから。
リアクースとリクルースは、エルフの姉妹だ。二人はテイマーのランクアップ試験に参加し、試験や途中で起きた魔人ガイサの討伐依頼の中で知り合い仲良くなったスプリ、レルカと共に依頼でリグシェイムという名の貴族の領地に来ていた。
リグシェイムはコウロの街の領主であるカリウェイの甥に中る人物で、その領地もすぐ隣でコウロの町から馬車で三時間も走れば到着する距離にあった。その領地に盗賊団が出没するようになったので討伐して欲しいというのが、依頼の内容だった。
依頼の難度はC。依頼の難度というのは、ギルドが受け付けた依頼に対してな要素を考慮して決定する、難易度を分かりやすく表したものである。基準としては魔物の危険度と同じく、同ランクのパーティーならほぼ安全に達成出来る、といったような大雑把な物だ。腕が立てば一人でも余裕であるし、いくら複数でも危険が伴う場合もある。
しかし今回の依頼は三十人程の盗賊の討伐で難度はC。メンバーは成り立てとは言っても全員Cランクの上、Aランク冒険者と肩を並べて魔人ガイサと渡り合ったスプリまで一緒だった。そこに従魔を合わせれば、ピンチになる要素が何一つとして見当たらないと思う程だった。
もちろん二人も、スプリも油断した覚えは無い。けれども、スプリが何の抵抗も出来ずに捕まるというのは余りにも予想外だったのだ。かろうじて確認出来たスプリの動きは、何かを空中に投げてそれをミミズク型の魔物でスプリの従魔である田吾作が追いかけた光景だけだった。
しかも、女が現れると同時に目の前から感じる威圧感は、相当なものだった。龍神から授かったスキルを使ったスプリよりも遥かに強大で濃密な魔力。魔力の扱いに長けたエルフ族の中でも、特に魔力を感知する
才能がずば抜けていた二人はその余りにも強大な魔力に驚愕した。
「これは罠だ!逃げろ!」
そしてスプリの叫びがあたりへ響く。それを聞いたリクルースはスプリを追いかけて走らせていた馬の速度を慌てて上げる。リアクースもすぐにリクルースに続いて速度を上げる。二人の頭の中にスプリを置いて逃げるという考えは欠片も存在していなかった。むしろ、今度は自分が助ける番だとでも言いたげな輝きをその瞳に宿していた。
しかし、女が二人へとかざしていた手のひらから無数の黒い球体が放たれたのを見て、二人の背中に冷たいものが流れた。どういう攻撃かは正確には分からないまでも、危険性を本能が全力で訴えていた。
「姉さん!」
「ええ!」
黒い球体を見つめたまま声を掛け合うだけで意思の疎通を完了させた二人は、迫り来る球体を迎撃すべく魔法を放つ。威力よりも正確さや手数を優先した魔法を選択し、矢継ぎ早に放っていく。リクルースの従魔であるアルクスもリクルースの隣を飛行しながら、同じく魔法を放つ。
「石槍波!」
「疾風矢!」
リクルースとアルクスは長さ四十cm程の黒くて頑丈な岩の槍を無数に放ち、リアクースは渦巻く小型の竜巻のような風の矢を二十本程生み出し、黒い球体へ向けて一斉に発射した。
しかし、
「そんな・・・」
「まさか・・・!」
二人と一羽が攻撃を放った瞬間に黒い球体は突然不規則な軌道を機敏に描き出し、迎撃せんと迫る攻撃の全てを回避して二人へと迫る。いくら追撃を放とうと、空中を縦横無尽に飛び回り確実に距離を詰めてくる黒い球体に二人は死を覚悟した。
しかし、まだ少し距離がある状態で、光が煌いたかと思えば突然黒い球体が爆発を起こした。
「!? 黒岩壁!」
リクルースは咄嗟に黒い岩で出来た防壁を目の前に生み出した。壁を目の前に出現させるという単純ではあるが、リクルースの使える魔法の中で最大の防御力を誇る。リクルースはこの魔法を持ってしても黒い球体の直撃を受ければひとたまりも無いと理解していた。しかし、30m程手前で爆発した今の状況なら、爆風を完全に防げると判断したのだ。
謎の爆発は放たれた黒い球体全てに起きたらしく、壁の向こうでは激しい爆発が続き、衝撃と音で、防壁が振動する程だった。二人は爆音が響く中を必死に耐えた。爆発する距離が近づけばこの壁も崩壊して自分達も爆発に巻き込まれるかもしれない。そんな恐怖に襲われながらも、やがて爆発の音は聞こえなくなった。
「収まった・・・?」
「姉さん、気を抜かないでくださいね」
音が止んで壁の向こうを覗こうとする姉に声をかけながら、リクルースもまた壁の向こうをそっと覗く。そこには爆発の影響か、巻き上がった砂がカーテンのように視界を遮っていた。
「何も見えないわね・・・爆旋風!」
痺れを切らしたのか、リアクースは強烈な風を直線状に巻き起こす魔法を放った。視界を覆っていた砂のカーテンに直径5m程の穴が容易く穿たれ、呆気なく吹き散らされた。ちなみにこの魔法は範囲はそこまで広くなく、直線状に発射する上発動後の隙も大きい為に黒い球体を迎撃する時には用いられなかったがリアクースの切り札とも言える魔法である。
そして砂が無くなり開けた視界には、誰もいない平原が広がっていた。
「リグシェイム様、手はず通りに目標を捉えたと報告がありました」
「そうか、まずは成功というわけだな」
コウロの街のとある屋敷、その中の一室に男達はいた。顔ははっきりと分かるくらいに痩せていて、しかし不釣合いに厳しいよろいを着た男ヘキサが、自らの主人でありこの屋敷の主でもあるリグシェイムに報告をしていたのだ。
この屋敷がある貴族街は、他の街等と違って貴族街と平民の住む住宅地が明確に分けられていない。それはただでさえ広くない街に闘技場を作ったり、変な祠のある広場を潰さないどころか広くしたせいで大通り以外は乱雑な作りになったせいであった。
リグシェイムもそれが理由でコウロの屋敷に滞在している間は常に機嫌が悪いのだが、今は別人のように機嫌が良い。それは、長年練ってきた計画を実行しようと思っていた矢先に振って沸いた儲け話が実りそうだったからだ。
「どうやら流星梟の方は取り逃したらしいですけどね」
「ほう、あの腕輪を付けられなかったということか。邪魔はされなかったのか?」
「攻撃はされず、さほどの脅威も感じなかった為問題ないとのことです」
「そうか、ならばまたその内チャンスは巡ってくるであろう」
流星梟も捕獲出来ていれば更に儲けられたのは明らかだったが、リグシェイムも今回ばかりはその考えを振り払った。従魔の捕獲はあくまでも序であり、それに感けて最重要な計画を棒に振っては元も子もないと思ったからだ。
「それにしても、例の腕輪は効果抜群だったようだな」
「はい、あれを装着したら一切抵抗することなく従ったそうですよ」
「ぐふふふ、龍神の加護さえ使えなければただの小娘よ。高い金を払った甲斐があったわい」
例の腕輪というのは、リグシェイムがとあるルートで手に入れた最強のアイテムだった。その効果は、嵌めた者は一切のスキルの使用が出来なくなり、パッシブであっても効果がなくなるというものだ。肉体を鍛えている者や魔法を習得している者には効果が薄いが、強力なスキルに頼った戦い方をする者や、魔法の使えない種族や魔物相手には絶大な効果を発揮する。
リグシェイムの脳裏には、美しい少女を自分の好きにする光景が描かれる。この世界では女性は12歳、男性は15歳で成人となる。決してリグシェイムが真性のロリコンというわけではないのだ。
そうして楽しんだ後は、オークションにでも出して売り払ってしまおうと、リグシェイムは考えていた。召喚された魔物なのだからどう扱っても構わないと、本気で思い込んでいるのだ。例えそれがどのような手段で手に入れたものだとしても。
「よし、私達も動くとするぞ!」
「はい、楽しみですね」
リグシェイムは興奮を抑えきれずに勢い良く立ち上がる。満面の笑みを浮かべているが、その表情は欲望に塗れていて下品な笑みだった。ヘキサはその表情を見て、こちらも笑みを浮かべて返事をする。心の底から楽しそうな笑顔で。
欲望に彩られた計画は、静かに、そして確実に動き出していた。