番外編2 転移現象
なろうで最近多い主人公批判ですが、いったいどういうメカニズムなのかの考察。
そろそろ本編から外れてきてるので別作品で社会心理学現象とかでまとめようかと考えています。
なろうで、否、ライトノベル「ここでは何も考えたり気にしなくてもすらすらと読め、間違っても不快な思いをしない、とにかく終始主人公に都合がいい状態で物語が進む小説と定義させていただきます。」において、喜ばれる作品とは主人公が最強でひたすら優遇されている作品、もしくは最初は底辺でもそこから成り上がり結局は主人公が最強になる作品である。
これはなろうのランキングや出版されているライトノベルの傾向から明らかであると言えるだろう。
ではなぜこのような現象になるのかを考えたとき、「転移」という現象が考えられた。
心理学を学ぶものなら必ず、心理学を学んだことがない人でも聞いたことはあるのでは無いだろうか。
フロイトの精神分析。現代でもフロイトの考えが正しいのかと言われると論争が起きるのでここでは置いておく。
フロイトの精神分析の考え方に転移「transference」というものがある。
クライエントが、過去に重要な他者(両親など)との間で生じさせた欲求、感情、葛藤、対人関係パターンなどを、別の者(多くの場合は治療者)に対して向ける非現実的態度を転移と呼ぶ。また過去の重要な他者に向けられていた愛着欲求や依存欲求が向けられることを陽性転移、敵意や攻撃欲求が向けられることを陰性転移と言う。
この言葉でなろうにおける主人公批判の考えが理解できるのではないかと筆者は考えた。転移において重要な他者とは基本的に両親や身近な人物を指すがここではヒーローというものに置き換えよう。
子どもの頃、スーパー戦隊やウルトラマン、仮面ライダー、プリキュアなどのヒーローというものに憧れたことがあるのではないだろうか。基本的に負けることもなく、敵を倒し続けるヒーロー。そんなヒーローというものを物語の主人公に重ねているのでは無いだろうか。
そう考えると主人公が最強ではなかったり不遇の扱いを受けていたりすると批判される理由の説明がつくのでは無いだろうか。ヒーローという偶像を物語の主人公に重ね、自分を主人公だと思い込む。
自分が主人公になったとしたら・・・不遇な扱いをされると怒ってしまうのは理解できる。ただし、そもそも読者は物語の主人公ではない。
たしかに不遇な主人公を見ているといらいらするのかもしれない。しかし、それを批判したところで何も変わらないし、筆者にしても他の読者にしても不快になるだけである。
どんなことを考えようが、それは日本国憲法において保障されている。しかし、独善的な思いを他者に転移するのは筋違いであるし、それをしたところで何も解決しないだろう。
思い込みいわゆる暗示というのはとても強力で一度思い込めば抜け出すのは難しいだろう。
この文章を読んでいる読者の方も思い込みというものには十分に気をつけてほしい。
自動販売機が主人公だって、主人公の感情の説明がなくたっていいじゃ無いか。