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番外編1 信頼の話

番外篇に関しては本篇とは関係ありません。

別作品として投稿しても良かったのですが、テーマが似たようなものだったので載せました。

 もし、あなたは他人を信用していますか?と聞かれたらあなたはなんと答えるだろうか。「はい、私は人を信じています」と答える人もいれば、「いやいや、人なんて絶対信じない」なんて人もいるだろう。


 しかし、よく考えてみてほしい。人は行動するとき、少なからず他者を信頼すると共に期待を抱いているはずである。なぜならば極端な例ではあるが、買い物へ行くとき道行く人があなたを包丁で刺し殺そうとするなんて予想するだろうか、まず予想しないはずである。


それは人があなたを刺し殺したりしないだろうと期待を抱き信じているからであるといえるだろう。


 もし仮に本当に他者を信用しないのであれば、お店の人が売っている食べ物が本当に食べれるものであるかどうかすらも信用できなくなる。


そうすると買い物をすることも困難であるし、マンションなどに住むこともまず難しい。他者を信用しない人間の生活がどれだけ困難なものか想像に難く無いのではないだろうか。


 山岸(1998)によると「安心(assurance)とは、相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待の中で、相手の自己利益の評価に根差した部分である。これに対して信頼(trust)は、相手が自分を搾取しようとする意図を持っていないという期待の中で、相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価にもとづく部分にあたる」と定義している。


 このことから人は他者に対して信頼は抱いていないとしても少なくとも安心を抱いているというのは理解できるだろう。この小説家になろうというサイトに関してもそうであるが、作品が面白いと感じるかどうかはともかく、キーワードやタグ、ジャンルなどは間違っていないという安心を持った上で利用しているのでは無いだろうか。


 人間関係も同じである。恋愛や催眠だって同じだ。相手に対して基本的には安心はしているのだ。そこから信頼関係を構築できるかの話にすぎない。にも関わらず、そもそも他者に対して安心すら持ってないと嘆く人が多い。


 とくに中高生のSNS利用者に見られる傾向なのだが、親が信頼できないというものがいる。だがよく考えてほしい。本当に信頼できなければ、そもそも同じ家に住むこともなければ、親が作ったご飯すら食べれないはずだ。

 

 別にこの作品を読んだからといって親を信頼しろと主張したいわけでは無い。ただしかし、人は他者に対して安心を抱いているということに気づいてほしいだけである。

山岸俊男 1998 信頼と構造―――こころと社会の進化ゲーム


また何か面白い話があれば投稿するつもりです。

ネタは募集中。

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