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001 さよなら、魔物の島

「それじゃあ、お世話になったな」


石造りの建物はそれ自体が仄かな明るさを発しており、薄暗くはあるが窓のない屋内においても、十分な明るさを保っていた。

その中でもひときわ明るく輝く球体が、10畳程の空間に浮かんでいた。


「道中お気をつけて下さい、光太郎様」


球体は自らの体を震わせ音を発する。その音は鈴音の様に少し甲高く、少女のような声をしている。それ曰く「生物ではないため性別、名前は無い」とのことだった。どうしても声音からイメージされるのは利発な少女であり、まぁ、この無人島において人恋しいというのもあったんだろう、俺は彼女を便宜的に「珠ちゃん」と呼んだ。

そもそも珠ちゃんは何なのか、一度問うたこともあったが、その返答はいかんせん俺の頭では理解しきれなかった。理解できない、必要もないことよりも、その時の俺は生きる知識が必要であったため、それ以上は追及しなかった。


ここへ落ちて早二年、珠ちゃんの協力なくして俺は生きてこれなかった。恩義を感じられずにはいられない。できれば一緒に島を脱出したいものだが、彼女はこの10畳程のスペースから外へ出ることは不可能だと言う。


「もう会えないと思うと少しばかり寂しいよ、珠ちゃん」


一度離れれば、二度とこの地を踏むことを叶わないだろう。

二年間練りに練った片道切符の脱出計画を、いまから繰り広げようとしているのだ。


「はい、私もです」


無機質なその返答からはとても寂寥の念は欠片も感じられない。彼女はあくまで人工物?だ、返事はあくまで相槌でしかないだろう。二年という月日は決して短いものではないが、彼女にとって悠久の時も、瞬き程の時もすべからく等しい。

とは言っても俺は寂しい。寂しいものは寂しい。ここは脳内補完し、その言葉をありのまま受け取っておこう。


「ありがとう。それじゃあ、最後にもう一度この島の脱出ルートを教えてくれるかな?」

「承知しました」


珠ちゃんは次々と光の色を変え、室内を虹色に照らす。


「島の最大直径は約21.3km、最小直径は19.1km、外周は64.2kmになります。島の形はほぼ円の形をしています。現在地は島を縦横5×5の25分割にして、左下を零点とした場合、縦3,横3の座標に位置します。」


□□□□□

□□□□□

□□■□□

□□□□□

□□□□□


こんな感じか…って、中央じゃないか、一言そう言ってくれれば良いのに。


「大陸は島の南方にあります。神殿すぐ南方には断崖があります故に、西方に迂回しながら進んで下さい。その際、南の空に浮かぶ星ヘーラーを目印とする事を推奨します。ヘーラーは年中通して南天から動くことはありません。ちなみに、いつも地上を見つめているその姿はまるで母親の様である事から『母星ヘーラー』と呼ばれています」


不思議な星もあるもんだと、少しばかり興味をそそられたが、今はその時ではない。

珠ちゃんの説明はまだまだ続くようだ。


「直線距離にして11.2kmですが、獣道すら碌にありません。途中、魔物の出現も多くあるでしょう。順調に進んで11時間掛かると予想されます」


単純に10km程度歩くなら1,2時間もあれば踏破出来る距離だろう。しかしここは魔物が跋扈する人外魔境。そう簡単には脱出できない。俺が二年間脱出出来なかったのもそれが原因だ。最初の頃は2kmと進まない内に瀕死の状態となった。思い出すだけでも身震いがする。


「以上の条件に、光太郎様の実力を考慮しますに、島外脱出の成功率は61%となります。気象条件、道程、魔物の出現率によって誤差は±7.6%。正直なところ、時期尚早かと思われます」


確かに、珠ちゃんの言う事は一理も百理もある。

元は日本に住むインドア派無個性青年、たまの休日は自宅警備員という根っからのヒキニートが、ここまでサバイバル術を身に着けただけでも大したものだろう。

俺の力量はこの島で生きていくギリギリのラインだろう。

神殿の外にはヒグマなんて子猫に思えてくる凶暴な魔獣がウヨウヨしている。

珠ちゃんの言う確率を100%にするには、少なく見積もってもあと3年は必要だろう。


「珠ちゃん、俺もそう思うよ。だけど…」


俺は顔を上げ、珠ちゃんの後ろにそびえ立つクリスタルへと目を向ける。

淡く輝くそれの中には一人の少女が膝を抱えて閉じ込められている。


否、彼女は眠っている。

心地よさそうに膝を抱え、それはあたかも母親の胎内で眠る赤ん坊のよう。

黒く長い髪の毛がふわふわと揺らめいている。

透明な鉱物なようであり、液体のようでもある不思議な結晶。


彼女に向けて別れの挨拶をする。


「ちーちゃん、行ってきます」





神殿を出て、陽光が僅かに差し込む薄暗い森の中を走り抜ける一つの影。


「わーはっはっはははは、やった、やったぞ、俺は自由だぞーっ!!」


森の中に悲鳴とも言えるだろう奇声が響き渡る。

刑務所から脱走した犯罪者さながら、その表情には開放感が満ち溢れているだろう。

あぁ、もう笑いが止まらない。


「何がそんなに可笑しいのだ? いつもの3割増しで気持ち悪いぞ、光太郎よ」


俺の周りに人影は勿論、生物の姿はない。

その声は腰にぶらさげた鞘の中から聞こえてくる。

一見すればどこにでもあるロングソード、しかしその正体は「喋る」ロングソードなのだ。


「いつも気持ち悪いみたいに言うな! それに喋る剣の方がよっぽど気持ち悪いぞ」

「な、何を言う!我は女神アフロディテの奇跡により荒くれる現世を、代々勇者と共に数々の魔王を打ち滅ぼす聖なる剣イシュタルとは我の事!我を手に入れようといくつの国が争ったと思う、それはもう…」

「はいはい、もう耳にタコができる位聞きましたよ、その話。スゴイデスネー」

「貴様っ、何と言うぞんざいな扱い、信じていないなっ!」

「はっははは、証拠を寄越せ、信じてほしくば何事も証拠だよ!」


自称聖剣・イシュタル。確かに喋ることのできる剣など伝説の武器そのものだろう。知性ある剣、いわゆるインテリジェンスソード。しかし俺はこの世界のことを何も知らない。なんせ珠が喋るくらいだ。俺にちーちゃんに珠ちゃん、そしてイシュタル。この島で言葉を交わせる内の半分が無機物。喋る剣なんて案外そこらへんにポロポロと落ちているものなのかもしれない。


「ぐぬぬぬ…女神アフロディテは言った、信じるものは救われるとな」

「残念ながら、俺の故郷には『信じる者が馬鹿を見る』という格言があるのだ」

「何と荒んだ世界!」


カシャカシャと鞘の中で身を震わせて抗議するも、それ以上のことは出来ずに「ぐぬぬ」と悔しい声を上げていた。ふふふ、所詮無機物よな!


「話を戻すが、嬉しいことでもあったのか光太郎」

「…ふふふっ、嬉しいことがあったのか、だと」

「うっ、何じゃ」


怪しく笑う俺に、若干声に怯えが混じる。


「嬉しいことがあったのかだと、嬉しいことがあったのかだと、嬉しいことが」「怖い、怖いぞ光太郎」「嬉しいことがあったのだよ、イシュタル!」


おいおい冗談きついぜイシュタルさんよ。言葉にしないと、この喜びが分かち合えないというのか?


「やっとだ、二年かけてやっとだぞ。やっとあの天上天下で唯我独尊で尊大で高飛車で居丈高で傲岸不遜で豪放磊落な、あの、あの『ちーちゃん』からやっと解放されたんだぞ!」


どうだ、今日の俺は走りにも切れがあるだろう。このフォーム、まるで重力から解放されたようだぜ、ははっ。


「ぬっ、暫くの別れぞ、悲しみあれど喜ぶことなのか」

「はっ! 悲しみだと、本気で言っているのか、お前も見てきただろう連日に亘る暴君の所業を! まるで奴隷か何かのように俺をこき使い、いや奴隷ならまだ良い、あれは何だ、虫? ゴミ? 人権って何でしたっけ、それっておいしいんですか? あぁっ、お思い出すだけで頭痛と吐き気が・・・そんな扱いを受けてきたというのに、喜びこそあれど何を悲しむことがある!」

「た、確かに、あの扱いは非道なものであったな・・・」


イシュタルも身をブルリと震わせる。直接被害をうけた訳でもないのに、第三者が思い出すだけでこれだ。当の本人である俺の心情や推して察するべきだろう。


ちーちゃんが『眠り』に入った時、俺がどれだけ喜んだ事か。

朝起きたら突然クリスタルに包まれていたのを見た時、顎が外れんばかり驚いたが、同時に羽が生えんばかりに喜び飛び跳ねた。しかし甘かった、チャイに砂糖をどっぷり入れて蜂蜜を追加で入れるよりも甘かった。俺のはしゃぎっぷりに頭が来たのだろう、ちーちゃんはクリスタルの中からぬるりと這い出てきて、思い出すのも悍ましい虐待を三日三晩続けた。

戦士たるもの如何なる時も油断してはいけない。


しかしこれで晴れて俺は、本当の意味で自由になったのだ。

如何にちーちゃんと言えど物理的に離れてしまえば、手を出すことも叶わまい。

体の奥底から湧き上がる歓喜、滾る、滾るぜ。

叫ばずにはいられない!


「俺は自由だーーーーーーっ!!」

「グルルルルウァァァァっ!!!」

「ぬわーーーーーーーっ!!」


目の前の草木から突然魔物が飛びかかってきた。二年の間のサバイバルで身についた危険察知能力は、頭が状況を認知するよりも早く、イシュタルを鞘から引き抜き魔物の爪を受け止めた。


「馬鹿者っ、大声を出す奴があるか!」

「つ、つい開放感から、すまん」


襲い掛かってきた魔物は毛がもじゃもじゃのドーベルマンみたいなやつだ。この森では割と一般的な魔物であり、珠ちゃん曰く正式名称はゾ、ゾル・・・忘れた、まぁ、便宜的に俺は「黒犬」と呼んでいる。その様相通り、主な攻撃手段は牙と爪。スピードを生かし相手を翻弄した所で、脇からガブリと行くのが常套手段。


黒犬は威嚇するように獰猛な口を大きく開け、まるで今しがた血を啜ったかのような真っ赤な口内を覗かせる。

この強靭な牙と顎に噛み付かれては、人間など一溜りもないだろう。


俺は反動を付けて黒犬を弾き飛ばし距離を取る。黒犬はくるりと体を捻り何事もなかったように着地する。

体勢が整わない内に追い打ちをかけるべく、一息に黒犬へ追いつき剣を振るう。


「はぁっ!!」


黒犬は「ひょい」と効果音でも付きそうな、何食わぬ顔で避けた。


「・・・ぐるぅぅ」

「・・・せいっ!!・・・ほっ!!」


向きになって二度、三度、剣戟を振るうが、水たまりでも避けるかの如く、軽快なステップで躱される。

くそぅ、俺の二年の成果をそんなやすやすとっ!


「プフフフ」


犬のくせに器用に笑いやがって!


黒犬は後方へ飛ぶと、木の幹を足場とし、別の幹へ飛び移る。

そしてまた、別の幹へ飛び跳ねる。それを繰り返していくうち徐々にスピードは上がっていく。黒犬が着地、いや着木する振動で木の葉がパラパラと舞う。パシン、パシンと黒犬が葉っぱにぶつかる音であろう、それだけが聞こえる。その姿は最早視認することも出来ない。


ははっ、でもな、それは悪手だぜ。


左手に魔力を籠め、空中に素早く≪魔術文字≫(ルーン)を描く。


「万物を繋ぐ鎖、我を依代に、重なり、広がれ!」


『力ある言葉』に『魔術文字』が呼応し、世界の理を捻じ曲げる。

ザワリと音を立て、舞っていた木の葉は何かに引っ張られるかのようにして地面へ叩きつけられる。木々の枝はしなり、頭をもたげる。


「ギャウンッ!」


同時に姿を消していた黒犬も、木の葉同様に地面へ体を打ち付けていた。不自然な体勢のまま影響を受けたのか、四肢は在らぬ方向に折れ曲がり、口からは血を吐きこぼしている。あのスピードで地面へ打ち付けられたのだ、呼吸すらままならないのだろう。黒犬はゼェゼェと息を切らし、虚ろな目をしている。


全てが動けない中、俺だけが軽やかな足取りで黒犬に近づく。


「ぐるるるるぅ・・・」


力無く唸り、立ち上がろうとするが、もたげた足は主の言う事を聞かず、体をわずかに揺するだけ。

魔物と言えど無用に痛めつける趣味は無い。俺は剣を振りかぶり、一気に黒犬の首を切り落とす。

血は吹き出すことなく地面へどくどくと流れ落ち黒く染め上げる。


黒犬の体が動かなくなったのを確認し、言葉を紡ぐ。


「解放」(リリース)


途端、風が吹き荒れ地面の木の葉が舞い上がる。枝はザワザワと音をたて騒ぎ立てる。黒犬の首からは血が勢いよく噴出す。

体に圧し掛かっていた負荷が軽くなるのを感じる。


俺が唯一使える魔法『重力魔法』。

練度にもよるが周囲20m程度までの重力を操ることが出来る。

魔法と言えば火・水・土・風の四属性が定番だが、覚えることが出来たのはこのニッチな魔法だ。珠ちゃん曰く、とても珍しい魔法らしい。

ただ珍しいだけで過去に取得したという例はあったらしい。

自分自身にも重力の影響があるということで、あまり普及しなかったらしいが…。


しかし便利な魔法であることは否めない。これがなければ現代日本でぬくぬく育った俺は、この島で生き抜くことは出来なかっただろう。

魔法で相手のスピードを殺し、止めを刺す。これが俺のスタンダードな戦い方。卑怯と言われようが構わないさ、死んでしまっては全て終わり、この島では生きることが最優先なのだ。


こんな反則級な魔法を以ってしても、この島から脱出するのは用意ではない。魔法だってリスクなしに使えるわけではない。よく分からないが、何かしらのエネルギーが消費されて、すんごい疲れるのだ。そしてこの島の魔物の数は半端じゃない。全部相手をしていたらとてもではないが身が持たない。


黒犬の死体を見る。

こいつらはもともと群れで動く習性のはずだ。単独で行動するとなればそれは探索要員、戻らなければ周囲の仲間が察知して集まってくるだろう。


「早くこの場を離れなきゃな」





それから何度か魔物と遭遇しつつも、順調に道程半ばに差し掛かった。以前にもここまでは来たことがあった。ほら、そろそろ森が開けるはずだ。


視界いっぱいに広がる一面の平原。

足の甲程までの草が延び、岩や木などは一つもない、どこか人為的な平原。遠くには森が霞んで見える。


島の中心を覆うように環状に広がるこの平原には一匹の魔物も見当たらない。

代わりに転がっているのは朽ち果てた魔物の骸。


一陣の風が草の絨毯を撫でる。


「イシュタル、準備は良いか」

「ああ、勿論だ。一年以上も前から今日の為、用意してきたのだ、急かせど待つ道理などない」


足が少し震えている。これからの事を思えば無理もない。


「・・・怖いのか、光太郎」

「はっ、馬鹿言え、武者震いだっつーの!」


剣の柄を軽く小突くと、俺は草原への一歩を踏み出した。

一歩、二歩、三歩、四歩・・・何も起きない。平原は相変わらず凪いでおり、生物の気配もなく静寂を保っている。

森の中から聞こえる鳥の声が長閑で平穏さえ感じる。

もしかして、このまま向こうまで・・・。


『GHOOOOOOOOOOO!』


それはどこからともなく降ってきた。

獣ではない、強いて言えば怪獣のような叫び声とともに、大きな振動と砂煙をまき散らす。まだ姿は見えないが、その濃密な殺気は長閑な平原を一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌させた。


「そう甘くはないって事か、くそっ!」


砂煙から顔をかばいつつ『奴』からの攻撃を警戒する。


「光太郎っ、さっさと魔法を使え、長引けばこちらが不利だぞ!」

「わかってるよ!

万物を繋ぐ鎖、我を依代に、六つに重なり、広がれ!」


ズシンと体に大きな負荷がかかる。普段の6倍の重力により砂煙も自らの軽さを忘れたかのように地面へと落ちる。

そこに姿を現したのは、二本足で立つ真っ赤な体毛に覆われた巨大な牛の怪物。神話で言う所のミノタウルスに似ているが、体毛の色から俺は『鬼』を連想した。右手にはトゲトゲのついた金棒も持っている。


6倍の重力を受けながらも牛鬼は身の丈5mはあるだろうその体を平然と支えていた。


「さすが平原の番人、他の魔物とは違うな」


一年前に一度だけ俺はこの化け物に挑んだことがあった。

あのころの俺は天狗になっていた。それはもう鼻を高く高ーくしていた。自重で折れてしまわないか心配なくらいだ。魔物の数に押されることはあったが、1対1で勝てない相手はいなかったのだから。ビバッ、重力魔法!

しかしその鼻はポッキリ折られた。鼻だけでなく手も足もポッキっと折られた。俺は死にかけた。比喩でも何でもなくぼろ雑巾のような見た目になった。ちーちゃんが助けてくれなければ今頃平原に横たわる骸のひとつとなっていただろう。


あの時は3倍までの重力しか発生出来なかった。6倍ならいけるかもしれないと微かな望みはあったが、呆気なく打ち砕かれた。全くどうなってやがるんだ。


牛鬼は体に掛かる異常な負荷に少し戸惑いつつも、金棒を二三度振ると、ズシン、ズシンと大地を震わせゆっくりと歩き出した。

決して焦る様子はない。獲物をゆっくりと仕留めてやろう、そんな強者の余裕が見て取れた。距離はまだ10m以上あるところで、牛鬼は金棒を、大きく振りかぶった。


(くるっ!)


俺は本能に従い後ろへ飛んだ。と、同時に牛鬼は金棒を横に思い切り振るった。俺の服を何かが掠め、その衝撃波をもって、体は遥か後方へ吹き飛ばされた。


「ぐうぅっ!!」


当たっていないのにこの威力、内臓が口から飛び出てきそうだ。直撃すればだるま落としさながら胴体が吹き飛んで、三等身の俺が出来上がっただろう。


本当に重力魔法かかってんのか?

一旦、魔法解除してみるか、いやいや前回それで痛い目あってるじゃないか、俺。あんなナリして素早いって、そんな萌えないギャップは必要ないぜ。


「さて、どうしたものか」

「光太郎、下がるのは良くない。あの金棒に遠心力を加えられては、我で受け止めても衝撃の余波だけで死んでしまうぞ。」

「ってことは、懐にはいるしかないのかぁ。うわぁ、なんだよその罰ゲーム。10人縄跳びじゃないんだから、サンハイで簡単にとびこめないよ」

「どちらにせよ、近付かないことには攻撃が当てられん。危険を恐れてどうする!承知のうえだろう、いつやるんだ、いまだろう!」

「はいはい、ちょっと黙っててくれよな、予備校の先生みたいなこと言いやがって」


「ふぅ、ふぅ、ふぅ」と呼吸を整えつつ、剣を正面に構える。最後に大きく息を吐き出すとともに、思い切り踏み込み牛鬼に向かって走り出す。だが6倍の重力の中、まるで粘液の中を進んでいるかのように体が重い。こんなスピードでは相手の意表を突くことなど出来ないだろう。ほら、牛鬼のやつめ、金棒を乱打してきやがった。


ガキン!ガキン、ガキンッ!


「ぐおっ!」


振るわれた金棒を、剣の腹で受けるが、さっきのフルスイング程ではないにしろ、その一発一発は重く、足が地面にめり込んでいく。防御していても、徐々にHPゲージは削られていく。あと十数戟も受ければ腕が折れてしまいそうだ。


『Ghoooo!Ghoooo!』

「っるせーなっ!!」


横から大きく凪払われる一撃にあわせて後ろへ飛び、俺は一度距離をとる。


「はぁっ!はぁっ!無理ゲーだわ、これっ!」


離れれば衝撃派、近づけば金棒乱打。一方俺は効かない重力魔法と、懐に潜り込めず届かない剣戟。牛鬼は口を大きく開くと、何かを溜め込むかのように胸を張り、空を仰ぐ。あっ、何か熱気が奴の口元に収束して真っ赤な火の玉が出来上がった。それって、もちろん食べるわけじゃないよね。


『Ruuuuuuuuuua!!』


咆哮と共に解き放たれる紅蓮の炎。いつだかテレビで見た溶鉱炉の中がこんな色だった気がする。とてもじゃないけど、受け止めるどころか近づく気にもなれない。だがしかし、体が重いっ!とても避けられる気がしない。


「っ全解放!」


周囲に満ちていた重力は一瞬にして消え去り、体に掛かる負荷もなくなる。地を思い切り踏み蹴り上空へ飛び避ける。5メートル近くまで跳ね上がる体の真下を、物凄い熱量が通り過ぎていく。牛鬼を俺を見上げ、金棒を思い切り振りかぶる。やばい、あの衝撃波を撃つ気だ。

腰にぶら下げた袋から鉛玉を一握り取り出す。玉を握りこみ一粒だけ人差し指と親指の間に取り出す。


「重加速!!」


シュパパパパパと音を立て、鉛玉が銃弾のように指の隙間から次々と飛び出していく。

完全に無防備な状態になっていた牛鬼は、突然の砲撃を浴び叫び声をあげ、痛みのあまり金棒を手から滑り落とした。


同時に俺の指にも激痛が走る。指の皮がベロリとめくれ、血がドバドバ流れている。

くそっ、これだからこの魔法は使いたくないんだ。指先に段階的に重力を発生させ鉛玉を加速させ発砲する。言ってしまえば、自分の指を銃口とするのだ。無事に済むわけがない。


「光太郎、やつが怯んでおる今がチャンスだぞ!」

「ああ、この指じゃそう長く戦えないしな!」


剣を握りなおすと俺は一足飛びに牛鬼に近づく。

それに気付いた奴は、闇雲に両手を振るうが、痛みで力の篭っていないそれは何の脅威もない。両腕の隙間を縫うようにして牛鬼の懐に入りこむ。


「イシュタル、今こそ聖剣たる力みせてくれ!!」

「承知した、蓄えた力今こそ解放しよう」


イシュタルの刀身が淡い光を帯び始める。


「我が身は奇跡、女神アフロディテの祝福を、仮初の主コウタロウに与え給え!」

「おい牛鬼、お前のためにこの一年溜め込んだ、俺の恨み辛みを受け取りやがれ!」


「「女神の奇跡!!」」(ウェヌス・イシュタル)


まずは一太刀。目の前の両足に一筋光がきらめく。

自重に圧縮された血液が勢いよく噴出す。


次に一太刀。剣を翻し巨躯を縦に切り裂く。

左半身を置いて、踏み出していた右半身だけが倒れこんでくる。


最後に一突き。巨大な衝撃が牛鬼の腹に大きな穴を開ける。

穴を抜けて広がる平原の景色に突風が吹き荒れる。


「…ふぅっ、もう二度と現れてくれんなよ」


剣を振るい刀身についた血糊を弾く。


四つに分断された牛鬼の体は鈍い音を立てて地面へ転がる。

一年前、あれほど歯が立たなかった相手だが、こうして勝つことが出来た。


右手をグッ、グッと握り力を確かめる。


「俺は強くなってる。うん、強くなってるぞ!!おいっイシュタル、俺強くなってるよな!?」

「一年前の惨劇を思えば、間違いなく強くなっているぞ。まぁ、今回の功労者は間違いなく我だろうがな。女神の奇跡がなければ光太郎程度の腕では、奴を切り裂くことなどできなかったのだから」

「ぐぅ、人が気持ちよくなってるんだから、素直に褒めるだけでいいんだよ」


確かにイシュタルの力無しでは牛鬼を倒すことはおろか、挑もうとすら思わなかった。

こいつが如何に不可解で自称聖剣であろうが、この力を見せられては「女神の奇跡」とやらも現実味を帯びている。


「本来は清廉な乙女にしか扱えぬ我の力だが、この一年間むさい男の精気を溜め込んだ我こと聖剣・イシュタルの力っ!!」

「処女にしか扱えない剣って、だから性剣だのエロソードなんて呼ばれるんだよ・・・」

「ばっ馬鹿者、我が扱うのは聖なる力ぞ、穢れなき者が扱うのは当然であろう。本来の我の力は強大すぎる故、利己を顧みない無垢なるものでなければ・・・」

「童貞じゃダメなのかよ」

「駄目だ、童貞は美しくない」

「やっぱり、エロいだけじゃねぇかよっ!ただの処女厨じゃねえかよっ!」

「やつらの右手に触れられるだけでも鳥肌が立つわ」

「男女差別甚だしいなっ!」


ったく、性剣イシュタル=エロ=スケベーに頼るしかない自分が情けなくなるぜ。


「む、貴様いま心の中で我を馬鹿にしたな」

「・・・人の心を読むなよ」





平原を抜けてから五時間、牛鬼のような極悪魔物に出会うことは無かった。もしあれと同じ位の魔物が出てきたら、俺に為す術はない。一年間溜めた力を使ってようやっと勝てた相手なんだからな。その点に関しては幸いだった。

しかし今のこの状況は決して「幸い」と呼ぶには程遠いだろう。


全速力で森の中を駆け抜ける俺。


「おいっイシュタル、後ろはどうなってる!!怖くて振り向けない!!」

「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・五匹増えて、今は四十二匹じゃな」


後ろにはお腹を空かせて獰猛に口をパクリと大きくおっぴろげている魔物たち、総勢四十二匹が俺を追いかけている。これが女の子であれば非常に嬉しい状況なのだが、何が悲しくて魔物に群がられにゃならんのだ。


一匹、一匹は大したことは無い、今の俺であれば苦も無く倒せるだろう。

だけど四十二匹は流石に無理だ。


「おっ、四匹追加じゃ」


訂正、四十六匹は無理だ。


「お主の重力魔法で何とかならんのか?」

「ばっ、こんな状況で魔法なんて使えるかっ、ってーの!

 それに少し離れたら効果がきれて、ジリ貧だっつーの!」


もうだいぶ走ったはずだ、そろそろ島の端に辿り着いてもいいはずだ。


ほら、森が途切れて外の明かりが・・・。





気がつくと俺は空中を走っていた。


後ろを見ると、魔物たちがおしくらまんじゅうの要領で後ろから押され、崖からポロポロと落ちるのが見える。


下を見れば荒れ狂う海。


「光太郎、これは絶対絶命というやつではないか?」

「ああ、そうだな」


ざっぱーーーん!!


と、大きい水音を立てて海から巨大な鯨が口を開けて現れた。


「光太郎、これは万事休すというやつではないか?」

「ああ、良く知ってるな」




俺たちは重力に引かれ、ひゅーっと音を立てて、鯨の口の中に吸い込まれていった。



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