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幸せってなんだっけ

「おはようございます、お嬢様」


 未だ覚醒しない頭でぼんやりと自分に声を掛ける女性を見遣る。

 視線が交わるとにっこりと微笑み朝ですよ、と告げる。


「……あさ……おはよ……」


 姫華は昔から朝に少し弱かった。

 ぼーっとしながら促されるままに起き上がるも、差し出された紅茶をゆっくりと飲みカップに拡がる波紋を見下ろしながら静かな時間が過ぎる。

 段々覚醒してきた頭が昨日のことを思い出しているのだろう。

 そう、そうだったと言わんばかりにこくこく頷く姿に側に控えていたメイドが小さく笑う。

 お嬢様は寝起きが可愛らしいと微笑ましく見守っていた。

 姫華はひとしきり何かを考え頷くとゆっくりと顔を上げる。

 その目は揺るぎない力強さを秘め、宝石のように美しいとメイドは思う。

 その琥珀を一瞬見つめ返しメイドは恭しく頭を下げ手を差し出す。

 渡されるカップを受け取りサイドテーブルに乗せればベッドから下りた姫華が自室にある洗面所へと姿を消す。

 その間にシーツや枕のカバーを剥がしてお嬢様の視界に入らない陰に隠して見苦しくない程度に毛布を畳み、服についた皺を軽く叩く。

 洗面所から出てきたお嬢様がネグリジェを脱ぎ終わるのを待ち、一枚一枚を差し出す。

 そしてドレッサーの椅子を引きお嬢様が腰を下ろす時に合わせてそっと椅子を押す。

 ブラシを手に取りゆっくりと毛先に少しウェーブのかかった柔らかな髪を丁寧に梳かす。

 光の中では瞳と同じ琥珀に輝くその髪にブラシをかけ終えると一つの緩い三つ編みを作る。

 ゴムで軽く留め真っ黒な光沢のあるリボンを結ぶ。

 かっちりさせずだらしなく見えない絶妙なバランスで、最後にサイドの髪を押さえるように小さな黒の薔薇のピンを一つ留める。

 そして後頭部が見えるように手鏡を翳し鏡越しにお嬢様に微笑む。


「出来上がりました」

「あら」

「本日はふんわりと纏めさせていただきましたが如何でしょう?」

「……うん、いいわ」


 鏡の前で首を捻り自分の髪形を確認した後、少し嬉しそうにはにかむお嬢様に満足気に頷くと手鏡を置き、立ち上がるお嬢様の邪魔にならないように椅子を引く。


「ありがとう、節乃」


 部屋を出るお嬢様を頭を下げて見送り、メイドは嬉しそうに微笑んだ。



 校門前に車をつけて運転手が開いたドアからゆっくりと降りる。

 昨日のことがあるからか少し遠巻きに視線を向けられるが、気に留めることなく玄関へ向かう。

 上履きに履き替えて教室へ足を向ける。


「あの……」


 声を掛けられた気がして立ち止まり、ぐるりと周囲を見回す……が、誰もいない。


「あの、姫華様」


 小さく首を傾げていると今度はしっかりと名前が聞こえもう一度周囲を見回す。


「……あら、そちらでしたの」


 漸く声の主を見つける。

 自分の真後ろに立ち縮こまる姿に笑みが零れる。

 この少女は恥ずかしがり屋らしく、いつも物陰から声を掛けてくる。

 身長も少し低めで縮こまると更に小さく見える。


「お、おはようございます……」

「ええ、おはようございます。どうなさったの?」


 少女と向き合うとおずおずと彼女は姫華の袖を掴む。

 その手は真っ白で小さい。

 手首には細いブレスレットが揺れていた。

 潤む瞳で上目遣いで見上げられると何だかいけない気分になるがそこは平常心を取り繕う。

 彼女が何を言うか取り零さないように耳を傾ける。


「……昨日の……こと、えっと……」

「昨日?何かありました?」

「……姫華様……その……素敵でした」


 頬を染めてうっとりと私を見つめる少女に固まる。


(これはGLじゃないこれはGLじゃない)


 この少女は同じ年齢ながらどこか幼く、また引っ込み思案なせいか物事をはっきり言う私に憧れているらしい。

 昨年、差出人不明の贈り物を幾度となく贈ってこられた時期があった。

 嫌がらせかと思ったのは一瞬だけ。

 可愛らしい手作りクッキーから始まり、紅茶の葉の入った小さな缶、可愛らしい刺繍の施されたハンカチーフなどなど。

 いつも添えられていたカードにはふんわりと香る甘い香りと女の子らしい少し丸い字で一言。


『信じています』


 差出人不明の贈り物が始まったのは陽乃への嫌がらせが私の指示だと拡がり始めた時期。

 これは牽制かと思ったものの、贈り物は私が嫌がらせをされ始めた時も変わらず届いた。

 そんな小さな贈り物の主と顔を合わせたのはひと月程前。

 新入生が入学し、歓迎パーティーが学園の講堂で行われた時だ。

 皆が制服に身を包みそれぞれが話に花を咲かせていた。

 私も縁のある後輩に声を掛け、学園生活に夢を馳せる姿を微笑ましく見つめていた。


「陽乃、俺と踊ってくれないか」


 そこに聞こえた声に周囲の視線が集まる。

 片膝をつき女性の手を取り恭しくその甲に口付け──てはなかったが、陽乃に微笑みかけるその瞳は確かに柔らかく暖かいものだった。

 ダンスのお誘いに陽乃は一瞬目を丸くしたが眉尻を下げた。


「お誘いありがとうございます、会長。でも今日は新入生の歓迎パーティーですからお忙しいのでは?」

「僕が代わりにエスコートしようか?」


 陽乃に悠斗が声を掛けたのを皮切りに晴明や双子、それに王子が陽乃を囲む。

 当の陽乃はどこかうんざりした様子で五人に目を向けるが男達は気付かずに言い争い始める。

 それを見ていたいくつもの視線は呆れに嫉妬、混乱等様々なものが含まれていた。

 そこかしこから聞こえる声にもそれらは含まれていて思わず深く溜め息を吐く。


(そういえばスチルにこれあったような)


 ふと思い出された記憶に肩が落ちる。

 この時点でイベントを起こすことは既に陽乃が難色を示していたが、このままにもしておけない、と私は周囲の視線を集める一角へと足を踏み出した。


「このように視線を集めて何をなさってますの?」


 引き攣りそうな頬を抑えて優美な笑みを浮かべる私に全員が注目する。

 気圧されないように腹に力を込めて微笑みつつ首を傾げる。


「何の用だ」

「何の用、とはおかしなことをおっしゃいますね。歓迎パーティーの趣旨をお忘れのようですからお声をかけさせていただきましたのに」

「なんだと?」

「新入生の為に催されているパーティーですのよ?手を取るべきは一年生でしょう?」


 そう言葉にすれば男達は先輩としての姿をなんとかかんとか言っていたが、周囲の目も憚らずに一人の女性を取り合うことが一体どんな先輩の姿だと言うのか。

 呆れてモノも言えない。


「そうですね、皆さんも新入生の方々に気を配って差し上げてください」


 だが陽乃はこれ幸いとばかりに微笑みながらそう言うと一礼してそそくさとその場を離れた。

 その時にちらりと此方に向けられた目には申し訳ないという色が浮かんでいて、問題ないと微笑んでおく。

 それに納得しなかった男達はぶつくさと文句を言い、睨み付けてから散らばって行く。

 軽く溜め息を吐いて壁際に戻ればふわりと鼻に届く甘い香りにその出処を探る。

 どうやら隣でどこか居心地悪そうに縮こまる小さな女子から香っていると気付いた。

 生徒はスカーフ、もしくはネクタイが色分けされていて、その色で学年を知ることが出来る。

 その女子は姫華と同じ赤色で、同級生だということがわかる。


(この香りはあの……)


 確かめてみようと縮こまる女子を見下ろすように視線を向ければ窺うように上目遣いで見上げる視線とぶつかった。

 するとその頬が紅く染まりぱっと俯かれてしまう。

 そんな反応に一瞬首を傾げるも周囲に人が少ないうちに、と僅かに身をかがめて彼女に声をかけた。


「可愛らしい贈り物をくださっているのは、貴女?」


 顔を弾かせるようにして上げた彼女は驚きに目を丸くしていたが、はにかんで一つ頷いた。

 彼女の様子にあの贈り物たちは悪意の欠片もないのだろうと確信し、ポケットに忍ばせていた小さな袋を差し出す。

 これは今日ならば贈り物の主ともしかしたら会えるかもしれない、と思って忍ばせていたのだが、功を奏した。

 不思議そうに袋と私の顔を交互に見遣る彼女に微笑みかける。


「お礼を言いたかったのよ、ありがとう」


 そう言えば彼女はみるみる目を潤ませぶんぶんと首を横に振った。


「わ、わたしは、貴女が人に、嫌な事を、なさるはずがないと。貴女についての心ない噂も、全部、嘘だと。わたしは、貴女を信じてます。でも、わたしに出来ることは、少なくて……!」


 スカートを握り締める手が真っ白で、言葉が真摯でつい目が潤む。

 ちゃんと私を見ていてくれる人がいるのだと、心が温かくなる。

 震える手を取り袋を持たせて両手で包む。

 彼女の優しさに心からの微笑みを浮かべて。


「ありがとう、貴女の優しさに感謝いたします」


 頬を伝う雫もそのままに花が綻ぶような笑みを向けてくれた彼女はとても可愛らしかった。


「昨日は私は何もしていませんわ」


 気を取直してそう言えば彼女、結城真璃子(ゆうき まりこ)は小さく首を横に振った。


「これから……姫華様が、心穏やかに過ごされる事を……願ってます」

「ありがとう、真璃子さん。ですがもうすぐ学園祭もありますから、今までと違ってきっと忙しくなりますわよ」


 心配そうに私を見上げる瞳にそれを吹き飛ばそうと悪戯めいた目を向け微笑めば、一瞬きょとりとするもはにかんで頷かれる。

 贈ったあの日から彼女の手首に揺れるブレスレットがしゃらりと音を奏で、私の心を穏やかにする。

 幸せってなんだっけ。

 今、私は優しい周りの人達のお陰でこの幸せを噛み締めることが出来ているに違いない。

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