悪役ってなんだっけ
彼女は生粋のお嬢さま……とは言えなかった。
一流企業の御令嬢として生まれ、少々高飛車な両親の元すくすくと育った彼女──鶴宮姫華──には秘密があったのだ。
彼女が三歳の頃、それは突然起こった。
その日もいつもと同じ一日だった。
お母様もお父様もそこまで子供に愛情を注ぐタイプではなかった為、乳母がいつも側に居た。
お母様達よりも少し年上の乳母は優しく、ときに厳しく私を育ててくれた。
その日も乳母が私を寝かし付ける為に絵本を読んでくれた。
王子様とお姫様の恋物語。
ひめかをあいしてくれるおうじさまにあいたい。
ふと目が覚めて彼女は思い出した。
『自分』が死んだ過去を。
自分が『自分』でないことを。
その時は泣きに泣いた。
お母様が特に驚いてずっと抱き締めてくれていた。
いつもは撫でて自室に戻ってしまうのに、その日はずっと居てくれた。
抱き着いたまま泣いて眠ってしまって、次に起きたら横に居てくれた。
優しく、何処かぎこちなく頭を撫でてくれたお母様にまた少し泣いてしまった。
記憶にある想いも過去も三歳で抱え、それからは何処か必死に生きてきた。
淑女らしく作法も、そして勉強も頑張って習った。
そして鶴宮姫華という存在が出来た。
小学校では友人が出来た。
卒業すると鶴ノ薔薇宮学園の中等部に通うことになってしまったので、同じ学校に通ったのは六年間だけだが、連絡を取り合って一緒に遊び、お互いの中学校での様子を語り、笑い、その時に出来た友人達は今も変わらず大切な友人だ。
その中の一人が奨学生として鶴ノ薔薇宮学園に通うことになった。
それは知っていた未来。
不安と期待に胸を膨らませた。
その子が受かった時は皆で手を取り合って飛び跳ねて喜んだ。
そして高校に入って独りで抱えていた記憶を分かち合える親友が出来た。
──私は独りじゃないのだと、心の何処かで安堵した──
小さな秘密を胸に隠して、それでも高校生活を目一杯楽しもうと思った。
「で?」
陽乃としっかりと手を握り合ったまま男達に微笑みかける姫華につられて陽乃も男達を見遣る。
男達はそれぞれを見遣りばつが悪そうに顔をしかめた。
「姫華がアタシを虐めてないってことが、まだわかんない?」
「……お前達が親友だとして、虐めていないと言い切れないのではないか?」
「親友面して裏じゃなにしてるかわかったもんじゃない」
陽乃が悠斗と晴明の言葉にばん、とテーブルを叩いて立ち上がる。
怒りで顔が真っ赤だ。
「姫華がアタシを裏切ってるって!?」
「まあまあ、落ち着きなさい、陽乃。確かに私が虐めていないという証拠が、私と陽乃の言葉しか御座いませんからね」
「アタシ達の友情を疑われてんだよ!?ふざけんな!!」
「ほほ、私は陽乃が私を理解しているのでこのお話についてとやかく言うつもりはありませんのよ」
「大した自信だな」
「当然ですわ。ところで、陽乃が虐められている主な理由をご存知?」
巡の言葉にも表情を変えることなく当たり前だと頷き、陽乃を席に座らせた後男達にゆっくりと視線を巡らせばしかめていた顔を更に曇らせる。
「『貴方方』に人目も憚らず声を掛けられるせいですわ。ただでさえこの鶴ノ薔薇宮学園は庶民には敷居が高く、陽乃のような一般家庭の子は少ないのです。更に言うのであれば家の地位をひけらかす小物も多い……後は言わずともおわかりですわね?」
男達の横に庶民の娘など許されない。
格式高い学園を庶民が貶める。
そう考える人間はこの学園にはいるのだ。
それは男女問わず。
そんなこと少し考えればわかるはず。
今まで『そう言って』娘を薦めてきた親は数知れずいたのだ。
そしてそれは私の親も。
「私も他人のことは言えませんけれどね、両親のことがありますもの。ですが気に入らないからといって他人を使って嫌がらせをするような痴れ者にはなりたく御座いませんね」
ほほ、と笑う姫華に男達の目が鋭くなるが何処吹く風の姫華に陽乃はぽん、と手を叩く。
「姫華は教室で面と向かって『地に額を擦り付けて心の底から謝罪なさい』ってふんぞり返って言ってたよね」
「ま、昔の話を持ち出さないでくださいませ」
「あれはぶっちゃけ皆ドン引きだったよね」
「……黒歴史ですわ……」
額に手を当てて項垂れる姫華にその当時を思い出した陽乃はけらけらと笑う。
そんなこともあったな、と姫華は遠い目をする。
あれはクラスの女子の一人が男子にからかわれたのが発端だった。
その男子に始めは言い返していた女子もからかう男子が一人、二人と増え多勢に無勢でからかわれ始めた。
周囲や姫華が制止するも止まらず、とうとう泣きそうになっているのを見て姫華は思わず机を力一杯叩いた。
クラス中からの視線も手がじん、と痺れるのも無視をして女子をからかっていた男子に淡々と詰め寄った。
それまでは他の子達より少しお嬢さまっぽさが抜けない程度の話し方だったが、最終的に謝れ、となってあの台詞だ。
思いっきりお嬢さまが言いつけたようになってしまって、男子の謝罪を見届けた後我に返って机に突っ伏した。
あれは本気で黒歴史だと思っている。
それでもかっこよかったと声を掛けてくれる子も居て少し嬉しかったのも事実だ。
陽乃もキラキラとした目で私を見つめていて面映ゆい思いをしたものだ。
そんな二人の思い出話についていけない男達は胡乱げな表情で視線を向ける。
「昔っていうのはどれぐらい前なの?」
「今の話は小学校入ってちょっとしたぐらいの話だけど?」
王子の問いにけっ、と吐き捨てる陽乃の頭を優しく撫でれば、微笑んでぐりぐりと頭を掌に擦り付けてくる様が可愛くて姫華は綻んだように微笑む。
学園では見せることのなかった微笑みは彼らの目にどう映っているのか。
だが男達の様子など姫華も陽乃もどうでも良かった。
二人がそんな昔から付き合いがあったとは誰も知らなかった。
学園では挨拶と少しの会話程しかされていなかったのに、と。
それは二人が平和に学園生活を、ひいては恋愛ルートを楽しむ為にとったある種の予防線なのだが、そんなことは二人しか知らないのだから誰も知らなくて当然だ。
男達は漸く自分達が思い違いをしていたことを、そして自分達が行ってきたことを思い返し言葉を無くした。
「あの時はまだ子供でしたのよ」
「あれで学校で有名になっちゃったんだよねぇ」
「一生の不覚ですわ」
「あ、それで由紀が今度遊ぼうって昨日言ってた」
「よろしいですわ。予定を空けましょう」
とうとう男達を放ったらかしてきゃいきゃいと楽しげに話し始めてしまった女子二人に男達はぽかんと口を開けたまま見つめてしまう。
二人の仲の良さを見せ付けられたままどうしろと、とこんな所で男達の心の声が一致した。
「しかし……私の親友だとバレては私の地位が陽乃の迷惑になってしまいますわね……」
「姫華とのことで迷惑なんてないよ!」
「私が嫌ですわ。家の格が何だと言うのです。人間中身ですわ」
これからの生活を想像して思わず深く溜め息を零した姫華が男達の視線にはっと気付く。
申し訳なさそうに眉尻を下げ男達に微笑みかける姫華に、陽乃はあー、と小さく声を上げる。
「私ったらお話の途中でしたのに」
「ああ、もういいんじゃない?どうせアタシ達の友情を信じないんだし、もう言うことないわ」
「もう……ですから無駄だと申しましたのに……。では皆様、お時間をとらせてしまい誠に申し訳御座いませんでした。残り二年間程は私に関わることなく平和にお過ごしくださいませ」
「アタシもパス。アタシの言葉も信じられないんだから関わらなくても問題ないよね」
「この方々に陽乃を任せることなど出来ませんわ。前世からやり直していらっしゃればよろしい」
「間違いない。それじゃ、さよーなら」
二人は腰を上げ男達をしっかりと見下ろす。
姫華は男達に壮絶な程に冷えた美しい微笑みを向ける。
それはまるで悪役のように。
隣の陽乃までもが……。
二人が立ち去った後には呆然とする男達がその場に残された。