乙女ゲームってなんだっけ
私は目の前で繰り広げられる光景にこめかみを揉むしかなかった。
気絶してもいいのだけど、そうすると回収要員が減る。
状況を把握しようと再びその光景に目を向ける。
「……一体何がどうなってこうなったのかしら」
今その問いに答えられる人間はいない。
私は所謂転生者と呼ばれる人間だ。
転生したここは『君の薔薇』という乙女ゲームの舞台である学園、鶴ノ薔薇宮学園──通称鶴バラ学園の存在する世界だった。
今居る場所は鶴バラの大きな校門をくぐり抜けた先にある広場で、周囲の野次馬を気にも留めず男達を次々と仕留めにかかっている女子生徒が……また一人男を地に沈めた。
……彼女、私と一緒に合気道始めたんだったっけ。
「くたばれクソ男がぁ!!」
「待て!それ以上やったら男じゃなくなる!!」
「アンタもだぁ!」
「きゃあああ!何事なのですかぁ!?」
嗚呼……神様は一体何をお考えなのでしょう……。
阿鼻叫喚とはこういうのを言うのかと、私は止める事を放棄して雲一つない青空を遠い目で見つめてしまった。
先だって述べたように此処は乙女ゲームの世界だ。
なのに乙女ゲームにあるまじき惨状になっていたのには少なからず理由がある。
まず、状況を作り上げたのはゲームでいえばヒロインと呼ばれる可愛い女の子。
そのヒロインがキレたのだ。
彼女は悪役じゃない!と。
彼女の言う悪役とはヒロインの恋路を邪魔する存在で、私、鶴宮姫華のことだ。
名前で察してもらえるかもしれないが、私はこの学園の理事長と親戚という中でもそれなりに近い立場にある。
猫っ可愛がりしてくる理事長は私の叔父だ。
私はそのコネや金持ちという立場を利用してヒロインに嫌がらせ、いじめを行うという何ともあれな立ち位置の人間だった。
だがそんな私は幼少期にここが『君と薔薇』の世界だと気付いた。
前世で堪能した、夢見た憧れの世界だと一瞬歓喜したものの自分の立ち位置に気付き青ざめた。
そして思った。
いじめいくない。
お金持ちのご令嬢の我が儘で人を傷つけていいわけじゃない、とはゲームをしながらいつも思っていたことだ。
そうなれば自ずと自分のすることが決まる。
ヒロインにいじめをすることなく、この世界を楽しく生きよう、と。
どうせ自分は一度死んでいるのだ。
此処は新しい自分が生きる世界。
学園だけでなくその後も人生があるのだ。
前世では成人する前に終わってしまった人生、今回は大往生したい。
その為にもヒロインの邪魔はすまい。
でも、やはり一切関わらずに生きることは学園に入学したら難しいだろうと、私は考えた。
ならば悪役ではなく仲良くしたいと思うよね。
そうしたらいつの間にかお友達になっていたのだ。
ヒロインと悪役がお友達である。
頑張ってヒロインを探し、渋る両親を社会を学ぶ為だと説得して庶民の学校に通い積み上げて来た女の友情は硬い。
攻略対象者達の入る隙はあったかもしれないが親友である私に対する行いは……とりあえず後ほど説明ということで。
そして気付いたこと。
ヒロインも転生者だった。
彼女はこの学園に入る──それはゲームだとオープニングの場面だが──その時に自分が転生者だと気付いたらしかった。
今私達は高校二年。
入学式は一年と少し前だ。
「……うひょぁはぁぁぁん!?」
校門で奇声を上げた彼女は注目を浴びていたがそれどころではなかった。
流れ込む前世の記憶とそれまで過ごして来た記憶で混乱していた、と。
私が鶴薔薇宮学園に入る直前、理由をつけて学園では距離を少し置こうと言ったため、入学式の間中そわそわと落ち着きなく過ごした彼女に携帯で私達馴染みのカフェに呼び出された時は、何を話したいのか支離滅裂で何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、しっかりと話し合った結果、お互いが転生者であることが明らかになったのだった。
そして過去を忘れることなく、むしろ私が悪役ではなく親友であることに酷く喜んでくれた。
私が好みだったというのは彼女の言葉である。
決して私達の間に恋愛感情があるわけではない、ただの友人だ。
男共はまあいいとして、悪役である私とも仲良くしたかった、そういう友情ルートがあっても良かったのに!と、彼女は去年声高々に豪語した。
だから私達は昔から変わらずに友人だ。
むしろ攻略対象が女の友情に邪魔をしてくるようになった。
ある意味私のせいでもあるのだが、今までの私の言動を元にした思い込みと邪魔がエスカレートし、とうとう彼女の堪忍袋の緒が切れてしまったのが、この惨状らしい。
ヒロインは可愛い容姿ながらもとても男らしかった。
曲がった事は大嫌い、思ったことはすっぱりさっぱり、そして男の象徴を踏み潰そうとして羽交い締めで止められるほどに。
「……授業もありますし、そろそろ解放されてはいかが?」
「授業がなんぼのもんよ!!理事長にもちゃんと許可取ったもん!!」
「お待ちなさい。いつの間にそんなことを……」
「理事長だって怒ってたもん!!」
あまり質問の答えにはなっていないが、止まらないということだけは理解出来た私は手をぱんぱん、と叩く。
周囲の人だかりの視線を浴びながら貴婦人よろしくにっこりと笑みを浮かべる。
「皆様方はどうぞ授業へ。後は私が請け負いました」
そう言えば名残惜しそうにしながらも野次馬は校舎へと消えていった。
残ったのは攻略対象者達と私、そして怒り冷めやらぬ友人のみ。
「とりあえず食堂に行きましょうか。皆様宜しい?」
問いかけながらも有無を言わさず彼女の手を取りさっさと歩き出す。
この分だともう他人のふりもあったもんじゃないな、と秘密をバラす覚悟をして。
食堂の一角で男達は居心地悪そうに縮こまって座っていた。
テーブルを中心に座れ!と仕切る友人は未だ怒り心頭のようだ。
給仕に全員分の飲み物とお菓子を頼みその輪に加わり彼女の隣に腰掛ける。
「まずは姫華に謝ってもらえる?」
テーブルを苛立たしげに指でとんとんと叩く友人──杉山陽乃──の言葉に男達は眉を顰める。
此処に座る攻略対象者達は全員で五人。先輩が二人、同級生が三人だ。
「謝れと言われても、陽乃がソイツに虐めを受けていると……」
「だから!アタシそんな事はないって言ったでしょ!?」
口火を切ったのは先輩の一人、皇悠斗だ。
彼はこの学園の生徒会長を前年に引き続き務めている。
皇財閥の次男で長男とは入れ違いで学園に入学した。
財力もあるが学力もあり、生徒の人望もある。
きりりとした目鼻立ちに意志の強そうな目を持つ彼を崇拝する人間も多い。
その兄も生徒会長を務めたらしく兄弟揃って凄いな、という思いは持っていた。
その左隣には副会長である吉祥堂晴明がむすっとした面持ちで座っていた。
皇悠斗至上主義で学力は全国で一位を取り続けている程だ。
少し陰険な印象を与えるが逆に微笑んだ時のギャップが凄い。
これは攻略した事のある私と陽乃の総意だ。
彼の一族は皇財閥の影とも言われている。
それは昔から一族が皇財閥に尽力し心血を注いで来た歴史もあり、晴明自身が皇悠斗の腹心の部下だ。
「でも、陽乃が虐められてるって噂は学園の殆どの人間が知ってるよ?」
吉祥堂の隣に座って陽乃を窺うように視線を向けるのは橘雅之。
皇財閥よりは劣るものの、容姿端麗で頭もそこそこ良く、優美さを兼ね備えていてあだ名が王子だ。
財力的には私の家と大差はない。
「火のないところになんとやら、だろ?」
「実際虐めは起きてる」
「虐めはいいんだって!大したものじゃないし、本当にヤバいのはないから!アタシが言ってるのは姫華じゃないって話なの!!」
皇の右隣に並んで座るのは似た顔立ちの海堂巡、静。
彼等は双子だ。
此方の家も財力的には私の家と大差はない。
二人して肉体派で、兄である巡は剣道有段者、弟である静は弓道で名を馳せている。
顔立ちも悪くなく静の方が少し印象が柔らかく見える程度の差しかない。
ここ迄美形が揃えば眼福なのだが状況が悪い。
彼等のやりとりを右から左に聞き流しながらカップを傾ける。
この世界でお嬢様として身につけてきたスキルはこの状況でも揺るがなかった。
「姫華は何で優雅に紅茶飲んでんの!」
そのせいで友人に怒られるとは思ってもなかったが。
「陽乃は怒っていても可愛らしいのですから羨ましいわ」
「そこじゃないよね!?今そんな話してた!?」
「あら、私にはこの状況の意味こそがわかりませんことよ?」
手で口元を隠しながら優雅に笑えば男達からは睨まれ、陽乃はばんばんとテーブルを叩き出した。
「何でアタシが虐められて主犯が姫華になってんのよ!そんで何でコイツらに色々やられて姫華が怒らないのよ!!」
「陽乃、何度言えばわかるのです。約束もしたでしょう?それに意味がない、と。貴女が何を言おうが聞く耳を持たぬ人間に言葉を並べる方が苦痛ですわ」
「親友侮辱されて黙ってられるかー!!」
ここで漸く聞く耳を持ったらしい男達の目は目玉が落ちそうな程見開かれていた。
「ですから、陽乃の言葉を聞く耳持たない人間などどうでも良いと言ってますでしょ?それに、私の言い方が悪いことも自覚していますわ」
実際には私のこの言い方のせいで誤解を生んでいるのはわかっていたのだが、実家の指導がこれだったのだからどうしようもなかったのだ。
なんせ見縊られるな、下の者など従って当然、そういう親だったのだ。
これについては今私が誠心誠意、地道に懸命に親の意識改善中である。
更に私がめんどくさがりな性格をしていることも相まって余計に冷たく聞こえるらしい。
陽乃が虐められているとなった時も周囲に「余計なことはなさらない方がよろしいですわ」と言った所、それが犯人探しはしなくていいという風に受け取られたらしい。
実際そうなのだが、ただ陽乃と話し合った結果、悪役は姫華でその姫華は友人。そして陽乃は恋愛ルートをそこそこは楽しみたい、私も見守りたいですわ。等と会話が進み、でもこの先どうなるかわからないから学園では少し距離を置いておかないと、どう転ぶかわかりませんわね。ゲームじゃ親友じゃなかったからね。などなど二人で話を詰めに詰め、ある程度は敵視されるのも仕方ないよね、モテモテだし。それもそうですわね、でもあまりにも酷いものは言ってくださいましね?という辺りで話は纏まったのだった。
そして私は今までの虐めの内容を全て把握している。
その虐めの主犯にはそれとなく注意をし、悪化はさせないように陰で動いていた。
それでも虐めがなくならないのは言ってしまえば安易に陽乃に声を掛け続ける男達のせいだ。
もう少し周囲を見ていればすぐわかる話だが、男達に周囲を見る余裕はないらしい。
更に聞く耳もない、と。
それでは周囲も納得せず、嫉妬や羨望は陽乃への嫌がらせとなっている現状。
嫉妬とは怖いものだと二人で肩を落としたこともある。
だが虐めの全ては姫華がさせたもので主犯は姫華だと攻略対象者達、そして周囲は思い至ったらしい。
それで注意を受けた姫華は身に覚えがない、と言い切った。
それをシラを切ったと受け取られただけだ。
ただ、犯人に到達しない男達に女にうつつを抜かして情けない、と口を滑らせたのが悪かった。
私的には周囲を見れば嫉妬のせいで陽乃が虐められてるとすぐわかるのに、と思って言った言葉だったのだが、男達の中では姫華が悪役に決定してしまった瞬間だった。
「私にされたくだらない嫌がらせも全て犯人、動機共々把握しておりますし、私に大したダメージもありませんわ」
「何で姫華が嫌がらせされなきゃいけないのよ!」
「陰でこそこそすることしか出来ない人間になど興味ありませんわ。……しかしよろしかったんですの?こうなってはアレでは御座いません?」
暈しはするが私の言うアレ、攻略対象者達との恋愛はどうするのだと暗に仄めかせば陽乃はふん、と鼻を鳴らす。
「陰で嫌味ったらしく他人にあることないこと言って、嫌がらせを他人にさせるような人間に誰が恋愛感情持つのよ。勘違いするのも大概にしてほしいわ」
この発言に男達は青ざめ小さくなった。
これは陽乃に嫌がらせをしていた人間達と何も大差がない。
むしろ、陽乃に嫌がらせをする多数は本人が思って本人が行動していた分、まだ可愛らしい。
この男達は確かに人の上に立つ家柄で、他人を上手く使うことも実力の内に入るのかもしれないが、私達にとっては汚いことは他人にやらせてる卑怯者という認識だ。
言っておくが、これらは私が陽乃に言ったわけじゃない。
陽乃が自分で突き止めたのだ。
それらを知って陽乃はこの男達と恋愛をする気が失せたらしい。
乙女ゲームがなんじゃい、美形がなんぼのもんなのよ、と最近は愚痴を零すようになっていた。
陽乃は二年になってからは男達に近付くことは無くなり、それを男達は私が嫌がらせをするから距離を取ったのだと勘違いをし始めこの二ヶ月程は男達とすれ違う度にねちっこく嫌味を言われていた。
「恋は盲目と申しますし……私に害はありませんでしたわ。面倒ではありましたけど」
「アタシには害だから!」
「私の為に怒ってくださる貴女が居るから……私は幸せですわ」
「姫華…!」
女同士手に手を取り合って見つめ合う。
決してレズとやらではない。
「だけど許せないことってあるよね!」
にっこりと微笑む陽乃に私は苦笑いするしかなかった。
女の友情が恋愛感情に負けるなんて誰が言った。
だけど乙女ゲームってなんだっけ。
友愛メインだったっけ?