9話 教育
中央へと戻り、裁判を受けたのだが判決は1週間の謹慎処分だった。
かなり重度の命令違反だったのだが、軽い処分で済んだことには理由がある。
一つ目は第三小隊が権力を利用して、ユナにも暴行を加えようとしたこと。二つ目はジジイとの取引による結果だ。表向きは一つ目での判決となっているが、本当は二つ目の理由の方が大きい。
そんなわけで現在、自宅で待機中だった。
そして、その時間を移用してラナヴルを教育している。
「ラナヴル、まず食べ物が欲しかったらお金を払う必要があるんだ」
「お金ってなに?」
「お金はいろんなものと交換できる便利なものだ」
まずは人間社会で基本となるお金についてを教えていた。
そして貨幣の価値や、その稼ぎ方、貯金についてなどを教えていく。
「やっぱり、森に帰る。人間、めんどくさい」
「駄目だ。そんなことをしたらまた人間に襲われるぞ」
「うぅ……」
「すぐに慣れる。俺もついててやるから安心しろ」
彼女はこの謹慎が明けたら第26小隊へと入隊することになっていた。
人の言葉を理解する魔族のサンプルとして、ここで暮らすことを許されたのだ。
最初は危うく研究室送りになるところだったのだが、なんとかそれは阻止できた。そんなことでは彼女を助けた意味がないからな。
「ゆっくり人間の生活に慣れていけばいい。一人で暮らせるようになるまでは俺が面倒を見てやる」
「わたし無理矢理仲間にさせられた。なのにクオン、偉そう」
「俺はラナヴルの保護者だからな」
ラナヴルを俺の傍に置いておく条件として、彼女が起こした問題はすべて俺の責任というのがある。だからちゃんと教育しておかないといけない。
「それじゃ、そろそろメシにしよう」
いつもは寮に泊まってるので、この自宅にはあまり帰ってこない。だから冷蔵庫には何も入ってない。なので今日は出前を取ることにした。
そうして注文をして数十分が過ぎた頃に食べ物が届く。
ラナヴルは見たこともない人間の食べ物に興味を引かれたようで、まじまじとそれを見つめていた。こんがりと焼けたチーズの匂いが、食欲をそそるのだろう。
「ほら、これがラナブルの分だ」
円形を16カットに等分し、そのうちの一つを彼女へと渡す。
小麦粉で出来た生地の上にはトマトやソーセージ、キノコなどが乗っているので、それらを落とさないように持ち上げる。そのときチーズが糸を引くが、やがて千切れる。
ラナヴルは手渡されたそれを口へと運び、一口目を食べた。すると、とがった耳をピクリと反応させ、すぐに残りも飲み込んでいった。
「これ、おいしい! もっと食べたい!」
「好きなだけ食べろ、あと飲み物はこれな」
色の付いた炭酸飲料をラナヴルへと渡すと、彼女はそれを喉に流し込む。
「なにこれ! すごい!」
ラナヴルが目を丸くする。やはり魔族の世界にはない飲み物らしい。あとはサイドメニューも頼んであるので、それらもラナヴルへと与えていく。
「お金があれば、好きなだけこれが食べれる」
「うん、わたしがんばる」
そうして食事を終えてたのだが、彼女は服を汚しまくっていた。服を洗濯するついでにラナヴルにはフロに入ってもらうか。彼女の体もけっこう汚れていたのでちょうどいい。
「ラナヴル、フロに入ってこい」
「フロ?」
お風呂の入り方も教えないといけないのか。
仕方なくシャワーの使い方等を説明していくとその度に彼女は驚いていた。魔族と人間では科学力にずいぶんと差があるようだ。
「それじゃ、上がったらこの服に着替えろよ」
「うん、わかった」
そうして風呂場を後にした。さすがに一緒に入るのはまずいだろう。
彼女も立派な女の子の体をしているのだ。ここは一人で入ってもらうしかないが、それほど難しいことじゃない。さすがに説明すれば分かるだろ。
しばらくすると、彼女はフロから上がったようだ。
「クオン、フロ入って来たよ」
そう言ってリンングに戻ってきた彼女の服は肌にひっついて、床は水浸しになっていた。
こいつ、まともに体を拭かずに服を着たのか。
「ラナヴル。お前、それ気持ち悪くないか」
「うん、気持ち悪い」
そう言えばタオルの使い方は説明してなかったな。使うのが当たり前なので、俺もすっかり忘れてたようだ。仕方ない、もう一度風呂場に連れて行こう。
「もう一回フロに行くぞ」
「えー。やだ」
「でも、それじゃ気持ち悪いだろ」
「そのうち乾く。大丈夫」
お前が大丈夫でも、床やソファーが濡れるんだよ。
「そのままだと風邪もひくし、今度は拭き方も教えてやる」
「もういいよ。やだ。絶対に行かない」
ラナヴルは妙なところで急に意地になるのだ。だが、このまま放っておくわけにもいかないので、無理やりに連れて行こうとすると、彼女は魔法を放って抵抗してきた。
「やだって言ってるでしょ!」
こいつ、なんて真似を。魔法をこんな気軽に使っちゃいけないことも教えないといけないようだ。
俺だからノーダメージだからいいものの、一般人なら死んでたぞ。
「ラナヴル、そんな簡単に魔法を打つな。お前の魔力は人間にとっては脅威なんだぞ」
「えいっ! うるさい! くらえっ!」
しかし彼女は俺の言葉を無視して魔法をさらに放ってきた。
おい、せめて狙うのは俺にしてくれ。家に向けるのはやめろ。家が壊れると修理が面倒なんだよ。まさか第三小隊と戦うより、ラナヴルが癇癪を起こしたときの方が面倒だとは思わなかった。
必死で魔法から自分の身を盾にして家を守っていく。
「むぅ、だったらこれ!」
あのバカッ。ラナヴルはいきなり広範囲魔法を放とうとしていた。
いままで放った魔法が全部防がれてムキになったようだ。彼女の中ではもう家を壊すことが目的になってるらしい。このままではまずい。
一気に彼女へと詰めより、そのまま押し倒してそれを阻止する。
「こら、やめろ。これはシャレにならない。今度は謹慎処分じゃ済まなくなる」
責任もって魔族の面倒を見ると言ったそばから破壊活動とか許してたら、それは非常にまずい事態だ。今度こそ確実に討伐命令が出てしまうだろう。
これ以上暴れられないように彼女を床に抑えつける。
「ちょっと、離して! やだ! どいて!」
「駄目だ。お前にはこれから色々と教えることがあるからな。じっとしてろ」
まずは、魔法を人に向けたらダメってことを真っ先に教えないといけないだろう。
他にも人間社会のルールは多くあるのだ、反省の意味も込めてこの場でしっかり教え込まないと本人の為にもよくない。
そんなことを思ってると、ふいに声を掛けられた。
「……何をしてるですか、クオンさん」
声がした方を見るとユナがいた。なぜ彼女が俺の家にいるんだ。
いや、それよりも……もしかして何か誤解しているのか?
確かにこの体勢はいかにも俺がラナヴルを襲おうとしてるように見えるかも知れない。だが、それは違うからな。これはあくまで彼女の暴走を止めるためだぞ。
「いろいろ教えるって言ってましたけど、何を教え込むつもりなのか聞かせてもらえますかしら?」
彼女は笑顔で尋ねてきた。ただ、その笑顔は引き攣り、目も痙攣させていたが。
「それでラナちゃんを押さえつけていたんですか。そうですよね、クオンさんに限ってありえないですよね。すみません。何か、早とちりしちゃったみたいで」
事情を説明しを終えるとユナは納得してくれたようだ。
そして俺の方も何故、いきなり彼女が家にいたのかが分かった。
ユナは俺を訪ねてきたらしいのだが、ちょうど玄関に付くと家の中から、まるで戦闘をしてるかのような音が聞こえてきたので、緊急事態だと思ったらしく家まで上がって来たというわけだ。
「いや、気にするな。あの状況だけ見れば仕方ない」
ただ、ラナヴルはもう一度フロへ入れなくてはいけないだろう。
くしゃみをし出している。このままでは本当に風邪をひきかねない。
「クオンさん、ラナちゃんですけど、私が一緒にお風呂に入れてきましょうか」
「素直に入ってくれればいいんだが、拗ねてると言うこと聞かないからな」
「なら、すこし私に任せてもらっていいですか」
そう言って彼女はラナヴルに話しかける。
「ラナちゃん、お風呂に入ろっか」
「やだ。絶対入らない」
「ほら、私も一緒に入るからお風呂に入ろ? 私もラナちゃんと一緒にお風呂に入りたいな」
「……やだ」
やっぱり一度をへそを曲げたラナヴルの説得は無理らしい。
そう思ってるとユナは彼女に何かをささやきかけた。
するとラナヴルの表情が変わったり、すこし考えてから了承する。
「……なら、フロ、入る」
ユナのやつ、何を言ったんだ。ラナヴルがフロに入ると言い出した。
けどフロに入ってくれるなら別にいいか。
そうして二人はフロ場へと向かっていった。
一方残された俺は、散らかった家を見てげんなりする。これ……片づけないといけないんだよな。だが、見てるだけでは一向に綺麗にはならない。仕方なく部屋を片付け始めることにした。
そうして大方の掃除も終わった頃、二人がお風呂から上がって来たようだ。
彼女らに飲み物を渡してやる。
「ありがとうクオンさん」
「んっ」
二人はそれを飲み干すと、リビングでくつろぎだす。
ところでユナのやつは何をしに来たんだ。
「なあユナ、お前って何か用事あるのか」
「えっ、用事ってわけじゃないけど。ほら、クオンさんのことが心配だし……様子見に来ただけだけど」
そう言う彼女の顔はすこし赤かった。お風呂上りだけが原因ではないだろう。
もちろん俺は彼女が俺のことを好きなことに気が付いている。あれだけ車の中で騒いでれば誰も気が付くだろう。もっとも、その前から知ってたけど。
「そうか。まあ別にこっちはただ家でごろごろしているだけだ。特に心配されるようなことはない」
「そ、そうですよね、クオンさんは強いし私なんかが心配してもしょうがないですよね」
「別にそんなことはない。ただ心配ないって言いたかっただけだ」
そんな会話から始まり、しばらくリビングで話し込んでいるとだいぶ時間も過ぎたようだ。ラナヴルもさっき暴れて疲れたのかウトウトしていた。
「ちょっとラナヴルを部屋まで運んでくる」
ユナにそう告げて彼女をベッドへと運び、再びリビングへと戻ってきた。
すると、ユナはさっきまでとは違い、すこしそわそわしている。まるでこれから何か大事な話があるけど、切り出しにくい。そんな雰囲気が感じられた。
そうして隣に座り直すと、彼女が話しかけてくる。
「あ、あのね。クオンさん。あの……もう気づいてるかも知れないけど……」
緊張した声で彼女は言葉を続ける。
「わ、私ね、クオンさんのことが好きなの。そ、それで私と付き合って欲しいの」
ラナヴルが寝て二人っきりになってチャンスと思ったのか、彼女はそう言って告白してきた。
ユナの顔はさっきのお風呂上りのときよりも真っ赤になっているが、こちらを真っ直ぐに見つめてきてその真剣さが伝わってきた。
「そうだな、分かった。付き合おう」
なのでユナの気持ちに応えることにしたのだ。
そうして彼女は今日、家に泊まって行くことになった。