プロローグ ☆
そこは地下施設でもあり、召喚魔法を行うための儀式場でもあった。
「ディルハウ、いよいよね」
部屋に響いた声は少女のもので、まだ幼さが抜けきっていない。だが、それは期待と自信を伺わせるような、はっきとした口調だった。
話しかけられた本人、ディルハウと呼ばれた男は静かに頷き言葉を返す。
「ふむ……上手くいけばいいのじゃがな」
「何言ってるのよ、上手く行かせるのがあんたの役目でしょ。上手く行かなかったらクビだからね!」
「そうは言ってもの、今までの召喚儀式とはわけが違うのじゃ」
ディルハウから見れば、少女は孫娘ほども年齢が離れてはいる。
しかし二人の関係は、彼女の方が立場が上だった。本来であれば二人には軽い口調で話し合うことが許されない程の身分差があるのだが、実際はそうではない。
それはディルハウが類まれなる魔術の才能によって積み上げてきた実績に依るところも大きい。彼らがこれから行おうとしている今回の召喚魔法も、このディルハウの提唱した理論を基にしたものなのだ。
「分かってるわよ。それでも失敗なんか許さないって言ってるの!」
「姫は相変わらず無茶なことを言いますの」
「無茶じゃないでしょ、理論上は上手くいくはずなんだから」
少女は勝気にそう言ってみたものの、言葉とは裏腹にこの召喚実験の成功確率の低さと難易度の高さを十分に理解はしていた。
彼女はこの場に皇族として立会いに来たわけではないのだ。
「それに、わたしも参加するんだから絶対に失敗したくないのよ」
少女もまた今回の召喚実験に参加する召喚士の一人だった。
だからこそ、この召喚の難しさを理解しているのだが、この様な言い方をするのは単純に性格の問題である。
「それに私は歴史に名前を残したいの! 第四召喚魔法を初めて成功させた者として、このイルナーシア・オーミュリッドの名前をね!」
彼女は胸を張ってそう宣言した。
新たな召喚魔法を創り出す。それは正に偉業とも言えるもので歴史に名を残すには十分な功績と言えたが、これまでに成功した例はない。
そもそもこの国、オーミュリッド帝国には既に三つの召喚魔法が存在している。
一つ目が第一召喚魔法。
これは精神体を呼び出す召喚魔法であり、精神だけを異世界から召喚するものだ。そして、その精神をこの世界のものに憑依させて活動を可能とさせる。
召喚魔法の中では一番汎用性が高い。
次に第二召喚魔法。
これはそのまま肉体ごと呼び出す召喚魔法である。
不特定の者を異世界からこの世界に呼び出すことができる魔法であり、現在もっとも主流として使われている。
最後に第三召喚魔法。
これは既存の召喚魔法の発展系で複数の人間や、特定の目的の為に呼び出すことを考えられて創り出されたものだ。
魔王討伐や、特定の所属にある複数人を呼び出すときに用いられる。
この三つの召喚魔法に共通するのが、呼び出された者はこの世界にやって来たときに特殊なスキルを獲得するということだった。
その性質を利用してオーミュリッド帝国はこのスキル保有者で編成した軍を用い、これまでに大きな戦果を挙げてきた。
しかし、いかに強大な力を持つ異世界人であったとしても個人で戦況を左右する程の者は少ない。
むしろ直接的な力よりもその知識の方が重宝されることも多く、実際、異世界人がもたらした農業や工業技術により帝国は飛躍的に発展してきた歴史があった。
だが、それだけの技術と戦力を持ちながらもオーミュリッド帝国は未だに世界の覇権を握れないでいる。その要因は防衛に多大な労力を割いているからだ。
世界でも有数の大国であるオーミュリッド帝国ではあったが、敵も多い。
唯でさえモンスターや魔族の侵攻を防がなければいけないのに、同じ人間からも同時に狙われていてはそう簡単に世界の覇権を握れるものではなかった。
オーミュリッド帝国が位置するニードラ大陸、この大陸の覇権を握るのだけで手がいっぱいなのだが、それですら完全に支配下に置けているとは言えない状況である。
そこで今回、以前より理論だけ先行していた第四召喚魔法の実験にまで至ることになったのだ。
「でも仮想空間って一体どんなところなのかしら? 全く想像がつかないわね」
「まあ、ワシも実際に見たことはないからの」
そう言いながら二人は部屋の中央にある魔法陣が描かれた床を見つめた。それは異世界への扉を開くための召喚魔法陣。
と言っても一方通行で、こちらの世界から異世界に渡ることはできない。
「なんか私たちだけ異世界に行けないのって不公平だと思わない?」
「何度実験しても渡れないものは仕方なかろう」
「なんとかしなさいよ、帝国一の召喚士でしょ」
「姫こそ帝国始まって以来の天才召喚士ではなかったですかの」
「わ、わたしはまだ発展途上なの!」
イルナーシアは頬を膨らませて眉を寄せて怒った表情を作ったが、その仕草は生来の整った顔立ちと合わさりとても可愛らしいものになってしまっている。同年代の男子であれば誰もが惚れてしまうだろう。
ただディルハウにとっては動じるものではなかった。
「ならば早く発展してもらいものですな」
「言われなくてもすぐにディルハウなんて追い抜くわよ!」
ディルハウの身分を無視したような言葉はいつものことであるが、彼も誰構わず無礼なわけではない。
二人の間柄は唯の主従関係というだけではなかった。
「姫も小さい頃はあんなに素直だったのに、どうしてこう育ってしまったのか」
「うるさいわね、いつまでも子供扱いしないで!」
「さっき自分で発展途上と言っとらんかったの……」
「いいから黙りなさいよ!」
二人がそんなやり取りをしていると、彼らに近づく者がいた。
この地下施設にはおよそ30名程の召喚士が揃っており、その全員が帝国で最上位の称号を得た者たちなのだが、二人に気さくに話しかけられるような身分のものはそこにはいない。
だが、その者は躊躇いもなく二人に声を掛けた。
「ずいぶんと余裕だな、二人とも」
その声に二人は、それぞれの反応を見せた。
イルナーシアは慌てて一瞬で姿勢を正し、一方ディルハウは落ち着いた様子で頭を下げる。
「よい。二人の実力は信用しておる。別に咎めに来たわけではない。なに、ちょっと様子を見に来ただけだ。この実験には私も期待しているのだからな」
男の声はこの場で誰よりも上の立場であるかのような、威厳のあるものだった。
そして、それに答えたのはイルナーシアだ。
「はい、お父様。必ずこの実験は成功させてみせますわ」
「うむ、頼んだぞ。それで、準備の方はどうなっている」
彼はイルナーシアの言葉に短く返事をすると、ディルハウに問いかけた。
イルナーシアはそれを不服に感じたが、父親の前で表だって態度に出すようなことはない。それでも、彼女は自分でも作業の進捗を確認しようと周囲を見回そうとしたのだが、それと同時にディルハウは返事を返す。
「はい、予定通りに進んでおります。もうじき準備も終わりますでしょう」
ディルハウはイルナーシアと話している最中も作業の様子はずっと確認していたので、その進捗具合も把握していたのだ。
このあたりの注意力の差がそのままイルナーシアの召喚士としての評価に繋がっているのだが、本人としては過小評価されてるとしか思っていなかった。
「そうか」
男はそれだけ返事を返し、静かに召喚が始まるときを待つことにした。
彼にとってこの実験の成否は今後の国家運営に関わってくる重要な事柄である。なので少しの間待つぐらいでも妙に長く感じてしまっていたが、それも一人の召喚士の声で終わりを告げた。
「ディルハウ様、準備全て完了致しました。最終確認をお願いします」
この実験の実質的な最高責任者であるディルハウへと準備が整った旨の報告が寄せられたのだ。
ディルハウは速やかに最終確認を終えると男に声を掛ける。
「ヴァウニグス陛下、いつでも始められます」
「うむ」
男はその言葉を受けてゆっくりと立ち上がり、魔法陣を見下ろした。
すると周囲の召喚士たちはその動向を注視する。
実質的な責任者はディルハウだが、本来の最高責任者はこの男、オーミュリッド帝国第15代皇帝ヴァウニグスなのだ。
そして彼は口を開き、号令を掛ける。
――「これより、第四召喚魔法実験を開始する」――
召喚士たちはその言葉を受け、詠唱を唱えて魔法陣を起動させた。
召喚儀式のプロセスは三段階。最初に異世界への扉を開き、次に召喚者を呼び出して、最後にそれを制御する。これ自体はどの召喚魔法でも変わることがない。だが、今回は扉の先に問題があった。
最初にして最大の難関、仮想世界への接続。
まずはこれをクリアしなければいけない。
「4次元領域への干渉開始します――」
「位相空間軸へのベクトル操作を開始――」
「時空間歪曲関数補正値誤差修正――」
次々と召喚士たちは現状を報告していき、異世界への接続を試みていく。
仮想空間への接続方法自体は至ってシンプルなものである。
4次元領域から仮想空間を見つけ出しルートを作って扉に繋ぐ、ただこれだけのことであったが、それがなかなか至難でもあった。
ディルハウは指示を次々と出してはいくものの苦戦を強いられていた。
「ねぇディルハウ、ちょっとこれマズくない。全然領域が収束しないんだけど?」
イルナーシアは軽い口調で言うが、その額には大量の汗が浮かんでいた。
次元へと干渉する大規模魔法は通常のものでさえ大量の魔力を消費する。
今日ここに集まっているのは帝国でも精鋭の召喚士たちではあったが、それでもなお、かつてない程に膨大な魔力を消費するこの儀式に、皆顔をしかめていた。
「だったら魔力をもっと同調させるのじゃ。自分だけ突出しても魔力の無駄遣いじゃぞ」
「分かってるわよ!」
「皆もじゃ。それと第一陣の者は扉が閉まらんように現状を維持しつつ領域への干渉を続けろ。第二陣は量子変換の回転率を上げて観測域を上げい。第三陣のものは全力で魔力を注ぎ込め」
ディルハウは焦りを感じていた。このままではこの実験が失敗に終わってしまう恐れがあると。
もちろん最初から失敗する可能性が高い実験ではあったのだが、それでも帝国最高位の召喚士としてのプライドが彼にはあったのだ。
「ふむ、やはり一筋縄ではいかないの。だが、このまま終わらせるわけにはいかんのじゃよ」
ディルハウはさらに魔法陣に魔力を注ぎ込み魔法陣の演算能力を高めていく。
彼のそれはイルナーシアの自分だけが突出したものとは違い周囲の魔力と完全に同調させるものだった。それはイルナーシアの突出した魔力すらも取り込み、より膨大な魔力が魔法陣へとつぎ込まれる結果となった。
「観測領域、干渉範囲拡大していきます――」
「特異点を確認、これより侵食を開始します――」
「仮想空間確認、ルートを形成します――」
そしてついに仮想空間へと接続することに成功した。
ディルハウは思わず安堵のため息をつきそうになるが、それを寸で止め気を引き締め直した。最大の難所だったとは言え、まだ最初のプロセスをクリアしだけに過ぎないのだ。
彼は決して油断をせず次のプロセスへと移行するように指示を出す。
「よし、では領域を収束させ次第観測点を固定させろ」
観測点を固定することで魔法陣へとルートを繋ぎ扉を開く。
ここから先は呼び出す対象によってプロセスは違ってくるのだが、今回の目的はあくまで第四召喚魔法の確立のための実験である。
最も成功確率の低い無作為な召喚方法が採用されることになっていた。
これは第二召喚魔法と似ているが、召喚方法の確立されているそれとは違い、運が良ければ人間が来る程度のものでしかなかった。
「召喚開始します――」
召喚士たちが扉へと魔力を集め、それに反応するように魔法陣に閃光が走っていく。それは次第に大きくなっていき、ついには中級程度の雷魔法の激しさを伴うようになっていった。
「やった、成功よ。来るわっ!」
イルナーシアが喜びの声を上げる。
彼女も過去に幾度かの召喚魔法を行ってきた経験があり、召喚の成功の前兆というものを知っていたのだ。
まさにこの光景はこれまで彼女が成功させてきたときと同じものである。
イルナーシアが気を緩めそうになったのを見てディルハウが注意をする。
「姫、浮かれるのはまだ早いのじゃ。どんな相手が来るか分からんからの」
「だから分かってるって言ってるでしょ!」
そう言って彼女は最後のプロセス、制御のための隷属魔法の準備を始めた。
仮にどんなに優秀なものを召喚したとしても言うことを聞かせられないのでは召喚する意味がない。
その為の制御として使われているのが隷属魔法。
これは奴隷につける首輪、通称奴隷の首輪を製造するときに使用される魔法ではあるが、本来の使い道としてはこの様に対象に直接掛ける呪いのようなものである。
「いつでもいいわ、準備はばっちりよ」
さすがにイルナーシアは準備し出してからの行動は早かった。
既に隷属魔法を使える状態で待機しており魔法陣からの閃光が収まる瞬間を待っていた。その瞬間こそ対象の現れる瞬間である。
そして、閃光が収まりその影が見えた刹那、周囲の召喚士と同時に魔法は放たった。隷属の鎖がその自由を奪おうと楔を打ち込むように伸びていく。
これで召喚実験は成功した。
イルナーシアがそう確信した瞬間。
「なっ、なに!?」
彼女にとって予想外のことが起きていた。
確かに打ち込んだと思った鎖は何故か完全に消滅していたのだ。
魔法を無理やり魔力によって押し返されたわけではない。
影は動いていなかったので避けたわけでもない。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
だが、すぐにイルナーシアは再び隷属魔法を打ち込んだ。
そして今度ははっきりとその姿が見えた。それは異国の衣装をした少年の姿であったが、そんなものは見慣れた姿だった。だから構わず鎖を打ち込んだ。
しかし、またしても鎖は消滅してしまった。
「なんで隷属魔法が効かないのよ!」
慌ててディルハウの方を見たが彼の隷属魔法ですら少年には通用していないようでイルナーシアは予想外の状況に軽くパニックになってしった。そのせいで思わず攻撃魔法を打ち込もうとする。
自分の力が通用しない状況でも、召喚した対象者は支配下に置かないといけないという意識により、相手を無力化しようとした結果であった。
「い、異世界人のくせに調子に乗らないで! 這いつくばりなさい!」
「イルナーシア姫、やめるのじゃ!」
慌ててディルハウが止めに入ろうとしたが彼女の魔法速度は正に天才と言える領域である。無理矢理止めようとすればイルナーシアを攻撃するしかなかった故に彼女の行動を阻止することは間に合わなかった。
彼女の手から放たれた火球が魔法が少年へと向かっていき、魔法陣は一瞬で炎に包まれた。
「なんということを、せっかくの第四召喚魔法の成功体じゃったのに」
「し、仕方ないでしょ。隷属魔法が効かなかったんですもの」
「だからと言っていきなり殺さんでもよかったじゃろ」
「今更そんなこと言われても知らないわよ」
二人がそう話していると、突如炎は風圧を伴ってかき消されてしまった。
そして魔法陣の上には無傷の少年が立ったままだった。
その光景にイルナーシアは驚きを隠せないでいたが、すぐに対応したのはやはりディルハウであった。
「申し訳なかったな異世界の少年よ。手違いでとんだ無礼を働いたことを謝ろう」
ディルハウは深々と頭を下げて謝罪した。
彼は先程の一連のやり取りを考え一瞬でこの対応を決めたのだった。
相手の能力は不明で隷属魔法も効かない。ならば敵対するのは愚策。もとより隷属魔法というのは保険のようなもので基本的には自らの意志で戦場に出てもらうのが召喚したものへの対応なのだ。
幸い召喚されてきた相手は同じ人間のようでもある。だからこそ此処は下手に出て様子を見ることにしたのだった。ただ、彼にとって言葉が通じるかどうかは賭けであった。
何故か召喚されて来た人間には言葉が通じる人間とそうでない人間の二種類が存在しているからである。少年はどちらであるか。
様子を見ようと顔上げると、少年はすこし困惑したような表情を浮かべていた。