第五話
◇第五話
エル達は迷宮内を爆走する四頭立ての馬車の中にいた。
誤解されるかもしれないが、別に護送されているわけではない。迷宮内の移動手段として馬車を利用しているだけなのだ。まあ、迷宮内を馬車で移動するのは大陸広しと言えどガイスト・クライスだけだろうが、一先ずそれは置いておく。
御者として馬車の前方に座る人物は、深紅の全身甲冑に身を包む女性騎士。女性騎士というからには、マックスやファルシアが御者をしているのではない。
彼女の名前はヴァハ。
ヴァハがどのようにして現れたのかは、いずれ語る時が来よう。
それまでヴァハがこの場にいる、という事実だけを理解してほしい。
顔を見ずに女性と断言できるのは、金属鎧の胸元が大きく前に出ている造りだからだ。この点からシーラが御者になっている可能性も除外できる。
何故、そのように断言できるのか?
そんな事を聞いてはいけない、シーラは十四歳の少女なのだ。
否、別にシーラの発達が極端に遅れているのではない。エルフというのは一般的にスレンダーな体型をしているものなのだ。その代償とでもいうべきか美形が多い種族でもあるのだが……
少し話が逸れてしまった。
騎士に御者をさせるのは不敬と思うかもしれないが、あくまでヴァハが望んだ結果である。現に恐縮したシーラが交代要員として脇に座ろうと申し出るが、無言で拒否されていた。
馬も馬車も全て彼女の所有物であり、故に愛馬の手綱を誰にも握らせたくないらしい。シーラは気が咎めながらも、大人しく馬車に乗り込むしかなかった。
先程まで滞在していたホールを後にすると、大通りと呼んで差し支えない通路を直進する。通路を右に左に曲がるたび馬車は大きく振られるのだが、横転しないのは騎士ヴァハの腕の良さ故であろう。
ヴァハが操る愛馬達は軍馬ということもあり、体格も足の太さも通常の馬とは段違いだった。その軍馬が四頭がかりで馬車を引いているのだから、かなりの速度が出るのは当然だろう。
迷宮が石で建造されている以上、床は石畳ということになる。
隙間なく石を敷き詰めようとも、石畳は複数の石の集合体にしか過ぎない。つまりアスファルトの道路と異なり凹凸が発生する。そのような場所を馬車が爆走すれば揺れは凄まじく、乗客達がどのような環境下に置かれるかは言うまでもない。
その乗客達はというと、心臓に毛が生えているエルは屁ともしていない。
マックスは振動で揺れる度に「エルフォード殿、相変わらず揺れが凄いですな」と大声で不満を口にしているが、その表情はむしろ楽しそうだった。流石ドワーフ。大雑把な種族である彼らが、『馬車酔い』などという繊細さがある筈もなかった。
ファルシアはというと、防壁の呪文を発動させ、ある種の緩衝材代わりにすることで衝撃を和らげている。惰弱なこと極まりない。
「ファルシア、魔力の無駄使いにも程があるぜ」
「――無理を言わないでよ、エル。僕には、いや人類にはこの環境は耐えられないって」
「口が過ぎるぞ、ファルシア! 従者の分際で主であるエルフォード様にそのような口を聞くとは!!」
「僕は従者じゃない!」
決して本調子ではないが、ファルシアも何だかんだで元気そうである。
「まったく、俺を人扱いしないなんて酷い言い草だよな、シーラ」
「……」
「おいおい、無視かよ」
「……」
「返事をする元気も無しか。まったく、だらしがないったらないぜ」
「……」
「エルフォード様、それ以上はちょっと」
「分かったよ、マックス」
慣れている筈のファルシアでもあれなのだ、始めて乗車するシーラがどのような状況なのかは想像出来よう。
はっきり言って酷いものである。
それでも嘔吐しないのは流石であるが、エルフらしい端正な顔からは表情というものが消えていた。恐らくは苦痛や苦悶という領域を通り越しているのだろう。顔色は蒼く、血の気が引いている。元々白い肌をしているとしても、尋常ではないのは誰の目にも明らかだった。
シーラがエルの言葉に反応できないのも無理もあるまい。
(美少女は必死に堪える姿も絵になるな)
などと意地の悪いことを考える辺りは、流石エルである。
シーラは神官なのだから、さっさと防壁なり解毒の呪文を唱えればいいと思うかもしれない。いや、本人的には必要になったら発動させる気だったのだが、自らの異常に気付いた時には手遅れだった。
魔術にしろ神聖魔法にしろ、呪文の発動には集中を要する。神聖魔法の場合は、神に祈りを捧げることで発動させるのだが、今のような精神状態では神に祈りが通じるのか怪しいものだ。
まあ、文字通り神にもすがる状況なのだから、必死さという点ではいつも以上であろう。ということは、単にすがりつく神の元まで辿りつけなかっただけなのかもしれない。
「シーラ。お前が『剣の間』まで早くと急かせるから、こうやって移動しているんだぜ。どれだけキツかろうとも文句はないだろう?」
エルはシーラが酔っているのを構いもせず、厭味ったらしく語りかける。
彼に情け容赦という言葉はないようだ。
「シーラさん、大丈夫?」
(フルフル)
「無理しないでマックスから解毒の呪文をかけてもらったら?」
(フルフル)
「ファルシアの言うとおりですぞ。ワシはこの通りピンピンしておりますので、いつでも呪文を唱えられますからな」
「……マックス、君ねぇ――」
微妙なニュアンスでシーラを批判しているように聞こえるかもしれないが、それは誤解である。
あくまでマックスの地であり悪意はない。
悪意はないのだが、いまのシーラには非難しているようにしか聞こえなかった。
素直にマックスの申し出を受けなかったのは、自分が使える筈の呪文を他者からかけてもらうのは良心が咎めるのかもしれない。先程から心配するマックスが声をかけたにも関わらず、シーラは力のない表情で断っていた。
解毒の呪文を唱える度に不発を繰り返す姿は、賽の河原で親の供養のために石を積み上げる子供が鬼から台無しにされる構図に似ている。
傍からみて無残である。
「うわっ、そろそろ呪文の効果が切れてきたよ」
ファルシアは防壁の呪文を唱え直す。
「ふう、危なかった」
「なにが危なかった、だ。この惰弱野郎が!」
「無理なものは無理だって」
ファルシアが唱え直した防壁の呪文を、シーラにもかけてやればいいと思うかもしれない。だが、ファルシアが使える呪文は発動者にしか効果がなかった。その事実を聞かされたときのシーラの絶望感はとても言葉には表せない。
「まったく、だらしがねぇな。これだから初心者はいけねぇな」
「エル。君はこうなると分かっていて事情を説明しなかったよね」
「おいおい、事情を説明しなかったのはお前も一緒じゃないか?」
「そっ、それは、シーラさんがヴァハさんのところにいったまま中々離れないからだよ」
「そういうことだ。分かっているじゃないか、ファルシア。俺は悪意をもって説明しなかったわけじゃあない。シーラ、お前がこういう目にあっているのは全て自業自得だ」
涙目になりながら弱弱しく頷くシーラ。
「しかし、だらしがねぇな。馬車に酔った挙句、呪文も使えないなんて。おいマックス、これ以上見てられないからなんとかしてやれ」
「シーラ殿、宜しいですかな」
「……」
こくんと首を縦に動かして同意の意思を示す。
エルの言葉をすんなり受け入れたのは、これ以上は我慢の限界だったのもあるだろうし、異性の前で更なる醜態をさらしたくなかったのかもしれない。いずれにしても、マックスやファルシアがいくら説得してもシーラの意思が変わらなかったのだけは確かだろう。
「では」
解毒の呪文を唱えたマックスの手が白く光り、シーラを優しく包み込む。蒼かったシーラの顔に赤みが戻り始める。先程は声すら出せなかったが、多少回復したのか「はぁ、はぁ」と大きく深呼吸している。
深呼吸を終えた後、即座に防壁の呪文を唱えたのは言うまでもない。
尚も石畳を爆走し続けるため室内は相当揺れるが、防壁の呪文が効果を上げているのか先程のような醜態は見せない。顔色は若干冴えないが、そのくらいは致し方ないだろう。
本来、神聖魔法の方が防壁系の呪文が充実しており、性能的にも優れている。教会の秘蔵っ子と言われるシーラならば尚更だ。呪文を唱えた今でも若干顔色が冴えないのは、それだけ振動が凄まじいのか、或いは軽いトラウマになったのかもしれない。
「すいませんでした、マックス」
「いえいえ、これがワシの役割ですから」
「そうだぜ。本来、お前がするべきだった役割をマックスが肩代わりしてくれたんだ。精々、感謝するんだな」
「そんな言い方はないんじゃないかな、エル」
「分かってないな、ファルシア。満足に身動きも出来ない奴をかかえたまま戦闘にでもなってみろ。どうなるかは馬鹿でも想像出来る」
「それはそうだけど……」
「第一、マックスは前衛、シーラは後衛だ。サポートに回るべき後衛が前衛に助けてもらうなんざ本末転倒だぜ」
「分かっているよ、分かっているけどさ」
「いいんですよ、ファルシア。エルの言うとおりですから。後衛の私が馬車酔いする方が問題だったのです。エル、すみませんでした」
「分かればいいんだ、分かれば」
「ええ、自分が甘く考えていたというのがよく分かりました」
「だったら、もう手加減いらないよな」
えっ、とシーラは声を張り上げて驚く。
エルは馬車の前方に設置されている窓を開くと、御者を務めているヴァハに声をかける。
「もう手加減は要らないから全速力で走ってくれってよ」
「ちょっと、待って! お願いします、待って下さい!!」
大きく鞭振るい愛馬達に加速を命じたヴァハに、シーラの嘆願が聞き入れられることはなかった。
迷宮内で馬車を運用するのは有り得ないだろう、と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
ですが、某超有名RPG「ド○○エⅣ」において馬車で迷宮を移動していたという前例が存在します。例えゲームであろうとも、前例がある以上は可能であると僕は考えました。
色々御意見、反論あるでしょうが、彼らには可能だったとご理解して頂ければ幸いです。
また「馬車酔い」というものが実際に存在するか? と疑問に思うかもしれませんが、あくまで想像に過ぎません。
石畳独特の凹凸の道を時速40キロ以上で走行したとき、その車輪がゴムでなく木であり、サスペンションとしてバネではなく木製の何かだったとしたら。
この条件で急カーブを速度を維持したまま曲がったとしたら、搭乗者がどうなるかは想像できるのではないでしょうか。
ちなみに、僕はルーマニア出張時に車で石畳の上を走行した経験があります。
絵的に奇麗ですが、実際は相当に酷いものですよ。