第四話
◇第四話
小鬼五十体分の装備は、一か所にまとめると結構な量になった。
うず高く積み上げたとまではいかないが、重量にしたら相当である。これを四人がかりで持ち運ぶのは、不可能ではないとしても相当に困難だろう。
先を急ぐシーラが戦利品に拘るのを嫌がったのは無理もない。
大抵の場合、冒険者たちは手に入れた物資を集積地に一時保管後、結界を張ることで盗難防止と所有権の明確化を行っていた。
結界の維持期間は二十四時間。
その間に物資の移動を出来なかった場合、所有者不明の物資が発生する。リスが冬に備えて団栗を貯蓄するかのような行為だが、団栗と同じで所有者不明の物資というのは間々ある。
要は優先順位の問題なのだ。
比較的持ち運びしやすい物資や価値の高い宝物を優先して持ち去り、他は後に回す。迷宮探索中に戦利品が重すぎて体力を消耗してしまい、戦闘に敗れて死んでは笑い話にもならない。
或いは、迷宮で甚大な被害を負ってしまいパーティーとして機能しなくなったり、回収するには重量的にも困難で物資の回収を諦めざるを得なくなるケースも当然発生する。
そういった人物達の隙間を縫って活動するのが鉄回収業者だ。
コバンザメやハイエナのような連中と思うかもしれないが、一定のニーズがある。即ち、需要と供給の問題であり、鉄回収業者はニッチ市場を開拓する隙間産業と理解して差支えないだろう。
冒険者側もタダで回収されるのも癪なので、所有権を保持しているうちに鉄回収業者に依頼するケースもある。まあ、鉄回収を専門にする連中の錬度では、迷宮の奥底まで赴くことなど出来ないのだが。
いずれにしても一度に運べる物資には物理的限界があり、探索チームと回収チームが分かれているケースもある。でなければ戦利品の回収は端から当てにせず、宝物にのみ的を絞るかだ。
勿論、限界まで物資を持ち運ぶことで、無駄に体力を消耗するのも手ではある。相当な危険を冒すことになるのだが、それは個人の自由だろう。
少なくとも熟練の冒険者はそんな無茶はしない。
しない筈だった。
シーラが迷宮に入る前に受けたレクチャーでは、確かにそのように言っていた。
全て回収するというエルの発言はシーラの常識と大きく異なる。
それは、良しとしよう。
エルという人物があらゆる意味で規格外だという事を、彼女も薄々感じ始めていた。彼に一般常識が通用すると認識してはいけない。馬鹿でも愚かでもなく、悪知恵が回るタイプである。そのエルがやると言っている以上、決して無理でも無茶でもないのだろう。
だとしてもだ。
そうと理解しても割り切れないのは人情である。自分の依頼より戦利品の回収の優先度が高いと言われたらどう思うだろうか?
キィィ、悔しい。私より戦利品なのね!
……あくまでも例えである。
「戦利品が随分ありますね。まさか、これを全部持って移動するとか言わないですよね?」
「はっ、当たり前だろう」
「持って行かないのですよね」
「そんな勿体ない真似するかよ」
「持って行かないですよね」
有無を言わせぬ迫力でシーラは否定を迫るが、エルは鼻で笑い飛ばす。
その仕草にカチンと来て、思わずエルを殴り飛ばしそうになったのは、ここだけの話である。聖職者である自分が暴力に訴えるのは好ましくないと、辛うじて残っていた理性が押し留めた。
彼女の名誉のために弁護するが、シーラは切れやすい性格というわけではない。エルと出会って僅か一日のやり取りで、彼のペースに飲まれてしまっただけである。
森や神殿という時が止まったような世界で穏やかに過ごしてきた彼女にとって、エルという人物のリズムは余りに異質過ぎた。自分本来のリズムを乱され、今ではエルとのぶつかり合いは恒例行事と化してしまっていた。
「シーラ。これだけの装備が幾らになると思う?」
「鉄と言っても小鬼達が装備していた鉄じゃないですか。一体分、銀貨一枚と考えて銀貨五十枚位ですか?」
この世界において銀貨一枚が大よそ千円の価値と考えていいだろう。
一般的な冒険者にとって、銀貨一枚は一日分の食費を賄えるだけの価値があった。尚、スラムや下層階級では五日分か或いはそれ以上の価値である。
底辺に位置する人々が圧倒的多数であることを考えれば、冒険者として成功するのが豊かさへの近道かもしれない。一獲千金の夢を抱いて王都サイスに人が集まるのは道理なのである。
貨幣価値は地域によって誤差はあるが、銅貨百枚で銀貨一枚に相当し、銀貨百枚が金貨一枚に相当する。銀貨百枚と金貨一枚を並べたとき、厳密にはこの二つは同価値ではなく、金貨一枚の方が価値がある。
日常的な取引で使用する貨幣は銅貨、銀貨が主流であり、金貨は信用としての担保や褒美として下賜されるため、市場に流通することは余りない。
それだけ金には希少価値がある。
シーラが銀貨で価値を答えたのは、このような背景があった。
「銀貨五十枚? はっ、そんな訳がないだろう」
「――銀貨百枚ですか」
「まだまだ」
シーラの言葉は徐々に小さくなり、先程の迫力と勢いは見る影もなかった。遅まきながら彼女も気付いたのだ、小鬼達が鎧を装備していたという事実を。
剣や斧などと比べて、鎧の金銭的価値は十倍から百倍ほど高い。
仮に小鬼達の武器は銀貨一枚の価値がないとしても、その鎧には十倍から百倍ほど価値があるという事になる。
鎧の価値が高いのは作製に高度な技術を要する面もあるのだが、使用する金属の量が単純に多いという面も大きい。鋳造による安価で大量生産が可能な武器とは異なり、鋳造のみではなく鍛造の技術も併用する鎧は洗練された技術を要する。
命を預ける鎧にはより高い強度を要求されるため、使用される鉄の純度も高い。
結果、鎧の金銭的価値は武器とは比較にならない程高い。
小鬼が装備していたから鈍らだとしても、それでも五十体分。
その金銭的価値は推して知るべしだろう。
「シーラ殿、捨て値で売っても銀貨二千枚は固いですな。上手く売り抜けばその二、三倍になるかもしれません。悪いですが、それを置いて行けとはワシにも言えませんわ」
「そうですか……」
マックスがエルフォードの意見を肯定するのはいつもの事だが、それを考慮に入れても彼にしては思慮深い発言だった。
シーラがガイスト・クライスに参加するに至った経緯を考えれば、彼女を擁護しても不思議ではないのだが、マックスが意見を変える気配はなさそうだった。
大抵の場合、ここでファルシアが仲裁に入るのだが、今回に限っては口を挟もうとはしなかった。
(冒険者などというヤクザな商売をする以上、彼らには金を必要とする事情があるのですね。これだけの物資を移動させるのは時間的ロスになるのに。契約書を盾にして反論するのは出来ますが、それはやり過ぎですよね)
無言のファルシアも含め彼等全員がエルに賛同する以上、シーラは反対するのを諦めるしかなかった。
「分かりました。マックスがそこまで言うのでしたら仕方ありませんね」
「おいおい、俺とはえらい態度が違うな」
「そう思うなら、自分の胸に手を当てて良く考えてみてください」
「俺はいつでも自分に正直だぜ。そうは思わないか、マックス?」
「エルフォード様は、いつも御自分に正直ですな」
「エルの意見は率直過ぎて、少し毒があり過ぎるよ」
「ファルシア、少しではありません。エルの発言は意図的に私をからかっているとしか思えません」
ファルシアは否定も肯定もしなかった。
幼馴染であるファルシアにすればいつものことだが、初対面の人間には色々とアクが強過ぎるのは理解していた。
まあ、慣れである。
エルに慣れるのが良いか悪いかは別にして。
「酷い言われ様だな。俺はこんなに純粋なのに」
「エル、私の目を見てもそれを言えますか?」
「当然!」
売り言葉に買い言葉、見つめ合い始める二人。
先程の発言とは裏腹にニヤ付いているエルの眼つきに、半ば意地になったシーラは目を離そうとしない。エルの目を見つめ続けているうち、彼の黒い瞳にシーラは飲み込まれそうな錯覚を覚えた。
目を晒さなければならないと気付いた時には、既に手遅れだった。
エルの瞳しか視界に入らなくなり、目を反らすどころか身動きが取れない。魔術的な何かとも思ったけれども、彼が何もしていないのは目の前にいるシーラが一番よく分かっていた。
黒い瞳が底知れぬ闇のように思え、自分が底知れぬ闇に落下していくような虚脱感に襲われる。立っているのも間々ならなくなり、崩れ落ちそうになったシーラを受け止めたのは見つめ合っていたエルだった。
正面に居たのだから当然と言えばそれまでだが、余りに自然に受け止めたエルの対応は、彼女が崩れ落ちるのを事前に分かっていたと言えなくもない。
「もう大丈夫ですから離してもらえませんか」
「そうか? まだ顔が青白いように思えるがな。無理はしない方が良いぜ、シーラ」
エルはシーラの頭に手を置いて言い聞かせる。子供に対して接するようなやり方だが、いまのシーラには有難かった。未知の恐怖に襲われた直後なのだ。誰でも良い、とにかく優しくされたかった。それがエルだったとしても。
……エルだったとしても?
ようやく自分がどのような状態なのか理解し始めた。
エルと見つめ合ったまま急に倒れ込み、彼の胸の中に飛び込んでしまった自分。これでは恋人に甘える女性ではないか、と。慌ててエルから離れようとするが、いまだ虚脱感が抜け切れていないため腕に力が入らない。
傍から見れば現状を受け入れていると見えなくもない。
不可抗力とは言え、結果としてエルから抱きしめられているシーラの心臓の鼓動が速まっていく。
顔に血が上り、体が熱くてたまらない。
「悪い、冗談が過ぎたな」
「……エルは悪くありません。子供じみた真似をした私が悪いのです」
僅か十数秒間の出来事なのだが、彼女には数時間の出来事のように思えた。ようやく虚脱感から解放されたシーラは恥ずかしそうに俯きながらエルから離れ、視線を合わせないようにする。
「シーラ殿、御身体は大丈夫ですか。なんでしたらワシが回復呪文をかけますが」
「なっ、なんでもありません、マックス」
「エル。君はまた何かしたよね」
「また、とは心外だな。シーラの方からちょっかいを出して来ただけで俺は何もしていないさ」
「犯罪者は皆そう言うよ、エル」
「不幸な事故だったよな、ファルシア」
流石に悪戯が過ぎたと思ったのか、エルの口調にいつもの軽さはない。これ以上触れて欲しくないのか、エルは話題を変える。
「ところでファルシア、小鬼の宝物はどんな感じだった?」
「硬貨が数百枚」
「金貨か?」
「エルは夢見過ぎ、銀貨がほとんどだよ」
「しゃぁーねぇか」
「他には装飾品としての価値しかない指輪と宝石が少々、魔法がかかっている品物では炎の杖が一本に巻物二巻。まあ、これは売っても良いけれど、何かの足しになるかもしれないから持っていて損はないんじゃないかな」
「お前の魔法と違って直ぐ発動するしな」
「否定はしないよ。でも、発動時間が短いという事はそれだけ威力が低いということだよ」
「贅沢は言えませんな。所詮魔法など、ワシの腕力に比べればあやふやなものですわ」
神官戦士として神聖魔法を使える者の発言とは思えないが、ドワーフが魔法より腕力を重視するのは一般的な傾向なのだから仕方がない。
「面白そうだったのはこの髪飾りかな」
「奇麗な髪飾りですね。精巧な作りのようですが金細工なのでしょうか?」
シーラは女性らしく装飾品には興味を持ったのだろう、会話に参加してきた。
「多分ね。鉄の上に金箔を貼っているだけかもしれないから、確実に金細工だとは断定できないよ。けど、高価な赤い珊瑚を飾り付けている事から考えて恐らく本物だろうね」
内陸に位置する王都サイスにおいて、宝石珊瑚はある意味金より希少である。その希少性から考えて、鉄の上に金箔を貼るという安価な手法を採るとは思えなかった。
金の櫛に赤い珊瑚で装飾された髪飾りは、素人目にも高価そうなのが分かる。金貨一枚が銀貨百枚の価値がある以上、職人の手で作られたと思われる見事な造詣の髪飾りの価値は相当なものであろう。
そんなモノが何故迷宮にあるのか?
当然の疑問である。
だが、そういった宝物が眠るからこそ、迷宮は一獲千金を可能とする宝物庫なのだ。冒険者が命だけを担保に迷宮に赴くのも無理があるまい。
「ふん、小鬼共にしては過ぎた品物だな」
「だろうね。豚に真珠も良いところだけど、多分この髪飾りには――」
「エル、戦利品だとしても独り占めするのはよくありません」
ファルシアが先を続けようとしたところで、エルはファルシアの手から髪飾りを奪い取る。そのまま懐に入れると勘違いしたシーラが非難の声を上げるが、エルの行動は彼女の予想と大きく違っていた。
「やっぱり装飾品は女が身に付けるに限る。似合っているぜ、シーラ」
あっけに取られるシーラを無視して、エルは彼女の髪に髪飾りを差した。
腕組しながらウンウンと頷く。
いつものエルなら『馬子にも衣装だな、よく似合っているぜ』などと微妙な発言でシーラを怒らせるのだが、今回は違っていた。
どうやら本心からの言葉らしい。
「確かに。シーラ殿の金髪に赤い珊瑚はよく映えますな」
「似合っているとは思うけれど、それ売ると高いよ。第一――」
「分かっていないな。だからお前は良い人止まりなんだよ」
「でも、本当に良いんですか。これは高い品物なのですよね?」
「俺達、ガイスト・クライスと組んで初の戦利品だ。記念に貰っておけ」
「ファルシアの話では、結構な値がするらしいので申し訳ないのですが……」
「お前は、余計な事を言いやがって」
軽くファルシアを小突く。
ファルシアは尚も何かを伝えようとしていたが、シーラが喜ぶ顔を見てそれ以上話すのを止めることにした。
「でもでも、私だけ貰うというのは信義に反しますし。それに……」
「シーラ殿。謙虚なのは美徳であり、聖職者のあるべき姿だとは思います。ですが、男性からの贈り物にまで謙虚なのはワシはどうかと思いますな」
マックスが珍しく聖職者らしい発言をする。
いつも考えなしに発言しているが、時々思い出したかのように真面目な発言をするため、どこまで素なのかは判断に困るところだ。
「男が女に贈り物をするのに一々理由なんか必要じゃない。折角似合っているんだから、いいから貰っておけ。お前らも文句はないよな?」
「エルフォード様のご高配にワシが異論を持つ筈がありませんわ」
「まあ、いいけど」
少し歯切れの悪いファルシアの態度と、『一々理由は必要ではない』というエルの発言が彼らしくなくて微妙に引っ掛かったのだが、シーラは気にしない事にした。
聖職者と言っても彼女は十四歳の少女に過ぎないのだ。聖職者である前に一人の女性であり、思春期の真っただ中にある少女が、異性から贈り物を受けて喜ばない道理はなかった。
「あっ、ありがとうございます。大切にしますね、エル」
「良いってことだ」
モノで買収されるようで後ろめたさがあるのだが、裏があるとしても騙されてもいいかもしれない。そこまで考えてから、シーラは自分が誤魔化されている事にようやく気付いた。
(小鬼五十体分の装備をどのように持ち運ぶのでしょう? あのエルが重い荷物を苦労して運ぶ姿を想像できないですし、彼なら何とかするのでしょうね)
死地を乗り越えた事により信頼感が生まれるとしたら、これが正にそうなのだろう。
シーラとエル率いるガイスト・クライスとの冒険はこのようにして始まったのだった。