第三話
◇第三話
「アレン卿、シーラ様の御身は大丈夫でしょうな」
「さあ、俺の知ったことではない」
「知ったことではない、ではないのですよ。教会の秘蔵ッ子であるシーラ様の御身に、もしものことがあったら、私は罷免されかねない!」
「ロバート、お前の首がどうなろうと、それこそ知ったことではない。大体、うちのドラ息子に今回のような大役を任せるのに、俺はそもそも反対だった。どこのどいつがあのドラ息子を推挙したかは知らないが、そいつの頭がイカレているとしか思えん」
迷宮の傍にある街、王都サイスの一角で二人の男達は責任のなすりつけ合いを演じていた。
ロバートと呼ばれる男は服装から教会関係者と分かる。
王都サイスの司教であるロバートは王都を任地としている事もあり、教会内の地位は他の司教に比べ高い。彼自身に権力欲は大してなくとも周りの嫉妬は凄まじく、その地位は常に危険と隣り合わせであった。
権力欲がないのなら地位などに固執しなければよいのだが、自己保身という感情だけは人並みに持ち合わせていた。出世や権力に興味はないが現状の地位から落ちたくないという感情は、些か矛盾しているかもしれないが、人とはそう単純な生き物ではないのだ。
それは神に身を捧げる者ではあっても例外でない。
ロバート司教と話すアレン卿なるもう一人の人物は、先程からの会話で察していると思うがエルフォード――つまりエルの父親である。
卿と敬称が付くのだから当然爵位持ちであり、貴族様という事になる。エルも貴族ということになるのだが、勘当同然で家から追い出されたエルを貴族と呼ぶかは意見が分かれる。
もっとも正式には勘当されたわけではない。
エルをドラ息子と呼んではいても息子は息子、アレン卿も人の親としてそこまではしたくなかった。いつかは心を入れ替え、人の上に立つに相応しい立派な貴族になると淡い期待を抱いているのだが、今のところそれは儚い夢でしかない。
「私だって不本意ですよ。あの迷宮にまだ幼いシーラ様を送り出すなんて、どうかしていると思います。ですが、御神託があったと言われては反論のしようがないじゃないですか」
「幼いと言っても、もう思春期にはなっているだろ? そろそろ婚約の話が来ても可笑しくない御歳だ。いつまでも子供扱いするのはどうかと思うがな」
婚約の話でロバート司教の顔が真っ青になる。
厄介な話が舞い込んでいるのだろう。必死になにかを忘れようと頭を振るロバート司教の姿は痛々しい。
アレン卿も流石に哀れに思ったのか、それ以上婚約の話題には触れなかった。
「御神託ねぇ。そんな胡散臭い……おっと失言、だとしても王宮に騎士の派遣を要請するなり、手練れの冒険者を要請するなり手はなかったのか?」
「教会の問題に王宮を介入させたくないとキャメロン大司教様の仰せです。そして、そのキャメロン大司教様の御推薦が、アレン卿、貴方の息子であるエルフォード様だったのです」
「あの妖怪爺、まだ生きていたのか?」
「妖怪爺ではありません、アレン卿。キャメロン大司教様です」
エルの父親だけあってアレン卿も口が悪かった。
ロバート司教が比較的温厚な人物だとしても、教会関係者を前にしてキャメロン大司教を妖怪爺呼ばわり出来る人物は、王都サイス広しと言えどそうはいない。そのような発言を許されるだけの力がアレン卿にあった。
その裏付けが財力なのか、権力なのか、はたまた別なのかはさて置くとして。
アレン卿の家系では代々柄の悪い人物を多く輩出しており、エルの口と態度の悪さは半ば遺伝である。
DNAや遺伝子なるものが知られていない、この世界。
十代半ばとは思えない素行の悪さに辟易した貴族達の訴えに対して、『本件はDNAや遺伝子に大きな要因があるから無罪である』と反論するのは無理があり、目に余る行為をしでかしたエルは勘当同然で家から追い出される事となった。
もっとも、訴訟大国でもそのような反論を受け付けないと思うのだが。
「相変わらず碌なこと言いださないな。大方、根拠のない自信だけを武器に大演説をぶち上げたマックスの言葉に、心を動かされたのだろう。ロバート、お前も気苦労が絶えないな」
「……マックス殿とキャメロン大司教様は、同族故に大変仲が宜しゅうございますから」
「マックスのエルフォード贔屓にも困ったものだ」
ドワーフ特有の大声と根拠のない自信だけを武器に、教壇で大演説するマックスの姿をアレン卿は容易に想像できた。音響効果が良すぎる教会の教壇で演説をすれば、その効果は絶大だったことだろう。キャメロン大司教を筆頭にした教会関係者が目頭を押さえながら心揺さ振られる情景が目に浮び、アレン卿は思わず眩暈を覚えた。
ロバート司教とアレン卿の会話から誤解を受けるかもしれないが、マックスの教会における地位はそれほど高いというわけではない。迷宮に挑む教会関係者の中では高いというに過ぎないのだ。
マックスにそれなりの発言力があるのは、同族故にキャメロン大司教と馬が合うというだけではなく、教会という組織が迷宮に人材を送り込んでいないという背景も大きい。
教会関係者の中で迷宮に挑む者達は、辺境地に赴く宣教師のような義務感から冒険者になっているだけであり、教会が組織的に派遣している訳ではなかった。
やや話は逸れるが、教会が組織を挙げて神聖魔法の使い手を送り出さない事もあり、神聖魔法の使い手が不足する事態が発生していた。少しでも生存確率を上げるには必要不可欠な存在であり、引手数多なのだが、平等に配置するのは不可能であった。
必然的に、勇んで迷宮に来た迷宮初心者達の中には、彼らがいないケースが多い。
結果、死亡率が高くなり、冒険者として生きていく事を諦めるケースが多々ある。その中でも運よく生き残り経験を積むことが出来たパーティーは、より危険度の少ない鉄回収を生業としていく。
エルのパーティーのように神聖魔法の使い手が二人もいるケースは、例外中の例外なのだ。
そのような背景があるため教会は迷宮内の諸事情に疎い傾向があり、自然と冒険者として評価が高い、マックスのような人物に発言が求められる。
勿論、マックス以外にも有力な人物は存在するため、この条件だけで発言機会を与えられたわけではない。今回は王都サイスに関する案件であり、他の街出身者に主導権を奪われるわけにはいかなかったのだ。
王都サイスの出身者で冒険者として相応の実力があり、教会内にそれなりの地位がある素性確かな人物。
それがマックスだった。
「大体、マックスに意見を求めればドラ息子を推すに決まっている。奴が馬鹿の一つ覚えのようにエルフォードを推すのは法則のようなモノだ。そのくらい予想出来ない程、教会は馬鹿ぞろいなのか?!」
「そっ、それを指摘されると私達も苦しいところです。ですが、前例や慣例を無視してマックス殿に意見を求めないのは不可能なのです」
「どうしようもない組織だな。ゴミ以下だ」
「ゴミ以下……今回に関しては反論できませんね」
教会といえど組織である。
組織である以上、縦社会であることは避けられず、年齢、階級、慣例を無視できない。一つの例外事項を口実に、組織を好きなように扱う人物が現れないとも限らないのだ。
御役所が極端なまでに融通の利かない頑なな態度を取るのは、どの時代どの組織であっても変わらないという事なのだろう。
「誰も彼もがマックス殿の意見に共感した訳ではありません。特にブラウン司祭は懸念の意を表明されました。あの方によれば『マックス殿がエルフォード様を推されるのはいつものことであり、このまま審議を進めるのは如何なものかと』と発言されました。ブラウン司祭の意見にキャメロン大司教様は不快感を示されましたが、道理は通るため他の方にも御意見を求めることとなりました」
「ブラウン司祭か。噂には聞くがあの守銭奴だろう。とある高名な冒険者から資金提供を受け、最近勢力を増しているらしいな。貴様の司教の椅子もいつまでもつかな、ロバート」
ロバ―ト司教は流れ落ちる汗を必死に拭うが、拭えど拭えど汗が止まることはなかった。
「推薦を受けたのは四名になります。アレン卿の御子息エルフォード様以外には、剣奴王ウォレス様、聖騎士プレスター・ジョン様、大魔術師ジェシカ様。いずれも名のある冒険者ぞろいです」
「ふむ、噂の三傑の揃い踏みか。そいつらが教会の依頼を受けるか否かを除けば、教会の秘蔵ッ子とも言われるシーラ様をお預けするのは実績的には問題ないな。実績だけを見ればな……」
「そうです。実績だけを見れば……」
二人の口は重かった。
剣奴王ウォレスは、元奴隷で大の女たらし。
聖騎士プレスター・ジョンは、神の声を聞いたと僭称する怪しげな人物。
大魔術師ジェシカは西の大国アルメキアに宮廷魔術士として仕えていたが、王の不興を受けて追放になった身の上。
いずれも劣らぬ札付きばかり。
アレン卿はこの人選からようやく全てを察することが出来た。今回だけは、マックスの判断が正しかったということを。
教会の秘蔵ッ子であるシーラを任せるには、推薦人の素性だけではなく推薦された人物の素性も重要になる。
マックスがエルフォードを推す事を好ましく思わなかった勢力はマックス以外の人物にも意見を聞くように要請した。
結果として、それが裏目となる。
彼らが推した人物は能力、冒険者としての実績、いずれをとっても申し分なかったが、素性素行が怪しげな人物ばかりだった。それも無理もない。冒険者は多かれ少なかれそのような存在であり、高名、且つ、高潔な人物などまずいない。
一方、エルも性格や素行には問題があったが犯罪行為まではしておらず、なによりアレン卿の子息という素性確かな王都サイスの貴族である。
勘当中の人物が貴族と言えるかで議論が別れたが、王国に問い合わせ書類を確認したところ、正式には勘当されていないという事実が決定打となった。
尚も反対意見を述べる者達もいたが、『家族内の問題に教会は介入するべきではない!!』とキャメロン大司教が一喝して議論は閉幕した。
公平にみて、エルには不思議な人望があった。
その最も端的な例がマックスである。
エルとマックスの間に何があったのか父親であるアレン卿も知らないが、十年前に家から叩きだしたエルに、迷わず付き従ったマックスの忠誠心は見事というしかない。
今までチヤホヤしていた家来達が、誰一人付き従わなかった事を考えれば尚更だった。
ドワーフという種族はこれぞとおもった人物には心底惚れこむ傾向があり、惚れこんだ人物を他のドワーフに紹介する傾向もまた存在する。大抵の場合、紹介された側も惚れこむため、本人が知らないところで、いつの間にか人脈が形成されているということが発生する。
これだけ聞くとどうしようもない種族と思うかもしれないが、ドワーフは簡単に惚れこまない。いや、簡単どころか滅多に惚れこまないというべきだろう。
(滅多に惚れこまないから問題も発生しにくいのだが。幸か不幸か、今回は幾つもの偶然が重なったか。ここまで偶然が重なると神の見えざる手が働いたとしか思えないな)
「いずれにしても既に賽は投げられたのだ。今更どうこうする事も出来まい」
「一つあるじゃないですか、問題が発生したときの責任の所在が! キャメロン大司教様に責を問えない以上、第二位である私が責を問われるのです。そのときは父親であるアレン卿、貴方にも道づれとなって貰いますからね!!」
「――エルフォードも勘当から十年が経ち、いい大人になった。流石に馬鹿な真似はしないだろうが、万が一、何かがあったとしたら男として責任を取らせるさ」
「私が問題視しているのは、そちらではありません!!」
「迷宮とは言え、一つ屋根の下には違いない。そんな場所で男女がいたらなにが起るか知れたものではない。第一、そんなことまで責任は負えんわ」
尚も叫び続けるロバート司教を一人残し、アレン卿は部屋を後にした。
歴史というものは、ときに人の想像を超えた力が働くことがある。
これは、そのほんの一例なのだろう。