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第十六話

 ◇第十六話



 ヴァハが入浴場に入るとシーラの姿は何処にもなかった。

 既に体を洗い終え湯船に移動してしているのかとも思ったが、そちらに視線を向けても彼女の姿はない。

(もしかしたら奥の岩場で肩まで湯に浸かっているのかも)

 傍に行かなければならない必然性など存在しないのだが、同性だけで過ごす状況を用意してくれたエルの好意を無碍にするのは気が引けていた。エルの思惑云々は別にして、ヴァハはヴァハなりにシーラと懇意になりたい理由は存在していた。共感と言い換えられるかもしれない。


 湯水で滑りやすくなっている床に足を取られないように気を付けながら奥へと移動していくと、小さな違和感を覚える。見えない何かに体が引っかかったような感覚。強いていえば細い蜘蛛の糸が体にまとわりついたのに、糸そのものは見えない状況に近いのかもしれない。

 仮に違和感に気付いたとしても錯覚か何かと勘違いしてしまうほどの小さな違和感。普通の人間では、いや修羅場を潜り抜けた熟練の冒険者ですら気付けないかもしれない。

 だが、ヴァハはその変化を見逃さなかった。


(まさか?!)


 即座に何が起きているのを理解すると右手をかざすと、脱衣所の置いてきた愛用の長剣が右手に現れる。そのまま柄の部分を両手で握りしめ、なにもない筈の空間へ袈裟斬り気味に振り下ろす。 


 バキッッッッッンンンン。


 空気がつんざく様な爆音を立て、ヴァハと湯船の間に存在していた見えない壁が砕け散る。

 透明な壁の向こうから現れたのは、眩いまでに光輝く巨大な魔眼と魔眼の周りから伸びる不気味な触手に囚われているシーラだった。



 ◇


 

 湯船に肩まで浸かっているシーラは、まだ自分を覗き見る存在に気付いていない。危険が迫る中、彼女の頭の中を締めていたのはエル達と自分との関係について。


(エルは的確な指示と射撃の腕で戦場コントロールし、マックスは前衛としての安定感があり、ファルシアも魔法剣士でありながら消滅の呪文まで使いこなす。ヴァハさんはパーティーの切り札。唯一の弱点は少数すぎる点ですが、それなら私の存在意義はただの数の合わせ?)


 自分という存在がイレギュラー・メンバーにすぎないと分かっていても、認めてほしいという欲求が抑えられなかった。

 我がままと言えば我がまま。

 自分はもっと活躍できるいう自負から、馬車内でシャキッとしているところを見せようとした。戦場の変化に対応しようとして前線に立とうともした。全てが空回りしてことを除けば、役に立とうとしている努力は認めてもいいだろう。


(「教会の秘蔵っ子」と呼ばれた私が冒険者に。否、エルに指示され諭され試されている現状がどうにも我慢なりません。人を小馬鹿にして他者に対して敬意を払おうとしない。遠慮がなくて無礼な人。ああいう人だと理解して流せばいいのに、どうしても受け流す事ができないのは何故? 無遠慮に人のうちにズケズケと入り込んでくる、あの人は。エルとは一体なんなの……)


 現状に対する反発心と現状を受け入れつつある自分。二律背反アンビバレンツ想いがシーラを混乱させる。精神的に優位に立てないのは年齢の差と諦めが付く。けれど教会で鍛えられてきた自分が実力においてエル達より優位に立てない事実は、少なからず彼女を凹ませていた。


(弓の腕なら負けないと思ったのだけれど……)


 馬車で疾走中に見せたクロスボーの腕前は、エルフである自分の弓術すらも超えていた。「これでは自分は用無しではないか?」と考え込んでしまうのは無理もないが、イレギュラー・メンバーなのだから用無しもクソもあったものではないのだ。

 エルにしてみれば邪魔にならなければそれで良く、事実、シーラは役立たずとは遠い存在だった。ただ、あえて言えば経験が不足してるだけ。その点を憂いたからこそエルなりに教育しているのだが、あれを教育と受け取るかは人それぞれだろう。


(はあ…… もう少し役に立つと思っていたのですけれど) 


 不満は多々あるが、入浴を勧めてくれた好意は素直に嬉しかった。

 迷宮に潜っているとはいえ女性ならば奇麗に身だしなみを整えたいのだ。整えて見せたい相手がエルだとしても――ファルシアには気の毒だが、このときシーラの頭には彼の存在は抜け落ちていた――やはり異性を前にして意識はする。彼女は恋に恋する乙女なのだ。その対象としてエルが適当なのか意見が分かれるが。



 些末なことを考えながら湯船を眺めていると、時折不自然な波紋が浮かぶことにシーラはようやく気付く。最初は水滴が落ちたのかと考えていたが、何も動いていない筈なのに波紋が浮かんでいる。

 はっとすると、湯船から飛び出て何も見えない空間を睨みつける。 直後、今まで姿を隠していた魔眼が禍々しいまでの光と共に姿を現した。

 すかさず風圧の呪文を唱える。

 神聖魔法の中では威力はやや落ちるが、詠唱要らずの速攻性から割合重宝する呪文。風圧の呪文は水飛沫を上げながら襲いかかるが、魔眼の前まで来ると何事もなかったかのように消え失せた。


「えっ……」


 何が起きたか理解できないシーラは、馬車内と同じように呪文の発動に失敗したと理解して風圧の呪文を連射する。

 消滅、消滅、消滅。

 予定調和かなにかのように呪文は効果を発揮しない。風圧の呪文は比較的威力が落ちるとしても考えられない事態だった。

 混乱するシーラの動揺を読み取ったのか、魔眼はニタリと笑みを浮かべる。相手の真意が分からずとも自分が馬鹿にされている事だけは理解出来た。


(助けを呼ぶ? いえ、私だけで退けてみせます)


 根拠のない否定。

 相手の実力ばかりか正体すら不明だが、安易に他者へ頼ろうとする考えをシーラは受け入れたくなかった。「なんだ、こんな相手も一人で倒せないのか?! まったく、本当に使えない女だぜ」などと小馬鹿にするエルが声が頭の中で連呼する。

 自分を認めてほしい。

 その想いが相手の実力を読み取る余裕をシーラから奪い取っていた。



 ビチャッ、ビチャッ、ビチャッ。


 聴くに絶えない音と共に魔眼は体の周囲から無数の触手を出現させると、唾液のような液体と不快な臭いをまとった触手を鞭にようにしならせて襲いかかる。

 シーラを舐めているのか弄んでいるのかは判断出来ないが、実に単調な動きだった。それでも回避する度、風圧で吹き飛ばれそうになる。鎧も無しで食らえば只では済まない。受けに回りすぎては、いつか敗れる。


「ここです!」 


 手刀打ち気味に右腕を振り下ろす。

 一閃というに相応しいタイミングで狙い定めた一撃をカウンター気味に叩き込む。

 神官戦士は神聖魔法だけでなく剣術や体術にも優れている。いざとなれば己の体を武器とする。シーラはそこまで体術を得意としないが、それでも使えないわけでない。

 斬れないまでも撃ち落とすには充分な威力だと思った。回し蹴りなら尚よいと分かっているが素っ裸の状態で蹴りを放てばどうなるかを考えると、乙女であるシーラは羞恥心が勝ってしまう。

 それが、そもそも間違いだった。

 カウンター気味に叩きつけたにもかかわらず、威力不足で払い落とし切れなかった触手がシーラを突き飛ばす。

 急いで立ち上がろうとするが触手は何本もあるのだ。攻撃に回らなった何本かは、最初からシーラを捕獲する機会を狙っていた。足をばたつかせ必死に払いのけようとするものの、そのうちに一本が右足首に巻き付く。

 四肢を踏ん張っていない状態でも耐えるのが困難なのに不安定ない状態でどうにかできる筈もなく、ズルズルと湯船の方に引っ張り寄せられる


(御免なさい、みんな。御免なさい、エル)


 このまま湯船に引きずり込まれ溺れ死ぬのを半ば覚悟したが、魔眼の行動は予測を超えるものだった。湯船近くまで引きずり込むと彼女を辱めるように捕縛し始める。

 


 数分後。

 

 

 両足を完全に捕縛されていた。

 獲物を弄ぶような攻撃を左手で払いのけ、右手で裸体を隠すことでどうにか上半身は守り通しているが両足を拘束されているので、この場から逃れる術はもうない。

 涙目になりながら神聖魔法を唱えるが、風圧の呪文と同様に命中する直前で書き消える。無情にして冷酷な事実。何故無効化されるのかは理解出来ないが、何度唱えようとも光の神々の威光は魔眼に届かない。


「助けて! お願い、誰か助けて!!」


 必死に叫ぶけれども誰の返答もない。

 壁一つ隔てているだけなのに、ヴァハの返答もなかった。

 不測の事態とはいえ自分がこれほど無力な存在だったのだとは思いもしなかった。過信と言われればそれまでだが迷宮内でエルに嫌がらせ混じりの教育を受けても、それでも尚、いざとなれば自分の力だけで前に進めるとどこかで信じていた。

 エル達の助力は助かる。

 けれど、教会の秘蔵っ子の二つ名は伊達ではないという自負と自信。その自信が過信にすぎなかった事を嫌という程思い知らされる。絶望的な状況に涙が出てくるのが止まらなかった。

 無力、無力、無力。

 教会に入信して10年かけて築き上げてきた自信が、音を立てて崩れ落ちていく。


 陥落させた都市を敵兵が無慈悲に蹂躙するように、魔眼は容赦なく襲いかかり触手を裸体に絡みつかせる。体を巻きついていく触手の色は、黄緑色というおどろおどろしい姿。その不気味な触手が足を舐めるように這い上がってくる気色悪い感覚。唾液で舐めまわされるような不快さは心理的にもとても耐えがたい。


(そう、耐えがたい筈なのに……)


 独特の異臭は放つ液体は体ばかりか神経までも麻痺させる。不快な筈なのに徐々に受け入れようとしている、その事実にシーラは戸惑う。このまま全てを委ねてしまったらどれほど楽だろう、と心の中で誰かが囁く。


「……来ないで。こっちに来ないで」


 不快さが快楽に変化しつつあっても、シーラの心はまだ折れていない。「なにを恐れているの?」と誘惑する声に必死に抗い、両足を閉じて女性として大事な部分を隠そうしているが、それすらも不可能になりつつある。

 舐めまわすように自分を見つめる、あの視線。

 魔眼が狙っているのが命ではなく乙女としての全てだと、女性の本能で冷酷に告げる。

 

 犯されるのだ、あんな化け物に。

  

 なによりも恐ろしいのが犯されるということではなく、自分があの化けモノに犯されたいと思い始めている事実。あんな化けもの奪われるために操を守ってきたわけではないと必死に否定する自分と、あんな猛々しい存在だからこそ操を捧げたいと想い始めている自分。

 両者の主張が頭の中でせめぎ合い、徐々に否定する自分を否定し始める。



(――私はこんなことのために迷宮に潜ったんじゃない)

(違うでしょう。あの方に彼に抱かれたいために、あの方に全てを捧げるために迷宮に来たのよ)

(違います!)

(なにが違うの? なにを恐れるの?)

(御神託の言葉を信じて迷宮にきたのよ。剣の間に眠る聖剣ティルフィングを手に入れれば、この悪夢から逃れられるという言葉を信じて)

(嘘よ、貴方は知っていた筈。迷宮に来ればあの方に会うと知っていた筈よ。それでもやってきた。それこそが事実、それこそが真実よ)

(そんな筈ないです。なにかの間違いです)

(男の方には知られたくないわよね、絶対に。あの猛々しく禍々しく、あの方に抱かれるために迷宮にやって来たなんて、恥知らずなこと言える筈がないわ!)

(私は自分を護る来たのよ。奪われるためにじゃない、絶対に!)

(だったらエルにその通りに話せばいいじゃない。かなり捻た殿方だけど本当に女性が困っていれば助けてくれる筈よ。彼が貴方を守り切れるかは分からないけれど守ってはくれる。それをどうしてしないの? 素直に事情を話さないということは、つまりそういうことでしょう?)



 積み上げて来た自己の目的を自分によって否定され、指摘される矛盾に言いかえす事が難しくなっていく。どれだけ自己弁護しようとも相手が自分だけに嘘を貫き通すのは不可能。

 何が正しく何が間違っているのかも判断出来なくなっていく。

 泣きだしたい状況に恐怖し肌が逆立つが、それすらもゾクッと感じている結果なのかもしれない。


 魔眼はシーラをより観賞しやすくするため、さらに多数の触手をシーラにまとわりつかせる。子癪にも触手を払いのけていた左手も裸体を隠していた右手も拘束されてしまう。

 もう、彼女は身をよじって裸体を隠すことすら間々ならない。

 徐々に湯船から持ち上げられ、魔眼の眼前で全てを晒されようとしていた。


「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。ヴァハさん、マックス、ファルシア、エルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」


 シーラは絶望のあまり半ば狂乱状態になりかけた。

 彼女の心が今まさに折れようとしているところで、ヴァハが乱入してきたのだった。

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