第十四話
◇第十四話
入浴場には十人くらいが同時に入れそうな大きな湯船があった。
湯船には大量の湯が文字通り湯水の如く注ぎこまれている。源泉かけ流しという無駄使いは、入浴場近くにある源泉から噴出する湯量が豊富だから可能な所業であろう。
風情を醸し出すため岩石と岩石を無数に組み合わせて湯船を造り、その周りに多少の木々を配置することで、この場が山奥の秘湯のような印象を見る者に与える。
建設にかかった多額の費用は、全て冒険者達の自腹である。
湯船を造るだけのために地上から岩石を持ち込むなど正気とは思えないが、娯楽に飢えていた彼等は悪い意味において金と労力を惜しまなかった。
伊達と酔狂ここに極まれり。
「源泉かけ流しなのは入浴場の近くにあり、その源泉が有り余るほどの湯量を噴出しているから良しとしよう。だが、湯船建設に投じた資金は臣民が享受できる贅沢を超えてはいないか?」
戸惑いや反発の声も当然あった。
その中心にいたのが自発的ながら迷宮探索に協力している教会関係者である。
曰く、『過ぎた贅沢はやがて身を滅ぼす』と。
教会が道徳心を説くのはいつものことであり、誰かが憎まれ口を叩かなければ社会が成り立たないのは中世故であろう。
迷宮は教会の影響外だが、異論を唱えるのに誰もが躊躇した。
そう、本来躊躇する筈なのだが、いつの世も空気を読まない馬鹿者はいるもので、どこぞの馬鹿者が述べた発言が議論の逃れを変えてしまった。
『糞坊主共がケチ臭いこと言うなよ。ビッグに行こうぜ、ビッグに!』と。
あまりに空気を読まない発言である。
同時に誰もが感じていた声でもあった。
皆が思ったのだ。
『死地を潜り抜けてここまで来たのだ。少しくらいの贅沢は許されてしかるべきだ』と。
心に思うことを発言するのは勇気がいる。なかには勇気と無謀を取り違える者達もいるが、このケースにおいては幸いしたのだろう。彼の発言は冒険者達の心を捉えてしまった。
圧倒的な支持の前に教会関係者が苦虫を噛みしめたのは、今でも語り草となっている。
ちなみに、この話には後日談がある。
発言をした当の冒険者は浪費癖が祟ったのか、冒険者を引退後に自己破産の憂き目にあったらしい。
教会関係者の主張にも一理あったのだ。
何事にも限度というものがあるという、良い一例であろう。
◇
ヴァハは、まだ入浴場に入って来なかった。
まだといっても時間にして数十秒にすぎない。それでも入口で待ちかまえて、少し驚かせてみようかとも考えていたシーラには、少し長すぎる時間だった。お陰で彼女の思惑は見事に外れていた。
素っ裸のまま入浴場の入り口で立ちつくす姿は、例え美少女であったとしても傍から見れば間抜け以外の何物でもない。
少しフレンドリーな対応で距離感を縮めようなどと考える発想は、シーラのというよりエルの発想に近い。らしくないと言えばらしくない態度である。
サプライズというには大したことはないが、年相応の悪戯をしたくなったのは神殿で良い子良い子していた反動なのだろう。どれほど出来た人間でも我慢をすれば反発が発生し、過ぎた我慢はいずれ爆発的な反発心となって表れるのは道理である。
迷宮という死地からの解放。
同性同士の安心感。
お風呂という独特の空間。
それらが絶妙に噛み合わさり、身に纏っていた猫の皮が剥がされていた。ヴァハとの入浴を勧めるという布石を打たれた段階で、こうなるのは必然だったのかもしれない。
堪りたまったストレスを、今まで他者に悟られずに生活していた筈なのだが、エルからは読まれていたのだろうか。もしエルが知れば「セクハラ紛いの行為も、後々への布石だぜぇ」と嘯くに決まっている。あれは絶対マジだと思うのだが。
いずれにしても、身に纏った殻を一枚一枚剥がされていたことを、まだ気付いていなかった。
(素っ裸で仁王立ちしているなんてハシタナイ行為ですし、なにより少し何か間抜けです。……ええ、分かっています、自分でも馬鹿な行為をしていると。でも、同性の方と一緒というのはやっぱりいいですよね)
無理やり自己正当化するが、未だヴァハは入って来ない。
いつまでも待っているわけにもいかず、流れ出る湯で体を洗い流すために湯船近くに移動することにした。
ほぼ同時に巨大な瞳が後を追うように移動する。瞳ではその禍々しさは伝わりにくいか、巨大な魔眼という方が適切だろう。
それにしてもいつの間に現れたのだろう。
存在をいままで悟らせなかったのは、保護色のように辺りの風景と同化していたためだ。見る人が見れば眩いまでに光輝いているのが分かるが、あくまでも見る人が見ればの話であり、やや浮かれ気味な精神状態で気付くのは無理があった。
流れ出る湯を桶に入れると、肩から湯をかけて汗を洗い流す。
流れ切らず体に残っていた雫は肌から弾かれ珠のようになる。
ようやく体を清めた清潔感から思わず体を反らすと、なだらかな双丘が実態以上に大きく自己主張する。
追いかけるように移動してきた巨大な魔眼は、彼女の姿を観察し続ける。
まるで覗きである。
折角の機会を逃さず、全てを目に焼きつけようとしているように見つめる様は、実にイヤラシイ。視線を感じたのかは分からないが、双丘の頂きが小生意気に大きくなっているような気がしないでもない。
彼女の変化に魔眼がさらに大きく見開く。
どこから声を発したのかは分からないが『ほう』と息を漏らす。それがキッカケなのかは分からないが、シーラの体に留まっていた珠のような雫が、一気に肩から流れ下りる。
途上にあるのは小さいながらも自己主張する女性の象徴。例え緩やかだろうとも傾斜は傾斜である。ジャンプ台のように飛び跳ね、奇麗な弧を描いた雫もあるにはあった。
大河に流れ込む支流のように体の各所で起きた変化は、徐々に合流を重ねると細くくびれた箇所でまとまっていき、最終的にある一点で滝のように流れ落ちる。その滝も一度流れ落ちると何事もなかったかのように消えてしまう。
水を一時的に蓄えられなかったのは、森に該当する部分がなかったからに他ならない。
木を見て森と叫ぶのは無理があるのだ。
(湯船に入る前に体を清める行為は、なんだか禊に似ています――馬鹿なことをいっていますね、私。それにしてもヴァハさんは遅いですね、仕方がないので湯船に入るとしましょう)
シーラの心の声を聞いた魔眼は、『これは!』と思い湯船側から全てを視界に収める決心をする。
リスクはある。
接近し過ぎれば気付かれる可能性はあるが、ここまできたら躊躇ことなど不可能である。『フッ、気付かれようともどうとでもなる。なにも恐れる必要があるか』などと、不敵な考えを抱く魔眼はいったい何者だろうか。
眩いまでに光輝くそれは、より怪しげな色彩を帯びつつあった。