第十三話
◇第十三話
入浴場には湯気が立ち込めていた。
おかげで湯船側からはシーラとヴァハの着替える姿は確認しづらい。某有名RPGの霧の呪文によって視界が遮られている、といえば想像しやすいだろう。
邪魔だ、湯気。
もう少しサービス精神を発揮しやがれ。
どれだけ愚痴を言おうとも見えないものは仕方ない。湯船側から詳細な描写をしようと考えていたが思惑が外れてしまったではないか。致し方ないので彼女達と同じく入り口側から状況を描写するとしよう。
◇
シーラはヴァハを覗きこむように観察する。ネストの入浴施設に来たのは初めてだが、入浴施設そのものを利用したことはあり、どのようにすれば良いかは当然知っていた。
それでも様子を窺うように観察してしまうのは、ヴァハがどのような人物なのか知らないということが大きかった。
シーラがヴァハについて知っている事と言えば、次のようなものだ。
深紅の全身甲冑に身を包む女性騎士。
ヴァハが身に付ける金属鎧の胸元は大きく前に出ており、恐らくはそういう体型なのだろう。
それだけである。
彼女の容姿は言うまでもなく、声すらも聞いたことがないのだ。他人に対して無関心な人物でもない限り、この機会に少しでも相手を知ろうと思うのは人として当然の感情であろう。それはエルフであろうとも同様である。
もっとも半ばエルに誘導された観があるのだが、その点にシーラが気付くことはなかった。
(最初は極端に無口な方かと思ったのですが、どうも違うようです。頷いたり身振り手振りで反応をされていますから、言葉の意味は理解されているのでしょうね。人見知りとは違うと思いますが、少し妙です。エル達がろくに説明してくれなかったのもありますが、私は本当に彼女のことを何も知りませんね)
「騎士ヴァハ、このお風呂に来たのは初めてですか? 私は初めて――というか迷宮に来たこと自体が初めてなのですが」
「……」
「エルにしては親切でしたよね。エルらしくない態度でしたので返って下心があるように思えてしまうのですが。いえ、いけませんね。聖職者が人を疑うなんて」
「……(コクン)……(フルフル)……(フルフル)……(コクン)」
終始無言のヴァハだが、微妙に首を動かしてシーラとの会話に反応を返す。傍から見たらシーラが独り言を呟いているようにしか見えないが、最低限の意思疎通は成り立っていた。
(無口とは違うようですが、今一つ掴み所のない人ですよね。……というか先程の会話、何気にエルを疑う私を非難しているような意思表示をしていたような? もしかしたら気を悪くされたのでしょうか)
不安になって様子をうかがうシーラの視線を意に返さず、ヴァハは身に付けていた深紅の全身甲冑を外し始める。最初は篭手。次に兜。
ようやく彼女の素顔を目にしたときの強烈な印象を、シーラは生涯忘れることがないだろう。
赤。
それは光の三原則の一つ。
食欲や性欲を刺激し、ともすれば人を狂わせる魔の色。
その身が燃えたぎっているのか? と勘違いさせるほどに強烈な赤だった。
そう、狂おしいくらいに赤い赤。
鮮烈にして強烈なまでの自己主張に、シーラはただただ圧倒された。
最初に目に入って来たのは、深紅の甲冑にも劣らない真っ赤な髪。
燃えるような深紅の長い髪は、鬣のように綺麗に整えられていた。自然にして不自然。先程まで兜を付けていたのだから少しはペシャンとしていてもいいのだが、そんな様子をまるで感じさせない。あるべくしてある、としか言いようがない見事な髪であった。髪も赤なら瞳も赤。唇も化粧がされているのか真っ赤。
肌の白さも相まって、赤で統一された色合いが強烈なまでに強調された。
目は猫のように大きく口元はキリッと引き締まっている。多分、気が強い人物なのだろう。その割には今まで交わしたコミュニケーションから、付き合い辛い印象を抱かなかったのは正直意外だった。
いずれにしても容姿も整っていて美しいのだが、容姿云々以前の話である。
一度見たら絶対に忘れない。いや、忘れることを許さない強烈なまでの個性がそこにあった。
(……奇麗。女性の私でも見惚れてしまう赤髪です。お風呂で洗ってあげたい。でも、ちょっと気になるような。異物が存在することを許さないような深紅で構成されたヴァハさんに、私は狂気というかどこか危うさを感じてしまいます。この感情は強烈な存在に対する嫉妬なのでしょうか。それとも神官の勘なのでしょうか。今まで感じた事のない感情です)
シーラが見入っている間にも、ヴァハはあっという間に鎧を脱いでしまう。
全身甲冑の装着脱着を一人で行うのは困難な筈なのだが、その素振りを全く感じさせなかったのはヴァハの武装が軽いのか慣れているからなのか。いずれにしてもシーラが気付いた時には既に脱着は済んでいた。
未だ肌着越しであるが、彼女の女性の象徴は鎧越しとほぼ同じ大きさだった。見惚れるように眺めていたシーラが、その事実を目にして軽く凹んだのは言うまでもない。
最初、ヴァハはそんなシーラを不思議そうに見ていたが、なにを勘違いしたのかシーラを脱がし始める。突然のことで状況把握が出来ないうちに、あれよあれよと言う間にチェインメイルの次に篭手やら装備まで解除されてしまう。手際が良いととるか脱がせなれているととるかは人それぞれ。
どうやら装備の脱着を一人で出来ないと誤解しているらしい。
「騎士ヴァハ、服くらい自分で脱げますから。というか恥ずかしいので止めて下さいませんか」
懇願するシーラを無視して今度は肌着に手をかける。言葉が通じないと判断してヴァハの手を上から抑え、言葉ではなく態度で拒否の意思を示す。それで納得してくれればいいのだが首を振って拒絶された。
着替えが出来ない手のかかる娘とでも認識しているのだろうか? いずれにしても肌着までも脱がされてしまう。入浴するのだから服を脱ぐのは当然だが、同性とはいえ他人に肌着まで脱がされるのは流石に気恥かしいらしく、シーラは思わず俯いてしまう。
産まれたままの姿にされて改めて再認識できるのだが、シーラは着痩せする体型ということはなかった。童ではないが女と呼ぶには慎ましい姿。それは上においても下においても、である。
シーラは十四歳なのだ、当然と言えば当然であろう。
一方、ヴァハは色々な意味で大人の女性の肉体であった。鍛え上げられた肉体は引き締まっているのに、女性の象徴が大きいのは実に矛盾している。
二人を例えるなら、猫と豹。
共に猫科であり猛禽類に分類されるが、その有り様は大きく異なる。
エルフである以上シーラの容姿も優れているのだが、個としての方向性が違いすぎた。華奢な体型が種の標準であるエルフが生涯望んだとしても得られない姿を見せ付けられ、複雑な感情を抱くのは無理もあるまい。
羨望と嫉妬が入り混じった感情をシーラは持て余していた。
聖職者であろうとも一人の女性である。
より年齢を重ね魂を昇華させれば違うのかもしれないが、未だ十四歳の少女なのだ。聖女と呼ばれる様になるには、まだまだ若すぎる年齢だった。
(固いのに丸みを帯びていて柔らかそうな肉体はアンバランスです。人の手で創り上げられたものに見えません。まるで神の手で命を吹きこまれた大理石像みたい。騎士ヴァハはエルが呼び出した方ですから人ではないでしょうし。ある意味当然と言えば当然でしょうが……)
などと考えて自分を納得させようとしているが、女性として自分が劣るという事実を突きつけられるのは地味にキツイ。
凹みつつもヴァハの裸体を羨望半分興味半分で観察していると、首のまわりに包帯を巻いているのに気が付く。包帯には血が滲んでいないことから治療目的とは思えない。まるで何かを隠しているような。そんな存在感があった。
(刺青や焼印を隠されているのでしょうか。民族的風習の可能性もあるので一概に言えませんが、地方によっては、罪人への見せしめとして傷を付けるケースもあるとか。神から下賜された肉体を傷付けるなんて罪深い行為だと教会は反対しているのですが。勿論、ヴァハさんがそうだとは言えないですが気にはなります。いえいえ、興味半分で触れてはいけない話題ですね)
それでも一度気になったら興味は止まらない。興味は言い過ぎか、好奇心を刺激されたというべきだろう。
シーラの視線を気にしたのだろうか、ヴァハは包帯を外すのを躊躇する。
なんとも言えない間が脱衣所を支配した。
先程衣服を脱がされたお返しとばかりに、シーラが包帯を外したとしても責められないだろう。
が、シーラは敢えてしなかった。
女性としての差を見せ付けられ、自分でも持て余し気味な嫉妬を感じても、元々シーラは心優しい悪い女性なのだ。なにより、よく分からない優越感が強引に外すという行為を拒否した。
シーラは「ふぅ」と小さく息を吐くと「先に入っていますね」と告げ、浴場に移動することにした。