第十二話
◇第十二話
入浴場は集積場から比較的近くに存在していた。
外から中が見えないように板で仕切られており、入口を潜ると脱衣場と露天式の温泉が存在する。当然ながら――あるいは残念ながら――男湯、女湯の区別が存在している。
何故、男女の区別が存在するのか?
ごく当たり前かもしれないが、割と奥が深い問題である。古代ローマは長い間混浴であったし、日本においても江戸時代までは一般的であった。
サイスにおいては教会が男女の区別をするように指導しているが、迷宮内は教会の力が及ばぬ地である。つまり冒険者達が自主的に設置しているということになるが、なぜ非常に残念な――いや良識ある行動をしているのだろう。
それには迷宮特有の事情が存在するのだが、先ずは冒険者の男女比率から話を始めるべきだろう。
冒険者の男女比率は、当然ながら男性に大きな偏りがある。
シーラや大魔術師ジェシカのような例が示すように女性冒険者も少なからず存在するが、あくまで存在するというレベルに過ぎない。比率で言えば8対2と言ったところ。この数字は意外に思うだろう。実際、傭兵や騎士においてはほぼゼロという状態から考えれば、冒険者は女性の社会進出が認められている数少ない職種である。
冒険者とは詰まるところ命のやり取りをする職業であり、傭兵や騎士と異なるのは相対するのが人か魔物かの違いに過ぎない。本来女性には不向きな職業であるが、絶対数が少ないスペルマスターには女性が多い傾向がある。鉄回収業者を目指すならいざ知らず冒険者として大成するつもりならば、スペルマスターは迷宮攻略に欠かす事のできない存在であった。
結果、男女混成パーティーが数多く誕生した。
勿論、傭兵団や騎士団でもスペルマスターを募集しているが、どこも台所事情が厳しいため報酬はある程度のレベルで抑えられているのが現状だ。一方、迷宮には多額の財宝が眠っている。両者を天秤にかけたとき、彼女達は騎士のロマンや英雄譚よりも報酬の高さを選んだと言えなくもなかった。
少し話が反れてしまったか。
8対2の比率をどう考えるかが問題なのだ。
トイレはいざ知らず、入浴施設まで別ける必要があるのか?
彼女達の絶対数が少ない実情を鑑みれば、二つ用意せずともよいのではないかと思うのは無理がないかもしれない。
気持ちは分かるが、些か浅はかな考えであろう。
冒険者達は死と生が隣り合わせの迷宮を潜り抜けて来るのだ。その彼らが安全地帯であるネストに来たとき、どのような感情に支配されるか考えてみるべきだろう。
死と接したとき、人は異様な性欲が出る傾向がある。
少し抑えがたい衝動的な性的欲求は理性的ではないかもしれないが、種の生存のため生命が持つ本能的な感情なのだろう。戦場を駆ける兵士とまで言わずとも、やたらと死体や殺人現場に遭遇しやすい職業の方々は体験するらしい。
迷宮を駆けまわる冒険者ならば尚更だった。
彼等の自制心など当てにしてはいけない。冒険者は専門機関で訓練された兵士ではないのだ。剣や魔術の稽古を受けた者はいるだろうが、逆に言えばその程度。第一、中世レベルの倫理感で行動されては何が起きるか知れたものではない。
解放的になった彼等が異性を求めない保証はないし、事実としてその傾向はあった。求める者が冒険者ならば求められる相手も冒険者。二つがぶつかれば血を見るどころの騒ぎでは済まない。
ラッキースケベが許されるのは漫画の世界だけである。
不測の事態を避けるため、男湯女湯が設置されたのはある意味必然だった。
一つ断って置きたいのだが、混浴が存在しないわけではない。
双方同意の上であれば、である。
いい加減な仕組みと思うかもしれない。その気持ちは分かる。迷宮は教会の影響下にはないため、縛りが緩いのは仕方ないのだ。
混浴の目的は様々である。
裸の付き合いをして交友を深めるのか、男女の仲を深めるか。エルのケースもこれに当たるのだろう。「死ね、リア充!」と叫び訴えたいが、個々人の自由なのだから仕方がない。
とはいえ混浴は主流ではない。
主流でないとしても混浴という曖昧なシステムが存在する。故に解放的になった馬鹿も現れるし、ラッキースケベを夢見る若人も存在する。
迷宮の本質とは、詰まるところ巨大な密室である。
外界との連絡手段を経たれ四方を壁に囲まれた状態で、魔物との凄まじい生存競争をする過酷な世界。それが迷宮だ。このような環境下に置かれているうち、彼等は徐々に精神の均衡が崩れ理性を失うケースが間々ある。
ネストのような安全地帯に出れば、一息ついたという安堵感からくる反動は凄まじいものであろう。その対象が偶々異性だったというだけに過ぎない。中には同性を求めるケースもあるのだろうが、そこまで責任は持てない。
異性を求めるのは男性だけに限った話ではなく、女性においても同じだった。
慎み深さはどうした?
言ったであろう、「死と接したとき、人は異様な性欲が出る傾向がある」と。
それゆえの防止装置が男湯女湯の区別である。
人とは、なんと業の深い生き物ではないだろうか。