第十話
◇第十話
広間に入ってから馬車の振動は少なくなっていた。石畳ではなく緑が存在する地面が広間を覆っているからだ。冒険者達が頻繁に通ると思われる場所は踏み固められているが、それでも石畳を走るよりも遥かに振動は少なかった。
エルとマックスは変化に気付いているが、防壁の呪文で振動を抑えているシーラとファルシアには分からない。呪文に頼るのも考えものである。
広間は迷宮内とは思えない程、緑が溢れているが、森の中という程ではない。精々、森の近くの集落と言ったところ。
緑が存在するのだから水もまた存在していた。
どこから湧き出ているのかは分からないが、湧水による小川が広間を横断するように流れていた。
差し詰め、この場所は砂漠の中のオアシス。
水の存在は本質的に人の精神を安らげるだけでなく、生命が存在するには不可欠である。冒険者たちが広間を迷宮探索の中継地と定め、バラックを建て施設を充実させていったのも道理であろう。
広間を照らし出す春の日差しのような柔らかで暖かな光は、カーテンにより遮光されているため車内に差し込む量は僅かであった。それでも外の変化にようやく気付いたシーラとファルシアは、安全な中継地に辿りついたことを理解した。
「エルフォード様、どうやらネストに無事辿りつけたようですな」
「そのようだな」
相槌を打つエルの言葉にシーラは首をかたげる。
それも無理はない。彼女が迷宮に入るまでの数時間に教わった基本知識に、ネストという単語は存在していないのだ。仮にネストが中継地を示しているのなら、キャンプの方が適当に思える。
ネストとは「巣」を意味する単語である。
少し気取っているかもしれないが、中継地としては適当な言葉とは思えない。よく言って過激派の活動拠点みたいなネーミングセンスだ。
「ネストとは、ここ第三キャンプの通称ですよ」
「それは分かりますが、中継地がネストだなんて少しどうかと思うのですが」
はてなマークを浮かべるシーラに、ファルシアはいつもながら丁寧に応対する。気が付くと言えばそれまでだが、マメな男である。
「ネストと呼ばれるようになった理由は定かではないですが、よく言われるのは、ある冒険者が読んだ詩が理由だとか」
「どんな詩なのですか?」
思わず、ファルシアは「しまった」というような表情を浮かべる。
会話の流れから考えて「どんな」と聞くのは半分社交辞令だろうが、聞かれたら答えるしかない。ファルシアは微妙な表情を浮かべ、「助けてよ」とエルに視線を送るが体よく無視された。
彼女の問いを拒絶出来れば良いのだが、それが出来ないのがファルシアなのだ。「はぁ」と小さな溜息を突いた後、やや気が進まないながらも詩を謡い始める。
「僕達はこの地をネストと定め、忙しなく行き来するスワロー。
雛のための餌を探す代わりに、金銀財宝を探す盗掘者。
死と隣り合わせの迷宮で、僅かばかりの金と、得られるか分からない名誉のために走り回る。
立ち塞がるのは魔物か? 迷宮そのものか?
気取るのはよそう。
本当のところ金も名誉も大した問題ではない。
求めるのは命を賭けたギリギリのギャンブル。
僕等はスリルを得るために、ネストと迷宮の間を忙しなく行き来するスワロー。
昨日も今日も、そして明日も」
「てね」と最後に付け加えながら、らしくもない台詞で格好付けるファルシアに、シーラは思わずクスッと笑ってしまった。「笑うなんてひどいよ」と、抗議するものの本気では怒っていない。自分でも詩的な台詞を吐くには童顔すぎるのは分かっているのだ。
そう、彼には根本的にダンディーさが足りない。
「だから、ネストなのね」
「そういうことです」
「けっ、くだらねぇ詩を謡いやがって」
退屈な説明話が終わったかと思えば、自己陶酔に浸って作られた三流ポエムを聞かされたのだから、エルが嫌気が差したのも無理がない。或いは、二人が和やかに会話していたのが気に入らなかっただけなのかもしれない。
いずれにしてもエルはやや嫌がらせ気味に馬車のカーテンを全開にする。
車内に光が急に差し込んできた。
「まぶしぃです」
明るさに耐えきれず、思わずシーラは両手で目を抑える。
エル達は変化に慣れているが、今日初めて迷宮に入ったシーラは、光苔が放つ淡い光に目が慣れていたため眩し過ぎた。
「ふっ、まあそうなるよな」
「だよねぇ」
「ですな」
エル、ファルシア、マックスは、三者三様ながらにシーラの反応を楽しむ。誰一人エルを窘めなかったのは、中継地に入ったことで緊張が緩んだのだろう。
「楽しんでいないでカーテンを閉めて下さい」
「無駄な行為はしない方が良いぜ。おっと、ネストが中継地だからと言っても気を緩めすぎるのはなしだ。不足の事態はいつ起きるか分からない、なんて常識的な問題じゃない。稀にネストに魔物が攻撃をしてくる例がある。そのときになって眩しすぎて戦いにならなかった、なんざ笑い話にもならないぜ」
「でもでも、急に目は慣れません」
「まあまあ、シーラさん。こればかりはエルの言い分が正しいよ。それに早く目が慣れた方が休息を楽しめるしね」
「私は迷宮に遊びに来たわけではありません!」
ファルシアの仲裁を誤解したシーラは、座席から立ちあがり抗議の声を上げる。
エルと違い別に悪意があっての発言ではないのだが、シーラは子供扱いされると過剰に反応する傾向があるのを失念していた。「まいったな」と苦笑いを浮かべる。
コンコン
車内の空気を察したのか、御者をしているヴァハが壁を叩いて何かを知らせる。
「どうやら着いたようですぞ、エルフォード様」
「体力仕事は任せた、マックス」
「任されました。お主もだぞ、ファルシア」
「分かっているって。第一、僕はエルじゃないからサボったりしないよ」
「従者の身でありながら、エルフォード様を侮辱するなど十年早いわ。この小童が!」
「僕はアイツの従者じゃない!」
「そうともエルフォード様の第一の従者は、この不肖マックスなのだ。貴様など二番目以下じゃわ」
ガハハッと大笑いしているマックスの様子から、本気でファルシアを怒っていないのだろう。迷宮に入ったばかりの頃のシーラは二人のやり取りをハラハラしながら見ていたが、今ではそれほど気にしなくなっていた。
(多分、これがガイスト・クライシスなりのリラックス方法なのでしょうね。聖職者が他者を揶揄するのはどうかと思いますが……)
マックスはファルシアの首を、後ろからむずりと掴む。
厳密には、爪先立ちしても首に手が届かないので襟を掴んでいた。ドワーフの怪力でそのような行為をすれば、どうなるかは予想がつくだろう。
「絞まる、絞まっているよ」と抗議の声を上げているが、その声は無視してファルシアと共に馬車から下りていく。
少し乱暴な対応であるが、マックスの脳内カースト制度において、ファルシアは下位に位置するのだから仕方がない。下位といっても、あくまで相対的に考えての話である。「エルフォード様の第一の従者」が口癖の彼にとって、ファルシアはある意味ライバルなのだ。多少の張り合いもあるのだろう。
(スッ、スキンシップですよね?)
困惑するシーラをエルはニヤニヤしながら見つめている。
「何か言いたい事があるのですか」
「べ・つ・に」
「はっきり言って下さい。エルの態度は一々私を逆なでして不愉快ですが、どうせ不愉快なら、ちゃんと言ってもらった方が遥かにマシです」
「そうか?」
「そうです」
「いやなぁ。『教会の秘蔵ッ子』と事前に聞いていたから、どんな珠かと思っていたが。案外、俺達の流儀に染まるのが早かったなと思ってな」
「……私はサイスの出身者ではないですから。元々は森の中で暮らしていた、しがない森の民にすぎません」
「それほど気にするものかねぇ。俺には都市エルフか森エルフの違いにしか思えんぜ。ようは田舎者ということだろう?」
触れて欲しくない問題なのだと察したエルは争点を暈そうとするが、シーラは力なく首を振る。
「『教会の秘蔵ッ子』と怖れ多い呼ばれ方をしていますが、私は卑しい身分の出なのです」
「自分をそういう風に卑下するのは感心しないぜ。マックスにしても元は諸国放浪の生臭坊主だし、ファルシアに至っては庭師の息子だ。あいつ等が卑しい存在だとでも言うのか?!」
エルの語気が珍しく強くなる。
この話題はシーラだけでなく、エルにとっても微妙な問題であった。
サイスは建国の歴史が浅いこともあり、階級はそれほど固定化されていない。実力さえあれば平民が騎士となる道は存在するが、それでも身分の差は確実に存在していた。
(階級が存在するのは事実です。当たり前の事実なのに、エルはなにに苛々しているのでしょうか)
「ファルシアやマックスを卑下しているのではありません。ですが、私が下賤な出自なのは事実です。貴族や王族のような高貴な方々からまでも敬われ、『教会の秘蔵ッ子』と呼ばれるのが嫌なのです。分かりますか、私の気持ちが?!」
「そんなもの知るわけねぇだろう」
エルは鼻で笑うが、気不味い空気は変わらない。
一瞬の沈黙。
「――その割には、容赦なくぶん殴ってくれたじゃねぇか」
「はっ?」
なにを言いたいか分からず、間の抜けた声を出してしまう。
「俺はこれでも貴族の三男坊なんだぜ。くそ親父から勘当されちまっているが、これでも元は貴族様だ。俺が高貴で怖れ多い存在に見えるか?」
「……見えません」
予想もしなかった告白に、シーラは直ぐに反応できなかった。
「はっきり言ってくれるなぁ」
ニヤニヤ笑う不真面目な態度に最初は嘘を言っているのかと思ったが、エルの目だけは珍しく真面目だった。シーラも神に使える身だ。真実を述べているか否かを見分ける目はある。その彼女の目から見ても、虚偽の発言をしているようには見えなかった。
「貴族だ王族だと偉ぶったところで、100年程前は平民と大して変わらない生活をしていたんだぜ。今でこそ外面を気にして装っているが、あいつ等が高貴で怖れ多い存在なわけがねぇ。まあ、俺のくそ親父は今でも相当に口が悪いがな」
「……お父様のお名前を聞いても良いでしょうか?」
「アレン卿と言えば、多少は聞いたことがあるだろうぜ」
思わず、シーラの顔が緩む。
自分を飾らない自然さは、教会に出入りする高貴な方々の中でも異彩を放っていたのでよく覚えていたのだ。
(あの口の悪い御仁の御子息でしたか、大胆で不敵なところがよく似ています)
「アレン卿と言えば、昨年、キャメロン大司教様と取っ組み合いして大騒ぎになりましたね」
「あの二人は、あれで結構仲が良いんだぜ」
思わず、シーラはクスッと笑ってしまった。