第三話
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「ラームチャンドラ・バクティ老師は、バクティ、という名前からもお分かりのとおり、ヒンドゥー教のヴィシュヌ派の行者です」
バクティというのは、ヴィシュヌ神に、身も心も捧げ、帰依する、という意味である。もっとも、シヴァ神に帰依するバクティ派というものもあるにはある。しかし、ヴィシュヌに帰依するバクティ派と比べれば、微々たるものである。どっちにしろ、阿弥陀の本願に縋る、というのと近いかも知れない。
僕は、立ち上がって、もう一杯紅茶を出そうとした。メフィストは、構わず言葉を続ける。
「昨日は、ラームチャンドラ・バクティ老師が、一ヶ月に亘る断食の修行を終えるはずの日でした。そこで、朝、弟子の叡愼が断食明けのヨーグルトを持って師の僧房に赴くと、殺された師の遺骸を発見したというわけです」
ティーバッグなので、紅茶はすぐに出た。冷たいミルクを添えて、メフィスト氏に差し出す。メフィスト氏は、軽く会釈をする。なかなかクールで、様になった仕草だ。
「その部屋、僧房に鍵はかかっていなかったんですね」
「そうです。しかし、さっきも言いましたが、普通の人間には、と言うより悪魔や天使でも侵入は不可能でしょう。少なくとも、私にはできません。で、天使も悪魔も事件に関係していない。少なくとも、どちらもそう言っています」
熱い紅茶を啜った。
「今のところ、神も仏も無関係と見るしかありません。菩薩は、一応仏の一種と考えていいと思います」
仏は分かるが、神はどうだろう。仏は、元来修行した人間がなるものだから、解脱する人間に対する嫉妬とは無縁だろう。しかし、メフィスト氏の立場からすれば、神々、殊にヤハウェまでは疑えないのだろう。
「そこで、容疑者は、ラームチャンドラ老師と同等の法力を有する聖者に絞られてきました」
「その聖者たちには、テレキネシスとか、テレポートとかの能力はあるんですか」
「ええ、もちろん。その程度のちゃちな超能力などは、彼らが有する神通力としては初歩の初歩です」
「では、例えば、テレキネシスで凶器の花瓶を操った、とか、テレポートで僧房内に瞬間移動した、とかいうのは駄目ですか」
「ええ、駄目です」
にべもない。
「さっきも言いましたが、ラームチャンドラ老師の自室は、彼の結界で守られていました。動物の縄張りのことはご存知ですか」
唐突な話題の転換についていけなかった。
「熱帯魚のグッピーの、二匹の雄が争っていたとします。そのとき、一方が劣勢になって逃げ出しても、自分の縄張りに入ると、途端に強気になって反撃に転じるのです。優勢で追っていた側も、相手の縄張りに入ると急に守勢に回ってしまいます。縄張り争いをする鳥などでも、同様のことが見られます。動物は、自分の縄張りの中では強気になるし、相手の縄張りの中では実力を発揮できないものなのです」
ああ、その話なら、聞いたことがある。人間の社会でも、同じようなものだ。
「神通力を持つ修行者たちの中でも、似たようなことが見られます。どの修行者も、自分の張った結界内では、外より強くなるのです。逆に、他人の張った結界内では、実力よりも弱くなってしまいます」
うなずきながら、紅茶を啜る。自分が、少しずつ興味を惹かれていくのが分かる。本当は、こんな風に込み入った話を聞くときはコーヒーのほうがいいのだが、今は豆を碾くのが面倒だ。
「ですから、ラームチャンドラ老師の法力は、自分の結界内ではすこぶる強力だったと推定できます。しかも、問題になっている聖者たちの中でも、ラームチャンドラ老師の法力は強大なほうだったようです。その結界内で、他の行者が、テレキネシスを使えたはずがありません」
僕は、深く納得して頷いてしまった。
「ですから、当然、いきなりテレポーテーションで僧房に現れることもできたはずがありません」
不意に思いついた。
「式神とか、使い魔を使った、なんていうのも駄目ですか?」
「駄目です。そんな下級妖魔ごときが、ラームチャンドラ・バクティ老師の結界に入れるはずがありません。私でも、ラームチャンドラ老師の許しなくして老師の結界にはいることは不可能です」
これは困った。殺害手段がないではないか。
「ですから、理の当然として、犯人は自分の足で歩いて僧房に入り、手で花瓶を振り上げ、それを振り下ろしてラームチャンドラ老師を撲殺する、という、すこぶる原始的な手段に訴えたことになります」
ううむ、何とも情けないことになってしまった。しかし、果たしてラームチャンドラ老師はその間黙って殺されるがままになっていたものだろうか。僕の疑問を見透かしたかのように(実際、見透かしたのかも知れない。なにしろ悪魔だ)、メフィスト氏が言った。
「ラームチャンドラ老師が、断食明けだったことを思い出してください。ヨガで鍛えてはいますが、断食で弱った身体ではそういう原始的な手段に抵抗できなかった可能性はあります」
少し違和感はある。だが、そうとでも考えなければ、辻褄は合わない。しかし……。
「そういう手段なら、何も容疑者は、聖者たちに限る必要はないんじゃありませんか」
「ドッキネーショル寺院が、次元の裏側にあることを思い出してください。通常の人間には、そこを見出すことさえできません。まして、侵入するなど、不可能です。それに」
メフィスト氏は、皮肉そうに唇を歪めながら続ける。
「いくら断食明けで弱っていると言っても、ラームチャンドラ老師の法力は強力です。それに対抗するには、やはり同程度の法力の持ち主でなくてはならないでしょう」
「動機は……、なんですか?」
いくら状況がそういう事情を示唆していても、やはり神秘的な修行に明け暮れる聖者が殺人というのは考え難い。
「やはり、妬みだろう……、と思います。ラームチャンドラ・バクティ老師は、近々、神秘の修行者としては最終目標である解脱にいたることが出来るまでに修行が進んでいた、という噂があったそうです。同じ神秘修行に明け暮れる者としては、先に解脱されることが面白くなかったのではないでしょうか」
メフィスト氏自身、納得していないのだろう、歯切れが悪い。なにしろ、殺人は大罪だ。今までの修行が、全て水の泡になるのではないだろうか。
「もしかすると、私たち悪魔ごときには、想像を絶する神秘的な理由があるのかも知れませんが」
メフィスト氏が、熱い紅茶を吹きながら啜った。僕は、カップを回しながら考え込む。なんだか、微妙な違和感があるが、はっきりと捉えきれない。
「すると、さっきおっしゃったとおりに、犯人は自分の足でラームチャンドラ老師の部屋に入り、花瓶を振り上げたということになるわけですか。すこぶる散文的ですね」
「もちろん、部屋の近くまではテレポートしたでしょうね。結局は、アリバイを検証しなければならなくなります」
おやおや、僕は、ミステリーでも、足を使ったアリバイ崩しというやつはどうも苦手だ。少しげんなりする。
「もちろん、容疑者のもとには、私の魔力でお連れします。足は疲れませんよ」
メフィスト氏が、なぜかまたふっと笑った。僕も、釣られて笑ってしまう。
「で、どんな人が容疑者に挙がっているんですか」
「一応、今のところ五人の名前が挙がっています。ラームチャンドラ・バクティ老師ほどの聖者に対抗できる法力の持ち主というと、世界中でもそのくらいしかいないんですよ」
「その五人は、みんな悪魔や天使をも凌ぐほどの力を持っているんですか」
「はい、遺憾ながら」
メフィスト氏が、情けなさそうにうつむいた。
「で、その五人ですが」
メフィスト氏は、すぐに気を取り直したようだった。
「まず一人目が、同じヒンドゥー教徒で、ヨガ行者のバイラヴァ老師です。彼は、ヴィシュヌ派に対立するシヴァ派の行者なので、ラームチャンドラ老師に殺意を抱く可能性は充分あります。ヴィシュヌ派が、シヴァ派より先に解脱するなど許せん、ということですね」
僕は、先を促すように小さく頷いた。
「次に、カトリックの聖者である、聖ジェズアルドです。アッシジの聖フランチェスコの師匠だったという噂があります。アッシジの修道所に住んでいます」
「え、アッシジの聖フランチェスコの弟子ではなくて、聖フランチェスコがその聖ジェズアルドの弟子なんですか?」
「そうです」
私は、思わず口笛を吹いた。こうして歴史上の人物が出てくると、話にぐっと親近感が湧く。しかし、非現実味も増す。何しろ、聖フランチェスコは十二世紀から十三世紀にかけて活躍した聖人だ。その師匠が、今生きているはずがない。
だけど、そんな僕の疑念には構わずに、メフィスト氏は続ける。
「さらに、イスラム教の神秘主義者、スーフィー聖者である、アル・ビスターミー師がいます。この人は、ちょっと変わった場所に住んでいますよ」
メフィスト氏が、おかしそうに笑った。
「イスラム教徒にも、神秘主義者がいるんですからねえ。高校時代に習った常識とは、偉く違う」
おやおや、メフィスト氏にも、高校時代があったのだろうか。
神秘主義というのは、人間が修行を積んで、世界に遍在している神秘的な実在を直接的に体験することだと思う。場合によっては、そういう真実在、神と合一することを指しもするだろう。
こういう考え方は、確かに世界中の宗教にある。しかし、この宇宙から超越している絶対神ヤハウェやアッラーを信仰するキリスト教、イスラム教にはそぐわない感じがする。ところが、意外にもこうしたセム系一神教にも、神秘主義の系譜があるのだ。
もちろん、神がこの世界に遍満している、という理解は{ルビ パンセイズム}汎神論{/ルビ}に繋がる。それで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のセム族一神教では、一応異端扱いされてはいるのだが。
僕がそう考えると、その思考を見抜いたのだろう。メフィスト氏が、小さく肩を震わせて苦笑した。
「確かに、公式的にはそうですよね。セム系一神教と神秘主義は、相性が悪い」
メフィスト氏の表情が寛いだものになる。やはり、ヒンドゥー教の話題より、キリスト教の話題のほうが落ち着くのだろう。
「でも、やはり人間というのは、世界とは無縁な超越神だけを信仰することはできないのですね。キリスト教にも神秘思想が存在し、聖者が存在します。同じように、イスラム教にもスーフィズムと呼ばれる神秘思想があり、スーフィー聖者といわれる聖者がいるんですよね。まあ、お父さんには、釈迦に説法ですが」
「案外、人間が体験し、考えることなんて、そうそう差はないものなのでしょうね」
「そうです。まあ、同じ神秘体験をどういう風に解釈するかは、解釈する人の文化的な背景によるわけですがね」
僕が頷くのを見て、メフィスト氏も、小さく頷いた。
神秘体験というのは、究極的には神との合一だろう。しかし、この同じ神との合一体験も、宗教的文化の背景が違うとまるで違う風に解釈されてしまう。ヒンドゥー教文明圏では、ウパニシャッドの昔から、この神との合一体験は神聖視されてきた。〈タット トヴァム アシ〉、〈汝はそれである〉、というのはもっとも神聖な言葉とされている。この場合、〝汝〟とは人間の個我、アートマンを指し、〝それ〟は究極の宇宙原理であるブラフマンを指す。つまり、この言葉は、アートマンとブラフマンとは同じものであると言っているのだ。
これに対して、イスラム教圏や、キリスト教圏では、この同じ神秘体験が全く違う風に解釈される。イスラム教の神秘主義をスーフィズムと言うが、このスーフィズムの根幹を創り上げた偉大な神秘家の一人、フサイン・マンスール・ハッラージュは、その究極の神秘体験の果てに〈アナル ハック〉、〈我は真理なり〉と叫んだ。真理というのは、神アッラーに属する九十九の美名の一つであるから、これは〝我は神なり〟、と言ったに等しい。言っている内容は、〝汝はそれなり〟、と同じである。なのに、ハッラージュは、神を冒涜する異端者として首を吊られ、その体は焼かれて灰はチグリス川に投げ捨てられた。
こんな風に、同じ神との合一体験も、それを肯定的に見る文化圏と、否定的に見る文化圏とでは、扱われ方がまるで違うのだ。
なんてことを考えていると、メフィストが次の話題に移った。
「ちょっと話が逸れましたね。次に名前が挙がるのが、チベット仏教の狂仏である、パンチェン・フトクト師です」
「狂仏ですか?」
ニョンパ、狂仏とは、読んで字のごとく狂った仏のことだ。夢枕獏という小説家の小説で広まったので、覚えている人も多いかも知れない。
ニョンパは、タントラという、セックスを修行の一環とする一派に属する。ちなみに、タントラはヒンドゥー教でもよく知られた修行法だ。
ニョンパの多くは、ドゥクパという法統に属する。いずれも十五世紀に現れた、ツァンニァン=ヘルーカ、ウンニョン=クンガン=サンポ、ドゥルクパ=クンレゲの三聖者の時代に最盛期を迎えた。悟りを開いた仏であるが故の、奇行が多い。
「ええ、ご存知のように、狂仏というのは、チベット密教で非常に修行が進んだ段階の僧を呼ぶ呼び名です。禅宗なんかでも、悟った古仏が、ちょっと聞くと非常識な、気違いじみたことを言いますよね。あれと似たようなものだと思って下さい。とにかく、日常的な安寧をぶち壊すようなことばかり口にしますから、驚かないで下さい」
メフィスト氏も、僕の日常を脅かすような、蠱惑的な笑みを浮かべながら言った。
「これで、四人ですね。最後が、龍門海上人と言います。こちらは、日本の湯殿山に住んでいますね」
「湯殿山というと、即身仏と関係があるんですか」
一応、湯殿山には行ったことがある。朱鷺子も、一緒だったのだ。ちょっと心がうずく。
「ええ、そうです。まさに、その即身仏を目指して、修行の最中というわけです」
「なるほど、それで五人ですか。それにしても……」
「え」
「バランスが悪いですね。ラームチャンドラ・バクティ師も含めて、六人の聖者のうち、ヒンドゥー教関係が二人、仏教関係が二人、キリスト教、イスラム教が一人ずつ。世界の、信者の人口と全く比例していない。仙人もいないし、ヤキインディアンの呪術師なんかにも、いそうなもんですが」
「そうですね。やはり、セム系の、超越神を信じる一神教では、神秘主義は人気がありませんね。神秘的な修行で超常的な体験をする、という発想がない。どうしても、インド関係の宗教、仏教、ヒンドゥー教のほうが、神と合一したり、自身が仏になったりするのに抵抗がないんですね。仙人や、呪術師に関しては、修行が進んだ聖者はいますが、悪魔をもしのぐ、とまではいかないようです」
まあ、頷けなくもない。
「では、とにかく現場に行ってみましょう。唯一の証人である、弟子の叡愼とも会っていただかなければなりませんしね」
僕が、同意すると、メフィストはまた指をパチンと鳴らした。