第十四話
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「メフィスト」
聖ジェズアルドに呼びかけられて、メフィストは、ちょっと緊張した顔をした。そんな表情も、クールでなかなかいい。菫色の瞳と、辺り一面を埋め尽くしている薔薇の真紅とが、うまく映えている。
「君は、動物なら、会話ができるんでしたね」
「はい、あの、そのー」
「なら目の前のミジンコに証言を聞きなさい。彼は、確かにその二日前の午前二時から午前四時までこの薔薇の中にいましたよ」
「しかし……、ミジンコと会話ができるかなあ……」
ぼそ、っと呟くように言った。
「しかたがない。やってみますか」
メフィストは、渋々、という風にミジンコに向かっていった。
「ええっと、何とお呼びすればいいのかな、ミジンコ君」
「彼の名前は、サイムルだよ」
「ええっと、ではサイムル君」
心なしか、ミジンコの注意が、メフィストの方に向いたように見えた。
でも、なんだか茶番くさかった。
すると、ミジンコがどうやって空気を振動させているのか分からないが、明瞭な意味を持つ答えをした。
「なんですかい。悪魔の旦那」
「ほう、良かった。話ができるんだね」
「でも、手短かにお願いしやすぜ。こんな風に、注意を極度に集中しているのは、苦手でやんす」
「おっと、失礼。では、二日前の午前二時から午前四時まで、聖ジェズアルドは、この花園にいたかね」
「ああ、その時間なら、確かにジェズアルドさんは、月に説法していた。月に説法だなんて、ご苦労なこって。これでいいかい」
「ああ、ありがとう」
明らかに、ミジンコの興味が、メフィストから逸れた。そして、向こうの方に泳いでいってしまった。
「では」
こう言って、聖ジェズアルドがウィンクすると、今度はぐんぐん僕らは大きくなっていった。そして、昆虫ぐらいの大きさになると、一体停止して、薔薇の花から降りた。また大きくなっていって、普通の大きさに戻った。
まあ、納得して、僕はメフィストに訊いた。
「どうかな、メフィスト。この件に関しては、ラームチャンドラ老師の呪縛で、たとえミジンコといえども偽証はできないんだよね」
「ええ、そうです。ただ、ミジンコに、証言能力があるのかどうか。それだけの知能を、あのサイムル君が持っているのかどうかについては、まだ考慮の余地がありますが」
と、
「やいやい、この唐変木。おめえ、俺を馬鹿呼ばわりするのか」
驚いた。サイムル君の声は、僕の口から出たのだ。
聖ジェズアルドが、くすくす笑っている。
「こ、これは失礼」
メフィストが、薔薇の花に向かって謝った。
「分かりゃあいいってことよ」
僕の口は、そう言うと黙ってしまった。
「しかし」
恐る恐る、僕は発音してみた。良かった。僕の声だ。サイムル君の声ではない。
「しかしですねえ、この一連の茶番劇が、聖ジェズアルドの法力によるやらせでないと、誰が言い切れますか? メフィストに、あなたたち聖者の法力は、悪魔の魔力より超絶的に勝っていると聞きました。なら、メフィストに気付かれないように、テレキネシスでミジンコがしゃべっているかのようなシーンを演じることは可能なはずです」
僕は、あくまでも、このいかにも聖人、聖人したお爺さんが、いけ好かない野郎である、という見解を変えるつもりはない。疑えるだけ、疑ってみよう。
「なるほど、なるほど」
聖者は、鷹揚に、うんうんと頷いている。
「そうそう、今思い出しました。二日前の午前二時から午前四時までではなく、午前三時前後の二十分ぐらいなら、私がここで月に説法していたことを証明できる者がおります。今呼びますから、それまで、あちらでお茶でも飲みながら待ちましょう」
聖ジェズアルドが指さす方向に、それまで気付かなかった小さな洋館があった。気付かなかったのも道理。かなりの遠方で、小さく見えている。赤煉瓦造りらしく、くすんだ赤茶色に見える。
僕たちは、その洋館に向かって、そぞろ歩いた。