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7話

 体重を乗せると木製の階段がキシリと音を立てる。

 そろそろ慣れ始めた音を耳にしながら、二階へと昇っていく。


 ここは冒険者ギルドと提携している宿屋だ。冒険者なら通常より安い値段で滞在できる。

 そんな宿屋の一つがこの街における俺たちの住処だった。


 新人冒険者が宿泊する宿屋は古めかしく、それほど広くもない。だが、俺としては別に不満はなかった。

 ここよりよほどひどい環境で過ごした経験もあるし、連邦での冒険者時代や、その後も野宿など数えきれないほどやってきた。

 それと比べれば雨風しのげる天井と壁があり、固くとも寝られるベッドがあるなら十分だろう。


 ただ、ルナリスは不満らしい。

 アルゴは元からそんな細かなことを気にする神経は持ち合わせておらず、リュシアも囚われていた時よりずっとマシだと気にしていないが、女神はもう少し良いところに泊まりたいとのことだ。


 その願いを叶えてやってもいいのだが、もうしばらくは待ったほうがいいだろう。

 リュシアが試験官だったガーレンを倒したことはあっという間に冒険者ギルド内で広まってしまった。そのせいで俺たちは――正確にはリュシアは注目を浴びている。

 これっぽっちも嬉しくないことに。


 できることなら試験のあれはまぐれだったということにしたい。

 冒険者になった後の結果がパッとしなければ、次第に周りもそう考えるようになるだろう。所詮はたったの一戦だけでのことだ。

 あのガーレンという試験官は元は凄腕の冒険者だったらしいが、引退したのは随分と昔のことなので、不覚を取ったとしても不思議ではない。本人はともかく周りにはそう考える人間が出てくる。


 そのため俺たちはここ最近、平均的なFランクの冒険者が行なうような依頼だけをこなし、日銭を稼いでいる。


 他の街に行くことも考えたが、冒険者ギルドというのは大陸全土に広がる組織らしく、

たとえ街を移ろうとも各街、各国を行き来する冒険者たちが噂を広めていってしまう。

 顔などを直接知られていなければバレにくいが、どこに行こうと多少の影響は出るならわざわざ別の街まで行く価値があるのか微妙なところだ。

 そんなことなら、やはり実際は大した実力がなかったという新たな噂で上書きされたほうが良いだろう。


 また、できればこの街を離れたくない。

 料理が旨いからだ。


 このエルアの街はエルアード王国という国の首都であり、国中から様々な物が集まってくる。大河と海に面していることで新鮮な魚が毎日陸揚げされ、刺し身を出している店もあった。


 やはり暮らしていくなら料理が旨いかどうかは重要だと思う。

 美味いものが嫌いな人間はいないだろう。好みはあるとしても、平均的な料理の水準というものはある。

 宿屋に不満をこぼすルナリスも、料理の味には文句は言わない。


 このまま様子を見て、注目が薄れてきたらEランクを目指してみることを考えている。

 我らの女神にはもうしばらく我慢をしてもらおう。


「よお、アルゴ。帰ってたのか」


 部屋の鍵が開いていたので、いることは分かっていた。


 俺とアルゴが借りている二人部屋に入ると、赤髪の邪神が床で座禅を組み瞑想をしているところだった。

 神力の回復に努めているのだ。

 何もしなくても時間経過で少しずつ回復していくが、このように精神を高め、研ぎ澄ますことでより多く回復する。

 劇的な差があるというほどでもないが、やらないよりはマシである。


 俺の声に集中が途切れたのか、アルゴは閉じていた目をゆっくり開くと、こちらに顔を向けてきた。


「まあな。女どもは?」

「まだ帰ってないみたいだ」


 あの二人は買い物に行っている。着替えや日用品、あとはブラブラと街の見物だ。

 女の買い物に付き合うのは遠慮したいので、今日はほとんど別行動をしている。


 朝から依頼をこなし、その後は自由行動となっていたので、いつものように鍛錬を終えた俺はそれから余った時間で街を散策していた。


「それじゃあ二人が帰ってきたら夕食に行くか。新しい店を見つけたからそこにしよう」

「構わねぇぜ」


 何を食べるか頭のなかで思い浮かべながら、俺は自分のベッドに腰を下ろした。

 そんな風に平凡な一日は過ぎていった。






 ◆◇◆






「なぜだ、なぜあの娘がいてこの程度の依頼しか受けていない?」


 冒険者ギルドにある自室で、ガーレンは疑問を口から漏らした。

 机の上に広がっている書類は、彼が最近もっとも注目しているパーティの成果が書かれたものだ。

 そこに特筆すべき点はない。どれもFランク冒険者なら誰でも達成できる依頼ばかりだ。


 冒険者ランクによって受けられる依頼は決まっており、もっとも下であるFランクなら大した依頼は受けられないが、新人冒険者でも才能のある者たちはその限られた選択肢の中からより難易度の高いものを選ぶことで早めにランクを上げていく。


 Fランクとは見習い期間のようなものだ。Eランクになってからが冒険者として本当の意味での本番である。

 だというのに、あのパーティはまだFランクのままだ。あれだけの才能がある娘がいるならもうEランクに上がれていてもいいはずなのに。


「まさか、他の3人が足を引っ張っているのか?」


 その可能性はある。試験の時を思い出しながらガーレンは独りごちた。


 あの娘――リュシアと違い、他の3人は大した実力はなかったと思う。

 こちらの予想どおりの動きしかせず、Fランクとして合格水準にあることを確かめると、試験を終わらせようとそれまでより少しだけ高いレベルの一撃を出しただけで対応できなかった。


「もしそうなら、テコ入れが必要かもしれんな」


 要らぬ世話かもしれない。

 だが、仲良しパーティでいたいがために才能のある冒険者が埋もれていくことは過去にもあった。

 それもひとつの選択だろうが、あの娘の才能は埋もれてしまうにはあまりに惜しい。

 あのレイラ。エルアード王国における唯一のSSランクである最強の冒険者。

 彼女にすら匹敵するほどの才能を感じたのだ。


 そんないかなる宝石すら上回るほどの才能が芽吹くこと無く消えてしまうなど、もはや罪だ。

 それを見逃すことはガーレンにはできなかった。






 ◆◇◆






「合同依頼?」

「はい。参加するFランクの冒険者は、C、Dランクの冒険者パーティと一緒に依頼にあたってもらいます。新人冒険者に経験を積ませようという試みで実施されることになりました」


 先輩方の動きはきっと参考になることでしょう、と窓口の女職員はニコリと笑った。


 突然の事態に俺は少し戸惑った。

 いつものように依頼を受けようと朝から冒険者ギルドを訪れたらこれだ。


 だが、確かにそういうシステムがあってもおかしくない。

 新人を教育するためにベテランと組ませるというのは当たり前といえば当たり前だ。

 むしろ新人を放置せず、引っ張りあげてやろうというのだから良心的である。


 これといって疑問点がなかった俺は、確認するため背後の仲間に振り返った。


「どうする? 俺は受けていいと思うけど」

「問題ねぇだろ」

「ん。やろう」

「いいんじゃないかしら? もらえるポイントも高いみたいだし」


 全員が乗り気のようだ。

 依頼達成時のギルドポイントも平均的なFランクの依頼より高めだ。その代わりに報酬が少なめだが、これは仕方ないだろう。依頼の遂行はベテラン冒険者が中心となり、新人はそれを体験させてもらうという立場なのだから。


「では手続きを行います。今回組んでいただくパーティは後から参りますので、それまでギルド内でお待ちください」


 このギルドは首都にあるだけあって、建物内に外部の者でも利用できる食堂や喫茶店もある。

 手続きを終えた俺たちは、時間までそこで休憩することにした。






「現在地点はわかったのか?」


 コーヒーが入ったカップを持ちながら、ルナリスに確認する。


「一応は。連邦、同盟のどちらからも離れているわ。記録によると、このあたりにはそれほど大きな勢力はなかったはずよ」

「やれやれ、帰るのは大変そうだな」

「そうね。アルゴとリュシアの神力がある程度は回復するまでこの世界に滞在したほうがいいかもしれないわ」

「それだとだいぶ時間がかかんぞ? まだ全然戻っていねぇ」

「私も同じ」

「仕方ないでしょう? いざって時に神力が使えるか使えないかじゃぜんぜん違うわ」


 ルナリスの言うとおり、神力の有無はそのまま生死に直結するほどの重要事項だ。

 つい先日の皇女救出の時にも、神力が使えなかったら命はなかっただろう。


「そうだな、こうなりゃ長期休暇だと思ってゆっくりしていくか」

「休暇ねぇ」

「無理して帰還できなくなる方が問題だろ。せっかくだし、この世界を楽しもうぜ」

「ん」


 ミルクたっぷりのカフェオレを飲んでいたリュシアが賛成する。


「せっかく冒険者をするなら、色々なところに行きたい」

「そうそう。焦ってもいいことないさ」


 どうせなら、この世界にいる間に自分を鍛え直したいものだ。

 まだまだ俺は弱い。

 いざという時に力不足で泣きたくはない。


 それからもしばらく雑談をしていると、ギルドの職員がやってきた。今回組むことになるパーティが到着したことの連絡だ。






 会計を済ませてロビーにまで戻ると、五人の冒険者が俺たちを待っていた。

 全員が人間の男だ。

 戦士がふたりに、僧侶とシーフがひとりずつ。最後のひとりは荷物運び《ポーター》のようだ。

 その中のひとり、金属製の胸当てを着けた戦士が声をかけてきた。


「君たちが今回組む新人冒険者だな? 僕はダニエル。このパーティのリーダーを務めている」


 誠実そうな人物だ。友好的な笑みを浮かべている。

 ただ噂は知っているようで、ちらりと横目でリュシアを見たことに俺は気がついた。


「僕たちはこれでもCランクでね、今回の依頼はFランクの君たちには少しキツイかもしれないが、僕たちが守ってみせるので安心してついてきて欲しい」


 今回の合同依頼における新人冒険者の引率役はC、Dランクの冒険者だったはずだ。

 そこからより高位であるCランクのパーティが割り当てられるのは、やはりリュシアのことが関係しているのだろうか。


 互いに自己紹介を終えるとさっそく出発となった。

 今回の依頼内容は、村の近くに出る魔物の討伐である。

 エルアの西の街道を徒歩で半日ほど行ったあたりに村があるそうだ。


 澄み渡る青空のもと、短い旅が始まった。


 街道の近くにまで広がる麦畑では、朝から汗を流す人々の姿がある。

 一陣の強風にあおられた麦補が一斉に音を奏でる様は、まるで陸に生まれた波音のようだ。


 遠くに視線を飛ばせば雄大な大河。

 漁をしている漁船や、荷物や客を運んで緩やかな流れを昇る船、対岸への渡し船といった多くの船が行き来している。


 先に進むと街道から少し離れた場所に湖があり、動物が水を飲んでいる光景が目に入った。


 見上げる空は高く、蒼い。白い雲がゆっくりと流れていく。

 絶好の旅日和だ。






「噂には聞いていたけど、本当に君があのガーレンさんに勝ったのか?」


 昼休みとして木陰で昼食を食べている時、ダニエルがリュシアに声をかけてきた。疑い半分といった口調だ。他のダニエルのパーティメンバーも話に耳を傾けている。


「たまたま。まぐれ」


 千切ったパンを口にしながらリュシアは答える。


「しかし、あのガーレンさんが偶然で負けるなんて信じられないな」

「そういうこともある」

「そうかな?」

「次はきっと私が負ける」


 その後も質問は続いたが、リュシアは同じような返答であしらい続ける。


 俺は昼食を食べながらその様子を眺めていた。

 彼女には悪いと思うが、本人の口から否定するのが一番だろう。


 そう考え、俺はまた一口かぶりついた。

 パンに挟んである分厚いハムの濃厚な旨みが口の中に広がる。


 これも美味しいが、先ほどの魚のサンドイッチも良かった。タルタルソースに近い味付けのソースが実によくあっていて、一気に食べてしまった。

 とはいえ濃い味付けばかりで口の中が疲れてしまう。俺は鞄から水筒を取り出した。


 ここでは亜空間に荷物を収納しておくのは一般的ではないので、ダミーとして俺たちは全員このような鞄を用意している。

 ダミーとはいえ、実際に食料や小物類を入れて使っているので見せかけだけではない。


 武器も同じくだ。

 俺たちの本来の武器は、新人冒険者が持っているには不自然な代物だ。

 また、これまで出会った魔物たちにはオーバーキルも甚だしいので、それぞれ武具店で適当な物を購入してある。

 俺は安売りされていたブロードソードだ。今は腰から外して、すぐ傍の地面に置いている。


 水筒の水で口の中を洗い流し、リセットされた味覚でふたたびハムサンドを食べる。

 やはり美味い。

 こういった美味しい食事があると生きる活力が湧いてくる。


「ああ~、俺いま幸せだわ。このまま寝ちまいたいな」


 腹が膨れて眠気が襲ってきた。

 太陽が照りつけているが、木陰は涼しく、微風が肌を優しく撫でていく。

 ここで昼寝ができればさぞかし気持が良いことだろう。


「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ」


 すでに食べ終わって本を読んでいたルナリスが、ページから目を離さず言ってきた。

 エルアの街の図書館で借りた小説らしい。

 本を借りる時に保証金が必要だが、本の返却時に預けた金は戻ってくるシステムになっている。


「でもアルゴを見てみろよ」


 俺は指さした。

 一番に食べ終わるなり、すぐさま横になって寝始めたのだ。


「アイツは放っておきなさい」


 やはり本から視線を動かすことなくルナリスは言った。

 ぞんざいな態度だ。


「あの……」

「うん?」


 遠慮がちな声に座ったまま振り返ると、少年がこちらを見下ろしていた。

 荷物運び役の彼だ。柔らかな金髪が風に揺れている。

 確か名前は、ルフィンだったはず。


「なんだい?」

「いえ、その、怖くないのかなと」

「怖い?」


 なにか危険があるだろうか。この平和そのものの風景に。


「だってこれから魔物と戦うんですよ? 街の近くに出るような普通の動物と変わらないようなのではなく、本物の化け物と。なのにあんな風に昼寝したり、本を読んだり、まるで安全な街中にいるみたいに気を抜いているから」

「ああ、なるほど」


 普通は緊張するものかもしれない。特に新人冒険者ならば。

 Fランクにとっては本来受けることのできない難易度の依頼だ。そこに出てくる敵は、新人冒険者にとってこれまで遭遇したことのない強敵だろう。


「あなた方も僕と同じFランクですよね?」

「君も冒険者なのか?」

「ええ、最近冒険者になったばかりです。ソロでやってるんですが、大変ですよ」


 少年は苦笑する。

 ふと頭に記憶がよぎった。よく見れば見覚えがある。

 俺たちが試験を受けたときに訓練場で怒鳴られながら剣を振っていた少年だ。


「今回の合同依頼はいい経験になると思いまして。それで荷物運びでもいいからと参加させてもらえるようお願いしたんです」


 どうやらFランクなら誰でもこの合同依頼に参加できる訳ではないらしい。

 ベテランの冒険者の手が空いていて、なおかつ新人を引き連れても達成できる依頼となると数が限られるのだから不思議ではない。

 しかし、俺たちはギルド側からこの依頼を紹介された。初めから枠が与えられていたのだ。

 理由はリュシアだろう。それ以外に思いつかない。


「彼女――リュシアさんは凄いですよね。試験の時見てました。あのガーレンさんに勝ってしまうなんて信じられなかったです」


 憧れの眼差しで、ルフィンはリュシアを見る。

 だが、見られていることに気がついた少女がこちらを向くと、あわてて目をそらした。


「み、みなさんは辛くないですか? あんな才能がある人が一緒で。劣等感を感じたりしませんか?」

「え? そ、そういうのも、無きにしも非ずのような気がしなくもない……かな?」


 自分でも何を言っているのか分からないが、本当のことを言えないので誤魔化すしかない。


「あ、でもルフィンには魔力があるだろ」

「えっ!? 分かるんですか?」

「ああ。俺も少しだけ魔法が使えるからな」

「凄いです! つまりユキトさんは魔法戦士ってことですよね!?」

「そうなるのかな?」


 改めて自分が魔法戦士だといわれても違和感がある。

 連邦では魔法が使えない戦士なんていなかったので、魔法戦士という区分は設けられていなかった。

 どんなに魔法の才能がなかろうが、最低限の魔力を強制的に目覚めさせる薬があったのだ。

 ただ、死ぬほど不味いらしい。

 俺は幸いお世話になることはなかったが、この方法で魔力に目覚めたある人物はあんな不味い薬を飲むぐらいなら魔法が使えなくても良かったと言っていた。


「ギルドで魔法は教えてもらえないのか?」

「魔法は料金が高いんです。剣術を教えてもらうだけで精一杯の僕には手が出せませんよ」


 どうやら訓練費用が必要のようだ。

 無料で教えてくれるほど甘くないということか。


「あ、あの」

「どうした?」

「僕に、魔法を教えてもらえませんか?」

「え?」


 咄嗟に言葉を返せなかった。


「やっぱりダメですよね? タダで魔法を教えてもらおうなんて僕はなんて厚かましいんだろう。すみません、今の言葉は忘れてください」


 凄い早口だ。

 きっと初めから断られると予想していたのだろう。

 それでもあえて口に出した。必死なのだ。強くなりたいと。


 惜しむらくは俺の答えを聞く前に諦めたことだ。

 そこは断られようとも粘るべきところだろう。


 だが、恥いるように顔を伏せるルフィンを見ていると、手助けしてやりたい気持ちが湧いてくる。

 思えば『断絶界』に堕ちてから多くの人たちに助けられた。そういった恩人たちがいなければ、俺は今ここにはいなかったに違いない。


「どう思う?」

「好きにしたらいいんじゃない?」


 女神は素っ気ない。

 仕方ないか。頼まれているのは俺だ。ならば俺が考え、俺が答えを出さないといけない。


「俺は大して魔法を使えないぞ? それでもいいのか?」

「えっ!? お、教えてくれるんですか?」


 弾かれたようにルフィンは頭を上げた。驚愕と歓喜が入り混じった表情をしている。


「あくまで基本的なことだけな。それでもいいなら」

「いいです! ありがとうございます!」


 またしても深々と頭を下げるルフィン。お辞儀の角度が九十度を超えている。

 俺はそれを見て苦笑してしまった。

 まあ、少しぐらいだったらいいだろう。






 村に着くと、夕日で空が赤く染まっていた。

 依頼を受けた冒険者であることをダニエルが伝えると、すぐに村長宅へ案内され、今回相手をする魔物についての詳しい説明があった。


 敵は魔獣キマイラだ。

 村の近くの森に最近になって出没するようになったらしい。


 キマイラとは複数の生物を混ぜあわせた合成獣であり、通常は自然に生まれるものではない。子孫を残す能力があったキマイラが繁殖することはあるが、稀なことだ。

 今回のキマイラはどこかの魔法使いが創りだしたのが逃げたか、あるいは捨てられたかして村の近隣にまでやってきたのではないかと、ダニエルは自らの推測を語った。


 また、村人の証言から森の奥にある洞窟がキマイラの巣になっていることが判明した。

 以前はそこを森の主と恐れられていた巨大なクマが根城にしていたのだが、キマイラが現れるようになってパタリと姿を見せなくなった。

 おそらくキマイラにやられたのだろう。


 必要な情報が集め終わるとすぐさま出発となった。

 目標のキマイラは昼間に活動し、夜は巣で眠っている。そこを襲撃するためだ。


 猟師の村人に案内され、夜の森の中を進む。屋根のように頭上を覆う木々が月や星明りを遮り、ランタンの明かりだけでは十分な視界は確保できない。

 俺は夜目が効くため支障はないが、ルフィンは何度も転びそうになっていた。


 途中で夜行性の獣を何度か目撃したが、俺たちに襲い掛かってくることはなかった。

 火を持っていることもあるが、村人を合わせれば十名にもなる集団だ。この人数相手では獣としても襲うのを躊躇するだろう。


「あれか」


 やがて洞窟が視界に入るところまで辿り着いた。

 ここまで来られたら道案内は必要ないので、村人には先に帰ってもらうことになった。


 洞窟の入口は思ったより広い。剣を振れるほどの高さと、複数人が並んで歩ける横幅がある。大きなキマイラが出入りできるサイズなのだからこれぐらいは必要なのだろう。


「君たちは弓で援護してくれ」


 洞窟に突入する前にダニエルから指示が飛ぶ。


 俺とアルゴ、ルナリスの手には弓がある。村で借りたものだ。

 ルナリスの本来の得物は弓なのだが、亜空間に収納せず持ち歩くなら面倒だということで、武器を買う時に値引きされていたロングソードを選んだ。

 そのためルナリスの弓も俺たちと同じものである。


 新人を後衛に配置するというのは納得できる。その割にはリュシアは前衛に立たせるというのが気にはなるが、ここは指示に従おう。


「まぁ、たまには飛び道具も面白ぇか」

「この弓、力を入れ過ぎたら弦が切れそうね」


 弓よりはまだ銃のほうが得意だが、そうは言っていられない。

 だが、確かに俺たちの力では慎重に扱わないと弓を壊してしまいそうだ。


「ルフィン、大丈夫か?」

「は、はい! 大丈夫です!」


 声が裏返っているが、それについては言わないでおこう。

 逃げ出さないだけでも立派である。


「さあ、行くぞ。いつ敵が出てきてもいいよう気を抜くな」


 ダニエルが先頭に立って洞窟に足を踏み入れる。それにダニエルのパーティとリュシアが続く。

 先頭グループから少し間隔を開けて俺とアルゴ、ルナリス。そして最後尾はルフィンである。


 洞窟は奥に行くほど広くなっていく。

 これなら戦闘は問題なく行えるだろう。弓の射線も確保できるはずだ。


 キマイラに気づかれにくいようにランタンの光量は最小限に絞っているため、足元もおぼつかないほど周囲は暗い。濃密な闇の中を掻い潜るように奥へと進んでいく。

 途中で足を取られやすい段差や穴が何度かあったので、念のためルフィンに伝えてやると感謝された。


 やがて前を行くダニエルたちが立ち止まった。壁を背にして、緩やかな曲がり道の向こうを確認している。


 声を出すことなく、手振りだけでその先にキマイラがいることを伝えてくる。

 俺もそっと顔を出して確認する。


 キマイラ。

 その姿はライオンの頭と山羊の胴体を持ち、背中からは翼が生え、尻尾は毒蛇という様々な生物の特徴が混在したものだ。その体長は3メートルを超え、立ち上がれば身の丈は2メートル近い。分厚い筋肉で覆われた肉体の重さは軽くトンを超え、自動車に匹敵するほどもある。


 いよいよ戦いが目前に迫ったことへの緊張に、ルフィンがつばを飲み込んだ。


 この時もう少し気を配ってやるべきだったかもしれない。緊張して周りへの注意が疎かになることは自然なことだ。


「あっ」


 ルフィンが足元の石に気がつかずに蹴っ飛ばしてしまった。

 乾いた音が洞窟内に反響する。


 ピクリと反応したキマイラが頭を持ち上げ、すぐに俺たちを発見した。

 唸り声を上げて威嚇してくる。


「気づかれたか。しかし相手は寝起きで動きが鈍いはずだ。一気にしとめるぞ」


 ダニエルは腰につけた袋から球を取り出すと、投擲モーションに入った。


「明かりの魔法球だ。直接見るなよ」


 天井で砕けた球が強い光を放ち、洞窟内が一気に明るくなる。


「恐れるな! 続け!!」


 ダニエルが剣を引き抜くと真っ先に飛び出し、メイスと盾を構えた重戦士と、シーフがそれに続く。


 僧侶の男は魔法の詠唱を始めている。守りの魔法を使うつもりだ。

 洞窟に入る前にかけなかったのは、あまり長くは効果が続かないためだろう。


 リュシアがチラリとこちらを見てきた。

 俺が頷くと、事前の指示のとおり少女もダニエルのパーティに混じって前線に加わった。


「で、俺たちは援護だな」


 俺は弓を構えた。

 軽く引き絞るだけで、弦が限界まで張り詰める。これ以上引いたら千切れるだろう。


 リュシアは上手く実力を抑えている。ダニエルたちの動きを観察し、それより少し劣る程度の速さ、精度にしている。

 それでもまだFランクとしては実力が高すぎるが、こればかりは仕方ない。あれ以下にまで水準を落とすとキマイラの攻撃を避けられなくなる。

 どうやら「リュシアは本当は大したことなかったんだよ作戦」は方針転換せざるを得ないようだ。


 ダニエルの剣撃を飛び退いて回避したキマイラが、反撃しようとする。

 それを妨害するため、俺は第一射を放った。


 命中。

 小さく呻いたキマイラは攻撃を中断し、俺を睨みつけてくる。


 頭を狙ったのだが、胴体に当たった。弓の威力が弱い。思ったより矢の速度が伸びなかった。これでは満足なダメージは与えられないだろう。


 キマイラが動くと、浅く刺さっていた矢が抜けた。皮膚を傷つけるのがやっとだったようだ。


 剛毛と頑丈な皮膚、強靭な筋肉を有するキマイラは、下手な鎧より防御力がある。

 この弓は普通の獣を狩るためには十分だとしても、キマイラのような魔獣を相手にするにはまるで力不足だ。


 それでも眼球や口の中なりに当たれば大きなダメージになるはずだが、ルナリスほどの弓を腕前は俺にはない。

 やってやれないことはないと思うが、百発百中とはいかないだろう。


 それほどの射撃は新人冒険者に不相応な業だ。この状況でそんな無理をする必要はない。


 キマイラが炎を吐き出した。

 だが、僧侶がかけていた魔法の守りがそれを防ぐ。火の粉を振り払い、盾の戦士がメイスを振るった。

 爪でそれを受け止めたキマイラ。そこを獣人のシーフがダガーで切りつける。赤い血が空中に線を引いた。


 怒りで咆哮し、キマイラがシーフに飛びかかる。それをアルゴの放った矢が阻んだ。

 横合いから顔へと飛んできた矢を避けるために魔獣は足を止め、忌々しそうに唸る。


 矢筒から次の矢を取り出し、弓につがえる。まだ残り十本ある。


 狙いは顔。ダメージではなく、気を散らせるのを目的とした一射。

 リュシアが攻撃しようとするのに合わせた矢がキマイラの注意をそらし、反応が遅れた魔獣の横っ面を遠心力で速度が乗った棍が打ち据える。


 頭を揺らされ、キマイラがふらついた。チャンスと見た盾の戦士が攻める。

 だが、尾の毒蛇がムチのようにしなって戦士を弾き飛ばした。

 鎧を着ていたおかげで重傷は避けられたようだが、その重量が災いしてすぐに立ち上がれず戦士は地面に転がったままもがく。


 キマイラがそれを見逃すはずがない。魔獣の瞳が殺意に染まる。


 そこで初めてルナリスが動いた。

 流れるような流麗さ。完璧なプロセスを経て、矢が放たれる。


 ルナリスの矢はキマイラの足元の地面に突き立った。わざと外したのだ。

 だが、絶妙なタイミングで繰り出されたその一撃により、今まさに飛び出す瞬間だったキマイラは動きの頭を抑えられ、その場で固まったように無防備な姿をさらす。


 そこにダニエルの剣が突き出された。

 喉から入った剣先が脊椎を貫き、キマイラに致命傷を与える。


 結果を確認することなく、剣を残したまま、すぐにダニエルは飛び退いた。

 僅かに遅れて太い腕が空を切る。


 最期の一撃が届かなかった無念に小さく唸り、キマイラは地に沈んだ。






「まいった、これは研ぎ直さないといけないな」


 キマイラの死体から剣を回収したダニエルが、頭をかきながら言った。

 本人がいうように、刃がボロボロだ。これでは刃物ではなく、鈍器としてしか使えないだろう。


「それはともかく、君たちは思ったよりやるな。リュシアさんだけのパーティかと思っていたが、良い援護だったよ。特に最後のあれは、ひょっとして狙ってやったのかい?」

「とんでもない。外した矢がたまたまいい所に行っただけよ」


 ルナリスが肩をすくめる。


「うん、まあそうだろうね。あれが狙ってできる人間は上位の冒険者にだって何人いることやら」


 流石にないか、とダニエルは首を振った。


「あの!」


 そこに戦闘に巻き込まれないように離れていたルフィンがやってきた。

 ダニエルの前に立つなり勢い良く頭を下げる。


「すみません! 僕のせいで敵に気づかれてしまって……」

「いや、それは僕の責任だ。もっと気を配ってやるべきだった。君のせいじゃないよ」


 同じ失敗を繰り返さなければいい、とダニエルはルフィンの肩をポンと叩いた。


 なかなかにできた人物だ。

 ミスを咎めることなく、リーダーである自分の責任だと考えられる人間は多くはない。

 他のダニエルのパーティメンバーもルフィンを責めるようなことはなく、労いの言葉をかけている。


 いいパーティだ。

 彼らと一緒に戦えてよかった。






 それからしばらくの時間を取り、キマイラの解体が行われた。

 その巨体の全ては持ち帰れないが、高価な素材となる部位だけでも回収しておかないと獣に食い散らかされては勿体無い。


 俺たちにも爪と翼の一部が譲られた。売ればそれなりの金額になるだろう。ありがたく受け取っておく。


 帰り道はランタンの光量を下げる必要はない。

 一度通った道ということもあり、行きと比べてずっと短い時間しか掛からなかった。


 やがて出口が見えてきた。

 このあたりになると道幅が狭くなり、全員が一度には通れない。


 ダニエルのパーティが前を行き、ルフィンもそちらに加わった。代わりにリュシアが俺の隣を歩いている。

 元々のパーティ編成に戻った形だ。


「お疲れさんだったなリュシア」

「大したことはしてない」

「そんなことはないさ」


 リュシアはギリギリに力を抑えながら戦い続けたのだ。

 その気苦労は後衛にいた俺たちよりずっと大きかっただろう。


「考えたんだけどさ、もう少し上のランクを目指してみようか?」


 目立たないようにしようとしてきたが、あまりに低い位置に居続けるのは返って大変だと分かった。

 むしろそちらの方が悪い意味で目立つ。

 同じ時期に冒険者になった連中に合わせて、俺たちのランクも上げていく方がいいかもしれない。

 周りと肩を並べている方が注目されにくいだろう。


「ん。良いと――」


 思う、と続くはずだった言葉が発せられることはなく、鋭い目つきでリュシアは正面に顔を戻した。俺と同じものを感じ取ったのだ。


 ダニエルたちが洞窟から出た瞬間だった。

 突如として殺気が膨れ上がった。


 待ち伏せ。


 不味いことに、ダニエルたちで出口が塞がっている。


「上だ! 避けろ!!」

「なに!?」


 完全な奇襲だった。

 咄嗟に腕の篭手で防御したダニエルが、強烈な打撃に吹き飛んだ。


 地面を砕いて巨大な獣が姿を現す。

 キマイラだ。

 一頭ではなかったのだ。


 着地と同時にキマイラが腕を振り回す。

 反応が遅れたダニエルのパーティがまとめて弾き飛ばされた。


 キマイラは真っ先にダニエルにトドメをさそうとする。

 彼の全身にこびり付いた同族の血の匂いがそれをさせたのだろうか。


 苦痛に呻いているダニエルは地面に倒れたままだ。


「やめろ!!」


 その前にひとりの人物が飛び出した。

 ルフィンだ。


 恐怖に顔をこわばらせながらも、キマイラの前に立ちふさがる。


 無謀だ。だが、勇気ある行動でもある。

 どちらと受け取るかは人それぞれだろうが、俺はそういった人間は嫌いじゃない。


 キマイラが全身に力を入れ、頭を仰け反らせた。炎のブレスの予備動作だ。二人をまとめて焼き払うつもりだ。


 もはや実力を隠すなどと言っていられない。

 俺は二人を助けるべく、足に力を込めた。他の仲間も同じだ。


「なに?」


 だが、飛び出す直前で俺は動きを止めた。

 突然ルフィンの周囲に風が渦巻き、障壁となったのだ。


 炎が風に遮られ二つに割れる。

 それだけにとどまらず、炎が途切れると風の障壁は刃に姿を変え、攻撃直後のキマイラを両断した。


 巨獣が崩れ落ち、小さな地響きが起こる。

 それを見届けたかのように風が鎮まり、静寂が訪れた。


「な、なにが……」


 目の前で倒れたキマイラを見下ろし、呆然とルフィンが立ち尽くす。


「い、今のは君がやったのか?」


 ダニエルがよろよろと立ち上がった。頭から血を流している。

 僧侶が駆け寄り、回復の魔法の詠唱を始めた。


「そんな……僕にそんな力があるわけがありません」


 困惑した様子でルフィンは自分の手を見つめる。

 本当に心当たりはなさそうだ。


 もしかしたら本人が知らないだけで何らかの加護があるのかもしれない。

 命の危機に直面したことでその力が発揮されたのだとしたら、今起こったことの説明がつく。


 しばらくの間ルフィンを観察するように見つめていたが、やがてダニエルはフッと表情を和らげた。


「まあいいさ」


 ダニエルは苦笑すると、バツが悪そうに言った。


「最後まで気を抜いてはいけない。この僕たちの失敗を君たちの教訓にしてくれ」


 その後、これ以上はキマイラがいないことを確認すると村へと戻り報告した。

 二頭もいたことに村長は驚愕して、報酬の追加を約束してくれた。

 この日は村で宿泊することになり、村人からの感謝として開かれたささやかな宴が今回の合同依頼の締めくくりとなった。








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