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世界には、二つの人種がいる。
一つは、言ってしまえばただの人。
そこら中に歩いている人。一般人。
今このファミレスないにも多数いるであろう一般人がそう。
昼時なので、人の出入りは盛んで、それに今日は日曜という絶好な外出日和だ。人であふれかえっている。
集団でキャラキャラと笑っている女の子達。お父さんとお母さん、それに小さな子供という、見ていてほほえましい家族。スーツを着て、ケータイを片手に忙しそうに食事を取るサラリーマン。さっきから悪い空気を周囲に散布しまくるカップルらしき男女。
ここにいる全ての人が、普通の人だろう。確証はないが。まぁきっと。それは、どこにだっている人。どんなな大富豪だって、どんな貧乏人だって。豊かな才能に満ち溢れている人も、愚かな人間も含まれる、何も持っていない人たちのことを指している。
で、もう一つの人種というのは、口にするのも恥ずかしいこと極まりないのだが、存在しまうのだから仕方がない。
異能の力を持つ者だ。
限られた、極わずかな人のみに宿る不思議な力。それは、世間では超能力といわれているものだけでなく、理解しがたい力の持ち主だっている。
いままで、何人かの異能者を見てきたけど、その力は人それぞれで、似ているものはあっても、同じものは存在しなかった。
今朝の雛葉黒雪。彼女もその一人。彼女は精神的要因で喋る事が出来ない。しかし物質を媒体にして自分の気持ちを他者に伝えることができる。大事そうに持っていた熊のぬいぐるみ。あれが彼女のいわば「伝達物質」なのだ。
彼女の真髄はそんなところではないのだけれど。ま、そんなこと今は関係ない。
それで、今俺の目の前にいる人物。一般人にして、異形の人物。パンドラアパートにいてもおかしくないような人。
俺の知人。駁射苓亮|<<まだらい れいすけ>>その人だ。
七年という歳月が彼を変えることはなかった。昔のままのあの人がここにいる。
「いやぁ、お久しぶりですね駁射さん。七年ぶりですね。」
「正確に言えば、六年と十ヶ月ぶりだが、まぁ確かに久しいな晴辰」
メガネをかけ、七三で、グレーのスーツ。ネクタイはきっと一ミリ単位でズレが生じていないだろう。彼の前に置かれている飲み物も、性格を表しているかのようにブラックコーヒーだ。いかにも堅物そうな人物が俺の目の前にえらそうに座っているのだった。
俺の一番古い友人が座っている。
「いや。この表現は適切じゃないんだったな。朝黒子ちゃんに注意されたばかりだというのに。進歩が無いな俺は」
「黒色は魔女の娘の事か?」
「あれぇ、さすが仕事早いですね駁射さん。俺の周辺状況は把握済みですか」
「概ねは。だが決して早いわけでない。お前がこっちに帰って来たのは三年前だろう。わざわざ出向く必要もなかったからな。適当に放置しておいたがそれでも一応の処置だ。三年もあれば十分情報は手に入る。お前が向こうで何をしていたのか、なぜ帰って来たのか。日本で何をやっているのかをな」
淡々と語る駁射さん。
「酷い話ですよ。せっかく愛弟子が帰ってきたというのに。『お帰り』の一言も凪いだなんて」
「弟子をとった覚えは毛頭ない」
「そうですか?俺はいろいろとノウハウを叩き込まれたつもりなんですが」
「どのあたりの記憶を美化しているのかは知らないが、私とお前との接触は七年前もそれ以前でも数えるほどだろう」
駁射さんは苦々しい顔をした。記憶にないけど、この人はこんな顔をする韃靼だな。
「今こうやってお前と会っているのも、不本意なんだ」
「でしょうね。さすがアルビノさん」
「・・・・・・その名で私を呼ぶな」
眉間にしわがよっていく。これは懐かしい光景だ。
「なかなか的を射ていると思いますよ」
アルビノ。それがこの人に課せられてしまった異名だ。普段は決して表に出ることはなく、ただ自分の手足となる部署のそのまた下っ端の組織を使って、この人は生きている。明るみに出てくることなく、自分の手は身は汚さない。ゆえにアルビノ。
「それにほら、実際白いじゃないですか肌が」
眼前の人物は何の反応もしなかった。少し怒らせてしまったらしい。苛立っているのだろうむしろ。
「・・・・・・・・・・・・本題に入ろう」
長い間が開いてようやく駁射さんはしゃべり始める。
さて、何が飛び出すのかな。
「仕事だ」
「わかってますよ、そのくらい」
俺が限られた時間をさらに切羽詰らせたのは確かだけど、こっちだってようやく回ってきた仕事なのだ。さっさと聞いて、準備に取り掛かりたい。
「ん、そういえば、私がお前に貸していたガバメントはどこにある。あれ特注だから返してもらいたいのだが」
「って、今度はあんたが話をそらすのかよ」
「無論だ。あれを返してもらうつもりでもあったからな。まさか、もって来ていないのか。だったら、取りに帰ってきてもらうぞ。次会う機会はいつになるかわからないのでな」
「置いてきたのは当たってますけど、太平洋の向こうです」
駁射さんは絶句していた。この表情はレアだ。
「仕方ないでしょう。アメリカに行ったときは駁射さんがチャーターしたプライベートジェットだったから、検問とかなかったですし。帰りは完全に実費だったですから」
「そうか。なら、諦めよう」
意外と諦めが早い人だった。ま、伊達に 『アルビノ』なん呼ばれているわけではないのだろう。
「早く仕事の話をしましょう。俺もふざけてましたけど、真面目な話し、そろそろピンチなんですよ」
贅沢をしているつもりはないのに、あのアパートに住んでいると何かと出費がかさむ。前回の失敗がさらに拍車をかけている。最後に以来を成功させたのは、三ヶ月前だけど、それだって決して報酬がよかったわけではない。切り詰めて、切り詰めた上で辿り着いてしまったピンチなのだ。
「本当はガスも電気も水道も止まっているはずなんですけど、大家さんに地面にめり込む暗い頭を下げて引き伸ばしてもらってるんですよ。これ以上伸ばしたら笑顔で追い出されます。きっと」
駁射さんなら一日中椅子に座っているだけでも金が入ってくるかもしれないが、俺にとって動かない事は死活問題だ。べつに路上生活が送れないわけではないが、仕事が終わった後に、安息の地に戻れることが俺にとっての生き甲斐だったりするので。
「どんな仕事でも請けますから。とりあえず契約金として家賃ぶんだけでも払ってください。この通り」
目の前で手を合わせてお願いをする。
だけど、必死な俺に引き換え駁射さんは相変わらず無表情だった。
そして。
「そうか、請けてくれるのか」
と言った。
ん?なんだろうその、ダメもとだったみたいな呟きは。ダメもとなんて、駁射さんにとっては、予定外と同じくらいに嫌いな言葉だろうに。七年間で変わってしまったのだろうか。ここまで変わればむしろ方向転換と言うべきか。
それにしても、悪い予感しかしないのは、気のせいなのかな。
「えーと、請けるといいましたけど、一応内容くらい聞かせてもらってもよろしいでしょうか。いくらか準備が必要ならいったん家に帰らないといけませんし」
考えれば考えるほど、怖気ついてしまいそうだ。
「そうか、請けてくれるか。この仕事はお前にしか出来ないからな」
俺にしか、出来ない仕事?
それは、どういうことだろう。俺は主に人助けを中心に仕事を請けているけど、それはべつに俺じゃなくても出来る。つまり普段とは違った趣向の仕事と言うことらしい。
なんというか、断りたくなってきた。
「仕事の内容というのは・・・・・・」
俺の心情を完璧に無視してくれて駁射さんは続ける。
「とある少女と同棲してもらいたい」
すでに俺は地雷を踏んでいたらしい。
なんだって?
「はい?」
簡単すぎる説明というのは余計に人を混乱させるもので。聞き取れたはずなのに聞き返してしまった。この色白は今なんておっしゃった?
「監視と言っていいかもしれないが」
言い方はこの際どうでもいいや。とにかく、この人の真意を聞きたい。
望みは薄いかもしれないけど、踏んでしまった地雷を撤去できるかもだ。
「何でそれが俺なんですか?ただ見張るだけなら俺以外でも出来るような」
「請けてくれるのだろう。それ以上聞く必要はないと思うが」
「ものすごく悪意を感じます」
「自意識過剰だ。無視しろ」
やっぱ、駄目っぽい。最初からわかってたけど。
「でもいんですか、少女って。俺も一応男ですよ。たとえば、溜まりに溜まった情欲をその少女にぶつけてしまっても」
「構わん」
うわー。言っちゃったよこの人。本人差し置いて俺達は何を話しているんだろうか。
「お前は基本的にその少女といっしょにいてくれればいい。そうであるなら、基本的には何をしてくれてもいい。友達になろうが、恋人にしようが好きにしろ。重要なのはお前が近くにいるということ。それがお前の仕事だ。簡単だろう」
「聞いている内はですが」
解からないことだらけで、怖さが膨れあがっていることがこの人には伝わらないのか?
「その少女を監視する理由はなんですか?狙われているのか、少女自身が危険なのかどっちです?」
「どちらも、だな」
「・・・・・・」
これは、難易度が読めないな。
少女自身の危険性は俺にとってたいした意味を持たない。狙われているのであれば、駁射さんのことだ、徹底したセキュリティで守ってくれるだろうから、外に情報が漏れることはおそらくないだろう。外に出ることを極力減らせばいい。不平不満を言われようとも、だ。
しかし両方となれば、また状況が変わりそうだ。危険な人物であるにもかかわらず、狙う。知っていて欲する。なかなか危険だ。
俺ではなく、その少女が。
「だからこそ、お前にやってもらいたい。これはお前にしか出来ない。彼女の性格からして逃げしたりしないだろうから、楽なもんだ」
駁射さんは、俺を見据えた。めがねを利き手ではない左手で上げる。それも懐かしい仕草だった。利き手の邪魔をしないための、彼らしい癖。
だから安心する。あの頃と変わっていないこの人を見ることが出来たことに。七年ぶりに頼ってくれる事に。
やってやろうじゃないか。
「いつからですか」
俺は駁射さんに挑戦的な目を向ける。
「お前の準備が整い次第、この場所に向かってくれ」
事務的に、必要最小限のことだけを言って駁射さんはメモ書きを渡してきた。まるでワードで書いたかのような字。
「変わりませんね、駁射さんは。あなたは時間の流れぐらいの力では変わらないんですね」
親愛の意を込めて俺は言う。
対して駁射さんは俺にこういってくれた。
「変わったな」
と。眼鏡の奥の瞳には、鋭い眼光ではなく、やさしい光が宿っていた。
「はじめて見たときは、生意気なガキだった。俺と過ごした六年でお前は少し大人びて、利用されている事を知っているのに、平然としていて。それでもやっぱりガキだった。だが」
目が離せなかった。俺は、この人の目があまり好きではなかったのに。この人の目から逃げるために、アメリカに行く話しを一もなく二もなく受け入れたのに。
今は、それが出来ない。
「そんな、目じゃなかったよ、お前は。濁っていた。嫌なものを見続けて、自分を守るためのフィルターを目に宿していた。それが今では、ない。濁りがすっかり取れている。アメリカでのことが堪えているのか。」
「家のおかげですよ。家族、でもいい。とある保護者と管理者に俺は言われたんです。」
憎むなって
世界を。運命を。人も罪も罰も。楽しく生きようとするだけで、人は力を持てるということを。
「まだ礼賛の情報網もたいしたことありませんね」
「情報はその人が何をしていたかは教えてくれるが、その人が何を感じていたかまでは教えてはくれない」
そういって、見るからに苦そうなブラックコーヒーを飲み干す駁射さん。この人は味覚まで制御で来てしまうのだろうか。俺にはきっと一生かかっても飲むことが出来ないと思う。
「ま、しっかり働かせてもらいますよ。ほかならぬあなたからの仕事ですから」
「そうか」
眼鏡をかけなおしながら、駁射さんは言う。
「頼んだぞ」
「ええ、頼まれましょう」
それから二人同時に立ち上がり、店の外へ向かう。
それぞれ、別の方向へ歩んでいった。