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Stand by Killer  作者: 3000/10/4
プロローグ
1/3

雨の日、暗闇の館にて

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。」

バシャン。

また一つ、水溜りを踏みつけてしまう。跳ね上げた水飛沫が革靴の中に入り、不快極まりないものとなっている。大粒の雨が肌を打ちつけ濡らす。それはスーツも同じで、水を吸い重くなっている。

ただ、今はそんなことはどうでもいい。とにかく急がなければならない。間に合わなければならない。この足を止めることは許されない。

昨夜から降り続く雨は、一日の三分の二を過ぎようとしているのにもかかわらず、晴れ渡る気配を一切見せない。どんより曇った空から際限なく水玉を落とし続けている。

 ズキリ

「うっ」

 先ほど痛めた左足首が軋む。やはり、車の運転などという普段まったく行わないことはすべきではない。無免許運転である上に、そもそも免許証を取れる年齢に達してすらいない。ここに来るまでに何度も事故まがいの行為をしたことか。バンパーは無残にも潰れ、フロントガラスをはじめとする防弾使用の窓ガラスは全て木っ端微塵になった。車体のあちこちに傷やへこみを作った挙句、とどめに大きな岩に正面衝突。あわや爆発するところだった。下手をすれば免許を永久に取得出来ないかもしれない。

 口の中も切ってしまったらしい。鉄の味がじわりとを支配口腔内していく。赤い唾を吐き捨て、どうにかその感覚を減らそうと努力する。

 目眩も、あるにはあるのだが、無視する。そうでもしないと、この足は止まってしまう。それだけは避けなければならない。

「頼むから、彼女だけは、殺さないでくれ」

 自分を奮い立たせるために何か喋ろうとして、自然と出たのがこのセリフだった。

 ずっと前から、嫌な予感は薄々感じていた。何かが起こる気がした。だけど、確信はなかった。

 この不安に向き合わないようにしていた。無いものにしようとしていた。だけどそれは、ただズルズルと問題を先延ばしにしていたに過ぎなかった。その不安が、今日本当になろうとは思いもよらなかった。

「いや、今日だから、か」

 仕事は非番で、普段なかなか取れない睡眠時間を一日でどうにかしようと、昼まで寝て、起きてからも、何をするわけでもなくボーっと過ごしていた。

 異変は、一本の同僚からの電話。

『お前の監視対象が消えた』

 その瞬間、俺の中に、モヤモヤと浮かんでいた不安が一点に終結し、形をなした。

 ただの勘でしかないが、ただの思い込みでしかないのかもしれないが、はっきりといえることは、この手の直感、当たってしまうのが、セオリーだ。

 痛い足を引きずり、痛む腹部を右手で抑え、走る。

 ようやく見えた、巨大な屋敷。

 とある少女が監禁されている、通称暗闇屋敷。遠めに見ても、駐在しているはずの監視員が見当たらない。おそらく、彼女の手によるものだろう。近づくにつれて、その詳細が眼に飛び込んでくる。皆、気絶しているかのように、目を閉じ倒れている。気絶している、というのはあくまで見た目的なものだ。実際は。

「死んでる・・・・・・な、全員」

 首筋に手を添えるが、何の反応も返ってこない。初めからわかりきっていること。ただし、外傷は一切ない。刃物による傷もない。銃で撃たれたわけでもない。生きていたままの人間がただの肉塊になってここにある。まるで、魂だけを抜き取られてしまっているかのように。血と骨と肉でできた精巧なる人形。

「・・・・・・綺麗だ」

これほどまでに完璧なる死体を作り出すなんて。だからこそ、彼女は、この世で最も恐れられ忌避されている。

 そして、ここにはこの世で最も醜悪な死体を作り出すあの人が収められている。

 何の因果か、今日彼女たちは出会ってしまった。

 それはきっと、俺のせいでしかないのだろう。

「だったら、阻止するのも、俺の、役目、だ」

 俺の体は、どうも長距離走にはむいていないらしかった。息も絶え絶えで、動悸も激しい。しかし、息が整うのを待ってはいられない。汗と雨でぬれている額をスーツの袖でぬぐうと、重厚な扉をゆっくりと開いた。

 冷たく重く張り裂けそうな空気が俺の体を包み込んだ。八月の真夏日だと言うのに、この場所だけ、異質な空気を作り出している。濡れた身体にこの空気は相性が悪い。だけど、それを気にしていられるほど、今の俺は冷静じゃない。屋敷の中は名前のとおり、真っ暗だ。それもそのはず。この屋敷は、彼女が何も見ないようにする為に作られた場所だ。光という光を殺すため電気さえも通っていない。厚いカーテンで全ての窓は日の光を遮られ、まさに暗闇。明かりはたった今開け放った扉から入る、雨模様の空をわずかに通り抜ける日の光のみだ。薄暗く、屋敷の中を照らす。

 暗いからといって、どこに何があるかなんて、俺には手に取るように分かるのだが。

「おい!いるんだろ、|織花<<おりはな>>!」

 返事はない。やはり、部屋に向かうしかないようだ。

 階段まで足を引きずりながら歩く。先ほどよりも、痛みが鮮明になってきて、歩くことがままならない。ましてや階段に登るなんてことは、さらに困難を極めた。

「ちっ」

 舌打ちをした。みっともなく手摺にしがみ付きながら。上を目指す。一歩踏み出せば、ズキリ。そこに心臓があるかのように脈を打ち、熱を帯びている。

 一歩一歩が遅く、それにまた苛立ちを感じる。十五段全てを上り終えるのに五分もかかってしまった。

 後はまっすぐ伸びる廊下。

 そこで、物音一つ。

 ドサッ、という、音。

 まるで、何かが崩れ落ちたような音。豪雨が屋根を叩き、雷鳴が轟いている中、なぜだか、その音ははっきりと耳に飛び込んでくる。

 心臓が高鳴る。

 俺の中でロジックが最悪のシナリオを完成したかのように。

 哀しいレクイエムが、鳴り響く。

「!――――――――――――」

 脚の痛みなど関係なかった。

 最後の忌々しいほど長い廊下を駆け抜け、目的の最奥の部屋。ノックもせず、扉を乱暴に開け放った。

「あら、遅かったわね」

 ベッドの上。織花は、いつもの表情で俺を出迎えた。

 平然とした、顔で。

 ベッドに押し付けるように彼女の首に手にかけながら。白い手袋をはめたままの手で。

「なにを・・・・・・やっているんだ、君は」

「・・・・・・これ?見て解からない?」

 殺しているのよ。

 楽しそうに。いや、実際楽しんでいるのだろう。彼女、|早神織花<<さがみおりはな>>は微笑んだ。こいつには、楽しくないことなどない。仕事しかり、殺人しかり。何をやろうと、笑っていられる。

 俺と違い、いつだって世界を楽しめる彼女。そんなお前は、今、何に手をかけている?

「私としては、ずいぶんと待ったつもりなのだけれど」

 ようやく、首から手を離した。

 ここからでは、その顔を見ることはできない。

「こんなふうに人を殺すのは初めてなのよね。だから、加減がわからなくて」

 ずっと首を絞め続けたわ、と彼女は言う。

 その背後にいるのは、誰?

「そこをどけろ。織花」

 俺は、目の前にいる織花を睨みつけた。

「嫌よ」

 返事は、それ一言のみだった。

「どけろと言っている。俺は彼女を蘇生する義務がある」

 一歩近づいた。

 二歩近づいた。

 織花の手には、刃渡りの短いナイフ。その切っ先が俺に向けられていた。睨めつける刃が微動だにしない様子は、織花が本気である事を示しているようだった。

「近づかないで」

 織花の顔から、笑みは消え去っていた。そこには、それこそ世界中を騒がす殺人鬼にふさわしき顔があった。

 恐ろしいまでに冷えきった、無の表情。この部屋の空気とあいまって俺を脅しつけた。

 この俺が、死を恐れている?

「彼女はまだ助ける事が出来る。そうすれば、お前だって殺人未遂で終わらせる。俺はこれ以上事を荒立てる気はない。だから」

 織花の威圧感に負けぬよう、腹から声を出す。さもなければ、声が恐怖で裏返ったことだろう。俺は今ほど、この人を恐れたことがあっただろうか?

「だから、なに?あなたはこの娘にキスでもしようというの?」

「馬鹿な事を言うな。人工呼吸に決まっているだろうが。早くしないと間に合わなく――――――――――――」

「だったら、」

 織花は俺の言葉など、聞いている様子もなく、ただ、淡々と語る。

「なおさら、だめ」

 無から、有へ。

 次に表れた表情は、また笑み。

 それも、飛び切りの。艶かしいほどに妖しく、美しい。それでいてキレている。手にしているナイフなど、無に等しい。こちらを見据えるように。俺に見せ付けるように。

「私は、あなたがこの娘に近づくことを許さない」

 口元に手を添え、彼女は言う。

 何がおかしくて、笑っていられる?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(あぁ、)

 そのとき俺は気付いてしまっていた。

(もうだめだ)

 これが己の限界であると。

(こんなのが結末だと?)

 この場所に立ち尽くしていることの無意味さを。

「もう。無理だ」

 つぶやくように、囁くように俺は言う。

 誰に向けるわけでもなく、ただ、心の奥地から染み出した本音を、ありのままを漏らした。

「これ以上、俺は、お前には耐えられない」

 スーツの内ポケットに手をもっていく。手にそれを握った感覚がズシリと伝わってくる。硬く優しくないその触り心地は、今の俺の心境を表しているかのようだった。

「さようならだ、だ」

 これを外してしまうつもりはなかった。元アメリカ軍正式採用拳銃、ガバメント。これから放たれる凶弾が、織花の額を貫くようにかまえる。織花との距離は四、五メートル。射撃の練習は今までサボっていたけど、これは外すほうが無理だ。

「ふん。あなたもそんな無粋なものに手を染めるのね」 

織花はそれを、まるで薄汚い物でも見るかのように|蔑<<さげす>>んだ。

「言ったろうが。もう耐えられないんだよ!」

 俺の、たった一つしかなかった大切なものをお前は、奪っていった。ようやくつかみ取る事ができそうだった幸せを、初めて知った快楽を、喜びを消し去った。もう二度と、味わう事のない。お前は、俺の目の前で、潰した。

「織花。確かに、お前の隣には俺しか立つことはできない。だけど!」

 だけど。

 壊れてしまった俺の心を、癒してくれたのは、そこにいる彼女。永遠に続くことを恨み、絶望する俺に希望を与えてくれたのはそこで眠っているはずの彼女ただ一人だ。

「彼女だけが、俺の傍にいると言ってくれた」

 そして、俺自身が、彼女といっしょでありたいと願った。互いに、支えあうと誓った。それがたとえ、弱々しい、軟弱な支柱だったとしても、何度だって立て直すつもりでいた。それが俺の決意だった。生きる、目的だった。

「それを、お前が奪うと言うのなら、俺は、お前を見捨てる。見限る。この意味がわからないお前じゃないだろう」

 彼女を見捨てる。すなわち、俺はこの恐ろしき殺人鬼を世に放つと言う意味だ。世界がこんな事態を黙って見ているはずがない。

「えぇ、重々承知よ」

 ようやく、織花はベッドから立ち上がった。ゆっくりと僕に近づいてきた。手にナイフを持ったまま。拳銃で作った線の結界をものともせず。

 ほんの一瞬、身体が強張った。俺に向かって左手が使えないとはいえ、彼女は平気で人を殺してしまうような鬼だ。俺に死はなくても、痛みは存在する。

 だが、俺の警戒も、杞憂に終わる事をこの時点では忘れていた。彼女は、流血を最も嫌っていることを。久しぶりに感じた怒りを持て余している俺は、見失っていた。

 早神織花を。

「んん?」

 カラン

 彼女の手からナイフが落ちる。

 織花の顔は今までで最も近くにあった。

 織花の両手が俺の顔に添えられ、やけに柔和な唇が強引に重ねられた。普段まったく化粧をしないのにもかかわらず、潤い艶やかな彼女の唇。ほのかに漂う甘い香が鼻腔をくすぐる。優しい手は暖かく俺を包む。目を閉じられていては、目蓋の奥にあるはずの瞳を覗くことができない。

 突然のことに驚き、深い罪の意識に苛まれる。だけど、振り解くことができない。

 体中がこの禁忌に、悦に入っている。そんな、気がした。

 スッと、唇が離される。それでも、手は添えられたまま。

 至近距離で、見詰め合う。 頭一つ低い織花の顔。思わず、見とれそうになる。彼女の瞳の中に俺がいるのは、不思議だった。

 織花は俺を見ている。

 これが何を示しているのかは、今の俺には皆目見当もつかない。

 それからどれほどたったのか。それともいうまでたっていないのだろうか。

「さようなら」

 それまで俺の両頬を押さえていた手が離された。それなのにあまりの出来事に脳が芯まで麻痺し反応しきれなかった。

 織花が立ち去る。 

 捕まえなければと、頭では思っているのに、身体が動かない。麻痺が治らない。ようやく動いてみるもあまりにも鈍く、振り向いたときにはすでに織花の姿はなかった。

 扉は開けられたまま。誰もいない虚ろな廊下が、俺の心を蝕む。急に力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

「あ、あぁ」

 言葉も発することができない。痺れが全身を駆け巡る。右手にはだらしなく握られたガバメント。過去に何百何千と人を|葬<<ほうむ>>ってきたはずのこの凶器も、俺には勇気すら与えてくれなかった。せせら笑うかのように黒光りするそれを、力なく床に叩きつける。

 そういえば、彼女はどうなった?

 立ち上がる、が、それも今の状態ではかなわない。どんなに力を入れても、途中で崩れ落ち、無様に床で肩や頬を打つ。

「ぐうぅ・・・・・・」

仕方なく床を這い、ベッドに近づいた。

 雷が、少しだけできたカーテンの隙間から暗い部屋に明かりをもたらした。

 そこには、

 美しいと言うには、あまりにも、残酷な死が存在した。

 鬱血して醜くなった彼女の顔。静かに閉じられた瞳。そこに俺の姿が映ることはもう、ない。

「うわぁぁぁぁぁーーーーーー」

 俺は彼女を抱くことしかできなかった。

 悲しい叫びが、暗き館にこだまする。

 雨は、雷は、それを打ち消してはくれなかった。

 今日という呪の日を喜んでいるのだろう。


「はぁっ!」

声と共に俺は夢の中から解放される。

するとそこは、明るい、狭い部屋が待っていた。


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