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99 秘密

 リシェルは、中庭でぼんやりと一人(たたず)んでいた。庭の手入れの手伝いを終え、夕日の色に染まった庭を眺める。様々な花が植えられ、昼には華やかに見えていた庭も、今は茜色一色でなんだか物寂しく見えた。


 ふいに、ローブのポケットからちょろちょろと小さな黒い生物が飛び出し、肩の上に乗った。


「グリム……?」


 シグルトの使い魔であるこのグリムブルという生き物を、名前がわからないので、リシェルはとりあえずそう呼んでいた。


 すっかりリシェルになついたグリムは、シグルトの元に帰るそぶりもなく、いつもリシェルについて離れなかった。といっても普段はローブのポケットの中で大人しくしているだけなので、特段不都合もない。


 だが、今はどうも様子が変だ。そわそわと落ち着かない様子で後ろを見つめている。

 

 その時、背後に人の気配を感じ、リシェルは振り返った。そこに立つ人物の姿に息をのむ。


「先生……!」


「リシェル……」


 こうして会うのが随分久しぶりに感じる。シグルトは憔悴しょうすいした様子で、少し痩せたようにも見えた。


「先生、どうして……?」


「……君と……話がしたくて……君に、謝りたくて……」


 シグルトは沈痛な面持ちで、声を絞り出す。


「リシェル、あの時は……本当にすまない。どうかしてたんです。君にあんなことをして……君を傷つけて……二度としません」


 ゆっくりと選ぶように話される言葉には、本心からの後悔がこもっているように思えた。


「だから、お願いですから……どうか戻ってきてくれませんか?」


 シグルトが一歩、リシェルに近づいた。


「……!」


 無意識に、リシェルは後ずさっていた。反射的に自分と距離を取ろうとする少女を見て、シグルトは気まずげに目をそらした。


「…………私のことが、怖い、ですよね。そりゃあ、そうですよね……あんなことしたんですから……どうしたら君に許してもらえるんだろう?」


 重苦しい沈黙が流れる。突然の訪問に、リシェルはどう反応していいかわからなかった。シグルトもずっとうつむいたまま。その様子は心から悔い、反省しているように見えた。


(今の先生なら……)


 誤魔化すことも、嘘をつくこともなく、リシェルの疑問に答えてくれるような気がした。意を決して口を開く。


「先生、本当のことを教えてください。先生は……どうして、ずっと私の魔力を封印していたんですか? 私を魔力の暴走から守るため? ただ魔道士にしたくなかったから? 本当にそれだけなんですか?」


「……もちろん、それもあります。でも、それだけじゃない」


 不安げに自分を見つめるリシェルを、シグルトも顔を上げ見返した。


「実は君には、もう一つ、魔法をかけています。君の魔力は強い。君自身の魔力で、その術にどんな影響が出るかわからなかった。最悪術が解けてしまう可能性もありました。だから君の魔力を封じておく必要があったんです」


「その魔法って……?」


「……」


「先生?」


「……君の魂を、その体に留めておくための魔法です」


 リシェルは無意識にそっと胸に手を当てた。服の下では、とくとくと心臓が音を立てている。


「もしかして、先生がおっしゃっていた、私の心臓が動いているのは、先生の魔力のおかげって……その魔法のことですか?」


「……そうです」


「どういうことですか? 私は病気だったけど……でもそれは先生が治してくださったんですよね?」


 意識を失い倒れていたリシェルの病を、シグルトは魔法で治癒した。そのシグルトの魔力の影響で、リシェルの瞳の色は変色し、またそれ以前の記憶を失ってしまったが、病気は治すことができた。シグルトは確かそう言っていたはずだ。


「……リシェル、落ち着いてよく聞いてください」


 シグルトは言いながら、自分自身を落ち着かせようとするように、そっと深呼吸をしてから、告げた。


「……六年前、私が君と出会った時……君は既に、息をしていませんでした。心臓も、動いていなかった」


 リシェルの手の下で、心臓がばくんと音を立てた。

 それは、つまり。


「もう、死んでた……ってことですか?」


 シグルトはかすかに頷いた。どくどくとリシェルの心臓の鼓動が早くなる。確かに動いているのだと主張するように。


「じゃあ、私はなんで、今生きて……?」


「私が……君の体に、魂を呼び戻したんです。召喚術を応用して」


 魔物など人外の生物の魂を縛り、呼び出し使役する、召喚術。シグルトは、それを応用し、死んだリシェルの魂を呼び戻したというのだ。


「それって……私を生き返らせたって……そういうことですか? でも、それって……」


「そう、死者の蘇生……禁術にあたります。ばれたら私は死罪です」


「……!」


 大魔道士ガルディアの定めた、研究も使用も禁じられた術のうちの一つ。死者の蘇生。


「なんで、そんなことを……?」


 なぜ、禁忌を犯してまでリシェルを生き返らせたというのだろう。


「私は……アーシェの最後の願いを.……どうしても叶えてやりたかった」


 シグルトの顔が苦悩するようにぐにゃりと歪んだ。


「アーシェは君を救って欲しいと、最後に私に願いました。でも、アーシェが事切れ、君の元へ行った時、君はもう既に息絶えていた。あの子を、アーシェを死なせた挙げ句、その最後の願いさえ叶えてやれないなんて……私にはとても耐えられなかった。私はなんとしても、アーシェの願いを叶えてやりたかった。君を救いたかった。そのために、私は……」


 禁忌を犯した――


 リシェルはそっと胸から手を離すと、その手を見つめた。

  

「私は一度……死んでる……?」


 衝撃の事実に、リシェルの手はわずかに震えていた。


 一度死んで、蘇った。

 ふと思い至って、思わず大きな声が出る。


「で、でも! そんなことができるなら、どうしてアーシェさんを蘇らせなかったんですか!?」


「アーシェの体は損傷がひどすぎて、無理だったんです。魂を呼び戻そうとしても、魂が損傷した自分の肉体を自分のものだと認識せず、肉体に戻せなかった。死者の蘇生術と言っても、即席で編み出した中途半端な術でしたから……誰でも蘇らせられるわけじゃなかったんです。実行には、かなり厳しい細かな条件と、何より遺体が物体として暇疵かしのない完璧な状態であることが必要でした」


 最後に傷つき倒れたアーシェの姿を思い出したように、シグルトは眉を寄せた。


「その点、君の体には傷ひとつなかった。そもそも、君の病というのは、生まれつき魂と肉体の波動が調和せず、あらゆる不調が出るというものでした。私が発見した時の君は、ちょうど魂が完全に体から抜けてしまった直後だったんです。だから、ただ魂を呼び戻すことさえできればよかった」


 ふいにシグルトの瞳がかげる。


「ただ……一度完全に途切れてしまった、魂と肉体の繋がりを元に戻すことは出来ない。その繋がりを維持するためには、私の魔法が必要なんです。今、この瞬間も」


 リシェルの心臓は緊張でずっとばくばくと音を立てていた。この心臓がこうやって動いているのは、シグルトの魔力のおかげ。それは、つまり。


「先生が魔法を使うのをやめたら……私は死ぬってことですか?」


 沈んだ様子だったシグルトは、はっとするとやや身を乗り出し、焦ったように早口になった。


「そんなことには絶対になりません! 私は何があろうと、君にかけている魔法だけは維持してみせる。守護結界への魔力供給なんかより、私にとっては優先すべきことですから」


「でも……でも、もし……たとえば、先生が亡くなったりした時は……?」


 問われてシグルトの肩から力が抜けた。


「……仮に私が魔力を失ったり、死んだとしても、すぐに君の魔法が解けるわけではありません。君にかけた魔法は、私の状態に関係なく、一定期間は独立して効果が持続するようになっていますから。ただ、永続するわけではない。定期的に私が君に触れ、魔力を与えられなければ、いずれは……」


 言い難そうにするシグルトの言葉を、リシェルは祈るように聞いていた。


「意識を失い昏睡状態になるか、あるいは意識はあっても体がまったく動かなくなるか……そして、私の魔力が完全に尽きた、その時は……」


 シグルトは途中で口をつぐんだ。だが、その先は予想がつく。


 待っているのは……二度目の死。


 以前、シグルトがリシェルより先には絶対死なないと言っていたのを思い出す。あれは冗談ではなく、本気だったのだ。シグルトが死ねば、程なくリシェルも死んでしまうから。

  

「……どうして、ずっと隠していたんですか?」


「禁術を使ったことを安易に話すわけにはいかなかったし、何より、君が自分自身の状態にショックを受けると思って……」


 頭を抱えるようにその白い髪に手を差し入れ、ぐしゃっと握り込む。


「それに……君には最初から、私のそばにいる以外の選択肢がないのだと知らせたくなかった。私は君に、自分の意思で、私のそばにいることを選んでほしかったんです。生きるために、仕方なく私のそばにいるのではなく、君自ら、私と共にいたいと……そう望んでほしかった。私が君にそう望むのと同じように」


 苦しげな告白は、切なげで。 


「私は……君に選ばれたかった……愛されたかったんです。そして私は……きっとそうなると、信じて疑わなかった」


 囁かれた本音は、ひどく寂しげだった。 


「リシェル……こんなタイミングで、こんなことを伝えるつもりじゃなかった。君が私から離れそうになった途端、こんな話をして……自分でもずるいとわかっています。でも……どうか、戻ってきて欲しい。私を嫌いでもいい。許せなくてもいい。結婚もしなくていい。でも、私は君に生きていて欲しいんです」


 一瞬、ためらったあと、シグルトは苦しげに続けた。


「……君が想う相手が、私ではなくても」


 再び沈黙が訪れた。

 夕日の茜色に染まるシグルトには、前会った時の恐ろしさも禍々しさも感じられない。彼がまとう空気には嫉妬も怒りもなく、ただただ悲しみと寂しさだけがあった。


「先生……ごめんなさい。もう頭の中がぐしゃぐしゃで……今日は、帰ってもらえませんか?」


 混乱し動揺した頭では、それだけ絞り出すのが精一杯だった。


「……わかりました。また、来ます」


 シグルトは肩を落とすと、力ない足取りで去っていく。


 その後ろ姿を見送りながら、リシェルは両手で押さえるように胸に手を当てた。明かされた自らの命の秘密に、心臓の動きが重苦しいものになる。


 肩の上でグリムが、気遣うようにそっと、リシェルの頬にすり寄った。 



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