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97 グリムブル

「エリック様、優勝おめでとう!」


 大会終了後――

 表彰式が終わり、ディナはすぐに、出場者の控え場所にいたエリックのもとへ駆けつけた。見覚えのあるラティール騎士団の面々や王城の兵たちに囲まれる彼を、満面の笑顔で祝った。


「ああ、ディナもな。優勝おめでとう」


 エリックも穏やかに、魔術大会で優勝したディナを祝い返した。いつもの鉄仮面がわずかに緩み、柔らかくなる。ディナの胸はときめいた。


「エリック様、すっごく格好良かったなぁ」


「いつも言ってるが……その呼び方なんとかならないのか? ディナの方が年上だろう?」


「いいじゃない! 私にとってエリック様は憧れの人なんだもの!」


 きらきらした目で言うディナに、エリックはわずかに苦笑した。

 

 側にいたザックスが興奮冷めやらぬ様子で、拳を握りしめる。


「一敗もせずに優勝だなんて、本当に二人共すごいよなぁ! 今夜は祝杯だぁ! 朝まで飲みましょ!」


「あ〜……ごめん。私は帰るわ」


「ええ!? ディナさん、なんで!?」


 真っ先に提案に乗りそうなディナの意外な返答に、ザックスが非難めいた声を上げた。

 

「う〜ん、今リシェルが家にいるんだけど、ちょっと心配で……なるべく一緒にいてあげたいのよね」


「え? リシェルちゃん、ディナさんの家にいるんすか? なんでですか?」


「内緒。えへへ、うらやましいでしょ?」


「羨ましい!」


 引き留めようとするザックスや他の皆を適当にあしらってから、ディナは手早く自分の荷物をまとめ、帰り支度をする。

 

 そこへ、すっとエリックがそばに寄ってきた。先程まで柔らかった表情が、普段通り――いや、いつもより強張って見えた。


「ディナ……あいつ、何かあったのか?」


「え? あ、リシェル? うん、まあ……シグルトとちょっといろいろあって……リシェルも詳しく言わないんだけど、あいつを怒らせたかとかで、まあ、その……喧嘩したというか……なんというか……それで今うちにいるのよ」


「怒らせた……」


「リシェルもようやくシグルトが最低な奴だってわかったみたい。シグルトの方も何も言って来ないし。もうこのまま結婚もなしでしょうね」


「……!」


「というか、あんな奴とは結婚なんて絶対させないわ。リシェルのことは、弟子でも、養女でも、とにかくうちで引き取れないか、おじいちゃんに頼んでみるつもり。おじいちゃん、いつもシグルトの肩持つからどうなるかわかんないけど。あ、この話、まだみんなには内緒にしてね」


「……」


 黙り込むエリックに、ディナは手を振り、心配するなと言うように、にかっと笑ってみせた。


「今度よかったらまた改めてお祝いさせて。エリック様、じゃあまたね!」


 足早に去っていくディナを見送りながら、エリックはぎゅっと両手の拳を握りしめた――









 


「リシェル様、お客様にこんなことをさせるわけには……」


「いいんです。私が何かやりたいんです。お願いします」


 困り顔で言う、ディナの家の使用人の女性に、リシェルは微笑んで、彼女の手から洗濯(かご)を受け取った。


 庭の洗濯竿(さお)に、一人手早く白いシーツを干していく。晴れやかな青空の下、シーツが風を受けてふんわり広がった。


 ディナの家に身を寄せてから既に数日が経った。リシェルはディナやガームが法院に行っている日中は、こうやって家の家事を手伝って過ごしている。ただで世話になるわけにはいかないという思いもあるが、それ以上に何かしていないと、どうしても気持ちが暗く沈んでしまうから。

 

 シグルト家を逃げ出した翌日の朝――セイラが、リシェルの着替えを数日分詰めたトランクを持ってきてくれた。ディナがブランに、リシェルをしばらく家に置くことを伝えると、彼がセイラに頼んでくれたらしい。


 トランクを受け取る時、リシェルはそっとセイラに尋ねた。


「あの、セイラ……先生、何か言ってた?」


「いえ、ご主人様から特に伝言はお預かりしておりません」


「そっか……」

 

 無表情なメイドの素っ気ない答えに、胸にぽっかり空いた穴にすきま風が吹くような虚しさを感じた。


 あの日以来、シグルトから連絡はない。てっきりすぐに連れ戻しに来るものだと思っていただけに、拍子抜けした。ガームやディナの手前、あまり強引な真似は出来ないと思っているだけだろうか。それとも、ブランに止められでもしているのか。


 あるいは――もうリシェルのことなど、どうでもよくなったのかもしれない。

 結婚の約束をしていながら、他の男と口づけし、裏切った婚約者など、不要だと思い直した可能性もある。

 

 足元からざわざわと落ち着かない心地になったリシェルは、すっと片手を目の前にかかげた。その手の中に光を生み出すべく、集中する。だが、やはり何も起こらなかった。魔力はまだ封印されたままだ。


 がっかりすると同時に――どこか安堵する気持ちもあった。シグルトと自分の繋がりは、まだ絶たれていないのだ、と。

 

 シグルトはずっと嘘をついていた。先にリシェルの信頼を裏切っていたのはシグルトだ。だが……自分もまた、彼を裏切り、傷つけた。


 ――なんで、彼なんです? どうして、私じゃないんですか?


 シグルトの今にも泣き出しそうな、苦しげな表情が蘇った。あの時の彼の顔を思い出すと、胸がぎゅっと締め上げられたように苦しくなる。その後に彼が見せた冷たいまなざしも、嘲笑ちょうしょうも、非情な行動も、確かに彼の冷酷な本性を示しているのに……彼をまだ、信じたいと思う自分がいた。


 恨めしさ、不信、悲しみ、寂しさ、罪悪感――あらゆる感情がないまぜになって、複雑になった心は、これからどうすべきかという判断も下せない程、迷い、戸惑っている。


 シグルトのことも、エリックのことも……何も答えが出ない。


 無意識に、リシェルは服の襟元を押さえていた。不安を感じるとつい手が伸びてしまう。だが、いつもそこにあった、服の下の硬い感触はもうない。いつの間にか癖になっていた、エリックのペンダントの存在を確かめる行為。


 リシェルはそっと手を下ろした。自分を導いてくれるものはもう何もない。進むべき未来が……わからなかった。


 ふと、視線を感じて、リシェルは顔を上げた。近くにある、使用人用の通用門の下に、何かいる。


「トカゲ……?」


 それは一見トカゲのような、小さな小さな生き物だった。だが、その全身は猫のような黒い体毛で覆われていた。その両眼は赤く、じっとリシェルを見つめている。


「魔物……?」


「じゃな」


 突然背後でしたしわがれた声に、リシェルは驚いて振り返った。いつの間に来たのか、後ろにガームが長い白髭を撫でながら立っていた。


「ガーム様」


 法院と屋敷が近いせいか、ガームはこうして急にふらっと戻ってくることがあった。何をしているのかと思えば、そのまま居間でうとうととして、一眠りしてから戻っていく。仕事のさぼり癖では、シグルトといい勝負かもしれない。


「リシェルさんがうちに来てから、ずっと結界の外に妙な気配がすると思っておったが……ふむ、シグルトの使い魔のようじゃな」


 ガームは目をこらすように細めて、裏門にいる小さな生物を見た。


「お前さんにくっついてきたんじゃろう。屋敷には結界が張ってあるから、入れんようじゃが。……ほれ、入っていいぞ」


 老人はそっと手招きをした。すると、小さな魔物はちょろちょろっと素早く門の下をくぐり、あっという間にリシェルの足元まで来て止まる。リシェルは地面にひざをつき、この不思議な生き物をまじまじと見た。爬虫類はちゅうるいは苦手だが、このトカゲのような生き物は、全身が毛におおわれているせいか、なんだか可愛らしく見えた。


「先生の……使い魔?」


「グリ厶ブルという低級の魔物じゃ。魔物と言ってもそこらの犬猫より大人しいから怖がることはない。小さくて目立たんし、物影に一体化出来るから、魔道士はよく使い魔にして偵察に使うのう」


「偵察……」


「こやつと視覚を共有して、同じものを見たりな」


「えっ、じゃあ今も先生が……?」


 おそらく、この魔物を通じて、シグルトはリシェルとエリックが会っているところを見ていたのだろう。今この瞬間もシグルトに見られているのかと焦るリシェルに、ガームは笑った。


「心配いらん。わしの結界内に入っとるから、視覚の共有は今は出来んはずじゃ」


 リシェルはほっとして、恐る恐るグリ厶ブルに手を伸ばしてみた。小さな魔物は、ためらうことなく、いそいそと少女の手の上に乗ってくる。リシェルが艷やかな毛並みをそっと撫でてみても、動かず大人しくされるがままになっていた。心なしか赤い目を細め、気持ちよさそうにしているように見える。可愛らしい様子にリシェルの頬が緩んだ。


「よう懐いておるの。まあ、シグルトの使い魔じゃからな。シグルトの感情に影響されるのは当然か」


 どういうことかとガームを振り仰ぐと、老人は優しく目尻を下げた。


「使い魔というのは主と魂が繋がっておるからの。主の感情にも影響される。主の敵には主と同じく攻撃的になるし、主の好く相手には同じく好意的になるということじゃよ」


「そう……なんですか?」


 リシェルは、手の上で静かに留まり、じっと自分を見つめてくる生き物の赤い目を見つめ返した。そうすれば、何かがわかる気がして。

 

「リシェルさんは、シグルトのことが信じられんか?」


 問われて、リシェルはグリ厶ブルのまなざしから逃れるように、そっと目を伏せた。

  

「私、先生が嘘をついていたことが許せなくて……今までずっと信じてきたけど、もう、先生のこと、よくわからなくなってしまったんです………でも、私も……先生のこと、裏切って傷つけてしまって……先生は、きっと……私のこと、信じてくれていたのに……」


 お互いの信頼を、お互いに裏切ってしまったのだ。もう元に戻れるとは思えなかった。


「ふぉふぉ、わしなんぞしょっちゅう裏切られとるぞ」


「え?」


 吐き出した重苦しい想いに、軽い調子で返され、リシェルは少々面食らった。


「先日もさるお方に、人を見る目がないと言われてしまっての。確かにわしは、これぞと見込んだ人間が思っておったのと全然違った……ということが多くてなぁ」


 禁術を犯したアルフェレス夫妻。突然失踪したディナの前の弟子。ガームは他にも多くの弟子を育てたが、うまくいかなかったとディナが言っていたのをリシェルは思い出した。


「その……お辛くなかったですか?」


「まあ、なかなかに悲しい思いもしたが、あやつらをうらんではおらん。わしが勝手に理想を抱いて期待して、勝手に裏切られとるだけじゃからな。わしが相手をちゃんと見ておらんかった、わかったつもりになっとったのが悪いんじゃろう。確かにわしには人を見る目がないのかもしれん」


 自身をそう評しながらも、ガームは特に失望した風でもなく、続けた。


「それでも、わしはこれからも見込んだ人間のことは、勝手に期待して勝手に信じるつもりじゃよ。人になんと言われようともな」


「どうしてですか?」


「理由なんぞない。わしが信じたいからじゃ。人を信じられなくなるよりましじゃろう? ディナにはだから騙されるんだと怒られるがの」


 ガームは顔をしわくちゃにして、ほがらかに笑う。そうやって笑うと、最高齢の導師が、なんだか無邪気に幼く見えた。

 

「信じたい、から……」


 リシェルはそっと手に中に収まり、自分を見上げてくる小さな魔物を、ただじっと見つめた。


お読みいただきありがとうございました!

ポイント、ブクマもありがとうございます。


都合により来週日曜は更新お休みです。

再来週の日曜に次話アップする予定です。

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