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95 日暮れ

 日は沈みかけ、辺りは暗くなり始めていた。

 リシェルは放心状態で、あかね色から徐々に闇色に色を変えつつある空をぼんやりと見ていた。

 

 あの場を逃げ出した後、とにかくシグルトから離れたい一心で、街を走り抜け、気づけば見知らぬ公園にいた。さすがに走り疲れ、こうして公園のベンチに座り込んでいる。もう日暮れ時とあって、公園には他に誰もいない。


 これから一体どうすればいいのか。もうシグルトの家には戻れない。エリックには兄ではないと突き放された。家族になろうとしていた人、家族かもしれない人、どちらのもとへも行くことは出来ない。どうしようもない孤独が襲ってくる。


 次第に気温が下がり、肌寒くなってきて、リシェルは身を縮こませた。そこで初めて、自分がローブを着ておらず、ブラウスも前がはだけたままだっと気づく。ボタンを止めようとして、先程の記憶が思い出され、思わず手が止まった。


 シグルトの冷たい眼差し、投げつけられた言葉、肌に触れられた感触。


 一度止まったはずの涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。


(もう……本当に……)


 壊れてしまったのだ。自分とシグルトの関係は。

 自分にとって唯一だった、あの温かな居場所は、もう失われてしまった。


 涙は頬を伝い、ブラウスに落ち、いくつもの染みを作った。


「リシェル!」


 突然名を呼ばれ、ぱっと顔を上げる。公園の入口に、ディナが立っていた。


「こんなところで何してるのよ!?」


 ディナは足早にリシェルの座るベンチまで歩み寄ってくる。


「ディナ……なんでここに……?」


「ブラン様からあなたがここにいるから、急いで迎えに行ってやってくれって、いきなり連絡が来たのよ。理由も教えてくれなくて、とにかく頼むって。一体何があったのよ?」


「ブラン様が……?」


 なぜ、ブランがリシェルの居場所を知っているのだろう。探知の魔法を使ったのだろうか。なら、なぜブランが直接来ないのだろう?


 使い魔の一匹を君につけていたのでね――


 シグルトの言葉が蘇る。


(もしかして、先生が?)


 使い魔を通じてリシェルの居場所を知ったシグルトが、ブランに伝え、ブランがディナに――ということだろうか。

 

 リシェルはきょろきょろと辺りを見回した。だが、周りに使い魔らしき生き物の影も形もない。やはり、違うのかもしれない。シグルトなら、リシェルの居場所がわかっていれば、ブランに頼んだりせず、自ら無理やり連れ戻そうとするはずだ。


 一瞬シグルトが純粋に自分を心配してくれているのではないかと期待してしまった自分は、やはりお人好しで馬鹿なのだろう。


「講堂で魔道士同士の揉め事があったっていう事件以降、あなたずっと法院に来てなかったわよね? 一体何が――」


 そこまで言いかけ、ディナはリシェルの目に溜まる涙と、彼女のブラウスが開けていることに気づいて、はたと言葉を止めた。


「リシェル、あなた……その格好……」


 友の視線に、リシェルはぎゅっとブラウスの前をき合せてうつむいた。襟元から見える、白い首筋に点々と残る赤いあざを見て、ディナは目を見開いた。


「まさか、シグルトが……?」


 答えないリシェルに、ディナは歯を噛み締めた。


「あいつ……!」


 薄暗い夕闇の中、沈む寸前の夕日の光を受けて、ディナの瞳が怒りでぎらりと光った。


「ついに本性現したってわけね。許せない!」


 ディナは自らが着ていたローブを脱ぐと、リシェルの肩にかけてやった。


「リシェル、うちにいらっしゃい。もうあいつのところへ戻る必要なんてないわ!」


 









 それからリシェルは、ディナに連れられて彼女の、正確には導師ガームの屋敷に向かった。日は沈み、辺りはすっかり夜だ。


 屋敷の門をくぐる直前、門灯もんとうに照らされ足元に落ちた影から、何か小さなものが飛び出し、地をい素早く夜の闇に消えていった――気がした。虫か何かだろうか。


 屋敷の主ガームは、突然ディナに連れられ現れたリシェルにも、ディナの「この子、当分うちに泊めるから」という発言にも、さして驚いた様子もなく、ただ微笑んで迎え入れてくれた。


「はい、どうぞ」 


「ありがとう」


 ディナからお茶のカップを受け取りながら、リシェルは礼を言った。

 

 ディナの服を借りて着替え、彼女の部屋のソファに腰掛けたリシェルは、ようやく動揺も収まり、一息つくことができた。


 初めて入ったディナの部屋は、彼女の元気な印象とは少し違い、意外に落ち着いた内装で、リシェルはディナが自分より年上の大人の女性なんだと実感した。


 ディナはリシェルの隣に座ると、心配そうに覗き込んでくる。

 

「リシェル、あの講堂での事件、一体何があったの? 事件について導師たちから箝口令かんこうれいが出てるらしくて、おじいちゃんもブラン様も何も教えてくれなくて。パリスは事件に巻き込まれて意識不明の重体だっていうし、ルゼルの弟子も遺体で発見されたらしいし……あなたもずっと姿を見せなくて、シグルトを問い詰めても体調不良だとしか言わないし……もう何がなんだか……」


「え? 亡くなったの? ルーバスさん……」


「そうよ。事件の翌日に、王都の外の街道近くで発見されたらしいわ。遺体は怪我を負ってたけど、はっきりした死因は不明だって」


「そう……なんだ……」


 シグルトがルーバスはまだ見つかっていないと言っていたのは嘘だったのだ。危険だから外へ出るなという口実を作るためだったのだろう。また、嘘をつかれていた。彼にとって、リシェルを自分の思い通りにするためなら、嘘をつくことなんて何でもないことなのかもしれない。胸がぎゅっと痛んだ。


「あの事件、ルーバスも関係してるの? 一体あなたとパリスに何があったの?」

 

「実は――」


 リシェルが事件のこと、その後ずっとシグルトに家に閉じ込められていたことを話すと、ディナの眉間にしわが寄った。


「あの気の弱そうな、ルゼルの弟子が? 突然あなたに迫って、止めに入ったパリスに怪我を負わせた? ルーバスよりパリスのほうがずっと強いのに? ありえない! 一体何でそんなことに……わけがわからないわ」


 ディナは腕を組み、顔をしかめた。


「……それはともかく、あなたには本当は強い魔力があったのに、シグルトがずっと封印してたってわけね。あいつ……やっぱり裏があったか。今はまた封印をかけ直されて、もう完全に魔法が使えなくなってる……と。出来ればその封印、私が解いてあげたいけど……難しいでしょうね」


 封印の解除についてのディナの言葉は、予想通りのものだった。


「そもそも他人の魔力を封印する魔法自体が相当難しいの。私だって使えない。それを六年も持続させてたなんて……普通じゃ考えられないわね。一応、おじいちゃんやブラン様には相談してみるけど、あまり期待は出来ないかも……」


 言われてリシェルはうなだれた。やはりシグルトが言っていた通り、他の人間に彼のかけた封印を解くことは出来ないのだろう。たとえ他の導師でも。シグルト本人が封印を解かない限り、リシェルが魔力を取り戻すことはない。


 少し間を置いて、ディナは遠慮がちに切り出した。


「……それで、その……どうして公園にいたの? あいつと……何があったの?」


「それは……その、先生を怒らせてしまって……それで、その……」


「怒らせた?」


 リシェルは、言葉に詰まった。

 何と言えばいい? シグルトが怒った理由……エリックが兄かもしれないと彼を訪れ、口づけされたことなど、彼に想いを寄せるディナに言えるわけがない。


 返答に困り沈黙するリシェルに、ディナはゆっくりと首を振った。


「……ごめん。いいのよ、無理に話さなくて」


 言ってリシェルの肩を労るように抱き寄せる。


「今日はゆっくり休んで。体、つらいわよね?」


「つらい? 別に平気だよ」


「痛かったでしょう?」


「え、別に痛いところはないけど……」


「……え?」


「え?」


 お互い顔を見合わせ、リシェルは友が誤解していることをようやく察して、頬を赤らめた。


「あの……その、ブラン様が来たから……と、途中で……」


「え……ああ……そうだったの。私ったら……」


 自分の早とちりに、ディナは照れたように苦笑し、誤魔化すように続けた。


「と、とにかく、婚約者だろうと、未遂だろうと、あいつがあなたを傷付けたことに変わりないわ。あいつが最低な奴だって、ようやくあなたもわかったでしょ?」


「う、うん……」


 同意を求められて、リシェルは曖昧あいまいに頷いた。


 ずっと嘘をついて魔力を奪い続け、力づくでリシェルを手に入れようとした。シグルトのしたことはどう考えても最低だ。


 冷たく自分を見下ろす目。あれが彼の本性であり、今までの優しかった彼は全部嘘。疑う余地もない。

 

 けれど。

 そう簡単に心は割り切れなかった。


「あいつに比べたらパリスのほうがはるかにましよ! ずっとシグルトに心酔してる性格悪い生意気なお坊ちゃんだと思ってたけど、命がけであなたを守ろうとするなんて、見直したわ」


「パリスのこと、そんな風に思ってたんだ……」


 口の悪いディナに、リシェルも思わず苦笑いする。だがすぐに、最後に見た血まみれのパリスを思い出し、また気持ちが重く沈む。察したディナが、優しくリシェルの背を撫でた。


「……パリスならきっと大丈夫よ。強い魔道士だもの。私の次にね。明日、ブラン様にパリスの様子を聞きに行ってみる。リシェル、あなたはシグルトのことなんか忘れて、しばらくゆっくりするといいわ。遠慮なんていらない。うちにいつまでもいてくれていいんだから」

 

「うん、ありがとう。ディナ」 


 気遣ってくれる友に、リシェルの心が少し軽くなる。本当に、ディナがいてくれなかったら、自分はどうなっていただろう。


 感謝の念と共に、罪悪感も湧き上がってくる。エリックとの口づけ。あの出来事がディナへの後ろめたさになっていた。知ったら彼女はどう思うだろう? そう思うと、とてもエリックとの経緯を話す気になれなかった。


 ずるいかもしれないが、彼女との関係まで失いたくない。


(ごめん、ディナ……)


 リシェルは心の中でそっと謝罪した。


お読みいただきありがとうございます!

なんとか日曜に更新間に合いました……推敲甘いので後でちょこっと直すかもしれません。

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