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92 見えない未来

 オルアンについて歩いて程なくして、閑静な住宅街の中にある、館の一つに到着した。オルアンの家だ。以前にも結婚の挨拶のため、シグルトとここを訪れたことがあるから、リシェルにとって今回が二度目の訪問になる。


「あらあら、リシェルちゃんとシグルト君! よく来たわねぇ」


 オルアンの妻は急な来客を喜んで迎えてくれた。リシェルの知る限り、シグルトを君付けで呼ぶのはこの上品な老婦人だけだ。シグルトのことを幼い頃から知っているせいか、今もどこか子供に対するような態度が残っている。


 客間に通され、来客用のソファに座ると、すぐに茶と茶菓子が運ばれてきた。


「今日は結婚式のドレス、試着してたんですってね? リシェルちゃん、綺麗だったでしょうねぇ」


「ええ、それはもう。息が止まる美しさでしたよ」


 シグルトは出された茶に口をつけながら、よそ行きの顔で微笑み、照れもせず言ってのけた。先程までリシェルに見せていた不穏さなど微塵みじんもない。


「早く結婚式にならないかしら? リシェルちゃんの花嫁姿を見るのが本当に楽しみだわ」


 夫人はにこにこと上機嫌だ。子供のいない夫人は、シグルトとリシェルの結婚を、我が子のことのように喜んでくれているらしかった。


 夫人は目尻をわずかに光らせながら、しみじみと続ける。


「あのシグルト君が結婚する日が来るなんて……しかもこんなに可愛いお嫁さんをもらって……本当に嬉しいわ。あとは二人の子供の顔が見られれば、もうこの世に思い残すことはないわね。ねぇ、あなた?」


「結婚式もまだなのに、気が早いな。だが……まあ、そうじゃな」


 オルアンも呆れたように言いつつも、孫の誕生を心待ちにするしゅうとのように、その目には期待がにじんでいた。


「そうですね。新婚生活も楽しみたいところですが……私も子供は出来るだけ早く欲しいと思ってますよ」


「……!」


 シグルトに一見優しげに微笑まれ、リシェルはとっさに目をそらした。


 彼と結婚して、子供を得て、家庭を築く……到底思い描けない未来だった。魔力を封じられ、自由を奪われ、彼のことを信じられなくなってしまった、今のリシェルには。


 シグルトとの未来が見えない。だが、彼のいない未来もまた想像もできなくて、リシェルは自分の行く先が真っ暗になってしまったような気がした。


「おや、リシェルちゃん、どうした?」


「さっきから顔色が少し悪いようだけど、気分でも悪いの?」


 うつむき黙り込んでしまったリシェルを、オルアン夫妻が怪訝けげんそうに見つめる。


「い、いえ! 大丈夫です」


 この二人に心配をかけてはいけない。今はいつも通りを演じなくては。リシェルは首を振って精一杯の笑顔を作った。


 オルアンはそんなリシェルの様子をどう受け取ったものか、眉をしかめた。


「シグルト、お前……やたらと結婚式を焦っておったが……まさか、もう腹に子がいるなんてことは……」


「残念ながらありません」


「ならいいが。いいか、一緒に暮らしとるからと言って、順番は守らねばいかんぞ。最近の若い奴らはくだらん恋愛小説だの劇だのの影響か、すっかり風紀が乱れて――」


「私達とは時代が違うんですもの。結婚するんだし、別になんだっていいじゃありませんか。二人が幸せなら」


 説教が始まりそうな気配を察してか、夫人が割って入る。


「う、うむ……だが、まあ、子供は確かに早めに考えたほうがいいかもしれんな」


 オルアンも夫人には弱いのか、咳払い一つすると話を戻した。

 

「どうも、国王はディアマス王国相手に、次の戦争を始める準備をしとるようだ。また魔道士が駆り出されるじゃろう。ディアマス側にも魔道士は多い。先の戦いほど楽観はできんぞ。戦況が思わしくなければ、導師とはいえお前も戦地に行かされるかもしれん。しばらくリシェルちゃんと離れ離れに……ということもあり得る」


 戦争――

 不吉な言葉が出てきて、リシェルは思わず隣のシグルトを見上げた。彼がアンテスタで魔物を倒した時のことを思い出す。彼はあの力を、戦争でまた振るうことになるのだろうか。今度は魔物ではなく、人間に対して。


「大丈夫ですよ。君を残して死んだりしませんから」


 シグルトはリシェルの不安げな表情を、自らへの心配のせいだと解釈したらしい。それはオルアンも同じだったのか、慌てて孫弟子を安心させるように冗談めかして言った。


「まあ、どれだけ激しい戦いになっても、こいつはまず死なんじゃろ。死んでも、けろっと墓から蘇ってきそうな奴じゃ。心配いらん、リシェルちゃん。余計なことを言ってしまったな」 


「あ、いえ」


 オルアンの言葉にシグルトはただ苦笑いしていた。


 それからは、しばらく他愛もない雑談が続く。リシェルも心に重いものを抱えながらも、必死で笑顔を作り続けた。オルアン夫妻に助けを求めることはできない。心から自分たちを祝福してくれているこの二人に、迷惑も心配も掛けたくなかった。この会がお開きになる前に、なんとかここから抜け出す機会を見つけなければならない。


 好機はまもなく訪れた。


「そうそう、リシェルちゃん。前来た時に話していた、異国の珍しいお花、つぼみが開いたのよ。お庭に見に行かない?」


「はい、ぜひ!」


 夫人に提案され、リシェルは飛びついた。夫人とリシェルが席を立つと、シグルトも腰を浮かす。


「なら私も――」


「いや、お前は残れ。ちょうどいい。法院のことで聞きたいことがあるからな」


「ですが――」


「お前は花なんぞ興味ないじゃろ?」


 シグルトがオルアンに引き止められているうちにと、リシェルはいそいそと夫人を促した。


「は、早く見たいです。行きましょう!」


 夫人と部屋を出る前に、シグルトとふと目が合う。物言いたげなその視線から逃れるように、リシェルは夫人に続いて足早に廊下へと出た。


「この間、何かあったのか? ルゼルとお前がめてたらしいが――」


 部屋の扉が閉まる寸前、聞こえてきたオルアンの言葉が気にはなったが、今はそれどころではない。とにかくシグルトから離れなければ。


「ほら、この花。この前リシェルちゃんたちが来たときは、まだ蕾だったでしょう?」


 庭へと出ると、夫人が花壇に咲く、青と黄色という珍しい配色の花々を指して、嬉しそうに言った。

 

「本当だ、綺麗ですね」


 リシェルは賛辞を送りつつ、実際にはその美しさを楽しむ余裕などなかった。


「本当に素敵なお庭ですね」


 言いながら辺りを見回す。よく手入された庭には、夫人が我が子のように大切に育ている花々が咲き誇っていた。


 その彩りと茂みの向こうに、外へ出る小さな裏門を見つけた。


「ふふ、ありがとう。お気に入りのお花ばかり集めたのよ」


「あの、少し見て回ってもいいですか? この前はゆっくり見れなかったので」


「もちろんいいわよ。お庭の花たちも、リシェルちゃんに見てもらえて喜んでるわ」


 夫人は快く承知してくれた。彼女への罪悪感で胸がちくりと痛む。だが、この機会を逃すわけにはいかない。

 

(ごめんなさい、オルアン様、奥様……)


 何やら庭の手入れに気を取られ始めた夫人の隙をついて、リシェルは気づかれぬよう、そっと裏門から外へと出た。







 



 

 リシェルはオルアンの家を抜け出ると、街道を走った。法院がある方角へと向かう。

 

 おそらく、シグルトは遅からずリシェルが逃げ出したことに気づくだろう。探知の魔法を使われれば、すぐに居場所も突き止められてしまう。


 なんとか捕まる前に法院へ行って、ブランに会わなくては。パリスの容態を確認し、事情を話す。ブランなら絶対にリシェルの力になってくれるはずだし、しばらくどこかにかくまってくれるだろう。シグルトも、さすがに親友であり現役導師のブランに、そこまで強硬な手段は取れないはずだ。そんなことをすれば法院全体の問題になってしまう。


 自由になって、それから――エリックに会いに行く。行って、真実を確かめる。シグルトの話した六年前のことが本当なのかどうか。エリックが一体何を知っているのか。そして――彼とリシェルの過去を、関係を。


 どんっ!

 正面から来た衝撃にリシェルはよろけた。

 突然、向こうから来た歩行者と思いきりぶつかってしまったのだ。


「きゃっ!」


 ぶつかったのは中年の女だった。ふらついて、近くの建物の壁に腕を打ってしまったのか、二の腕を痛そうにさすっている。


「ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」


 リシェルはうろたえて、女に話しかけた。完全に自分の不注意のせいだ。


「いえ、大丈夫よ……気にしないで」


 女は微笑んで首を振ったが、顔を上げリシェルを見ると、驚いたように目を見開いた。


「……って、あなた……もしかして、エレナちゃん?」


「え?」


 エレナ。

 その名を聞いた途端、心臓が跳ねた。


 ……そうだ。思い出した。魔力が暴走した時に見た映像。あのエリックと思しき黒髪の少年が、確かその名を呼んでいた。


「エレナちゃんだよね!?」


 女はリシェルの肩に両手を置き、まじまじと顔を見つめてくる。


「その黒髪と可愛らしいお顔……間違いない! エレナちゃんだ! 本当に大きくなって……でも、その目の色……もしかして魔道士になったのかい?」


「あの……私を知ってるんですか?」


 過去の自分を知る人間に思わぬところで出会い、リシェルの鼓動が早まった。


「私のこと、覚えてない? タニアだよ! 三軒隣に住んでただろう?」


「カロンの村の方……なんですか?」


 問う声が思わず震える。エリック以外にも、カロンの生存者はいたのだ。しかも、自分のことを知っている。


「そうだよ。六年前、娘の出産の手伝いで、村を出て王都に来ていたんだけど……その後にカロンの村があんなことになって……」


 タニアと名乗った女の目に涙が浮かんだ。


「てっきり、エレナちゃんも六年前のあの争いで亡くなったものだとばかり……無事で本当によかった」


 間違いない。

 エレナ。

 それが自分の本当の名だ。


「あ、あの、私……」


 聞きたいことは山ほどあるのに、あまりの興奮と緊張で声が滑らかに出てこない。


 だが、次の瞬間、目を潤ませてタニアが発した問いに、リシェルは声を失った。


「エリック君も――お兄ちゃんも無事なのかい?」

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