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89 監禁

「食事、あまり食べていないようですね」


 テーブルの上にほとんど手つかずで置かれた夕食を見て、シグルトはため息をついた。


「……食欲がありません」


 リシェルは窓のすぐそばの椅子に腰掛け、彼から顔を背けながらぶっきらぼうに答えた。窓ガラスには、こちらを向いて立つ彼と、その後ろで手際よくテーブルの上の食器類を盆に載せていくセイラの姿が映っている。毎回、彼女が作ってくれた食事をこんなに残すことに罪悪感も感じるが、セイラの方は気にした様子もなく、てきぱきと片付けを進めていく。


「しっかり食べないと駄目ですよ」


「ずっと部屋にいたら、お腹も空きませんから」


 セイラが盆を持って部屋から出ていくのを確認すると、リシェルは振り返り、シグルトをきっと睨み(にら)つけた。

 

「先生、いつまで私をここに閉じ込めておくつもりなんですか?」


「閉じ込めるだなんて……人聞きの悪い。まるで私が君を監禁してるみたいじゃないですか」


 シグルトは困ったように笑う。法院から帰ってきて、玄関からそのままリシェルの元に直行したのだろう。導師のローブ姿のままだ。


「実際してるじゃないですか」


 あの事件から既に五日が経っていた。リシェルはあれからずっと、自室に閉じ込められている。扉には外から鍵がかけられ、開くのはセイラが食事を運んでくる時と、シグルトがこうして様子を見に来る時だけ。部屋には小さなバスルームもついているから普段の生活に支障はないとはいえ、外に出られない状況はストレスも溜まる。


 最初は朝食と夕食時だけは部屋から出され、食堂でシグルトと食べていたのだが――お手洗いに立ったふりをしてこっそり家から外に出ようとしているのを見つかってからは、それも無くなり、部屋から一歩も出してもらえなくなった。


 シグルトに何度外に出してくれるよう頼んでも、君は今は休むべき、外はまだ危険だから、と繰り返すばかり。一度、食事を運んでくれたセイラにも駄目元で頼んでみたが、やはり「ご主人さまのご命令ですので」とあっさり首を横に振られた。


「私は君にゆっくり休んでもらおうとしているだけです」


 案の定、シグルトはお決まりの返答を返してくる。


「なら鍵をかける必要ないですよね?」


「君が勝手に出歩こうとするからですよ」


「なんで外に出たら駄目なんですか? 私はもう元気です」


 確かに最初は強い疲労感と目眩めまいを感じていたが、五日も寝ていればもうすっかり回復している。これ以上休む必要があるとは思えない。


「君は自分が思っている以上に消耗してるんです。無理したらまた倒れますよ。それに言ったでしょう? ルーバス君は現在行方知れず。また襲われるかもしれません。私は君のことが心配なんです」


 シグルトはゆっくりリシェルに近づくと、さらりと一房その黒髪をすくい上げ、指先でもてあそんだ。その顔にはからかうような笑みが浮かんでいる。

 

「本当は片時も君のそばを離れたくないんですよ。仕事も行きたくないけれど、そういうわけにもいかないし……せめて家にいる間はずっと一緒の部屋に居て欲しいのに、君は私と食事もしてくれなくなってしまって。もう寂しくて寂しくて……そうだ、夜は私の寝室で一緒に寝ません? 何もしませんから」


「絶対に嫌です」


 リシェルはきっぱり言い放つと、シグルトから顔をそらした。あの事件の翌日から、シグルトは何事もなかったように、普段通りの態度で接してくる。どこかふざけた、本気とも冗談ともつかない物言い。いつも通りにしていれば、そのうちリシェルの気持ちも軟化するとでも思っているのだろうか。自分の怒りがきちんと伝わっていないようで、リシェルは余計に腹が立っていた。


「まだ機嫌、直してくれないんですね」


「当たり前じゃないですか。勝手に魔力を封印して、嘘ついて……」


「嘘をついたことは悪かったと思ってますが……全部、君のためですよ。魔道士なんて、ならないで済むなら、なるものじゃないんです。魔力が強ければ、否応なく魔物退治だの、戦争だのに駆り出されて、危険なことばかりだし。ルーバス君のように、精神状態がおかしくなってしまう人もいますし」


 優しげな声は、かたくなに同じ主張を繰り返す。君のためだ、封印を解く気はない、と。


「リシェル、わかってください。私は君を守りたいだけなんです」


 シグルトの指からリシェルの黒髪がすべり落ちた。それを追うように、シグルトが身を屈める。唇が額に触れる寸前――リシェルは迫ってきた婚約者を両手で押し返し、突き放した。


「そうだとしても――魔道士になるかどうか決めるのは私です。先生じゃありません」


 見上げてくる敵意を宿した薄紅色の瞳に、シグルトは苦笑すると、肩をすくめた。


「もうすぐ結婚式だって言うのに……困りましたね。これじゃあ本当に誓いのキスも拒まれそうだ」


 結婚式――

 気づけばもう式の日まで残り一月もない。


(結婚……するの? こんな気持のまま……?)


 リシェルはぎゅっと膝においた手を握りしめた。


「結婚式だなんて……あんなことがあったのに……」


 思い浮かぶのは、倒れた友の姿。彼も、結婚式に来てくれることになっていた。


「……パリス、まだ目を覚まさないんですか?」


「……ええ、残念ながら」


 毎日繰り返す質問に、今回も返ってくるのは同じ答え。その度に、胸がぎゅっと締め付けられる。


「確かに、あんなことがあったばかりですからね。今王都の外へ出るのはよくない。残念ですが新婚旅行は延期しましょう。でも……」


 シグルトは当然のように告げた。


「結婚式は予定どおりに」


「そんな……」


「嫌なんですか?」


 問われて、答えに詰まる。シグルトの目がすっと細まった。


「まさか……結婚をやめたい、なんて言いませんよね?」


 あくまで冗談っぽい口調での、肯定を前提とした問いかけ。だが、見上げた紫の瞳は――少しも笑っておらず、探るように婚約者を見下ろしていた。


「……!」


 彼の常とは違う雰囲気に、リシェルは身を強張こわばらせた。


「いいですよ。君が結婚式が嫌だというのなら、別にしなくても」


「え?」


「結婚するからといって、必ずしないといけないものでもないですし。でも……いまさら結婚自体をやめるなんて言うのはなしですよ」


 シグルトは薄い笑いを顔に張り付かせながら、かがんでリシェルを間近でのぞき込む。硬直した少女を捉える紫の瞳には、以前よりもさらに強さを増した執着がにじんでいた。そして、どこかあの時のルーバスにも似た、仄暗い闇も――


「どうします? 結婚式、取りやめます? 挙式をしないなら――」


 シグルトの手がリシェルのあごにかかった。親指がするりと唇をなぞる。生温かい感覚とは反対に、リシェルの背筋はぞわりと冷えた。


「君の希望通り、結婚式までは……と思ってましたが、もう待つ意味もないですよね。今ここで、夫婦になりましょうか?」


 リシェルは息をんだ。緊張で心臓がばくばくと音を立てる。


 間近にある紫の瞳に映る自分の顔は、怯えているようにも見えた。

 物音もしない、張り詰めた沈黙。


 揺れる薄紅色の瞳をしばらく見つめた後、シグルトは手を放し、リシェルから離れると、安心させようとするように微笑んだ。


「……なんて、冗談です。やっぱり結婚式はちゃんとしましょう。君の花嫁姿、ずっと楽しみにしてたんですから」


 明るい声と普段どおりの優しい笑み。だが、リシェルが安堵することはなく、心臓の鼓動はずっと早まったままだった。


「大丈夫。パリス君ならきっと元気になりますよ。彼は見かけと違って、なかなか根性があるようだから。そう思いつめないで」


 強張こわばったリシェルの頬をするりと撫で、そろそろ戻りますねと告げると部屋の扉へ向かう。


 その背に、リシェルはかすれた声で問いかけた。

 

「……先生。先生は……何がしたいの? 私を、どうしたいの?」


「……幸せにしてあげたいんです」


 扉が閉まった後、続いて、もうこの数日ですっかり聞き慣れた、がちゃりと鍵を閉める冷たい音が響いた。 





 


 

 翌朝。

 窓の外、眼下でシグルトが家の門から出ていこうとするのが見えた。

 彼は視線に気づいたのか、門をくぐる前に、こちらを振り返った。目が合うと、にこりと笑って、行ってきますとばかりに手を振ってくる。


 リシェルはぷいと顔を背け、窓から離れると、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 今日も一日、この四角い檻の中で長い時間を過ごさなければならない。


 なんとか出られないものかと方法を探ったが、部屋の扉はなかなかに頑丈で、体当たりしたところでびくともしない。窓から逃げることも考えたが、ニ階の高さから降りられるような足場はどこにもない。


 リシェルはなす術なく、部屋でぼんやりと過ごしていた。机の上にはシグルトが暇つぶしにと持ってきた本が数冊積まれているが、文字など読む気力がわかず、そのままにしてある。その大半が恋愛小説なのもどうにもしゃくに触った。他にも、ご機嫌取りのつもりなのか、毎日のように仕事帰りにお菓子の類を土産に買って来るのだが、それらも手つかずで棚の上に放置してある。


 時間を持て余してすることもないと、思考は悪い方へ流れていく。


(パリス……大丈夫かな……?)


 毎日シグルトに彼の容態について確認はしているが、未だに目覚めていないらしいパリス。ただ、それも果たして本当なのかどうか。魔力の封印のことを知って以来、もうシグルトの言葉すべてが信じられなくなっていた。


 ――多分あいつ、あなたのことはお気に入りのお人形程度にしか思ってないわよ。

 ――あいつがあなたに魔法を教えてこなかったのも、あなたを魔道士として自立させないで、自分に頼るしかないように仕向けるためだったんじゃない?


 以前、ディナが言っていたことを思い出す。あの時は、そんなはずはないと思っていた。シグルトを信じていたから。でも、今は……


 彼が自分の魔力を奪っていたこと、それを隠して理解ある優しい師匠のふりをしてきたこと、ずっと嘘をついてきたこと……すべてを知ってしまった今は……ディナの言った事も当たっているのではないかと思える。


 ――私はただ、君にそばにいて欲しいだけなんです。ずっと、私のそばに。


 結局、シグルトは、リシェルを自分の思い通りにしたいだけなのではないか。ずっと自分のそばに置きたいから、魔道士を諦めさせ、求婚を受け入れさせる。そのために、魔力を封印し、才能がないと思い込ませ……魔道士の道さえってしまえば、他に頼れる人間も、一人で生きていけるだけの知識も技術もないリシェルは、自分に頼るしかなくなる。求婚だって拒みはしないだろう。そう考えたのではないか。


 最初は確かに子供だったリシェルの安全のために、魔力を封じていたのかもしれない。だが、その方が自分に依存させるのに都合がいいから、その後も魔力を奪い続けた。リシェルの魔道士になりたいという意思も、いつかシグルトの役に立ちたいという想いも無視して。


 シグルトにとって、リシェルの意思も気持ちも、その程度のもの……いや、むしろ邪魔なものですらあったのかもしれない。


 気づくと、じんわり涙が溢れてくる。ずっと、誰よりも信じてきたシグルト。その彼を信じられなくなっていることが……こんなにも悲しいなんて。彼への信頼が、記憶のない自分にとって、思う以上に大きな支えであり拠り所だったのだと気付かされる。


 リシェルは横に寝返りをうった。目から涙が流れ落ち、シーツに染みを作る。同時に首元で動く、硬い感触。

 

 そっと服のえりに手を入れ、指先で触れた鎖を引っ張り出す。窓からの光を受けて、きらきらと輝く、薄紅色のガラスの花びら。エリックからもらったペンダント。


 ――お前がもし、あいつを信じられなくなったら……俺を信じると決めたなら……俺はお前に、知っていることを話そう。六年前のあの日、何があったのかを……


 エリックのあの時の言葉。

 彼は一体、何を知っているのだろう? 彼は……自分の過去と、自分の知らないシグルトの姿を知っているのだろうか?


 魔力が暴走した時――少しだけ過去のことを思い出した気がする。記憶はおぼろげだが、闇の中、現れた黒髪の少年。あれはエリックだった。


 自分と彼は過去に出会っている。だとするなら、彼はアーシェのことも知っているはずだ。


 シグルトが語ったアーシェとの過去。彼女にリシェルを託されたのだという話。

 それらが真実なのか、嘘なのか、エリックは知っているのかもしれない。


(エリックさんに、会わなきゃ……)

 

 だが、もし、彼に会ったなら、その時は――


 シグルトとの関係は、決定的に壊れてしまう。

 もう昔には戻れなくなる。

 そんな予感がした。


 また涙が一筋あふれる。


 この六年、誰よりも信じてきた人。

 彼のそばは、優しくて、温かくて……リシェルにとって唯一の安心できる居場所だった。


 だから、シグルトがカロンでしたことを知った時は、彼がしたことよりも、彼との関係が変わってしまうこと、大切な居場所を失う可能性に恐怖した。


 エリックに会えば、今度こそシグルトとの関係は終わりを迎えるかもしれない。


 胸がきりきりと痛む。


 今なら――魔力の封印も、嘘をついていたことも、全部許して、シグルトを受け入れれば、また元に戻れるだろう。今まで通り、彼のそばにいられる。

 

(でも――)

 

 リシェルは涙をぬぐった。

 自分はもうシグルトを信じられなくなっている。


 パリスの容態も、過去のことも、自分の目で本当のことを確かめなければ。


 もうすべてを曖昧あいまいにして、シグルトとの居心地のいい関係に戻ることなんてできない。


 自分のこの弱さのせいで、また誰かが傷つくのは嫌だ。

 

(なんとかして、ここから出ないと――)


お読みいただきありがとうございました!

話数が増えてきたので、章で区切りを入れてみました。

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