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87 対価

 にらまれたルーバスは状況に混乱しながらも、自身を奮い立たせ、予定通りの台詞を叫んだ。


「わ、わわ私は! あ、あなたに決闘を申し込む! あなたに勝って、彼女は私がもらう!」


「……君はルゼルと違って、身の程をわきまえる分別があると思っていたのですが。気でも触れましたか? せっかくあの時見逃してあげたのに……どうやらよっぽど死にたいらしいですね」


 ルーバスは気圧され、一歩後退した。すごまれただけであっさり怯えを見せる相手に、シグルトの目に軽蔑の色が浮かぶ。興を失ったように、意識を失い横たわるリシェルへと再び視線を戻した。


 指先を伸ばし、その涙に濡れた白い頬を愛おしそうに撫でる。


「まったく、次から次へと……他人ひとのものに手を出そうとする不届き者ばかりで、困ったものです。これでは不本意ですが、誰の目にも触れないよう、この子をどこかに閉じ込めて、隠しておくことも本格的に考えなきゃいけませんね」


 深いため息を吐き出し、今度は床に伏して倒れるパリスへと視線を移す。

 

「それにしても……実力的にあなたよりはるかに勝るパリス君がやられるとは……リシェルを人質にでもしましたか?」


 シグルトのあざけるような推測に、ルーバスは顔を赤らめ鼻息を荒くした。


「ば、馬鹿にするな! 私はもう今までの私じゃない! 私は大魔道士ガルディアにも劣らない力を手に入れたんだ! お前にだって負けない!」


 ルーバスの言葉に、シグルトははっと目を見開いた。


「まさか……」


 振り返りざまに、ルーバスに向かって手を一閃いっせんさせる。放たれた白い光の刃は真っ直ぐにルーバスへと向かっていった。


「ひっ……!」


 ルーバスは小さく悲鳴を上げ、恐怖で目を閉じると、及び腰になりながら、必死で両手を突き出した。身を守るべく結界を展開する。


 情けない男の生み出した魔力の障壁は、シグルトの光の刃を受け――それをあっさり弾き、消失させた。


 ルーバスは恐る恐る目を開けると、自身の無事を確認すべく、まじまじと自らの両手を眺めた。驚愕きょうがくにぽかんと開いていた口が、やがて笑みの形に歪む。

 

「は……はは……ははははは! 防いだ! 防いだぞ! 大魔道士シグルトの攻撃を! ルゼルにも防げなかった攻撃を! 私は強い……強くなったんだ! 誰よりも!」


「――――セイラ」


 シグルトが呟くと同時に、ルーバスの横手に黒い影が現れた。影は瞬時にルーバスに接近し、その首めがけて飛びかかる。


「ひっ……!」


 ルーバスは間一髪で横に飛び退き、それを避けた。現れた影――セイラの指先の鋭く伸びた爪が、ルーバスの首に巻かれた白い包帯をかすめた。わずかな血を吸い、包帯ははらりと彼の首から落ちていく。


 包帯の下、彼の肌に刻まれていたのは、蜘蛛の巣のような紋様の、黒いあざ。 


「やはり、か……愚かなことを……」


 シグルトは眉を寄せ、表情を険しくすると、声を張り上げた。


「一体誰です!? 君に契約を持ちかけたのは!?」


「お前には関係ない!」


 ルーバスは叫ぶと、反撃すべくセイラに向かって魔力を放つ。女の姿をした魔竜はさっとそれを避けると、主のすぐ横に飛び退いた。


 間髪入れずにシグルトが再び攻撃するものの、それらはルーバスの結界にすべて無効化されてしまう。 


「私の魔力がまったく通じていない。ということは……」


 シグルトは唇を引き結んだ。

 

「セイラ、君はリシェルのそばに」


 主の指示に、忠実なメイドは眠る少女の側に寄り添った。シグルトがさっと二人に向けて指を鳴らす。二人を守るように、淡く輝く球状の白い光が彼女たちの周りを覆った。


 それからシグルトは、倒れて動かないパリスをちらりと見やる。


「……まあ、助けるとリシェルに約束しましたからね」


 一瞬思案したものの、ぱちんと指を打ち鳴らす。パリスの周りにも白く輝く結界が張られた。


 シグルトの攻撃を防ぎきったルーバスは、興奮もあらわに、シグルトに向けて魔法を乱れ撃ち始めた。ルーバスの攻撃と、シグルトの結界がぶつかり合い、魔力の火花があたりに飛び散る。息つく間もない攻撃に、シグルトは防戦一方で反撃する様子はない。


 結界ごしに、シグルトの表情に焦りが浮かぶのを見て、ルーバスは歓喜に打ち震え、叫ぶ。

 

「勝てる! 勝てる! 私が! あのシグルトに! お前を倒したら、次はルゼルだ! いつも私を馬鹿にして、こき使ってきたあいつを今度は私が痛めつけてやる!」


 勝利を確信した男は、たかぶるまま、さらに攻撃を強めた。

 だが――

 

「がはっ!」


 突然、脇腹に衝撃と、焼け付くような痛みが走り、ルーバスは床に膝をついた。その脇腹から、じわじわと赤い染みが広がっていく。

 何が起こったか分からず、ルーバスは痛みにうめき、傷口をおさえながら、背後からする気配に振り返った。


 後ろには、前方の結界の中にいるはずのシグルトが立っていた。


「なん、で……?」


「何を驚いてるんです? 空間移動の術があることくらい当然知ってますよね? 君は使えないのでしょうけど」


 涼しい顔で言うシグルトに、ルーバスは再びばっと視線を前へ戻した。そこにはやはり結界の中にいる男の姿があった。


「あれね、幻術ですよ。全然気づきませんでした?」


 結界とその中のシグルトの姿がふっとき消える。

 ルーバスはくっと喉を鳴らすと、再び振り返りシグルトに向けて攻撃を連続で撃ち出した。それらはすべてシグルトの前に張られた結界に防がれる。


「君、さっきから基本的な魔法ばかり闇雲にってきますけど、それじゃあ当たりませんよ。私の防御を破れないのはわかったでしょう? 攻撃の軌道を変えるとか、不意打ちするとか、少しは工夫しないと。私と同等の魔力があっても、使いこなせないんじゃ意味ないですよ?」


 単調に同じ攻撃を繰り返す敵に、シグルトは呆れたように言い、それからあざ笑うように口の端を吊り上げた。

 

「まさか、魔力さえあれば、私に勝てるとでも思ってたんですか? められたものですね」


「うるさい!」


 図星を突かれて、ルーバスは怒りにかられ、傷口を抑えていた手も放し、両手でさらに多くの魔力の弾を打ち出す。


 自らの張った結界に守られ、魔力の衝突によって生み出される火花に照らされながら、シグルトは嘆息する。


「いるんですよねぇ、君みたいな、魔力が全てだと勘違いしてる魔道士って。魔道士の強さって、魔力だけで決まるものじゃないんですよ。魔力制御の精密さ、術の手数の多さ、状況に応じた術の選択、常に冷静さを保てるか……いくら魔力が強くても、他の要素が欠けたら、格下の相手に負けることもある。弟子たちにも散々言ってきたことなんですが……後世まできちんと私の教えが浸透していないのは残念ですね」


「何を訳の分からないことを!」


 ルーバスの放った魔力の光弾はシグルトの結界に弾かれ、周囲に飛び散っていく。天井や床に穴を開け、並ぶ長椅子を木っ端微塵(こっぱみじん)にする。やがて光弾の一つがガルディア像に当たり、その上半身が砕け散った。


 シグルトは壊されていく講堂と、崩れ落ちた大魔道士の像を見回し、のんびりとつぶやく。


「やれやれ、これじゃあ改修どころか建て直しが必要かもしれませんね。まあ、あの像を壊してくれたのはよかったですが。弟子たちには私の姿を残すな、と遺言したはずなのに……あんなもの作って。しかも、あれじゃ別人じゃないですか。なんだってあんなお爺ちゃんにしちゃったんでしょう? どうせ作るなら実物通り、格好良くしてくれればよかったのに」


「さっきからぺらぺらと……馬鹿にしてるのか!?」


 攻撃を受けていることなどまるで意に介していないかのような態度に、ルーバスは顔を真っ赤にし、息を荒げた。


 シグルトはガルディア像から、交戦中の敵に視線を戻すと薄く笑う。


「あまり興奮しないほうがいいですよ。魔力を制御できなくなる。常に冷静にあるべし。魔道士の基本でしょう? ルゼル導師はそんなことも教えてくれないんですか?」


「うるさいうるさいうるさい!」


 ルーバスは激高し叫ぶ。感情的に怒鳴る様は彼の兄によく似ていた。


 次第に彼の放つ光弾のうち、シグルトの結界に当たらず、あらぬ方向へ飛ぶものが増えてきた。ルーバスの額には脂汗が浮かび、激しい呼吸で肩が上下している。


「……もうそろそろですかね」


 シグルトが呟くと――ルーバスが突然、びくんと全身を痙攣けいれんさせ、前へと倒れ込んだ。床に伏したルーバスはすぐに立ち上がろうとするが、その後も手足が痙攣し、ただもがくだけで終わった。


「な、何だ!?」


「ルーバス君。今、君と私の魔力は対等になってますから、お互いの攻撃を完全に防御できてしまう。単純な力勝負では決着がつかない。なら、不意をつくか、相手をより早く消耗させるかしかないでしょう」


 シグルトは結界を解き、ゆっくりと倒れた男の方へと歩み寄る。ルーバスは震える手をなんとか持ち上げ、魔力の光弾を放つが、それはシグルトの横をかすめてはるか後方の壁をえぐって消えた。


「一気に魔力が強くなったんです。まだ制御に慣れていないのに、いきなり魔法を使い過ぎれば体に過度の負荷がかかる。まして、君は怪我しているのに治癒もせずに、私の挑発に乗って魔法を使い続けた。すぐに限界が来ると思ってましたよ。それだけ強い魔力の負荷は、なかなかに体にこたえるでしょう? わかりますよ。……私も最初はそうなりましたからね」


 シグルトは足を止めると、じっとルーバスを見下ろす。その目には、軽蔑と、ほんのわずかな哀れみがあった。


「ルーバス君。君は確かに導師になるには実力不足でしたが、魔道士としては上位の、十分優秀といえる力があった。なのに、自分の魂を汚してまで、それ以上を望んだんですね。本当に愚かだ」


 言ってから、自嘲じちょうするように笑う。


「……なんて、どの口が言ってるんでしょうね」


 一瞬目を伏せ、再びルーバスと目を合わせた時には、そこに一切の同情は消えていた。


「ルーバス君、君は私からあの子を奪おうとした。正直このまま殺してやりたいところですが……君に契約を持ちかけたのが誰か、教えてくれたら命だけは助けてあげます」


「……!」


「君がその力を使いこなせていない様子からして、契約したのはつい最近でしょう?」


「そ、それは……」


 ルーバスの小さな目が迷いで揺れる。


「契約のことを口外すれば殺すとでも言われたのでしょうが……言わなければ、今ここで私に殺されるだけですよ?」


 自分を見下ろす紫の瞳が嗜虐しぎゃく的に細まり、冷酷に底光りする。

 ルーバスが震えながら口を開きかけた、その時――

 

「どうなってるんだこれ!?」


 戦いが終わり、静まっていた空間に、男の動揺した大声が響いた。講堂の入り口に赤髪の大男――ブランの姿があった。変わり果てた講堂内の様子に、困惑した面持ちで辺りを見回している。


 ルーバスが動いた。震える手でもう片方の手を支えながら、再び魔力の光弾を放つ――ブランに向かって。


「な、なんだ!?」


 突然の自分への攻撃に、頭が追いつかずブランは目を見開き硬直する。

 シグルトは舌打ちしながら素早く、手のひらを友に向けた。直後にブランの前に現れた魔力の障壁が、ルーバスの光弾を弾く。


 その一瞬の隙をついて、ルーバスは最後の力を振り絞り、よろけながらも、舞台の方へ全力で走った。舞台前にたどり着くと、彼の足元に光の線で描かれた魔法陣が浮かび上がる。


 シグルトは彼の背に向かって光の刃を放つが、それは虚しく空を切り、舞台を壊しただけだった。

 

 ルーバスの姿は消えていた。


「……逃げられましたね」


「今のはルーバスか? シグルト、これは一体――パリス!?」


 つぶやくシグルトに、混乱するブランは状況を確認すべく歩み寄ろうとし――すぐに血まみれで倒れているパリスに気づき、血相を変えた。


「おい、しっかりしろ! パリス! パリス!!」


 悲痛な友の叫びを聞きながら、シグルトはルーバスが消えた後をじっと見つめる。


「……ノアデリユス」


 口にするのも忌まわしい名に表情を険しくしながら、視線を自らの下僕に付き添われて眠る少女へと移した。その涙の跡の残る寝顔を見て、ぐっと奥歯を噛み締める。


「……絶対に……渡さない。絶対に……守ってみせる」


 無意識に六年前に立てた誓いを口にすると、シグルトは泣き叫ぶ友の元へと歩み寄った――





 





 床に置かれたろうそく一本だけが照らす、薄暗い、家具も窓も何もない部屋の中。

 ルーバスは床に両手をつき、ぜえはあと荒く呼吸を繰り返しながら、全身を襲う激痛と震えに耐えていた。

 

「やあ、お疲れ様」


 ろうそくの光の届かない、闇の中から一人の青年がぬっと姿を現した。


「ヴァイス様……」


「君とまた会えてよかったよ。念のため、講堂に脱出用の魔法陣を用意しておいて正解だったね」


 ヴァイスは眉を下げ、憐れむように動くこともままならない男を見下ろす。


「しかし……失敗か。残念だったね。彼は僕の存在に気づいていたかな?」


「は、はい。ヴァイス様……シグルトには契約を持ちかけた者の名前を言えば命は助けると言われました……で、ですが! わ、私はあなたのお名前は言っておりません!」


「うん、正しい判断だよ。シグルトに僕の名前を言っていたら、彼はその後すぐに君を殺しただろうから。命は助けてやるだなんてとんでもない。彼は大嘘つきだからね。――さて」


 ヴァイスは微笑みながら言い、そのまま柔らかな声音で問う。

 

「僕との契約内容は覚えているよね?」


 場の空気に緊張が走り、ルーバスはごくりと唾を飲み込んだ。


「は、はい。もちろん……」


「僕は君に力を与えた。その対価を君が僕に渡すのは、君が死ぬ時、もしくは、僕が君ではシグルトに勝てないと判断した時」


 ヴァイスは微笑みは崩さぬまま、ただ困ったように眉を下げた。


「ルーバス君。彼と同じ方法で力を与えてはみたものの……やっぱり、君じゃシグルトには勝てないようだね」


「そんな! 違うんです! 私はまだこの力に慣れていないだけで……もう少しお時間をいただければ、必ず勝ってみせます!」


 最悪の結末を回避すべく、ルーバスは必死で顔を持ち上げ、目の前の美青年に訴える。


「うーん、それはどうかな? シグルトも可愛いあの子にうつつを抜かして、最近ではすっかり腑抜ふぬけているように見えたからね。僕の存在をちらつかせて動揺させれば、君でも彼を倒せるんじゃないかと期待したのだけれど……思ったほど鈍ってなかったみたいだ。君じゃあ彼を倒すのは無理だよ」

 

「そんな! お願いです! ヴァイス様、どうか、私にもう一度挽回(ばんかい)の機会をお与えください!」


 懇願するルーバスは、震えながらヴァイスの足にすがり付いた。


「残念だけど、諦めて。君は悪魔にはなれない。君程度の魂ではね」


 あっさりと慈悲を乞う男を突き放し、青年は可笑しそうに笑った。 


「改めてわかったよ。やっぱり彼は特別だったんだな。なにせ、僕も長く生きてるけど、彼ほど強欲で身勝手な人間は見たことがないからね」


 ヴァイスのしなやかな手が、ルーバスの首をがっと掴んだ。そのまま片手で軽々と哀れな男を自らの目線まで持ち上げる。 


「さて、約束通り、もらうよ」


 目の前の、血のように赤く不吉な瞳が、ルーバスをとらえる。迫る死の恐怖に、ルーバスはもがき叫んだ。


「い、嫌だ! 嫌だ! 助けて、兄さん――――!」


「対価を――君の、魂を――」


 ヴァイスの唇が、ルーバスのそれを塞いだ。ルーバスの絶叫と、見えない何かがヴァイスの口に吸い込まれていく。


 ルーバスのその小さな目が限界までの見開かれ、体が数度びくびくと痙攣した後――やがて男の身体から力が抜け、手足がだらりと垂れ下がる。


 契約の終わりである口づけを終えて、ヴァイスは手を放した。ルーバスの体が床にどさりと落ちる。


「うん、期待してなかったけど……やっぱり不味いな」


 ヴァイスは幾分不服そうに眉を下げ、自らの唇をそっと指でぬぐった。


「しかし、君も馬鹿だね。仮にあの子を奪い取って無理矢理手に入れたとしても、あの子を幸せにすることも、自分が幸せになることもできやしないのに」


 はかない夢を見て、敗れ、動かなくなった哀れな獲物を見下ろし、赤い目を細めて悪魔はわらう。

  

「悪魔と取引して、魂を汚した人間が、まともに人を愛せるわけがないんだから。ねぇ、そうだろう? ガルディア――」


お読みいただきありがとうございます!

今日完成させてあまり見直し出来ずに投稿したので誤字脱字あったらすみません。

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