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85 暴走

 どさりと――パリスが前に倒れた。


「え……? パリス……?」


 あまりにも一瞬のことだった。すぐには目の前で起こった事態を把握できない。


 倒れたパリスの白いローブが赤く、そして彼の周囲の青い絨毯がどす黒く染まっていく。不吉な染みがその範囲を見る間にじわじわと広げていった。


「パリス!」


 ようやく凄惨せいさんな現実を認識し、リシェルが叫び声を上げた。


「パリス! パリス! しっかりして!」


 だが、パリスに反応はない。伏した顔は青い髪で隠され、その表情は見えなかった。


「やった! やったぞ! パリス・ユーメントに勝った! あの神童に! この力は本物だ!」


 ルーバスもまた勝利に酔いしれ、叫ぶ。

 リシェルは駆け出し、パリスの元へ行こうとしたが、ルーバスに腕を掴まれ、引き止められた。


「見ましたか!? リシェルさん! 私の力を! 次はシグルトを倒してご覧にいれます!」


 興奮するルーバスの手を、暴れてなんとか振りほどこうとするが、叶わない。


「放して!」


「駄目ですよ、私のそばを離れては」


「パリスがっ……このままじゃパリスがっ!」


 今すぐパリスの元へ行って、治癒魔法をかけなくては。リシェルは必死でルーバスの手から逃れようとするが、彼はそのやせ細った見た目よりは力があるのか、あるいはリシェルへの執念ゆえか、決して手を放そうとはしない。


「そうですね。あの出血では、すぐに死ぬでしょう。当然の報いですよ。いい気味だ」


「パリスっ!」


 ルーバスは眉をしかめて、泣き叫ぶ少女を力任せにぐいっと引き寄せると、自身に向き直させた。


「さっきからパリス、パリスって……あいつは私に負けた。もう死ぬんです。あんな奴、放っておけばいいじゃないですか」


「どうしてこんなことを!? パリスが何したっていうの!?」


 なぜパリスがこんな目にあわなければならないのか。彼はただ自分を助けようとしてくれただけなのに。


「あいつはずっと私を馬鹿にしてきた。あなたなら私の気持ちがわかるはずだ。知っていますよ。あなたもあいつにずっときつく当たられてきたこと。お辛かったでしょう?」 


「それは昔のことで今は――」


 リシェルの否定をしかし、ルーバスは無視した。自分の気持ちをすべて吐き出すようにまくし立て続ける。


「でも、仕方ありません。あなたも私も弱かったから。強い者は弱い者をどう扱っても許されるんです。弱い者は生きるために、それを受け入れ、従うしかない。私はどれだけ酷い扱いを受けても、ずっとルゼルに従ってきた。リシェルさん、あなただってそうでしょう?」


 反論は許さないでも言うように、リシェルを掴むルーバスの手の力が強まった。


「身寄りもなく、何の力もないあなたが生きるためには、シグルトに従うしかなかった。彼の言いなりになって、彼のものになるしかなかった。そうですよね?」


「ちが――」


「かわいそうなリシェルさん。あなたと私は同じなんです。だから、あんなに私に優しく笑ってくれたんでしょう?」


 ルーバスの顔に歪んだ笑みが浮かぶ。そのにごった瞳に、怯えきったリシェルが映っている。だが、彼は実際には目の前の少女を見てはいない。彼が見ているのは、彼にとって都合のいい幻想だ。


「リシェルさん、私なら、あなたの気持ちをわかってあげられる。シグルトやルゼルのような、生まれながらに強者だった奴らに、私たちのみじめさがわかるはずがない。あいつらは弱い者をただの道具や玩具おもちゃとしか見ていないんです。自分の思い通りにもてあそんで、いたぶって、奪って……それが当然だと思っている。でも、私は強くなった。今度は私があいつらをいたぶって、奪って、殺して……私があいつらに成り代わってやる」


 降り積もった憎しみと、暗い殺意と決意とをさらけけ出すと、ルーバスは捕らえた少女をさらに引き寄せた。


「リシェルさん、安心してください。シグルトもルゼルも殺して、私が弱いあなたを守って差し上げます。あなたはもう私のものなんですから」


「か、勝手なこと言わないで」


 震え声で言うリシェルに、ルーバスは聞き分けのない子供にするように、優しくさとした。


「勝手なことではありません。さっき言ったでしょう。強い者は何をしてもいい。弱い者はそれに従うしかない。この世界は、そういうものなんです。だから、あなたも私のものになるしかないんですよ」


 ルーバスは身勝手な持論を展開すると、強引に少女を自身の腕の中に閉じ込めた。


「大丈夫。私はあなたを愛していますから。大切にします。だから、あなたも私を愛してくださいね」


「やっ……!」


 リシェルは身をよじって逃れようとしたが、ルーバスの手にするりと背をなでられると――途端に身体がしびれたように動かなくなった。男の手はそのまま、ローブごしにリシェルの身体の上を、その感触を確認するかように、好き勝手にで回す。


「ああ、思った通り、あなたは温かくて、柔らかくて……あなたに触れられる日が来るなんて……夢のようです……!」


「嫌! 触らないで!」


 興奮を帯びたつぶやきと、全身をい回る骨ばった手に、嫌悪感で鳥肌が立つ。なのに、リシェルがどれだけ力を入れても、身体は石のように固まって、指先すら動かせなかった。唯一動く口だけが拒絶の意志を伝えてくれた。


 だが、返ってきたのは、耳元で囁かれる、憎悪と嫉妬混じりの声。


「シグルトにだってずっとこうやってれられてきたのでしょう? あなたのような愛らしくて、魅力的な女性ひとと一緒にいて、我慢できるわけがない。あいつはきっと毎晩のように、あなたを好きにしてきたのでしょうね。ああ、ねたましい……!」


 ルーバスは憎々しげに言って、リシェルのあごに手をかけると、上向かせた。うっとりと、少女の恐怖で揺れる薄紅色の瞳を間近で見つめる。


「でも、これからは私が――」


 ぎらぎらとした、どす黒い嫉妬と欲を宿した、茶色い瞳が迫ってくる。

 リシェルは必死で顔をそむけようとしたが、やはり身体は言うことを聞いてくれない。

 

 目に涙がにじんだ。

 このままでは、唇を奪われてしまう。

 

 結婚まではと、シグルトにも許さなかったのに。別に古い考えに縛られていた訳では無い。本当は、ただ恥ずかしかっただけだ。でも、シグルトはなんだかんだ言いながら、笑ってリシェルの気持ちを尊重してくれた。

 

 なのに。結婚式でシグルトに捧げると決めていた初めての口づけを、こんな理不尽に、狂気に取りかれた男に奪われるなんて――

 

 嫌悪感と、無力感と、シグルトへの申し訳なさで、絶望へと突き落とされる。

 

 唇が触れそうになる直前。

 

 横から魔力の発生を感じた。同時に現れた強烈な光が、ルーバスの酔いしれたような顔に激しい陰影を生み出す。


 ルーバスははっとして、リシェルの顎から手を外し、光が向かってくる方へと伸ばした。その手から魔力が放たれる。


 リシェルはすぐに気づいた。身体が、動く。ルーバスが動揺したせいか、魔法が解けたらしい。リシェルもまた光の方を振り返った。


 魔力の衝突による火花が、色とりどりの光をまき散らし、周囲を明るく照らし出す。

 

 それが収まった先に見えたのは、床に倒れたままのパリスの姿。だが、その顔と、片手の手のひらは、こちらに向けられていた。顔面蒼白になり、口の端から一筋血を垂らしながらも、パリスは焦点のはっきり定まらぬ目で、ルーバスをにらみつける。


「こ……の……変態……」


「パリス!」


 よかった。生きていた。反射的に駆けだそうとしたリシェルを、またもやルーバスの手がはばむ。


「僕……は……いい……逃げ……」


 途切れ途切れのパリスの声はひどく弱々しい。かろうじて開いているその青い目にも普段の輝きはない。意識を保つのもやっとなのだろう。その状態で無理に魔力を放ったのだ。彼の命の灯火ともしびは今にも消えてしまいそうに見えた。

 

「その出血でまだ生きてたのか。しぶといな」


 ルーバスは忌々《いまいま》しげに舌打ちすると、パリスに向けていた手を下へ打ち下ろした。


 不可視の圧力が倒れたパリスにのしかかり、ごぼっとその口から血があふれた。虚ろな青い目が、物言いたげにリシェルを見て――ゆっくりと閉じられる。


「パリス!」


 名前を呼んでも、反応はない。二度目の攻撃を受けて、新たにき出した血が、彼の周囲をさらに赤く、黒く染め上げる。


「死んだか? いや、念のため頭を潰しておくか……」


「やめて!」


 恐ろしい呟きに、リシェルは半狂乱になって叫ぶ。暴れるリシェルをルーバスは再び拘束魔法で縛り付けた。それから、動かないパリスへ手を向けると、その手に魔力が集まってくる。


 パリスは動く気配がない。もはや息をしているのか、していないのか。それすらわからない。


 リシェルの目から涙がこぼれ落ちた。


「パリス……!」


 ――お前、そんなにあっさり諦めるなよ。意外と見どころのある奴だと思ってたのに。

 

 魔道士の道を諦めようとした時、引き止めてくれたパリス。 

 いつも偉そうで、リシェルのことを馬鹿にするけれど、熱心に修行に付き合ってくれたパリス。

 アンテスタ任務で、過去を知って落ち込むリシェルを気遣ってくれたパリス。


 今だって、大怪我を負ってあんな状態なのに、リシェルを助けようとしてくれた。


 本人は否定するだろうけれど、本当は優しいパリス。

 リシェルの、初めての友達。

 

(嫌……パリスが死ぬのなんて……嫌……絶対に、嫌……!)


 今まで感じたことの無いほどの、激しい混乱と、悲しみと、絶望。それらが混じり合い、増大し、感情の容量を満たし、限界を超えて溢れ出す。

  

 ぱちん――と、何かが体の中で弾けた。

 心臓がどくん、と跳ねる。

 体の奥底から、激流のような衝撃が湧き上がる。


「いやあああああああああああああああ!」


 リシェルの絶叫と共に、講堂のステンドガラスが突然、砕け散った。割れたガラスが、日の光を受け、色鮮やかな輝く破片となって、講堂内に降り注ぐ。


 壁に、床に、舞台に、並べられた長椅子に、そして大魔道士ガルディア像にも、不可視の力を受けて次々と亀裂が入っていく。 


「うわぁ!」


 ルーバスもまた、その力に吹き飛ばされ、近くの長椅子に叩きつけられた。


 力の源は――リシェルだった。

 頭を抱え、膝を折り、今にも倒れそうに前のめりに立つ少女の長い黒髪と白いローブは、風を受けているかのように激しく乱れ、波打っている。


 その華奢きゃしゃな身体から、目に見えない力が――魔力が絶え間なく溢れ出し、周囲に無秩序に放たれている。


「ま、魔力暴走!?」


 近くの長椅子に身を隠しながら、ルーバスはかすれた声でつぶやく。

 強い魔力を持ちながら、その制御に不慣れな者が、平静さを失ったときに自身の魔力を暴走させてしまうことは珍しいことではないが――


 どういうことだろう。彼女にはほとんど魔力が無いはずではなかったのか。


 しかも、この魔力は――すさまじい。兄ルゼルをも軽く上回っているのではないか。日頃これだけの魔力を制御して抑えていたのか。いや、制御が出来るなら当然魔法だって使えていたはずだ。


「リシェルさん、あなたは一体――?」



お読みいただきありがとうございました!


ポイント、ブクマもありがとうございます。

最近忙しくてなかなか執筆時間が取れないのですが、頑張ろうという励みになっております。

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