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8 エリック

(黒い瞳に黒髪……)


 思わずまじまじと騎士を見つめる。

 年の頃はリシェルより少し上くらいだろうか。薄緑の騎士服の上に茶色のマントをはおっていた。


 自分と同じ黒髪も目を引くが、何よりその美貌に息を飲んだ。


 街灯の薄明かりで照らされるその顔は、恐ろしく整っていた。明かりによってもたらされる陰影すら、計算されたもののように、彼の彫の深い顔立ちを際立たせる。その様は、絵画の一場面のように美しかった。


 だが、あまりにもすべてが整い過ぎた容姿と、彼のどこか世の中に醒めているかのような無表情が、彼に近寄りがたい、冷たい雰囲気をまとわせていた。


 騎士は鞘を腰のベルトに吊るすと、


「……立てるか?」


 リシェルに手を差し出す。


「あ、ありがとうございます」


 リシェルは騎士の手を取ると、その手を頼りに、よろよろと立ち上がる。ネルン草の香りを嗅がされたせいで、まだ少し頭がふらふらとした。


「あ」


 よろけたリシェルを、騎士の腕が支えた。

 顔を上げれば、息がかかるほど近くに、騎士の秀麗で怜悧れいりな顔があった。何を考えているのかわからない、深い闇のような黒い瞳に見つめられ、リシェルは心臓が止まりそうになった。


 シグルト以外の男に、こんなに間近に近寄ったことはない。――まして、これ程の美貌の持ち主になど。


「す、すみません!」


 動揺し、慌てて彼から離れる。騎士は表情を変えず、じっとリシェルを見つめてくる。


「あの……?」


「……お前、魔道士じゃないのか?」


 問いかけられ、リシェルは自分のローブを握りしめた。騎士の言いたいことはわかった。


 ローブを着ていたし、リシェルの瞳の色は、常人にはありえないもの。誰もが魔道士だと判断するはずだ。


 魔道士なのに、なぜ魔法を使って身を守らなかった?

 そう騎士は言いたいのだ。


「一応、そうです……」


「一応? 術は?」


「その、まだ新米なもので……」 


 六年も魔道士の、それもエテルネル法院の導師の弟子をやっています、とは恥ずかしくてとても言えない。


「そうか……」


 それで納得してくれたのか、騎士は深くは追求しなかった。 


「家はどこだ? 送ろう」


「あ、いえ、そんな」


 正直また夜道を一人で歩くのは怖かった。だが、人見知りのリシェルには、見ず知らずの人にそこまでしてもらうのも勇気がいる。


「また襲われるかもしれないだろう」


「え、また?」


「あいつら、ただの通りすがりの暴漢じゃない」


「え?」


 思わぬことを言われ、リシェルは目を丸くする。

 ただの暴漢じゃない?


「お前のその格好を見れば、誰だって魔道士だと思う。ただの物盗りや、女に悪さしようとする奴なら、魔道士は絶対狙わない。魔法が怖いからな。あいつら、お前が魔法が使えないってこと、知ってたんじゃないのか?」


 淡々と語られる騎士の推測に、背筋がぞくりとする。

 誰かが自分を狙って、襲ってきた――?


「誰かから恨まれてるとか、心当たりはないのか?」


 リシェルは首を振った。

 自分を恨んでいる人間。

 確かに法院内の魔道士の多くが、自分を疎ましくは思っているかもしれない。だが、襲ってどうこうしようという程、恨まれる覚えはない。

 

「お前じゃなくても、お前の身近な人間とか、な」


「身近な人間……先生?」


 リシェルにとって、最も身近な人間。シグルトが誰かから、恨みを買っているというのか。


「先生? お前の師か? そいつが誰かから恨みを買っていて、とばっちりを受けたのかもな」


 騎士の声はなぜか冷ややかだ。


「まさか。ありえないです。先生は、恨みを買うような、そんな人じゃありませんから」


 リシェルは強く否定した。

 冗談も言うし小言も言うが、基本的にはいつも穏やかで優しい師。仕事ぶりは確かに怠惰だが、誰かに大きな迷惑をかけることは、リシェルが知る限りなかった。そんな彼が誰かから恨みを買うわけがない。


 騎士はなぜか眉をひそめる。彼の場合、柳眉りゅうびをひそめるという言い方のほうが合っているが。


「……信じてるんだな、そいつのこと」


「はい。私の恩人ですから」


「……恩人、か」


 騎士が口の端を吊り上げた。皮肉な、馬鹿にしたような笑い。自分を助けてくれた人ではあるが、なんとなく不愉快に感じた。


「まあいい。家まで送る。どこだ?」


「……西シャトラン地区の八番街です」


「貴族街の端のほうだな。行くぞ」


 有無を言わさず、騎士は歩き出す。

 リシェルは一人で帰る勇気をもう完全に失い、黙って後に従った。


 騎士は黙々と進んでいく。なんとなく、ではあるが不機嫌そうだ。家まで送る、と言ってはくれたが、内心は面倒事に巻き込まれてしまったことを悔やんでいるのかもしれない。


 まだ家まではかなり距離がある。

 このまま沈黙が続くのも気まずいので、リシェルは思い切って、前を歩く騎士の背に話かけた。


「あの……お名前伺ってもいいですか? あ、私、リシェルと申します」


「……エリックだ」


 無視されるかもしれない、と思ったが、きちんと返事が返ってきた。


「エリック……さん」


 リシェルは、時折外灯で照らされる、エリックの黒髪を見つめる。自分と同じ、この国では珍しい黒髪。


「エリックさんは、もしかして大陸東方部のご出身ですか?」


「……いや」


「違うんですか?」


「この国で生まれ育った」


「そうなんですか。黒髪、この国だと珍しいから……」


「お前も黒髪だろう」


「そうですけど……」


 それきりリシェルもエリックも黙りこむ。

 会話が続かない。エリックがごく短い返事しか返さないため、会話が得意ではないリシェルは、上手く話題を広げられない。


 気まずい沈黙の中、二人は夜道を進んだ。

 靴音だけが、静かな夜の石畳の道にコツコツと音を刻んでいく。

 しばらくすると、エリックが口を開いた。


「……お前のその、瞳の色……」


「はい?」


 沈黙が破られたことに、いくらかほっとして、彼の足下ばかり見ていたリシェルは、顔を上げる。


「それ、魔力の影響か?」


「多分、そうだと思います」


「多分?」


 歩みは止めないまま、エリックが怪訝けげんそうに顔だけ振り返る。


「この瞳の色は子供の時からなんですけど、私、十歳より前の記憶がないんです。ほら、六年前にカロンで国王軍と反乱軍の衝突があったじゃないですか。私、カロンの雪山で倒れていたところを、先生に拾って頂いて……リシェルっていう名前も、先生がつけてくれたんです」


 自分から誰かに身の上話をするのは、初めてだった。また気まずい沈黙が来るのを避けたかったからかもしれない。


「記憶……ないのか?」


「はい」


「まったく?」


「はい、まったく」


 リシェルの記憶の始まり。それは、自分を心配そうに覗きこむ、シグルトの顔だった。それより前のことは、今日に至るまでまったく思い出せない。


「何にも思い出せないんです。先生が魔法をかけて、記憶を呼び戻そうとしてくれたこともあるみたいなんですけど、それもまくいかなかったみたいで……」


「……」


「でも、諦めるつもりはないんです。頑張って魔道士になって、私の本当の名前を知る、家族に会いたいから……」


「……そうか」


 ふっと―――エリックの表情が柔らかくなった。微笑んだ、と表現するにはあまりにも小さな変化だったが、リシェルはどきりとした。


 胸に温かいものがじんわり広がる。何かとても貴重な、大切なものを見た気がした。

 自分でもよくわからない想いを誤魔化そうとするように、リシェルは尋ねた。 


「エリックさんは、ご出身はどちらなんですか?」


 自分の重い身の上話から、話題を変えようとしたつもりだった。


 だが、エリックの顔が一瞬で強張った。それを隠すように再び顔を前へ向ける。意外な一言がその口から発せられた。

 

「……カロン」


「え?」


「俺もあの戦いで、すべてを失った……」


 彼の答えにリシェルは動揺していた。

 自分の記憶の手掛かりとなるかもしれない、カロンの生き残り――


 シグルトが手を尽くして探して見つからなかったのに、こんなところで会うとは信じられなかった。


「そんな……先生はあの戦いで、生き残った人はいないって……」


 言った途端、突然エリックが足を止め、振り返った。急に立ち止まられて、リシェルは彼の胸にぶつかりそうになる。それをけ反って回避し、見上げた端正な顔には、明らかな苛立ちと怒りが見えた。 

 

「お前、本気で記憶を取り戻したいと思ってるのか?」


 発せられる声も、鋭く、冷たい。


「え? それはもちろん……」


 彼は明らかに怒っている。一体何が逆鱗げきりんに触れてしまったのか。

 彼のことがわからない。

 戸惑うリシェルを見下ろしながら、エリックが言い放つ。


「じゃあ、六年前、あの日、あの場所で、何があったのか、自分の力できちんと確かめろ。それしか真実を知るすべはない」

 

 意思の強そうな黒い瞳が、まっすぐリシェルを捉えていた。


 にらんでいると言ってもいい、その目。

 なのに――

 どこか泣きそうに見えるのはなぜだろう?


「それはどういう――?」


「リシェル!」


 背後から聞き慣れた声がした。

 振り返ると、シグルトが不安と安堵の入り混じった表情で立っていた。家まではまだ距離がある。帰りの遅くなったリシェルを心配して、探しに来てくれたに違いない。


「あ、先生。遅くなってごめんなさ……」


 心配をかけてしまった申し訳なさに、謝ろうとするが、言い終えることはできなかった。


 駆け寄ってきたシグルトに強く抱きしめられ、圧迫された肺から空気が言葉にならずに出て行ってしまう。


「こんなに遅くまで一体何してたんです!? 心配したんですよ!」


「……あんたがそいつの保護者か?」


 男の声に、シグルトは視線を、腕の中のリシェルから前へと向けた。黒髪の騎士の姿を認め、シグルトの目がすっと細められた。リシェルを抱く腕に力がこもる。


「……あなたは?」


「保護者ならこんな時間に若い娘一人、出歩かせないことだな」


 騎士は問いには答えず、まっすぐにシグルトを見た。そこにあるのは、明確な敵意だった。

 紫の瞳と、黒い瞳が刹那、交差する。


 リシェルは両手でシグルトの胸を押し返して、少し離れると、師を見上げた。

 

「実はさっき変な人たちにさらわれそうになって……」


「攫われそうになった? 怪我は!?」


 シグルトはリシェルの無事を確認しようとするかのように、彼女の頬を心配そうに撫でた。


「大丈夫です。この方が、エリックさんが助けてくれましたから」


 リシェルは自分を救ってくれた恩人を振り返る。


「……そうでしたか」


 シグルトはすぐに笑顔を作ると、騎士に向かって言った。


「弟子を助けて頂いて、本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げてよいか……」


「……別に。暴漢共には逃げられたしな」


 エリックはまるで見たくないと言わんばかりに、シグルトの笑顔から顔を背けた。


「しかし、人攫いでしょうか……地方だけの話かと思っていましたが、王都も物騒ですね……警備隊に夜間の見回り強化をお願いしなければ」


 シグルトが優しくリシェルの頭を撫でながら言う。奴隷制が廃止され、人身売買を禁じる法が施行されて久しいが、いまだにそうした商売は秘密裏に行われている。


「……ただの人攫いじゃないかもな」


「どういう意味です?」


 エリックの小さな呟きを、シグルトは聞き逃さなかった。


「……師匠が“紫眼の悪魔”じゃ、誰から恨みを買ってもおかしくない」


 エリックは視線をシグルトに戻すと、口元に薄く、決して好意的とは言えない笑みを浮かべながら言った。

 シグルトの眉が不快そうにぴくりと動く。


「……おや、よくご存知で。あなたは一体?」


「別に。あんた有名人だしな」


「しかし、その不愉快な二つ名……私のことをそう呼ぶのは、軍の関係者くらいですよ……」


 師と恩人の間に流れる不穏な空気を感じて、リシェルはおろおろと二人を交互に見やる。初対面であるはずなのに、エリックの言動は明らかにシグルトへの敵意が感じられた。


「王都では見かけない騎士服ですが、どちらの騎士団所属で?」


「気にするな。所属ももうすぐ変わるしな」


「……アーデン騎士団、ですか」


 シグルトの言葉に、今度はエリックが眉を動かす。


「噂で聞きました。東の国境を守るアーデン騎士団で、凄腕の傭兵が騎士に昇格し、異例だが今度新設されるクライル王子直属の騎士団に招かれたらしい、その人物は黒髪の若い男だ、と」


「魔道士っていうのは魔法のことにしか関心がないのかと思ったら、意外に耳が早いな」


 エリックは鼻先で笑った。


「世間に興味の無い私ですら知っているくらい、あなたは今注目の有名人なんですよ、エリックさん」


 シグルトの声は穏やかだったが、何か含むような言い方だった。


「……大魔道士様にはかなわないけどな」


 エリックは一度リシェルを見た後、再びシグルトへ視線を戻す。


「誰かの恨みが原因なら、またそいつ狙われるかもな。せいぜい気をつけるんだな」


「ご心配なく。この子は私が守りますから」


 何の危険もないと言わんばかりに微笑みながら答えるシグルトを睨んだ後、エリックはきびすを返す。


「あ、待って下さい!」


 リシェルは師の腕からするりと抜け出すと、駆け寄る。


「お礼がしたいんですけど……よかったらお茶でも……」


「……結構だ」


 エリックは振り返りもせずに言う。


「でも……あの、私……!」


 本当は、カロンのことが聞きたかった。

 あの村の出身なら、記憶を取り戻す手掛かりを与えてくれるかもしれない――


「リシェル」


 なおも食い下がろうとするリシェルに、シグルトが静かに言った。


「もう夜も遅いし、この方もかえってご迷惑でしょう」


「……はい」


 師の言う通りだ。助けてもらった上に、送ってもらった。これ以上迷惑は掛けられない。それに、理由はわからないが、彼は明らかに師を嫌っている。一緒にお茶などしたくはないだろう。

 リシェルはうなだれ、ぺこりと頭を下げた。


「エリックさん、今日は助けて頂いて、本当にありがとうございました」


 エリックはやはり、振り返らない。

 だが、


「……また、な……」


 そう彼の声で小さく聞こえたのは、聞き間違いだろうか。

 リシェルは、歩き出した黒髪の騎士の姿を、彼が通りを曲がり、見えなくなるまで、じっと見送った。

来週も日曜更新の予定ですが、事情によりなかなか執筆時間が取れない状況で、遅れる可能性があります。

なんとか更新できればと思っておりますが、どうぞ宜しくお願い致します。

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