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77 もしも

 ああ、何だろう。

 頭が重い。ずきずきと痛む。

 ひどく気だるいが、なんとかまぶたを押し開く。

 ぼんやりとした視界に、こちらを見つめているらしい人影が映り込んだ。

 

「……エリックさん?」

 

「ずいぶん、腹の立つ勘違いをしてくれますね」


「……先生?」


 声に、急速に意識がはっきりしてくる。いくどか目を瞬かせると、影は不機嫌そうなシグルトの顔になった。その背後の壁――天井は、自室のものだ。気づけば、リシェルは自分の部屋のベッドに横になっていた。シグルトはリシェルのすぐ横、ベッドの端に腰掛け、こちらを見下ろしている。


「あれ? 私なんでここに……?」


「酔って寝ていた君を連れて帰ってきたんですよ」


「あ……!」


 はっきりしたことは思い出せない。だが、クライルに間違って酒を飲まされてしまい、その後、自分から酒をねだった……ような気がする。それから――エリックが来て、何か話したような気がするが、その先の記憶がない。

 

「先生……その……ごめんなさい……約束、破ってしまって。最初間違えて飲んだら、気分がよくなって……それで、その……」


「……」


 おそるおそる謝るが、シグルトはただ腕を組み、憮然ぶぜんとした表情でリシェルを見ている。


「先生?」


「その格好……どうしたんです?」


「あ、これはディナが買ってくれて……」


「君がそんな可愛らしい格好で行って、馬鹿王子も、他の男共も、さぞ喜んだことでしょうね」


「その……本当にごめんなさい……」


 どうやら相当師の機嫌を損ねてしまったらしい。約束を破った自分が悪いのだ。とにかく謝るしかない。


 シグルトは怒りを緩和しようとするように、大きく息を吐いた。


「……私が迎えに行った時、君はあのエリックという騎士と一緒にいましたが、彼と何を話していたんですか?」


「えっと……私、何も覚えていなくて……でも、きっとエリックさんにもご迷惑をおかけしてしまった……のかも……」


 おぼろけに、自分のことは放っておいてくれとか、そういう失礼なことを言ってしまった気はするが、彼と何を話したかは本当に何も覚えていなかった。何にしても迷惑をかけたに違いない。今度会ったら彼にも謝らなくては……と考えて気づく。今度、とは一体いつだろう。もう会う機会はそうそうないのだ。そう思うと胸がきゅっと痛んだ。


「……リシェル」


 シグルトがすっと紫の瞳を細めた。弟子をじっと観察するかのように。


「彼のこと、どう思います?」


「え? えっと、どうって……?」


「よく見ると思ったほど格好よくないとか、無愛想で社会性がないとか、馬鹿王子の騎士団所属なんて将来性なさそう、とかいろいろあるでしょう?」


「え、それ全部悪口――」


「どうなんです?」


 師の質問の意図はよくわからなかったが、リシェルはまだぼんやりする頭で、思いつくまま正直に答えた。

 

「その、エリックさんはたしかに普段は無愛想だけど、本当はすごく優しい方だと思います。任務中もいつも助けてくれたし、いろいろ気遣ってくれて……」


「……」


「あと、その、とても綺麗なお顔されているなぁっていつも思います。それに、剣もお強いし、クライル様の代わりに騎士団をまとめてらしたし……きっとたくさん努力されてるんだろうなって……尊敬できる、すごい方だと思います」


「私より、ですか?」


「え?」


 シグルトの表情に不機嫌さが増す。


「私だって君には優しいつもりです。彼より強いですし、努力だって君に見えないところでいろいろしてるんです。顔だって……うん、まあ、さすがにあれには負けてるかもしれませんが、私もそこそこいい方だと思うし、容姿以外は実力も地位も財力も、全部勝ってると思うんですが」


「あの、先生……エリックさんと何かあったんですか?」


 なぜ師がこんなにエリックに対抗意識を燃やしているのかわからなかった。自分が寝ている間に二人の間に何かがあったのだろうか。エリックはシグルトを憎んでいるし、何か起こったとしても不思議ではない。


「別に。ただ、迎えに行くといつも君は彼と一緒にいるから、気になってね。心配なんですよ。君は可愛いから、ちょっと目を離すと、すぐ他の男が寄ってきて」


「そんなことないですよ? むしろ避けられていることの方が多いと思うんですけど……」


 シグルトと婚約したことで、今でこそ皆の態度は変わったが、以前までは法院ではすれ違うだけで他の魔道士たちにはにらまれていたし、騎士団の皆も今日は酒のせいか気軽に話しかけてくれたが、任務中はあまり近づいてくる者はいなかった。日頃、寄ってくるどころか自分を避ける男の方が圧倒的に多いのだ。


「それも私の努力なんですがね」


「?」


「リシェル、もし、彼に付きまとわれていて困っているなら、私が――」


「ち、違います! エリックさんは本当にいい方なんです!」


 一瞬、かつてパリスの首を締め上げていたときのシグルトの姿が頭をよぎり、リシェルは必死で否定した。


「エリックさんは私より、ディナと仲が良くて……年上の女の人が好きみたいだし……私が弱くて頼りないから、いつも助けてくれているだけなんだと思います……だから、私のことなんて……先生の心配しているようなことなんて、何も……」


 シグルトの誤解を解きたくて、説明しながらも、声が自然としぼんでいった。事実を言っているだけなのに、どうしてこんなに悲しくなってくるのか。


「……」


 シグルトは黙って聞いていたが、やがて腕組みを解き、リシェルの方へ身を乗り出した。


「リシェル、私は君を信じています。でも……しゃくだけれど、馬鹿王子の忠告に従った方がいいかもしれませんね」


 不意に――シグルトがリシェルの両肩の脇に両手をつくと、覆いかぶさってきた。


「え、あの? 先生?」


 リシェルは戸惑って呼びかけるが、真上にあるシグルトの顔は真剣そのものだ。


「……酔って帰ってきたら、君に何するかわからない、と言いましたよね、私」


「えっと……」


 確かに彼はそう言っていた。本能的に感じる危機感に、さぁーっと酔いが完全にさめていく。


「君が悪いんですよ。約束を破って私に心配をかけるから……」


 ゆっくり影をまといながら、シグルトの顔が近づいてくる。突然の状況にどうしていいか分からず、リシェルは反射的にぎゅっと目をつぶった。


 コツン。

 額に感じる軽い衝突と温かさ。


 そっと目を開けると、焦点が合わずぼやけるほど間近にシグルトの顔がある。


「リシェル……君はどうして私の求婚を受け入れてくれたんですか?」


 合わせていた額を離しながら、シグルトはささやく。はっきりとした輪郭を取り戻したシグルトの顔はどこか不安げだった。


「私を助けるために陛下の前で結婚すると言ってしまったから、仕方なく、ですか?」


「違います!」


 リシェルは首を振る。


「その……本当は陛下との謁見えっけんのずっと前から……先生の求婚を受けようって、決めてたんです。なかなか言い出せなかったけど……」


「君も私と同じ気持ちでいてくれている、と思っていいんですよね?」


「それは……もちろん……私は、先生とこれからも一緒にいたいと思って、だから……」


 気恥ずかしさで目を泳がせながら言うリシェルから目を離さず、シグルトは続けた。

 

「私はね、不安なんです。君が私を大切に想ってくれているのはわかっていますよ。でもね、君が他の男と一緒にいるのをみると……相手があの黒髪の騎士でも、馬鹿王子でも、パリスくんでも……正直、面白くない。君は誰にでも優しい。それは君の美点です。でも、その優しさが、私以外の他の誰かに向けられているのをみると……どうしようもなく腹が立つんです」


 リシェルははっとして、目を見開いた。 


「本音を言えば、君の優しさも関心も、全部私だけに向けてほしい。私だけが君の特別だと思いたいんですよ」


 シグルトは自嘲じちょう気味に笑う。 


「嫉妬深くて呆れました?」


「いえ……先生の気持ち、わ――」


 わかります、と言いかけて、リシェルは口をつぐんだ。


 そう、シグルトの気持ちがわかってしまった。

 つい先程まで、エリックとディナが一緒にいるのを見て、リシェルが味わった気持ち。シグルトが言う嫉妬は、おそらくそれと同じだ。


 だとするなら。

 シグルトがリシェルに対して抱く想い。

 同じ想いを、自分はエリックに抱いているということにならないか。


 つまり、自分はエリックのことが――

 

(違う……そんなわけない。私は先生のことが誰よりも大事……だもの)


 だって、こんなにも一緒にいたい、離れたくないと思っている。だからシグルトの過去も受け入れられた。エリックの忠告ではなく、シグルトを信じると決めた。エリックよりも、シグルトを選んだ。


 自分にとってシグルトは一番だ。一番大切な人だ。それは間違いない。


――あなたはただ、今まで面倒を見てくれたあいつに懐いているだけよ。ひなが親鳥を慕うみたいにね。


 ディナの言葉が蘇る。

 結局、自分がシグルトに抱いているのは親への思慕と同じなのだろうか。

 

 たとえそうでも構わないと思っていた。一緒にいたいという結論は同じなのだ。一緒にいる手段としてシグルトが師弟関係ではなく結婚を望むなら、受け入れようと思った。それでシグルトが喜び、自分がこれからも彼のそばにいられるならば。


 でも、もし……もしも、他の人に恋してしまったら……

 もしも、シグルトが一番でなくなってしまったら……


「リシェル?」


 黙ってしまった少女を、シグルトは怪訝そうにのぞき込む。


「先生、私……」


 不吉な予感のようなものを感じて、リシェルの心臓が鼓動を早めた。

 

 だが次の瞬間、シグルトが突然、ばっと身を起こし、部屋の窓の外を見やった。明るく輝く月、家の前の街灯の並ぶ通り、向かいに立つ家々――窓の外には何の変哲もない、いつもと同じ夜の静かな景色が広がっているだけだ。にも関わらず、その表情は見る間に険しいものになっていく。


「……先生?」


「……本当にりないガキですね」


「え?」


 シグルトは身を引き、ベッドから降りた。


「リシェル、ちょっと急用ができたので、私はこれから出かけてきます」


「え!? こんな夜中にですか?」


 もう真夜中といっていい時間だ。こんな時間に一体どこへ行くというのか。


「君はもう寝なさい。約束を破ったお説教はまた明日にしましょう」


 つられて身を起こし、目を丸くするリシェルには取り合わず、シグルトはさっさと部屋のドアへ向かう。部屋を出る寸前、首だけ振り返ると、もう怒っていないというように優しく微笑んだ。


「その服、よく似合っていますよ。そういう可愛い服、今度たくさん買いに行きましょう。結婚後は魔道士のローブは着なくなるわけだし……おやすみ」


 パタン、と静かな音を立ててドアが閉まり、シグルトの足音が遠ざかっていく。


 リシェルは再びどさっとベッドに横たわると、胸元のリボンをぎゅっと握りしめた。


 結婚したら――

 魔道士のローブは着なくなる。

 エリックともう……会うことはない。


(違う……違う……私は、先生のことが一番大切なんだから……)


 リシェルは何かを訴えてくるような胸の痛みを感じまいと、目を閉じ、自らに暗示をかけるように繰り返した――



お読みいただきありがとうございます。

次話も来週末の夜に更新予定です。

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