67 婚約
「いやはや、シグルト殿がようやくご結婚ですか」
「数多のご令嬢との縁談話を断って来られたシグルト様のお心を掴むとは……なるほど、納得のお美しさですなぁ」
「王都を飛び出して行かれるのも無理はありませんな。偉大なる大魔道士様もぞっこんというわけですか」
どっと起こる笑い声に、リシェルは精一杯の愛想笑いを浮かべた。リシェルは、今、謁見の間の扉の前で、数人の貴族たちに取り囲まれていた。退室すると同時に、先に廊下に出ていた彼らが次々に声をかけてきたのだ。
皆、結婚の祝いを述べ、口々にリシェルの容姿を褒めそやす。わかりやすいおべっかを並べる彼らの目的は、自分を通じてシグルトに取り入ること。それがわかるくらいには、リシェルはアンテスタへの旅で成長していた。
「して、挙式はいつ頃ですかな?」
「いえ、それは、まだ……」
話題が結婚の具体的な部分に移ってくる。とにかく曖昧に笑ってごまかすしかない。
「では式場もまだお決まりでないのですかな? セイリュート大聖堂などいかがでしょう? あそこは我が家が長年支援しておりまして、挙式の手配などお力になれるかと思いますよ」
「シグルト様はあまり派手なことはお好きではないようですが……我が国の英雄の慶事となれば多くの者がお祝いしたいと願うはず。ぜひ挙式も披露宴も盛大に行われるべきでしょう」
「ぜひともご招待いただきたいものですなぁ」
戸惑うリシェルをよそに、貴族たちは勝手に盛り上がっている。あまり話しすぎるとぼろが出てしまう。どう対応すべきか迷っていると、背後から落ち着き払った声が代わりに応じた。
「申し訳ありませんが、具体的なことはまだ何も決まっていないのです」
「先生……」
振り向けばシグルトがすぐ斜め後ろに立っている。国王との話はさほど時間もかからず終わったらしい。
周囲の貴族たちは今度は現れた魔道士に結婚の祝いを述べていく。シグルトはそれらに笑顔で礼をいい、だが結婚について具体的な言及は避け、そろそろ次の謁見が始まる時間のようだと、やんわりとこの場の解散を貴族たちに促した。最後に今回の不祥事を詫びることも忘れない。彼らと馴れ合いもせず、かといって不快にさせることもない、実に慣れた対応だった。こうやって彼は宮廷での面倒事に距離を置き、中立の立場を保ってきたのだろう。
貴族たちが去り、師弟二人きりになると、シグルトはそれまで被っていた仮面を脱ぎ捨てるように、大きくため息を吐いた。
「先生……」
「まったく……君ときたら普段は大人しいくせに、人のためなら後先考えずに行動するんだから。本当にお人好しですね」
苦笑しながら弟子を見下ろすシグルトは呆れつつも、どこか嬉しげだった。
「その……先生がクライル様に味方してるって思われたら、先生の立場が悪くなるんじゃないかって思って……」
「まあ、確かに目をつけられることになったでしょうね。別にそれで構わないと思ってましたが……今回は君に助けられましたね。ありがとう」
素直に礼を言った後、シグルトの笑みが今度はやや意地の悪いものになる。
「それより君、どうするんです?」
「え?」
「陛下の前で私の婚約者だなんて言って……もう取り返しがつきませんよ。これはもう、本当に私のお嫁さんになってもらうしかないな」
からかいを含んだ師の言葉に、真っ赤になったリシェルは師から目を背け俯いた。
それでも、もう逃げるわけにはいかない。先程の弁明の際に覚悟は決めたのだ。王の前で発言した以上の勇気で声を振り絞る。
「……なります」
「…………は?」
「私、先生のお嫁さんに……なります」
か細い、蚊の鳴くような声。だが、それはシグルトの耳に確かに届いた。
「本当に……いいんですか?」
「……はい。返事、すごく遅くなっちゃってごめんなさい」
本当にずるずると返事を引き伸ばしてしまった。申し訳なさから自然と謝罪の言葉が滑り出る。
流れる、静寂。
妙だ。シグルトが何も言わない。
なぜ何も言ってくれないのだろう。
少し不安になって、リシェルは恐る恐る顔を上げた。
そこにあったのは、泣き顔とも笑顔ともつかない、感極まった表情。師のこんな顔は初めて見る。
「……っ……ありがとう、ございます……絶対に、絶対に……幸せにすると誓います」
声を詰まらせ、震わせ、リシェルの両手を取り、固く握りしめる。
どれだけ彼が自分を熱望していたか。その様子だけで、リシェルは思い知った。
自分が返事を待たせている間、きっとずっと不安だったはずだ。それでも彼は、答えを急かすこともなく、リシェルの気持ちを尊重して待ち続けてくれた。
この気持ちに、これからは精一杯応えなくては。
「はい、あの……よっ、よろしく、お願い……しま、す」
決意と裏腹に、気恥ずかしさでなんと言っていいかわからず、目を泳がせながら捻り出した言葉はなんとも情けないものだった。
「おっめでと〜!」
突然、底抜けに明るく、どこか気の抜けた声があたりに響き渡った。これからサプライズの誕生日パーティーでも始まるかのような陽気さだ。
声のした方を見れば、少し離れた廊下の角に、車椅子を押したクライルがにまにまと笑っている。車椅子に座っているのは彼の姉、ミルレイユだ。彼女の方は両手で口元を抑え、頬を染め、緑の瞳をきらきらと輝かせている。
「素敵……!」
「やあやあ、ついにくっついたんだね。おめでたいねぇ!」
まさか見られていたとは。リシェルは赤い顔をさらに赤くして、ばっと師に握られていた手を離し、前に組んで意味もなく指先を揉み込む。シグルトの方は突然現れた姉弟にも何の動揺も見せない。
「王子、王都に戻られていたのですね?」
先程までの感情の高ぶりは幻だったかのようにさっと消え失せ、瞬時に普段どおりの彼に戻っている。
「うん、昨日ね。はぁ〜ようやく帰ってこられた。やっぱり王城のベッドはふっかふかで寝心地が違うね。久しぶりに熟睡したよ。固いベッドじゃよく寝れなかったからさぁ。ほら、僕王子様だし?」
クライルは車椅子を押しながら、こちらへ近づいてきた。会うのは久しぶりだが、相変わらずの軽薄さだ。
「まあ、そんなわけで長旅の疲れをのんびり癒やしてたんだけどさ、大事な恩師が大変なことになってるって聞いて、いてもたってもいられず、姉上と様子見に来てみたんだけど……まさかこんなところでいちゃついているとは思わなかったよ〜。心配して損した気分」
「先程の謁見で事情をご説明し、陛下にはお許しをいただけました。ご心配をお掛けいたしまして申し訳ございません」
クライルの軽口には取り合わず、シグルトは笑顔を貼り付け、形ばかりの礼を言う。
「ふふ、さっきの謁見に立ち会った連中に聞いたよ。クビは免れたんだってね? 婚約者を救うためなら仕方ないって……あの厳しい叔父上がよく許したよねぇ。まあ、とにかくお咎めがなくて、よかったよかった。どう? この後、ささやかながら、ついに結ばれた二人をお祝いする会を開かせてよ。何の準備もしてないから、本当にただのお茶会だけどさ」
「いえ、お誘いは大変有り難く存じますが、遠慮しておきます。今日は陛下との謁見で、この子も疲れておりますので。早く帰宅して休ませてやりたいのです」
王子の申し出を、シグルトは迷う様子もなく断った。クライルの顔がだらしなくにやける。
「え〜? 本当に? 早く家に帰っていちゃつきたいだけじゃないのぉ? ずーっと我慢の日々だったもんね? ふふ、夜まで待てないんでしょ……って、いてててて!」
突如上がった、情けない悲鳴の原因はミルレイユだった。王女は自身の車椅子を押す弟の手の甲を、思いっきりつねったのだ。
「クライル、あなたはまたすぐそういうことばかり言うんだから」
眉をよせながら呆れたように弟をたしなめ、祝福されるべき二人へ謝罪する。
「シグルト、リシェルさん、弟がごめんなさいね。でも、二人が恋人同士になっていたなんてね……以前会った時から、そうなるんじゃないかって思っていたけれど、本当に結婚だなんて……おめでたいことだわ。また改めてきちんとお祝いさせてね」
「ありがとうございます、ミルレイユ様」
先程の貴族たちとは違う、何の打算も下心もない、心からの祝福。春の陽気のような温かな雰囲気を持つ美女に、リシェルは眩しさを感じながら礼を言った。
「ふふ、リシェルちゃんが結婚か~。うちの団の連中、泣く奴大勢いそうだなぁ」
「?? なんでですか?」
「気づいてないの? リシェルちゃんのファンだって奴あんなにいたのに? まあ、出発初日にシグルトが牽制したせいで、みんな話しかけられずに遠巻きにみてるばっかりだったしねぇ」
クライルが何を言っているのか、リシェルにはわからなかったが、ラティール騎士団の話題が出て、ふと気づく。王子と王女の後ろには護衛の騎士と侍女が一人づつ控えているが……彼の姿がない。
「あの、クライル様。エリックさんは、お怪我、大丈夫でしたか?」
話途中で失礼かとも思ったが、不安を感じ、すぐに確認せずにはいられない。クライルは事もなげに答えた。
「ああ、あいつね。リシェルちゃんたちが帰った後、出血が止まらなくてぶっ倒れた」
「え!?」
「大丈夫。無事だからさ」
リシェルが自身の言葉で一瞬にして、焦りから安堵へ顔色を変えたのを見ながら、クライルは含みのある笑みを浮かべた。
「ディナが熱心に看病したおかげかな〜」
「ディナが……」
不意にーーリシェルの胸の奥で、違和感が生じた。
痛みにも、気分の悪さにも似た不快な感覚。それは僅かながら、エリックが無事だったという喜びを確かに霞ませていく。
「そうそう、付きっきりでさ。エリックもまんざらでもなさそうだし、これは新たなカップルが誕生する日も近いかも?」
意味ありげににやつくクライルの言葉に、もやもやと正体不明の違和感が増す。いつか、エリックがディナに微笑みかけた時と同じだ。
一体これは何なのだろう。エリックもディナも無事だと知れて、嬉しいはずなのに。
「そうなの? エリックとディナが……あの二人はタイプが全然違うけれど、かえってお似合いかもしれないわね。はぁ、みんないいわねぇ。羨ましい……私にもいつか素敵な人が現れるかしら?」
ミルレイユは羨望と期待、どこか悲哀の入り混じったため息を吐き出す。そういえば、ミルレイユはもう二十歳を過ぎている。だが、結婚はおろか未だ婚約もしていない。それはミルレイユの不自由な体のことや王位継承問題など、様々な事情によるものらしいが、王族としては珍しいことだ。本人もそのことを気にしているのかもしれない。
「姉上はさぁ、どんな人がいいの?」
軽い調子で問うクライルに、ミルレイユは陶酔するような表情で答えた。
「それはもちろん……優しくて、格好よくて、強くて、でも可愛げもあって、私のことだけを一途に想ってくれる……そんな人かしらね」
「はは、姉上理想高すぎ〜。それ当てはまる奴、僕くらいしかいなくない?」
ケラケラと笑い声を上げる弟を、王女はじろりと睨み上げた。
「あら、あなたに当てはまる項目あったかしら?」
「ひどいなぁ。全部当てはまるじゃん。僕姉上大好きだし!」
「はいはい、ありがとう。こんな面倒な立場の王族で、嫁ぎ遅れの私を愛してくれる殿方なんて、弟しかいないんだわ」
わざとらしく肩を落とす王女だが、そこに嘆きはなく、むしろ上機嫌であることが伺える。大事な家族が無事に帰ってきて、またこうして戯れ合えることが、嬉しくてたまらないのだろう。
「そんなこと言って、姉上実はもてるくせに~。僕以上に愛情深い男でないと僕は認めないからね!」
「都中の女の子たちに捧げてもまだ有り余るほどの愛に溢れた男なんて、あなた以外にいないと思うわ」
「も~姉上ってば」
クライルもわざと膨れっ面をし、久しぶりの姉との会話を楽しんでいるようだ。本当に仲の良い姉弟だと、リシェルは微笑ましく思った。
「まあ、とにかく、エリックもパリスも、騎士団の連中も、みんな元気だよ。今度任務お疲れ~ってことで、宴会やるつもりだから、よかったらリシェルちゃんも来てよね~」
「あ、はい。ぜひ。私も皆さんにお会いしたいです」
クライルの誘いにリシェルは即座に頷いた。中途半端なところで、自分だけシグルトと王都に戻ってしまったのだ。あまり役に立てなかった上に、お世話になった挨拶すら出来ていない気持ち悪さがずっと残っていたから、もう一度きちんと騎士団の面々に会いたかった。
クライルはちらっとシグルトを見やってから、にやりと笑う。
「嬉しいけど、ほら、リシェルちゃんが他の男のこと気にすると、旦那様が殺気立つからさ。早く帰って今まで我慢させた分、甘やかしてやりなよ」
急に帰るよう促され、シグルトを見上げれば、幾分機嫌を損ねたような顔があった。だがすぐにそれは、リシェルの目の前で満ち足りた笑みへと変わる。
「……家に帰りましょうか」
「……はい」
リシェルはぎくしゃくとぎこちなく頷いた。
家に帰る。これから、二人きりで。
家へと帰る、馬車の中。
狭い密室で、師と二人きりになったリシェルは、途端にそわそわと落ち着かない心地になった。窓の外を眺めるふりをして、隣に座る師からさりげなく顔を背ける。ガラス窓の向こうに広がる、王都の華やかな街並み。アンテスタの任務とその後の謹慎生活のせいで、久しぶりに目にする光景。朝は王城へ向かった時は、緊張で景色を楽しむどころではなかった。だが、今もまた、リシェルは目を向けこそすれ、まともに見てはいなかった。
「リシェル」
呼びかけられて、思わずびくりと体が震える。さすがに無視するわけにもいかず、振り向けば、隣でシグルトは苦笑いしていた。
「ようやくこっちを見てくれましたね。さっきから全然目を合わせてくれないから」
「はい、その、すみません」
縮こまって答える弟子を、シグルトは口元に笑みを浮かべたまま、首を傾げて覗き込む。
「なんだか急によそよそしくなってしまったね。君はこれから私の奥さんになってくれるはずなのに」
「あ、はい、それは……もちろん……はい……」
だからこそ、だ。もう今までとは違う。ただの師匠と弟子ではない。婚約者同士になったのだ。朝とは変わってしまった関係に、彼とどう接したものか戸惑う。
きっと、今まで通りでいいのだろう。だが……彼の妻になると宣言した後、彼が自分に向ける目。幸せそうに細められた紫の瞳は、恋慕で甘く蕩けていた。時折師の瞳に同じ熱が浮かぶのは見てきたが、まるでもう隠す必要も、抑える遠慮もなくなったと言わんばかりに溢れ出るそれを直視できない。
こんな視線を向けられたら、もうこの人は師匠ではなく、結婚相手になるのだと、どうにも意識してしまう。
「式場も決めなきゃいけませんね。結婚指輪や花嫁衣装も用意しないと……いや、その前にまずは婚約指輪か」
言いながらシグルトは、優しくリシェルの左手を取り、そっと薬指を撫でた。手を握るくらい、子供の頃から幾度もしてきたのに、今はこのさりげない触れ合いに心臓が跳ねる。
「あ、いえ、そんな。私は、あまり高価なものは」
緊張感から固い声で思わず遠慮すると、呆れ声が返ってくる。
「君、結婚式に憧れとかないんですか? 女性にとって人生の一大事でしょうに」
「その、あんまり考えたことなくて……」
「私はずっと夢見てましたよ。君の花嫁姿」
もう既に頭の中でその姿を思い描いているのか、シグルトは恍惚と目の前の婚約者を見つめた。
「保護者としてではなく、夫として君の花嫁姿を見られるだなんて……本当に夢のようです」
これが現実であることを確かめようとするかのように、リシェルの左手を掴む手にぎゅっと力を込める。
「先生、あの……」
自分を見つめる紫の瞳に真剣味が増したのを見て、無意識に身を引こうとするリシェルを、しかしシグルトは離さなかった。
「リシェル……」
吸い寄せられるようにゆっくりと、明確な意図を持って、彼の顔が近づいてくる。
唇が触れる直前−−リシェルは空いている方の手で、素早くシグルトの口を覆い、押し戻した。
拒否されるとは思っていなかったのだろう。シグルトは目を丸くし、リシェルの手で口元を隠されたまま、もごもごとくぐもった声で問う。
「えっと……リシェル? あの、結婚するんですよね? 私たち……」
「そ……れはっ……そうですけどっ……でも、あの、まだ結婚してませんから!」
必死で言い訳を絞り出したリシェルは、押し当てた手の平に当たる柔らかな感触に動揺し、ぱっと師の口から手を離した。
顔が熱い。心臓がばくばくと音を立てている。あのまま口づけをしていたら、張り裂けていたに違いない。
確かに前から彼の妻になるとは決めていた。だが、まさか今日そのことを伝えることになるとは思っていなかった。朝の時点では二人の師弟関係はもう少し続くと思っていたのだ。いきなり恋人らしい行為を受け入れられるほど、心の準備は出来ていない。
シグルトの顔に明らかな落胆が浮かんだ。
「え? じゃあ、何もなし? キスも? 結婚するまで?」
ほんの少し罪悪感を覚えながらも、リシェルが首を縦にふると、シグルトの方は不満げに眉を寄せた。
「……君、ちょっと身持ちが固すぎやしませんか? 今時、婚約前の男女だってキスくらいしますよ。本当に君は、真面目というか、奥ゆかしいというか、時代遅れというか……」
「だ、だって、弟子入りの時、先生が言ったんですよ! 嫁入り前に男の人と、その……そういうことは断じて認めないって。そんなことしたら即破門だって!」
まるで揶揄されているかのような言葉に、リシェルはかちんときた。そんなことを言われるのは心外だ。貞淑であれと諭してきたのはシグルト本人なのに。道徳的なことを言うわりに、当の本人は、近年道ならぬ恋を題材にした禁断の愛を情熱的に描き、批判を浴びることもあるローラ・シャルトルの恋愛小説の大ファンだ。それに、リシェルに思いを告げてからは幾度かーーどこまで本気だったかはわからないがーー口づけしようとしてきた。大いに矛盾を感じるが、それでも師匠の言いつけをきちんと守る弟子に対して、その言い草はないだろう。
「……あ、うん、確かに言いましたね。言いましたが……」
弟子の反論に、シグルトはばつが悪そうにしながらも、納得は出来ないようだ。
「あれは君に悪い虫がつかないようにと思って言っていただけで……相手が私なら別に問題ないというか……むしろ大歓迎というか……うん、わかりました。なら、前言撤回します」
「師匠がころころ言うことを変えるのはよくないと思います」
「本当に君は真面目なんだから……いいじゃないですか。どうせすぐ結婚するんだから、ちょっといちゃいちゃするくらい」
「だ、だめです!」
「もう、優柔不断なくせに変に頑固ですよね、君」
簡単にはなびいてくれない愛しい弟子に、シグルトは大きくため息を吐き出すと、苦笑いを浮かべた。
「まあ、いいですよ。もともと、真面目な君のことだから、あれこれ悩んで、もっと返事を待たされるんだろうと思ってましたからね。それこそ何年も待つ覚悟でいたんです。こんなに早く返事がもらえただけで十分です。でもーー」
突然、リシェルの視界からシグルトの顔が消え、額に柔らかな感触が生まれる。
額に口付けられたのだーーと気づくと同時に、リシェルは硬直した。
「……結婚式が終わったら、覚悟してくださいね」
見る間に赤く染まっていく白い頬を見て、シグルトの顔に浮かんだ笑みは、どこか妖しげで意地悪く、心底幸せそうなものだった。
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