63 処罰
「シグルト様、結界ほっぽり出して、あの女に会いに行ったんだってさ」
「まじか。どんだけ色ボケしてんだよ。引くわぁ」
「こりゃ導師解任されるだろうなぁ」
「あんな女に入れ込んで……確かに可愛いけど、導師の地位捨てる程か?」
「なんにしても、シグルト様ももう終わりだな」
先程から周囲から聞こえてくる、ひそひそ声にリシェルは身を固くした。
リシェルは今、天の塔の中、導師会議の間へと続く回廊にいた。広い回廊のそこかしこにいる魔道士たちは、皆遠巻きに柱の影からこちらを見やりながら、同僚と噂話をしている。彼らのリシェルを見る目は、いつも以上に冷ややかだった。
リシェルは目の前にある、回廊の中ほどに設置された厳かな老人の石像――法院の創設者、大魔道士ガルディアの像を食い入るように見つめ、彼らの話が聞こえないふりをする。それでも、心はひどく乱れていた。
先刻、シグルトは迎えに来たブランと共に、導師会議へ向かって行った。シグルトの処罰を決める会議だ。師は何も心配するなと微笑んでくれたけれど、それで安心することなど到底出来なかった。
本当にシグルトは導師を辞めさせられてしまうのか、リシェルのせいで――不安で一杯の胸を、周りからの突き刺すような冷たい視線と、自分と師への非難の声が抉っていく。
師が会議から帰ってくるまでの間、この状況に耐えなければならない。拷問のような時間だった。
「リシェルちゃん」
不意に横から声を掛けられ、リシェルは声の主を見上げた。
「オルアン様」
現れた元導師に、周囲に緊張が走った。魔道士たちは二人の関係性を見定めようと、リシェルたちをじっと注視する。
オルアンは、周りを睥睨すると、リシェルの頭にぽんっと優しく手を置いた。
この威圧感漂う元導師が孫弟子の味方と知るや、回廊にたむろしていた魔道士たちはそそくさとその場を去って行った。
「あの馬鹿のせいで、リシェルちゃんまで悪く言われて……辛い思いをさせてしまっておるの。すまん」
「いえ、先生は私を助けてくれたんですから。なのに、私のせいでこんなことになってしまって……」
申し訳なさそうに言うオルアンに、リシェルは首を横に振る。
「リシェルちゃんは優しいの。いろいろあったろうに……恨んでおらんのか、あの馬鹿のことを」
師匠であるオルアンは、シグルトの過去もすべて知っているはずだ。リシェルはカロンのことを言っているのだと思い、彼の言葉を否定した。
「恨むだなんて……先生は私を救ってくれた、命の恩人ですから」
「そうかもしれんが……だからといって、言いなりになって、我慢することはないんじゃぞ?」
(言いなり? 我慢?)
オルアンの言い様に少し違和感を覚えた。だが、生活を共にする上でシグルトに対して遠慮があるのかという意味かと受け取って、リシェルは素直に答えた。
「我慢なんてしてません。先生にはとてもよくしてもらって、むしろ甘えてばかりで……感謝してもしきれません」
「そうなのか? うむ、望まぬ関係でも長く一緒にいれば情が移るものなのかの。まあ、あいつも一応責任を取る気はあるようじゃし、リシェルちゃんがいいなら何も言うまい。じゃが、本当は辛いならいつでもわしのところへおいで。わしと妻には子供がおらんから、リシェルちゃんが来てくれるなら大歓迎じゃ」
なんだか話が噛み合っていないような気がしたが、ともかく彼が自分のことを案じてくれているということはよくわかったので、リシェルはありがとうございます、と礼を言った。
オルアンは礼儀正しい孫弟子に表情を和らげたが、すぐに呆れ声で続けた。
「しかし、シグルトもなんであんないい加減な奴になってしまったのか。出会ったときから妙に冷めた生意気な小僧ではあったが、一応仕事も私生活も真面目じゃったのに」
「あの、先生って子供の頃はどんな感じだったんですか?」
会議が終わるのを待つ間、不安を紛らわせる話題が欲しくてリシェルはオルアンに尋ねてみた。シグルトの少年時代への純粋な興味もあった。
「まあ、あいつの子供の頃のことはわしよりブランのほうが詳しいと思うが……わしがあいつと初めて会ったのは、あいつが魔術学院を卒業した時じゃから。シグルトは学院に在籍中から有名でな。幼くして魔道の知識も魔力も教師たちを凌駕する、希代の天才だ、と導師のわしの耳にまで噂が届いておった。わしも何人か弟子を育てたが、どいつも跡を継がせるには力不足でな。で、後継者たりうる実力のある人間を探しておったわしは、あいつが学院を卒業した時に、弟子になれと声を掛けたわけじゃ」
予想はしていたが、やはりシグルトは子供の頃から際立った存在であったらしい。普通はそうでなければ導師の弟子にはなれないのだから、当然ではあった。だが、今の大人になった怠惰なシグルトと、天才と騒がれる、オルアン曰く“冷めた小僧”だったシグルトががうまく結びつかない。
「普通、導師の弟子になれるとなったら誰もが大喜びするとこじゃが、あいつは別にそんなに嬉しそうじゃなくての。変わった奴じゃ、まったく」
シグルトはどうやら少年時代から、地位や名誉には興味がなかったらしい。
「シグルトは早くに両親を失くしていてな。その両親が……まあいろいろあって、あいつは親戚に引き取られることもなく、幼い頃から学院の寮で生活しておった。早くから自立していたせいか、年の割に随分落ち着いた感じでな。愛想が悪いわけじゃないんじゃが、大人に懐くわけでもなく、こう……世の中に何の期待も抱いていない、達観したような……まるで子供らしさのない小僧じゃったの」
オルアンはシグルトの両親に関しては言葉を濁したが、リシェルは既に事情を知っている。禁忌を犯し処刑されたアルフェレス夫妻。その子供を引き取ろうとする者はいなかったのかもしれない。誰にも頼れず、自立するしかなかった少年時代のシグルトは孤独だったのだろうか。
「わしに言われるまま、弟子入りはしたものの、実際のところわしが教えることなんぞほとんどなくてな。伝統的な魔法は弟子入りの時点で使いこなしとったし、最新の魔法もすぐに習得しおるし。あの若さで大魔道士ガルディア様が組み立てた魔道理論を完璧に理解しとるようじゃった」
オルアンは言いながら、目の前に立つ、偉大なる魔道士の石像を見上げる。ガルディア像の厳めしい顔は、怒っているようにも、苦悩しているようにも見えた。広げた両手は皆を包み込もうとしているのか、天に救いを求めているのか。見るものによって受ける印象が変わる石像。それは彼が凡人にはその心のうちなど理解できぬ、謎めいた存在であることを体現していようだ。
「で、あのずば抜けた魔力。見込んだ通りの天才じゃったな。与えられた任務も全部完璧にこなし、わしを頼ってくることもなく、何でも出来て当然のような顔をして……全く可愛げのない弟子じゃったが」
不満げに言うオルアンの声にはほんの少し、寂しげな響きが混じっていた。出来すぎた弟子ゆえに、師匠らしいことをたいしてしてやれなかった後悔があるのかもしれない。だが、ふと、思い出したように頬を緩めた。
「ああでも、可愛いところもあったな。弟子になったとき、お守りにわしの魔力を込めた指輪が欲しいと言ってきてな。肌身離さす身に付けとった。師匠が未熟な弟子に、緊急時に身を守れるよう、魔力を込めた魔道具を持たせるのはよくあることじゃが、あいつは弟子入りの時点でもう相当な実力だったからの。そんなもの要らんだろうと思っとったから意外でな」
「指輪ですか?」
リシェルは思わず聞き返してしまった。シグルトは普段、指輪はおろか、装飾品の類はまったく身に付けていないからだ。
「そう、リシェルちゃんがあいつの家に来た頃には、気づいたらつけとらんかった。どうしたと聞いたら、失くした、と言いおった。普通失くすか? 師匠からもらった、大切な弟子入りの記念品を」
語りながら不愉快さを思い出したのか、オルアンは眉間に皺を寄せた。
「まったく。あいつは師匠であるわしへの敬意が足りん。確かに技術も魔力も実績も、あいつに勝る者はおらんのだろうが、そのせいで傲慢になっとるのだろうな。やりたい放題やっても誰も文句は言えんと驕っておるんじゃろ。今回の件も、少しは痛い目を見たほうがいいかもしれん」
「リシェルに私の悪口を吹き込むのはやめていただけますか? 師匠」
「先生!」
声に振り向けば、すぐ後ろにシグルトとブランが立っていた。会議はてっきり長引くものと覚悟していたのに、随分と帰りが早い。リシェルは祈るように両手をぎゅっと胸元で握りしめながら、おそるおそる問う。
「あの、導師会議は……?」
「無事終わりましたよ」
シグルトは弟子を見下ろし、穏やかに微笑みながら答えた。
「お前の処罰はどうなったんじゃ?」
「三週間の謹慎です」
「たったそれだけか!? 導師を辞めさせられてもおかしくないことをしでかしたのに?」
思わず声を大きくし、目を丸くするオルアンに、ブランが説明した。
「誰もシグルトの導師辞任を要求しなかったんです」
「なんじゃと?」
「まあ、誠心誠意謝罪したのが功を奏したんでしょう」
結果にいたく満足げな弟子に対し、オルアンは納得できないのか、腕を組み眉を寄せる。
「どうなっとるんじゃ? いくらなんでも処罰が軽すぎる。そこはきっちりけじめとして、それなりの罰を与えなきゃ示しがつかんじゃろ。現六導師は何考えとるんじゃ? やっぱり今の導師どもは駄目じゃな……」
弟子の処罰が軽かったことを喜ぶより、法院の現状を案じてぶつぶつ呟くオルアンを横目に、ブランはそっとシグルトに小声で耳打ちした。
「お前、ルゼルに何した? あいつがお前を追い落とすこの絶好の機会に、黙っているだなんて」
絶対にシグルトを嬉々として責め立てるだろうと思っていたルゼルは、会議の間終始、見るからに不機嫌で、ほとんど口を開くことがなかった。何かあったとしか思えない。そして、何かあるとすればこの男が原因だとブランは確信していた。
シグルトもリシェルに聞こえないようにか、小声で返してきた。
「別に。ただ話し合ったらわかりあえただけですよ」
「嘘だろ?」
「彼も同じ人間。人間誰しも、自分の命は惜しい。それは彼も変わらなかったってことです」
「お前……」
親友がいう“話し合い”がどういうものであったか、想像がついてブランは呆れるが、シグルトは何がいけないんだとばかりに涼しい顔だ。
リシェルは師に一歩歩み寄ると、彼を見上げて、改めて確認する。
「じゃあ先生が導師を辞めさせられることはないんですね?」
「ええ」
「よかった……!」
頷く師に、リシェルは握りしめていた両手を緩め、ほっとして胸を撫で下ろした。
「リシェル、悪いがまだ安心は出来ないんだ。まだ国王陛下への弁明がある」
だが、安堵したのもの束の間、ブランが眉を下げ、申し訳無さそうに続けた。
「王都の守護結界はもともと王家の要請で法院が維持しているものだ。その結界を一時的とはいえ、弱体化させたんだ。国王が弁明を求めるのは当然の権利だ」
「じゃあ、それで国王様が納得しなかったら、やっぱり導師を辞めさせられてしまうんですか?」
「いや、国王に法院の人事権はないから、それは出来ない。ただ、国王が導師に与えている宮廷魔道士の称号を剥奪されるかもしれない。そうなれば、そんな前代未聞の不名誉を受けた導師は辞めさせろと、法院の魔道士たちからの要求が出る可能性は十分にある。その場合もやはり上級魔道士による問責決議の結果次第で、シグルトは導師を解任される」
「そんな……」
「今回、シグルトの処分が謹慎だけなのも、結局国王陛下に判断を委ねたってだけなんだ」
導師会議を終えても、まだシグルトの地位が脅かされている状況は変わっていないのだ。あの恐ろしい威圧感を放つ国王に、許しを得なければならない。もし許されなければ、魔道士としての最高位を失うかもしれない。それだけでなく、他にも何か罰を与えられてしまうのではないか。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。なるようになります」
不安げに瞳を揺らすリシェルの肩に、シグルトは優しく手を置いた。強張った表情の弟子とは対象的に、その顔は嬉しそうににこにこと緩んでいた。
「それより、三週間もお休みがもらえるなんて。久しぶりに君とのんびり過ごせそうですね。楽しみだなぁ」
「この色ボケめ……」
「休みじゃなくて謹慎だからな?」
「先生は休みじゃなくても、いつものんびりしてるじゃないですか……」
師匠と親友、愛弟子の呆れ顔と冷ややかな視線にも囲まれても、シグルトの緩みきった顔が戻ることはなかった。
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