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62 謝罪

 ルーバスは先程から、がたがたと震えの止まらない体を、必死で部屋の隅に押し付けていた。


 その視線の先に立つのは、最高位の魔道士の証たる濃紺のローブをまとった、白銀の髪の若い男。

 突然、この生命の塔の導師の執務室に現れた彼は今、片手の人差し指をぴんと立て、指揮者の真似でもするように楽しげに、それを軽く振っている。


 男の指先が空を切るたび、その周囲を彼のものと同じ濃紺のローブが飛び交う。それは彼の指の動きに合わせて宙を走り、床に、壁に、天井に、四方八方叩きつけられては鈍い衝突音と苦痛のにじうめき声を生み出す。


「ぐはぁっ!」


 天井から、男の目の前の床に落下したのは――この生命の塔の導師であり、ルーバスの師であり兄でもある少年だった。


「シグルト……! 貴様一体どういうつもりだ……!?」


 床に突っ伏しながらも、あざだらけの顔を気丈に持ち上げ、ルゼルは自分を悠然と見下ろす男をめ上げる。

 男の顔には、一見穏やかそうな笑みが張り付いていた。


「今日はですね、放し飼いにされていた凶暴な犬が、私の可愛い弟子にみつこうとしたので、飼い主に苦情を言いに来たんですよ」


「な、何のことだ?」


「あなたがアンテスタで散歩させていた、あの気色悪い犬ですよ。別にあなたがどこで何を飼おうと勝手ですが、私の弟子をえさにしようとしたのはいただけませんね」


「知らな――」


 シグルトの指先が真下を指した。同時にルゼルの顔面が床に叩きつけられ、彼の言葉は途中で鈍い音に取って代わられた。


「無意味なごまかしはなしにしませんか。時間の無駄ですから。手短にいきましょう。夕飯はできれば弟子と一緒に食べたいのでね」


 あくまでも柔らかい調子での提案であったが、この状況ではそれは脅しでしかなかった。

  

「ところで……さっきから不思議なんですが、なぜ抵抗しないんです? ルゼル導師?」


 ふと、世間話でもするようにシグルトは話題を変えた。顔面を床に押さえつけられたルゼルが答えられないと知りながら。


 突っ伏したままのルゼルの両手に力がこもり、床に爪を立てた。床に顔をめり込ませながら、彼は悔しさに歯噛みしていた。抵抗など最初からずっとしている。だが、身を守るために張る結界は、まるで薄紙のようにあっさりと、目の前の男の魔力に破られてしまうのだ。

 まさか、ここまで力の差があるとは。


「……ああ、そうか。一応結界を張って防御はしようとしてるのか。結界が弱すぎて気づきませんでしたよ。それじゃあアーシェの攻撃を防げないわけだ」


 意図的に前の弟子の名を出し、明らかなあざけりを含んだ声で言いながら、シグルトは人差し指を立てていた手を下ろした。体を押さえつけていた魔力が消え、ルゼルは屈辱で歪んだ顔を持ち上げ、叫ぶ。


「このことは導師会議で報告するからな!」


 無様にいつくばり、鼻から一筋血を流しながらも、なんとか自身の優位を取り戻そうとする少年を、シグルトは心底おかしそうに見下ろした。


「ご自由に。でも、報告してどうするんです? 他の導師に泣きついて、協力してもらって私を倒そうと? さて、導師何人がかりだったら私を殺せるでしょうね?」


「調子に乗るな! いくらお前でも導師複数を相手に勝てるわけ――」


「うん、どうでしょう? 弟子には謙遜したけど、本当は他の五人同時にかかってこられても、勝てる自信ありますけどね。それに……」


 言いながら、シグルトはわざとらしく首を傾げる。


「どうやって報告するんです? あなた、ここで死ぬのに?」


 自身を見下ろす笑みの酷薄さに、ルゼルは背筋を凍らせた。


「ボクを殺す気か? そ、そんなことをして、ただで済むものか!」


「一応、あなたを殺す大義名分はありますよ。クライル王子暗殺未遂、それに……」


 紫の瞳が、少年を見透かす。


「あなたのあの気持ち悪いペット、あれ、人間も材料に使ったでしょう? 魔物同士を合成するときに、人間は繋ぎの材料として優秀ですからね。この塔を調べれば証拠はいくらでも出てくるでしょう。人間と魔物の合成……禁術に当たりますね。禁術使用はご存じの通り、即死罪ですよ」


「……」


 ルゼルはぎりぎりとひびが入るほど奥歯を強く噛み合わせながら、ただただ自らに屈辱を強いる男をにらみあげた。

 

「おや、反省の色が見られないですね。悪いことをしたら謝る。お父さんとお母さんに教わりませんでしたか? まあ、私も両親にそんなこと教わったことありませんがね」


 最後は自嘲的に笑ってから、シグルトは愉快そうに続ける。


「さて、どうやって殺しましょう? 私の可愛い弟子の命を狙うなんて……手足を十回くらい引きちぎってやらないと気がすまないな」


 びくりと、ルゼルの肩が恐怖を隠しきれずに震えた。その様子に、シグルトの目の奥に、無慈悲な愉悦が浮かぶ。

 

「ああ、でも人間の手足は四本しかないのか。どうしましょう? ……そうだ。私の頭のおかしい両親が開発した、人間をどろどろに溶かす術。あれを試してみるのもいいかもしれないな。あなた、そういうおどろおどろしいの、大好きでしょう?」


「貴様……!」


 シグルトの口から歌うように呪文が流れ出す。それはごく小さなささやき程度の声量だったが、室内にはっきりと響き渡る。生み出された魔力がその場の空気を暗く淀んだ、絶望的なものへ塗り替えていった。


 再び全身を魔力に抑え込まれ、身動きのできないルゼルは救いを求めてか、部屋の隅で縮こまっている弟を見やった。いつも傲慢不遜な兄から、生まれてはじめて送られてきた、助けを乞うようなその視線から、ルーバスはぎゅっと瞼を閉じて逃れた。


 ルゼルの指先が、灼け付くような異様な熱を持ち始めた。指先から、ゆっくり手全体へ広がっていく。何事かと弟から自らの手へ視線を移した先で、どろり、と皮膚と肉の一部が溶け出した。


「や、やめろ!」


 甲高い制止の声にはもはや一片の余裕も気丈さもなく、ただ狂いださんばかりの恐怖しかなかった。


「それが人にものを頼む態度ですかね?」


 ゆっくりと――どろり、と今度は反対側の手が溶け出す。


「悪かった! ボクが悪かった! お願いします! 許してください!」


 ルゼルが鼓膜を裂くような金切り声で叫ぶ。半泣きで自らの非を認める導師は、今は親に怒られ許しを乞う、見た目通りの幼い子供にしか見えなかった。


「なんだ、ちゃんと素直に謝れるじゃないですか。見直しましたよ」


 日頃の矜持きょうじをかなぐり捨てて、泣き叫ぶ少年の姿に、シグルトは満足げに笑う。


「いいでしょう。今回は許してあげます」


 室内に満ちていた禍々(まがまが)しい魔力が消え、寸前まで迫っていた死の予感が遠のく。忘れていた呼吸を思い出すと、ルゼルの恐怖で強張った身体が弛緩した。


 シグルトは、兄の危機にも直面しても、部屋の隅で必死で存在を消そうとしている情けない男をちらりと見やった。目が合うとひっと小さく悲鳴を上げ、もう逃げ場はないのに、壁に背を押し付け、なお後退しようとするルーバスを見て、呆れ声で続けた。


「本当は殺してやりたいけど、あなたが死んだら、そこのルーバス君が次の導師でしょう? 彼の力では、王都の結界が弱まってしまう。だから、今回はあなたを生かしておいてあげますよ。禁術使用の件も、不問とします。はなはだ不本意ですがね」


 再びルゼルに視線を落とすと、冷ややかに警告する。


「その代わり、今後は大人しくしていてくださいよ。次、私の弟子に何かしたら、消えてもらいますから」


「わ、わかった」


 ルゼルは震える声で応え、何度も頷いた。目に涙の滲む、その怯えきった様子に、シグルトはため息をつく。


「まったく……これじゃあ端から見たら、私が子供を甚振いたぶる悪者みたいだ。こんな弱い者いじめみたいな真似、させないでくださいよ。こっちはあの子に相応しい、善良な人間になろうって日々努力してるんですから。昔の私なら、あなたもルーバス君もこの場でさっさと殺してましたよ。うちの弟子に感謝するんですね」


 それだけ言うと、シグルトは用は済んだとばかりに、ローブをひるがえし、すたすたと部屋の扉へ向かう。


「じゃあ、私の言ったこと、くれぐれも忘れないでくださいね。忠告は一度しかしませんから」


 肩越しに振り返り、部屋にいる二人の表情を見て、彼らに自身への恐怖がしっかり刻みつけられたことを確認すると、シグルトは部屋を出る。

 部屋の扉がかちゃんと閉まる音が、やけに穏やかに響いた。

 シグルトは他に人影もない、しんと静まり返った廊下を進みながら、ぶつぶつと一人ぼやく。


「しかし……確かに師匠の言う通り、今の法院の人材不足はひどいものだ。あんなガキに頼らないといけないなんて。後進の育成も弟子たちに丸投げしないで、きちんと考えておくべきでしたね……」


 死ぬ前に――後悔と共に吐き出された言葉は誰の耳に入ることもなく、彼の姿と同じく、薄暗い廊下の闇に溶けて消えた。



今回ちょっと短めですが、読んでくださってありがとうございます!(^^)

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