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61 セイラの願い

 オルアンが帰ったのは、昼近くになってからだった。リシェルとセイラの用意した軽食を食べ、リシェルを交えてひとしきり昔話をした後、またシグルトに長いことあれやこれやと小言を聞かせていたが、やがて妻が待っているからと、ようやく帰っていった。


 入れ違いに訪ねてきたのはブランだった。法院から来たのか、この家への訪問時としては珍しく、導師のローブ姿だ。リシェルを見て、その無事を喜んでくれたが、勝手に王都を離れた友には心底呆れ顔だった。


「お前……昨日、本当に大変だったんだぞ」


「すみません。迷惑を掛けましたね」


「それはいいが、行く前に一言俺に言ってくれよ。そしたら、こんな騒ぎにならないよう、何か助けになれたかもしれないだろ」


 頼ってもらえなかった寂しさがにじむブランの言葉に、この人は本当にいい人だと、リシェルは思う。彼はいつだって、シグルトやリシェルの力になろうとしてくれている。


「いや、あの時はもう、この子を助けに行くことで頭がいっぱいだったのでね」


「お前なぁ」


 得難い友に感謝の気持ちがあるのかないのか、飄々(ひょうひょう)と答えるシグルトに、ブランはため息をついてから、表情を引き締めた。


「明日、緊急で導師会議を開くことになった。お前の審問を行い、処罰を決定する」


 審問と処罰――硬い声で告げられた、不穏な単語がリシェルの胸にじわっと不安を広げた。


「俺は今日それを伝えに来た。……ルゼルがお前の責任を徹底的に追及するって、大喜びしてたぞ?」


 人のいい彼が珍しく嫌う、少年の姿の導師を思い浮かべたのか、ブランは眉根を寄せた。


「どうするんだ? あいつは絶対お前の辞任を要求してくるだろう。他に導師二人の同意があれば、法院の上級魔道士たちによる問責決議が行われる。賛成が過半数を上回れば、お前は導師を解任されるぞ」


 シグルトが導師を辞めさせられるかもしれない。そこまで大事になるとは思っていなかったリシェルは動揺し、おろおろとシグルトとブランを交互に見やった。

 ブランは渋い顔をして、腕を組む。


「俺は当然、同意しない。おそらく、お前に好意的なガーム導師もだ。だが、ロゼンダやヴァイスがどう出るか、正直わからん。ルゼルに同調してお前を追い落とそうとする方が可能性は高いかもな……ロゼンダはお前にいろいろ思うところがありそうだし……」


 不意に、シグルトがわざとらしく咳払いをした。ブランははっとして、リシェルを見やってから、気まずげにぼりぼりと頭を掻いた。


「えっと……まあ、とにかく、上級魔道士の決議にまで持っていかれたら、結構やばいぞ。お前にはパリスみたいな熱烈な支持者もいるが、反感持ってる奴も同じくらい多いからな」


「君ほど人望ありませんからねぇ、私」


 導師の地位を追われるかもしれないというのに、シグルトは危機感などまるで感じていないようで、他人事のように言う。本当に、自身の地位にこだわりがないのだろう。


 本人が気にしていないのだとしても、リシェルとしては責任を感じずにはいられなかった。今回のことも、法院の魔道士たちがシグルトに反感を持っていることも、すべてリシェルが原因なのだから。


「先生、ごめんなさい……私のせいで……」


「だから、気にするなと言ったでしょう? 王都を離れたのは私の判断です。君が自分を責める必要はありません」


「でも、どうするんですか? 本当に導師を辞めさせられたら……」


「そうですねぇ……もうお金は十分稼ぎましたしね。君とどこか南の温かい国にでも行って、のんびり暮らすっていうのも悪くないなぁ」


 本気でいい考えだと思っているのか、シグルトはにこにこと笑って上機嫌だ。どこまでも呑気な友に、ブランは若干苛立ちを見せた。


「お前な、本当に引退する気か? ちょっとは真面目に考えろよ。人がこんなに心配してやってるのに」


「わかってますよ。これで導師を辞めさせられたら、また師匠にぐじぐじ言われるでしょうし、リシェルも勝手に責任を感じて落ち込むでしょうから。まあ、明日はせいぜい頑張って弁解するとしましょうか」


「ルゼルがお前の弁解なんて聞くわけないだろ」


「いや、どんなに性根が腐っていようと、彼だって同じ人間ですからね。誠心誠意話し合えば、きっとわかってくれますよ」


 事態をまるでわかっていないかのような、悪い冗談としか思えない友の言葉に、ブランはリシェルと目を合わせ、諦めたように肩をすくめた。







 仕事があるからとブランも帰り、リシェルはセイラと共に台所で夕飯の仕度をしていた。何かして気を紛らわさないと、明日の導師会議が不安で落ち着かないのだ。


 明日の会議は通常時と異なり、弟子は参加できず、導師のみで行われるという。出席すら許されないリシェルが師のために今出来ることは、美味しい夕食を用意することくらいだ。今夜は、セイラに手伝ってもらって肉と野菜の煮込み料理を作ることにした。


 包丁でジャガイモの皮を剥きながら、リシェルはすぐ横で、同じく皮むきをするセイラをちらりと見やった。無表情で黙々と同じ動作を繰り返し、作業を進めるその姿は、まるで機械仕掛けの人形のようだ。


 だが、彼女の正体はかつてヴァ―リスに恐怖をまき散らした、恐ろしい魔竜。こうして二人並んで料理していることが、なんとも不思議に思えた。


 今はどこからどうみても、人間にしか見えない。黒いメイド服を纏った、端正な容姿の美女。あの巨大な竜の身体を一体どうやってここまで小さく、まるで異なる姿に変えられるのか。ちなみに彼女の着ている服も、彼女の体の一部であり、自在に変化させられるのだそうだ。


 先ほど二人きりになってから、アンテスタで助けてくれた礼を改めて言うと、セイラはただ「ご主人様のご命令に従ったまでです」と素っ気なく返してきた。元から主人にやたらと従順で忠実なメイドだとは思っていたが、その正体がシグルトの使い魔であると知って納得した。セイラは主であるシグルトには絶対服従なのだ。


「あのね、セイラ。聞きたいことがあるんだけど」


「何でしょうか?」


 リシェルが問うと、セイラは皮をむく手を止め、自らを伺い見る少女へ顔を向けた。


「その……昨日、私を先生の寝室に寝かせたのはセイラだよね?」


「はい」


 詫びれることなくあっさり認めたセイラに、リシェルは問いを重ねる。


「なんでそんなことしたの?」


 あれはシグルトの命令ではなかったようだし、なぜ彼女があんな行動を取ったのか不可解だった。


「昨日、ご主人様が、リシェル様との子供が欲しいとおっしゃっていましたので」


「……へ?」


 思いがけない答えに力が抜け、じゃがいもと包丁を取り落としそうになったリシェルは、慌てて握りなおした。

 確かに昨日、セイラの背に乗って王都へ帰る途中、シグルトがこのまま遠くへ逃げて、リシェルと二人、子供を得て静かに暮らしたい、という話はしていたが……

 リシェルが硬直しているのを見て、セイラは淡々と続けた。


「私は使い魔なので、ご主人様と常に魂が繋がっている状態です。ご主人様のお心を読むことまではできませんが、お気持ちを感じることはできます。あのお言葉はご主人様の本心でしたので」


 いつも極端に口数の少ない彼女だが、きちんと説明してくれた。

 シグルトはセイラは彼女なりに気を利かせたのだろうと言っていたが、あれはセイラが自分なりに主人のことを考えての行動であったらしい。

 だが、それはつまり。


「そ、それで私を先生の隣に寝かせたの? えっと、つまり、子作りさせようと……?」


 リシェルは自分で言いながら、頬が熱くなった。

 セイラは赤くなっていく主の弟子を見つめながら、無表情のままわずかに首を傾げる。


「私はご主人様のお望みが叶うようにしたつもりですが、何か問題でしたか?」


 大問題だ。リシェルの気持ちに対してまったく配慮がない。彼女はシグルトの使い魔で、あくまで主のためにのみ行動するのだろうから、仕方がないのかもしれないが。


 だが、その悪気のない様子を見れば、ひどい、非常識だと彼女を責める気にはなれなかった。そもそも、人間の常識を持っていない存在なのだ。ひとつひとつ説明して、わかってもらうしかない。


「う、うん。あのね、人間はね、その……子供を作ったりするのは、結婚してからするもので……私は、まだ先生のお嫁さん、ではないから……一緒に寝たりするのも、成人したら普通はしないし、ああいうのはやめてね?」


「かしこまりました」


 セイラは素直に頷くと、話は済んだと判断したらしく、皮をむく作業に戻った。

 リシェルも皮むきを再開しながら、考える。

 

 私はまだ先生のお嫁さんではないから――

 無意識に、まだ、と言っていた。

 自分の中ではもう、シグルトの求婚に対する答えは出ているのかもしれない。


 王都を離れて――リシェルはシグルトの過去を知った。

 彼はいつも自分と昔の話をすることを避けてきた。だから、彼の過去が触れられたくない、思い出したくないものであろうことは薄々察していた。少なくとも、彼にとってそれが、人々が語る華々しい英雄譚などではないことは。


 だが、知ってしまったシグルトの過去は、想像以上にリシェルの人生に深く関わり、重くのしかかっているものだった。リシェルの故郷であろうカロンの村を焼き払い、共にいたアーシェの命を奪った。


 しかも、彼はずっとそれを自分に隠してきたのだ。


 次にシグルトに会った時、自分が彼にどんな感情を抱くのか、想像もつかなかった。

 もしかしたら、今まで師に抱いてきた、信頼や敬愛の感情は、怒りや憎しみ、恨みといった負の感情にすべて取って代わられてしまうのか。


 自分のシグルトへの感情が変わってしまう。

 それは、自分の存在そのものが根底から変わってしまう気がして、恐ろしかった。


 だが――

 王都から職務も責任も何もかも放り投げて自分のもとへ駆けつけてくれた彼の顔を見た時、湧き上がった感情は戸惑いだったが、そこには確かに安堵もあった。

 

 過去に何があったとしても、やはり彼は、心配性の自分の保護者なのだ、と。


 疑念はあっても、自分でも意外な程、嫌悪はなかった。

 共に過ごしたこの六年という時は、自分が思う以上に、彼との間に強い絆を生んでいたらしい。


 そして、シグルトは辛い過去のすべてを話してくれた。だから、リシェルは彼を信じると決めた。


 いや、例え彼が過去のことを何も教えてくれなかったとしても、きっと何か事情があるのだろうと師を信じて、今まで通り傍にいることを選んでいた気がする。


 結局、自分はシグルトの傍にいたいし、彼を信じていたいのだ。


 この気持ちが恋なのかはわからない。

 ただ、彼を失いたくない。一緒にいられなくなるのなんて嫌だ。

 その想いだけははっきりしている。


 だとするなら、どうすべきか答えは明白だ。


「おや、今晩はもしかしてシチューですか」


「せ、先生!」


 不意に台所の入口から、シグルトがひょっこり顔を出し、リシェルは一瞬心臓が止まりかけた。弟子の様子に、師は不思議そうに問う。


「顔が赤いね。どうしたんですか?」


「台所って料理するから暑いんです! それより、先生こそどうされたんですか?」


 適当な返事でごまかして、今度はリシェルの方が質問する。

 シグルトが今纏まとっているのは、導師のローブだった。着替えたらしい。


「ああ、ちょっと用があって出かけてきます」


「今からですか? 夕飯、もうすぐですけど……」


 導師会議は明日だが、格好からして今から法院に向かうのだろうか。だが、もう日暮れで法院の閉院時刻はとっくに過ぎている。


「それほど遅くはならないと思いますが、先に食べていてください」


「こんな時間に、どちらに行かれるんですか?」


 不審がる弟子に、シグルトは唇の両端を吊り上げた。


「ちょっと話し会いにね」


「え?」


「じゃあ、行ってきます」


 弟子に詳細を告げることなく、濃紺のローブは台所の入り口からすぐに見えなくなってしまった。


「先生、どうしたんだろう?」


「……お戻りはそう遅くはなられないでしょう」


 リシェルの疑問に答えたつもりなのか、セイラはぽつりと呟く。


 相変わらず感情の見えない、その端正な横顔を見つめながら、リシェルは考える。

 使い魔であるセイラには、シグルトが考えていることがある程度わかるらしい。ならば、シグルトがどこへ何をしに行ったのかもわかっているのだろうか。


 自分よりずっとシグルトとは付き合いの長いセイラ。シグルトが魔竜ヴァルセイラを討伐したのは彼が十三歳の時だから、実に十五年も彼と共にいたはずだ。


「ねえ、もう一つ聞いてもいい?」


 先程よりも幾分緊張した声での問いかけに、セイラは再び顔だけをリシェルへ向けた。


「セイラは私が来る前も、この家にいたんだよね?」


「はい」


「なら、先生の前の弟子の……アーシェさんのことも知ってる?」


「……はい」


 いつもどんな問いにも即答するセイラが、今回は珍しく返事に一瞬間があった。


「どんな人だったの? セイラから見て……その、先生とは仲良かった?」


 カロンの村で、身寄りのない自分と共にいてくれたアーシェ。自らの命が尽きる瞬間まで自分のことを案じ、シグルトに託してくれた優しい人。きっと自分にとっては姉のような存在だったに違いない。


 彼女の姿を夢で見はしたが、はっきり思い出せないことが悔しい。彼女のことをいろいろな人から聞き、その思い出の欠片をかき集めれば、自分にも彼女の記憶が蘇るのではないか。


 そのリシェルの期待を、しかしセイラは首を振って拒否した。 


「申し訳ございませんが、お答えできません。私がアーシェ様について語ることを、ご主人さまは望んでいらっしゃいません」


「そう、なの?」


 シグルトはすべてを話してくれた。それでもなお、アーシェのことには触れられたくないということなのか。


「……ただ」


 セイラは握っていた包丁を作業台の上に置くと、その深い藍色の瞳で、リシェルをじっと見据える。


「私は感謝しております。私の恩人である、ご主人様を救ってくださった方ですので」


「どういうこと?」


 唐突に、セイラがリシェルの方へ体ごと向き直った。そのままゆっくりと腰を落とし、まるで主に対するかのように頭を垂れる。肩で切り揃えられた茶髪が、さらりと前へ落ちた。


「セイラ?」


「リシェル様、どうぞこれからもご主人様のお傍にいてください。貴女が笑っていてくださることだけが、ご主人様にとって唯一の救いなのです」


 台所の窓から指す西日が、魔竜の殊勝しゅしょうな姿を橙色に染めていた。

 このいつも無感動なメイドの、初めての懇願、淡々としながらも主人への思いに満ちた言葉に、リシェルはただ戸惑うばかりだった。



お読みいただきありがとうございました^^

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