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60 オルアン

「この大馬鹿者がっ! 結界をほったらかして王都を離れるとは何事かっ!」


 階下から響く、家を揺るがす程の怒声に、薄灰色のローブに着替えたリシェルは慌てて階段を駆け下りた。


 玄関ホールには、セイラと、普段着用の簡素な青いローブに着替えたシグルト、そして深緑のローブをまとった初老の男が立っていた。


 シグルトの師匠、オルアン。彼の姿を見るのは約六年ぶりだ。短かく刈り込んだ茶髪は半分以上白いものが混じっているが、年の割に肌の色つやがよく、見るからに健康そうだ。だが、今は顔に刻まれたどのしわよりも深く、眉間に皺を寄せていた。金茶の瞳で、数年ぶりに会う弟子を射殺さんばかりに睨みつけている。


「ああもう……今何時だと思ってるんですか? まだ明け方ですよ。ご近所から苦情が来るので、声抑えてください。師匠」


 シグルトは突然押しかけて来た師が、懐かしいより疎ましいらしく、顔をしかめながらたしなめる。


「お前という奴は! 反省しとらんのか!?」


 その態度が気に食わなかったのか、オルアンはますます声を荒げた。さすがは元法院の最高位の魔道士だけあって、震えあがるような迫力がある。


「オルアン様! 違うんです!」


 その怒声にひるみながらも、リシェルは弁明すべく駆け寄り、師をかばうようにオルアンの前に立った。


「先生は私を助けに来てくれたんです! だから、先生が王都を離れたのは私のせいなんです!」


 オルアンは急に横手から現れた少女を、目を見開き、ぽかんとしてしばらく眺めた。


「……リシェルちゃんか?」


「はい。オルアン様。ご無沙汰しております」


 リシェルが頷き一礼すると、老人は途端に相好を崩した。


「ははあ~大きくなったのう。しかもこんな美人さんになって。いやいや、驚いたわい」


 笑うと先ほどまでの威圧感が消え、元導師とも思えない、ごく普通の好々爺のようになる。


「あ、ありがとうございます……」


 でれでれと目じりを下げるオルアンに、とりあえず師への怒りを収めるという目的は達したのだろうかと、リシェルは曖昧に愛想笑いを浮かべた。


「……まあ、立ち話も何ですし、奥へどうぞ」


 シグルトが渋々といった感じで促すと、リシェルは場の雰囲気が少しでも良くなるよう、気を回して提案する。


「あ、私、お茶ご用意しますね。あと軽食も。オルアン様も朝食はまだですよね?」


「おお、すまんのう」


 先ほどまでの剣幕はどこへやら、オルアンは久しぶりに孫にでも会ったかのように、にこにこと顔を緩めている。とりあえず今は冷静になってくれているようなので、しばらくシグルトと二人きりにしても大丈夫だろう。そう判断して、リシェルはセイラに手伝いを頼み、台所へと向かった。


「奥様と諸国を回られていたはずですが、いつお戻りに?」


「昨日じゃ。主要な国々は回ったからな。しばらくは古巣に落ち着こうかと思ってな」

 

 シグルトに応接間へと通されたオルアンは、ソファにどっかと腰を下ろすと、テーブルを挟んで向かいに座る弟子を、じろりと睨む。


「しかし、急に守護結界が弱まったから、何事かと数年ぶりに法院に戻ってみれば、お前が突然姿を消したと大騒ぎになっとったから、驚いたぞ」


「……まあ、いろいろ事情がありまして」


「ブランはお前は、任務で遠方に行ったリシェルちゃんを助けに行ったんだろうと言っとったが……」


「ええ、その通りです」


「どんな理由であろうと、導師たるもの、無断で王都を離れてよいわけなかろう。結界が弱まっている隙に、敵国や魔物の襲撃があったらどうするんじゃ」


「反省はしてます。後悔はしてませんが。可愛い弟子の危機を放っておけませんでしたから」


 到底反省などしているとは思えない、涼しい顔で応える弟子に、オルアンは苦虫を噛みつぶしたような顔になる。


「……リシェルちゃんのこと、どうやら本当らしいな。法院で聞いたぞ」


 膝に片肘をつき、弟子に向かってぐっと身を乗り出すと、眉間の皺をさらに深くする。


「お前、あの子を愛人にしてるらしいじゃないか。毎日仕事さぼって、法院の執務室であれやこれやしとるとか」


「……はあ?」


 てっきり王都を離れたことをねちねちと説教されるものと思っていたシグルトは、師から出てきた予想外の話題に、思わず間の抜けた声を漏らした。


「いや、おかしいとは思っとったんじゃ。お前のような冷血人間が、あんな小さな子を引き取って育てるなんて。まあ、お前も六年前はいろいろあったしな。お前にも人の情が芽生えたのかと驚いたが……それがまさか、身寄りのない、哀れな子供を手篭てごめにするなどという、おぞましい劣情であったとは……」


 オルアンは弟子に心底軽蔑しきった眼差しを向ける。

 どうやら彼は、“シグルトは愛人を弟子として囲っている”という法院で半ば公然とささやかれる噂話を誰かから聞いて、すっかり信じ込んでいるらしい。


「いや、それ誤解ですから」


 シグルトは否定するものの、師の方は聞いていないのか、悲壮な表情で頭を抱え込む。


「お前がそういうつもりであの子を引き取ったとわかっとったら、リシェルちゃんはわしが保護したものを……全部わしの責任じゃ。まさか、将来有望と見込んだ弟子が、幼女趣味の変態、しかも逃げられないことをいいことに、養い子に手を出す外道だったとはな……こんな奴を後継者にしてしまって、わしは先代たちと初代導師ガルディア様に申し訳が立たん」


 勝手に責任を感じて項垂うなだれる師匠に、シグルトは彼と話し始めてまだ数分だというのに、早くも疲れを感じた。この師匠は、ディナ並みに思い込みが激しいのだ。


「お前だけじゃない。今の導師の面子はひどいもんじゃ」


 話は自らの弟子への非難から、他の導師たちへの批判へと及ぶ。


「生意気な陰険ガキんちょに、若作りに必死な色狂い魔女、どこの馬の骨とも知れんぽっと出の優男……ブランはいい奴だし人望はあるが、実力がいまいちなのがなぁ……ガーム導師ももうお年だし……まあ、あの方は後進の育成には熱心だが、どうにも人を見る目がないのか、まともに育っておるのはディナくらいだしな……いや、人を見る目がないのはわしもか」


 オルアンは弟子を、恨めし気にじとりと睨む。


「お前はお前で、ろくに仕事もせんで、弟子との淫らな関係に溺れきっとるようだしな」


「ですから、誤解ですって」


 シグルトの二度目の否定もあっさり聞き流し、オルアンは大きくため息を吐き出した。


「どいつもこいつも法院を導くべき導師としては相応しくない。今の法院の現状を見たら、ガルディア様もさぞお嘆きになられるであろうな」


「……別に、嘆いてはいませんがね」


「何か言ったか?」


「いえ、別に。というか、私が誤解ですって言ったの聞こえてますよね?」


 ごく小さな呟きには反応する師に、シグルトは呆れ混じりに言うが、オルアンは鼻先で笑った。


「お前のような大嘘つきの言うことなど信じられるか」


「私がいつ、師匠に嘘をつきました?」


「ついただろうが。お前ずっと導師にはなりたくないと言って、後継者になるのを渋っておった癖に、六年前急に“跡を継いでやるから、今すぐ導師の地位を譲れ”と来たもんだ。わしはまだ現役バリバリでやっていくつもりだったのに、またお前の気が変わったら困るからと、言う通りにしてやったが……お前最初から導師になるつもりで、もったいぶって焦らせて、わしを早々に引退に追い込む腹じゃったんじゃろ?」


 弟子への信頼の欠片もない推察に、シグルトは眉をひそめた。


「なんでそんなに私を悪者にしたいんですか……少しは可愛い弟子を信用してくださいよ」


「何が可愛い弟子じゃ。お前を可愛いと思ったことなんぞないわ。何を教えてやっても、いつもすました顔で“知ってます”って……まったく、可愛げのない。弟子になれなんて声をかけるんじゃなかったわい」


 オルアンは忌々しげに舌打ちすると、目をすがめた。


「お前、わしを馬鹿にしとるだろ? 自分の方が魔力も技術も上だと」


「してませんよ」


「じゃあ、何で守護結界の術式を変えた?」


「……」


 それまで即座に師の言葉に応えてきたシグルトは初めて、口をつぐんだ。


「わしが気づかんとでも思ったのか? 守護結界の発生装置の管理は、代々、月の塔の導師の仕事。先代から導師を継いだ時、わしは自ら編み出した究極の術式で、結界をこれ以上ない程強化した。そのわしの最高傑作を勝手にいじったのは何でじゃ?」


「……別にただ、さらに強化した。それだけですよ」


「はは、さすが大魔道士様じゃな。あれにまだ改良の余地があったか」


 目をらし答える弟子に、オルアンは皮肉気に笑った。


「まあ、それはいい。個人的には腹立たしいが、結界が強化されるのは喜ばしいことだしな。だが、今回のことといい、導師になってからのお前の横暴ぶりは目に余る」


 顔を険しいものに戻して、弟子を見る。

 

「師匠から導師の地位を奪い、若い娘を囲って侍らせ、職務をないがしろにして……大魔道士様はやりたい放題か? え?」


「前二つは誤解ですってば」


 オルアンは問答無用とばかりに、どんっと目の前のテーブルに握り拳を叩きつけた。


「導師になった以上は、全力で責務を果たせ。それから、嫁入り前の娘に手を出したなら、ちゃんと責任取れ。結婚しろ。わしの目の黒いうちは、いい加減な真似は許さんぞ」


「……わかってます。それに、結婚はするつもりですよ、私は」


「なんだ、やっぱり手を出したんじゃないか」


「だから、出してませんってば」


 師との繰り返される問答に、シグルトは声に疲れをにじませる。


「じゃあ、何で結婚する?」


「愛してるんです、彼女を」


 弟子の口からさらりと出てきた言葉に、オルアンはあごが外れそうな程口をあんぐりと開けた。


「お前から愛してるなんて言葉が出るとはな……心臓が止まるかと思ったぞ。本気なのか?」


「ええ」


「お前、愛情と劣情の区別はちゃんと付いとるんだろうな?」


「本当、貴方は弟子をどう思ってるんですか?」


「魔力だけが取り柄の、腹黒冷血変態魔道士じゃ」


「……」


「ふむ。まあ、つまり、お前はリシェルちゃんに無理矢理男女の関係を強要しているわけじゃなく、純粋に恋人関係なんだと言いたいんじゃな?」


 ようやく弟子の言葉に耳を傾ける気になったのか、オルアンは少し表情を緩めて、乗り出していた身を引いた。


「いえ、まだ恋人では……」


「恋人でもないのか。なら、あの子とは本当にただの師弟関係で、手は出していない。やましいことは一切していないんだな?」


「………………ええ、まあ」


「なんじゃ、その間は。どうにも信用できんな」


 弟子のいまいち歯切れの悪い返事に、オルアンは再び表情を険しくした。その時、部屋のドアがノックされ、茶器の乗った盆を抱えたリシェルが入ってきた。

 

「遅くなってすみません。お茶をお持ちしました」


「おお、すまんな!」


 途端に破顔するオルアンの前に、リシェルはお茶を注いだカップを置いた。


「あとで軽いお食事もお持ちしますね」


 カップを手に取り、一口茶をすすると、オルアンは成長した孫弟子を眩しそうに眺める。


「リシェルちゃん、本当に大きくなったのう。すっかり娘らしく、綺麗になって……挨拶もしっかりできるし、お茶もいれられるようになったのか。昔はわしのことも怖がっておったのに。子供の頃が懐かしいのう。こいつにいつもぴったりくっついて、離れなかったもんじゃが……寝るのも一緒、風呂や便所にまでくっついて行って」


 オルアンはシグルトが導師になると、まもなく旅に出てしまったから、シグルトに引き取られた直後の、幼い頃のリシェルしか知らない。確かに当時のリシェルは記憶がないせいか、不安に駆られることが多く、いつもシグルトの傍から離れようとしなかったから、彼が今のリシェルに驚くのも仕方ないかもしれない。

 

 だが、師にべったりだった子供の頃のことを持ち出されるのは恥ずかしく、やめて欲しくて、リシェルは思わず口調を強めてしまった。


「オルアン様、それは子供の頃の話ですよ! 私ももう成人ですから」


「成人か……はは、そうじゃな。さすがにもう一緒には寝ておらんよな」


「……!」


 笑い混じりに言われたオルアンの言葉に、今朝のことを思い出し、リシェルは一気に赤面した。その様子を見て、オルアンは半眼になってシグルトの方を見やった。この大嘘つきめ――そう言いたげな侮蔑交じりの師の視線に、シグルトは小さくため息を吐き、肩を落とした。


「もう、面倒なんで、嘘つきの変態でも何でもいいですよ……」


更新ちょっとあいてしまいましたが、今日もお読みいただきありがとうございました。

ブクマ、評価ありがとうございます^^

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