56 初めての弟子
「シグルト様!」
仕事が終わり、帰宅しようと法院の門をくぐろうとしていたところで、シグルトは背後から、子供の声で呼びかけられた。
振り返ると、立っていたのは一人の少女。魔術学院の学生が着用する、若草色のローブを纏っている。肩のあたりで揺れる艶のない、灰色の髪のせいで、彼女を見てとっさに思い浮かんだのは子ネズミだった。だが髪とは対照的に、その灰色の瞳はきらきらとした光を宿して、自分を見上げていた。見覚えのある顔だ。
「君は……アーシェ、だったか」
「名前、覚えていてくださったんですね!」
記憶を辿り、彼女の名を出すと、少女はぱっと顔を輝かせた。
アーシェ。自分とブランが魔道の才を見出し、法院に連れてきた子供だ。
二年前、ブランと共に魔物退治の任務をこなしたその帰路で、法院からどうやら魔力を持つ子供がいるらしい、調査せよ、という命を受け、近くの小さな農村に立ち寄った。
王都から遠く離れたこの村では、魔道士という存在がまったくの未知のものであるらしく、自分とブランを村中の人間が怯えたように遠巻きに見ていたのを覚えている。その村で、彼女は病気がちの母親と二人で、小さな畑を耕し、細々と暮らしていた。
灰色の髪に、灰色の瞳。彼女が魔力の持ち主であることは一目でわかった。それも相当に強い魔力の。幾度か力を暴走させ、周囲の人間に害を及ぼしたこともあったらしい。そのせいで、魔道士に馴染みがないこの村で、彼女はその容姿もあり、“悪魔の子”と呼ばれ忌み嫌われていた。
シグルトとブランは、その力は悪魔のものではなく、魔力という才能であることを説明し、魔道士になるべきだと少女を説得した。自分が魔道士になれば、法院からかなりの額の金が母親に渡されると知ると、アーシェはすぐに王都行きに同意した。その後、彼女を王都に連れて帰り、魔術学院に入学させてからは、特に会うこともなかったのだが――
目の前の少女の、明るい笑顔に少々驚く。二年前の彼女はこうではなかった。暗く、どんよりと、それこそ灰色の曇った空のような目をして、ずっと無表情で笑うこともなかった。彼女の村での扱いを考えれば、そうなってしまうのも無理もなかったかもしれない。
それがこんなに変わるとは。どうやら、法院に来たのは、彼女にとってはよい選択だったらしい。
「久しぶりだね。元気そうで何よりです。で、私に何か用ですか?」
自分がここへ連れてきた子ではあるが、さっさと追い返したくて、近況を聞くこともせず、用件を尋ねる。正直、子供に興味はない。いや、子供どころか他人すべてに興味がないのだが。
「私を弟子にしてください!」
アーシェは一体何がそんなに嬉しいのか、にこにこと弾んだ声で答えた。
……またか。この手の申し出はうんざりするほど多い。皆、有名な魔道士の弟子になって、箔を付けたいのだ。シグルトはできるだけ冷たく聞こえるよう、素っ気なく言った。
「あいにく、私は弟子を取るつもりはないんでね。他を当たってください」
弟子志願者に対する、お決まりの返答。しかし、アーシェは引かなかった。
「嫌です。私は、シグルト様の弟子になりたいんです」
「なぜ?」
「天才を教えられるのは、天才しかいないじゃないですか」
そんなの当たり前じゃないかと言わんばかりの顔で、アーシェは自分の胸をどんっと叩いた。二年前の自己肯定感の欠片も持っていなさそうだった彼女とはまるで別人だ。いくらなんでも変わりすぎだろう。一体この二年で何があればここまで変われるのか。まあ、別にどうでもいいが。
「……大した自信ですね。とにかく、私は弟子は取らないので、諦めてください」
「嫌です」
「だから、私は弟子は……」
「嫌です」
「……」
話が通じない。これだから子供は嫌いなのだ。
このままでは無意味な押し問答を繰り返すだけだ。違う理由で納得してもらうしかない。
「弟子っていっても君、一昨年魔術学院に入ったばかりだろう?」
普通、特定の魔道士に弟子入りするのは、学院を卒業してからだ。基本を学んでから、より高度な術を習得するため、各々目標とする魔道士に弟子入りを志願する。
「卒業したら、弟子にしてもらえますか?」
希望を見出したように、アーシェは期待いっぱいの目で見上げてくる。諦めさせるにはどうしたらいいか。ふと、いい考えが浮かび、自然と口元に笑みが浮かんだ。
「そうだな……十三歳までに首席で卒業できたら、いいですよ」
アーシェが絶句するのを見て、内心ほくそ笑む。
魔術学院は年齢問わず、毎年行われる卒業試験に挑戦可能で、合格すれば卒業となる。平均卒業年齢は二十二だったか。十代で卒業できれば、優秀と言われる。
ちなみに、最年少卒業記録は十三歳。しかもその年の首席だ。その記録保持者は他ならぬ自分。弟子になりたいというならば、自分と同程度の実力を示せ、というのは弟子入りの条件としておかしくはないだろう。
「……シグルト様、私、今十二ですよ」
アーシェは先ほどまでの元気はどこへやら、俯いて力なく呟く。
「じゃあ、あと一年ですか。頑張ってくださいね」
一昨年学院に入学したばかりの彼女に、あと一年で首席卒業するなど、到底不可能だろう。これでこのしつこい子供を追い払える。安堵して、再び門へと歩みを進めようとし――
「じゃあ、今日から私、シグルト様の弟子ですね」
「は? 何を言って――」
アーシェの言葉に、足を止め振り返る。
その先にあったのは、満面の少女の笑顔。
そして、その手に広げられた、魔術学院の卒業証書。
「先日、無事卒業試験に合格しました。全科目トップの、ぶっちぎりの首席卒業です。ついでにシグルト様の最年少卒業記録、塗り替えさせてもらいましたから」
「……」
今度はシグルトが絶句する番だった。少女はしてやったりと微笑んでいる。
彼女が変わったのは、これが原因かと納得する。彼女は間違いなく天才。そして、そのことに彼女自身が気づいたのだ。
「約束ですよ。弟子にしてください」
「君ねぇ」
なんとか、他に追い払う方法はないものかと頭を巡らすが、アーシェの方はそんな暇を与えまいとするかのように、勝手に話を進める。
「もうお仕事終わりですよね。じゃあ、一緒に家に帰りましょう」
「一緒にって……」
意味が分からずにいると、少女の背後から大きな旅行鞄が現れる。見るからに重そうなそれを、少女はひょいっと肩にかけた。
「私もシグルト様の家に住みますから」
「はあ!? 何を勝手なことを言っているんです!?」
これにはさすがに声を荒げてしまった。しかし、アーシェはどこ吹く風だ。
「魔術学院卒業しちゃったので、もう学院の寮を出なきゃいけないんです。行くところがなくて……ご存知の通り、うち貧乏だから、お金もないし。こんなか弱い少女を、路頭に迷わすようなこと、しませんよね?」
「……」
何が“か弱い少女”だ。
魔術学院の卒業試験には、魔物退治も課される。卒業したというなら、当然その試験もクリアしており、しかも首席となれば、おそらくそこそこ強い魔物を一人で倒しているはずだ。“か弱い”などといいう言葉は絶対に彼女に当てはまらない。
「ほら、早く行きましょう。先生」
「君ねぇ」
早くも先生呼ばわりしてくる、この迷惑な少女の図々しさに心底呆れかえる。その隙をつくように、少女はさっさと門へ向かう。肩にかけた大きな鞄のせいで、時折体がふらついていた。その様子は、見かけだけなら確かに“か弱い少女”だ。
「……」
シグルトは少女の肩から鞄を取り上げた。
「あ、持ってくださるんですか? ありがとうございます!」
引き留めるために奪い取れらた、とは考えない少女の前向きさが羨ましい。この瞬間、シグルトは諦めた。今ここで彼女を説得するのはおそらく無理だ。
まあ、今日の所はいい。しばらく家に居座ったとしても、厳しくしごけばすぐに音を上げ、出ていくだろう。行くところがないというなら、ブランにでも押し付ければいい。
そんなことを考えて、シグルトは少女の鞄を肩にかけ、家路についた。そんな“師匠”の背中を、“弟子”はこの先には楽しいことしかないとでも思っているのか、にこにこと追いかけていく。
こうして、もう二度と、決して取ることはないと思っていた、初めての弟子との共同生活が始まったのだった。
しごけばすぐに音を上げ出ていく。
弟子との生活が始まって、シグルトはすぐにその考えが甘かったことを思い知った。
アーシェは、シグルトが修行と称して嫌がらせのように――実際嫌がらせなのだが――次々に出す課題を、すべてこなし切った。しかも、いずれもシグルトが唸るような高い成果で。長時間の魔力放出修行、古書解読、独自の新術の組成……相当な難題を吹っかけているにも関わらず、文句ひとつ言わない。十二の少女とは思えない能力と精神力だった。
「先生って、弟子を取るの初めてなのに、教え方がうまいですよね。いただく課題も、本当に力がつくものばかりですし。もっと出してください!」
音を上げるどころか、自身の過酷な状況を楽しんでさえいた。底なしの向学心と、貪欲なまでの知識欲。生来の魔道の才能に加え、努力し続けるという二重の才に恵まれた彼女の実力は、目に見えて伸びていく。
最初は押しかけてきた彼女を疎ましく思っていたはずなのに、気づけば彼女が課題を終える度、舌打ちではなく自然と笑みを返すようになっていた。いつしか、この弟子の成長を楽しんでいる自分がいた。
彼女が求めれば、どんな術でも知識でも、惜しみなく与えた。彼女はそれを必ず物にし、納得できなければ、師に対しても臆することなく反論する。朝まで一睡もせずに議論を交わしたこともあった。
この子に、自分の持てるすべての知識と技を伝授しよう。
そして、この子を、誰よりも偉大な魔道士に――――
それが、それまでこの生に何の価値も見い出せず、ただただ無意味に生きてきたシグルトの生きる目標になった。
今やすっかり有名になったシグルトの初めての弟子であり、これだけの実力を持った彼女が、法院で注目されないわけがなかった。皆、その力を目の当たりにすると、シグルトさえ超える天才なのではないかと噂した。
だが、必ずしも彼女を褒めたたえる者ばかりではない。称賛が増えれば、妬みから来るつまらぬ嫌味や中傷もまた増える。彼女の実力に関しては、もはや誰もが認めざる負えなかったから、その誰に対しても強気な態度と、お世辞にもよいとは言えない容姿を揶揄されることが多かった。若輩のくせに生意気だ、調子に乗っている、あのネズミ娘が――そんな陰口を、アーシェは鼻で笑い飛ばした。
「みんな私が天才で、シグルト様の弟子だから、羨ましいんですね」
誇らしげな笑顔で、清々しいまでに言い切る。
こんな彼女だから、友達はほとんどおらず、その点だけが気がかりだった。自分も友と呼べるのはブランくらいのものだから、他人のことは言えないが、後のことを考えると、彼女には自分以外にも頼れる人間を作って欲しかった。
だが、ずけずけと物を言うせいで分かりにくいが、アーシェは実は誰よりも優しい。親とはぐれた迷子だろうが、魔物に襲われている旅人だろうが、目の前に困っている者がいれば、必ず助ける。わが身の安全や都合など顧みず、それこそ無鉄砲とも言える勢いで救いの手を差し伸べるのだ。
シグルトの心配など単なる杞憂で、そんな彼女に友達ができないわけがなかった。
いつの間にか、ガーム導師の孫娘であり、アーシェとは同い年のディナとすっかり仲良くなっていた。お互いの家をしょっちゅう行き来し、親睦を深めているようだ。
(それにしても――――)
若い娘が二人いるだけで、なぜこうも騒がしくなるのか。
シグルトは居間から絶えずきゃっきゃっと聞こえてくる黄色い声に、少々うんざりしていた。今日はディナを招いての勉強会のはずだったが。
「何騒いでるんです?」
居間の扉から覗くと、アーシェと橙色の髪をした少女――ディナが振り返った。
「あ、先生」
二人が囲んで座るテーブルには、どう見ても魔道書には見えない、パステル調の色の本が散乱していた。タイトルをちらりと確認すれば、“この愛の記憶”、“運命の恋人たち”、“好きだと言ってくれたなら”――――やはり、魔道書ではない。
「てっきり勉強しているのかと思ったら、何ですか? これ」
シグルトは弟子が手にしていた一冊の本をひょいと取り上げた。
「知りません? 今大人気のローラ・シャルトルの恋愛小説です!」
勉強をさぼっているところを見られて、てっきり気まずげにするかと思っていたのに、アーシェはむしろ目を輝かせている。
「……恋愛小説ねぇ」
なんとなしに、ぱらぱらとページをめくってみた。
「それがもうすっごく、ロマンチックで……主人公がですね、ずっと片思いだと思っていた幼馴染の騎士から、月光花の花咲く夜の庭園で、熱烈な愛の告白を受けるんです……ああ、もう本当胸キュン……私もされてみたい」
アーシェはうっとりと語る。その瞳は完全に甘い想像に酔っていた。
「“この世界で僕が愛を捧げるのは唯一君だけだ。君のためなら僕は悪魔にも天使にもなれるだろう”……こんなことを言う男がいたら、それは役者か詐欺師ですね」
本の中で、たまたま目についた台詞に対する率直な感想を述べると、アーシェはシグルトの手から本を乱暴に奪い取る。
「先生って本当に乙女心がわからないですよね!」
弟子は女の敵を見るような目で、きっと師匠を睨みつけた。
「そんなんだから、いい年して恋人できないんですよ!」
「あ、でもシグルト様、この間の国王の誕生祝賀会の時、たくさん女の人に囲まれてましたよね。モテるんですね、意外に」
ディナがふと思いついたように言った。この娘もなかなかに失礼だ。類は友を呼ぶ、ということか。
しかし、己が弟子の無礼さは、その比ではなかった。
「あんなの金と名声目当てに決まってるじゃない。魔道士なんてネクラで女慣れしてないから、ちょっと色仕掛けで迫れば落ちるって思われてるんですよ。自分が本気でモテるなんて錯覚しちゃ駄目ですよ、先生」
「君ねぇ」
師に対する敬意の欠片もない発言に、ため息をつく。もっとも怒る気はない。自身に群がって来る女に対する評価は、弟子とまったく同じだったから。
「ちなみにシグルト様って、どんな女性が好みなんですか?」
ディナが橙色の瞳を好奇心で爛々とさせながら、見上げてくる。どうしてこうも、女というのはどいつもこいつも同じ質問ばかりしてくるのか。先日の祝賀会で幾度も繰り返された質問に素っ気なく、正直に答える。
「別にありませんよ。好みなんて」
「……もしかして、女に興味ないとか? ……あっ! シグルト様ってブラン様と仲いいですけど、まさか……!」
ディナは何を想像したのか、衝撃を受けたように自身の口を両手で覆い、後ろにのけぞった。アーシェも親友と共に、大げさに目を見開く。
「え? え? そうなんですか先生!?」
「……本当もう、何なんですか? 君たちは……」
うんざりした顔で肩を落とせば、少女たちは大人をからかうのが楽しくてたまらないらしく、顔を見合わせてくすくす笑っている。
「仲がいいのは結構ですが、くだらない本読んでないで、魔道書の一冊でも読みなさい。今日は勉強会なんでしょう?」
「くだらないとは何ですか! 恋愛小説読むのだって、立派な恋の勉強です!」
アーシェが胸を張って言えば、その横でディナが同意するように何度も頷く。
……この子たちに何を言っても勝てる気がしない。
「……もう勝手にしてください」
ため息一つ零し、諦めて居間を出ていく師匠の背に、多少は良心が咎めたのか、弟子が声を掛ける。
「ちゃんと魔道書の勉強もしますから!」
「はいはい」
部屋を去る瞬間、ちらりと振り返れば、親友と何事か話しながら、満面の笑みを見せる弟子の姿があった。
初めて会った時からは想像も出来なかった、その心底楽しそうな笑顔に思わず、つられて口元が緩む。
アーシェが来て、無口なセイラとの静かな暮らしはすっかり変わった。
毎日が騒がしく、笑ったり怒ったり忙しい。
明日のことなど考えることも厭わしかったのに、今ではアーシェのために明日は何ができるか、弟子はどんな反応をするかと考えるだけで愉快だ。
ただただ残りの生を消化し、終わりを待つだけの無味乾燥な日々。
それがもう一度生まれて来てよかったと思える程、意味あるものに変わった。
変えてくれたのはアーシェだ。
誰よりも偉大な魔道士になって欲しい。
彼女の才に対する期待から芽生えたその思いは、今では彼女自身に対する、より温かなものへと変わっていた。
この子に幸せになって欲しい――――と。
ごめんなさい、作品タイトル変更しました。
新タイトルは「大魔法使いの愛しい弟子」です。
先日、もっと恋愛小説っぽいタイトルの方がいいんじゃない?という意見をもらいまして、確かに今までのタイトルだと冒険ファンタジーなんだか恋愛小説なんだかよくわかんないよな~と思って、思い切って変えました。(すぐ流されるタイプ)
「愛」って入っているから、恋愛小説ってわかるようになったよね、きっと。(安直)
「聖灰の輪舞曲」時代から読んで下さっている方からするとまた変えるのかよ、って感じだと思いますが……
本当短文で内容を表すセンスがゼロなので、タイトル迷子になっております……
もう恰好付けて、気取ったタイトル付けるより、端的に「ああ、魔法使いの弟子が出てきて恋愛する話なのね」ってわかるくらい単純な方がいいかなと思いまして、こうなりました。
物語も謎がいろいろ分かって来るところまで来ましたので、これからも見捨てずどうぞよろしくお願いします^^




