54 迎え
薄暗い森の中で、国王と並んでもおかしくない、銀の装飾が施された厳かなローブはひどく浮いて見え、彼がここにいる違和感を一層強くする。
「先生……どうしてここに……?」
リシェルの声を聞いて、シグルトの表情が和らいだ。
「君が危険な状況にいると知って、迎えに来たんですよ。無事で良かった」
「王都から来てくれたんですか……?」
一体どうやって……と問いかけて、思い当たる。多分、空間の歪みを通って来たのだ。以前パリスに拐われた時も、彼はそうやって自分の元へ駆けつけてくれた。
「怖かったでしょう? もう大丈夫ですからね」
シグルトは優しく言って、リシェルに向かって手を差しのべた。
「おいで」
長年の習慣か、無意識にシグルトに向かって一歩を踏み出そうとした。だが、まだ腕に感じるエリックの熱に、リシェルの足は踏み留まる。
振り返れば、エリックは強張った表情で、その目は行くなと訴えているように見えた。
リシェルの中に迷いが生じる。自分自身も、心配して来てくれたシグルトの腕に、素直に飛び込んで行ける気持ちではない。自分はもう、過去を知ってしまったから。
「リシェル?」
シグルトは動かない弟子に怪訝そうな顔をするが、リシェルの腕を掴むエリックの手に気づくと、気分を害したように眉を寄せた。差し出した手の指をくいっと立ち上げる。
ふわりと、リシェルの体が地面から浮き上がった。
「きゃっ!?」
宙に浮いたまま、シグルトの方へ体が引っ張られる。腕からエリックの手が離れる寸前、彼と目があった。その漆黒の瞳には、悔しさ、切なさ、寂しさ――そんな感情が浮かんでいるように見えた。
(どうして、そんな顔をするの――?)
一体、自分とエリックの間に何があるというのか。
だが、考えを巡らせる間もなく、浮き上がった足が地に着いたと同時に、リシェルはシグルトの腕の中にいた。
「本当に……無事で良かった……」
リシェルがそこに本当に存在しているのか確かめようとするかのように、シグルトは力一杯抱き締める。
懐かしい匂い。温かな温もり。シグルトの腕の中には優しさしかなかった。
「先生……」
自分は今、師に対して今までとは違う複雑な思いを――疑念を抱いているのに、彼の方は何も変わらない。変わらず、リシェルに深い慈しみと、愛情を向けてくれている。そのことに罪悪感と安堵を感じた。
互いの温もりが十分に伝わった後、シグルトはそっと体を離し、リシェルの肩に両手を置く。
「もう魔物との決着はついたようです。セイラたちのところへ戻りましょう」
今、背後でエリックはどんな顔をしているだろう。彼はどういうわけか、リシェルとシグルトを引き離そうとしていた。だが、シグルトがここに現れた以上、もうエリックについていくという選択肢はない。師はそんなことは絶対に許さないだろうから。
「あの、先生、エリックさんが怪我してて……」
エリックの怪我に気付いていないのか、すぐにもその場を去ろうとする師に、リシェルは言った。自分の魔法は効かなかったが、シグルトならなんとかできるのではないかと期待しながら。
そこで初めて、シグルトは黒髪の騎士と目を合わせた。彼の腕に巻かれた、赤く染まった女物のハンカチをちらりと見やってから、感情のない、平坦な声で問う。
「治しましょうか?」
「……あんたの魔法なんか効くか」
エリックはふざけた提案をするなと言わんばかりに、吐き捨てる。
「そうですか。君はもう……それは頼もしいですね」
シグルトは何がおかしいのか、薄く笑った。エリックはそんな彼を一睨みすると、
「……戻るぞ」
リシェルに向かって言い、腕を庇いながら歩き出す。腕に巻いたハンカチは真っ赤に染まり、吸いきれなかった血が腕を伝い、指先から雫となって地に落ちていく。エリックの顔色がひどく悪い。毒は本当にないのだろうか。先程から出血がなかなか収まらないのも妙だ。
エリックは気丈に歩いているが、少しふらつく足取りを隠しきれていない。
「あの、私、歩くのお手伝いします!」
彼を支えようと、リシェルは彼の方へ行こうとするが――肩に置かれたシグルトの手にぐっと力が入り、それを阻む。
「先生……?」
「たいした怪我じゃない。自分で歩ける」
エリックはそんな二人の様子を目の端で一瞬捕らえるが、歩みは止めなかった。
「……だそうですよ。彼なら大丈夫でしょう。さ、行きましょう」
シグルトは微笑んでリシェルに促した。歩き始めても、シグルトはリシェルの肩から手を離さず、自分の側に引き寄せたままだ。まるで誰にも渡すまいとするかのように。
リシェルは前を歩くエリックの背を見つめる。過去を知ってシグルトへの信頼が揺らぎながらも、師が来てくれて、どうしようもなく安心している自分がいた。いつ出てくるかわからない魔物への恐怖も、薄暗い不気味な森への不安も、今はもうすっかり消えている。この肩に置かれた温もりを振り切って、エリックの元へ駆け寄るだけの覚悟が、リシェルにはまだなかった。
「はぁ~疲れた~」
ディナは深く息を吐くと、服が汚れるのも構わず、地面に手足を広げ仰向けに横たわる。
その少し離れたところには、先程まで戦っていた魔物が横向きに倒れていた。もうその赤い目に光はなく、ぴくりとも動かない。
そしてその傍らには、深い藍色の巨体を横たえる魔竜ヴァルセイラがいる。頭を地に置いて、目も八枚の翼も閉じ、大人しく丸まっている。疲れて休んでいるのか、人間の姿に戻る気配はない。その様子を横目で見ながら、ディナは愚痴のように呟く。
「メイドドラゴン、なんかさっき急に強くなったわよね。本気出すならもっと早くに出して欲しかったわ~」
ディナも魔物に何発か魔法を食らわしたものの、決定打には欠け、結局ヴァルセイラが魔物にとどめを刺した。
「ディナ様! 休んでいる暇ないですよ。負傷者の治癒をしないと」
怪我をした兵たちに治癒魔法をかけているパリスが、一息ついている先輩魔道士に苛立った声を上げる。
魔物本体の相手はヴァルセイラと魔道士二人でしたが、次々本体から分かたれた大蛇たちの始末は騎士や兵たちが担い、負傷者も多数出ていた。
「どうも、この蛇に噛まれると、血が止まらなくなるみたいなんです。早く傷口を塞がないと出血多量でみんな倒れます」
「わかったわよ。も~休みなしね」
ディナはもう一度深いため息をつくと、立ち上がり服や髪についた土を払う。パリスと並ぶと、負傷者の治癒を始めた。
次々に怪我人たちの傷を癒していく。同じ治癒魔法を使っているのに、ディナの怪我人の方が傷の治りが早い。先ほどの戦いでもそうだが、まだまだ彼女の方が魔道士として自分より上なのだと気づかされ、パリスは内心悔しかったが、それを隠してディナに告げる。
「ディナ様。ここが目処がついたら、僕は王子とリシェルを探しに行きます」
魔物との戦いは一瞬も気が抜けず、正直リシェルやクライルの方にまで気を回す余裕がなかった。戦いが終わってみれば、二人の姿はない。もし二人に……リシェルに何かあったら……
ディナの方は、パリスに言われ、二人がいないことに今気づいたようだ。
「あら? そういえば、いないわね。王子のことだから、リシェルにしがみついて安全なところに逃げたんだと思うけど」
「僕ならここだよ~」
皆が疲弊したこの場にあって、場違いに元気よく、のどかな声が響く。
振り返れば、ザックスやダートン、その他数名の部下を引き連れて、クライルがこちらに向かいながら、ぱたぱたと手を振っていた。
「すごーい。あの魔物倒したんだ。さっすが~。お疲れ様~」
クライルは倒れた魔物を見て、目を丸くして感心したように言う。完全に他人事だ。
「王子。今までどちらに?」
「森の中」
「……ちゃっかり安全なところに逃げてたわけですね」
ディナが呆れたように言う。彼は戦力にはならない、むしろ足手まといではあるが、仮にも大将なのだから、戦闘中団員たちを鼓舞するくらいのことはしてもらいたいところだ。
「まあね。でも僕もちゃんと仕事したもんね~」
「何をです?」
「ふふ。僕にもいろいろやる事があるからさ」
クライルは意味ありげに笑った。
「王子、リシェルは一緒では……?」
クライルの話などどうでもいいとばかりに、パリスが割ってはいる。
「ん~? それが途中まで一緒だったんだけど、はぐれちゃってさ。こっち戻ってきてない~?」
能天気なクライルの返事に、パリスは顔色を変えた。
「はぐれたって……あいつ今森の中で一人ってことですか!? まずい! すぐに探しに行かないと」
「そういえば、エリック様もいな――――」
ディナは言いかけ、森の中から現れた人影に気づく。
「あ、リシェル!」
友達を見つけ、弾む声に、その場にいた全員が声が向けられた方を見る。
「よかった、無事だったのね……ってえええええええ!?」
「シグルト様!?」
リシェルの横に、王都にいるべき人物の姿を認めて、ディナとパリスは驚愕の声を上げる。
すぐに他の団員達も、予想だにしない有名人の登場に気付き、魔物が現れた時以上に場がざわめき立った。
「ありゃりゃ、あいつ来ちゃったのか……すごい執着」
クライルは心底感心したように呟くと、シグルトたちから離れたところに立つ、“仲間”でもある部下を見やる。クライルの視線に気づくと、彼は左腕をマントの影に隠しながら、すっと目を逸らした。クライルは肩をすくめる。
「……残念。お姫様救出ならず、かぁ」
ディナと共に、リシェル達の元へ駆け寄ったパリスは、リシェルの無事をさっと確認すると、シグルトに問う。
「シグルト様。なぜ、こちらにいらっしゃるのですか?」
導師には王都の守護結界を維持するという重大な責務がある。ゆえに導師は王都を簡単には離れられないはずだ。
「君たちが苦戦しているようだったので、心配になってね」
シグルトの答えに、パリスは身を縮ませた。自分を心配して来てくれた、などと自惚れるほどパリスは馬鹿ではない。シグルトの心配の対象は、パリスもディナも含まれておらず、リシェルのみだろう。自分たちがあの魔物を倒せなければ、リシェルに害が及ぶ。それで、シグルトはわざわざ王都から駆け付けたのだ。
自分があの魔物をさっさと倒せていれば、シグルトがここまで来ることもなかった。我こそは大魔道士の弟子に相応しいなどと大口を叩いておきながら、このざまだ。
「申し訳ありません。僕が不甲斐ないばかりに、シグルト様を煩わせてしまって……」
恐縮するパリスを、シグルトはじっと見下ろす。
「いえ、君は………………………よくやってくれたと思いますよ」
表情も声も穏やかだが、途中の妙な間が……怖い。リシェルの守役として、どうやら及第点は得られなかったらしいと悟って、パリスは内心冷や汗をかいた。
しかし、シグルトはそれ以上パリスに何か言う気はないらしく、ディナへと顔を向ける。
「久しぶりですね。ディナ」
「……お久しぶりです。シグルト様」
いつも感情豊かなディナの顔から、表情が消えた。普段の彼女からは想像もできない、感情を削ぎとした無表情。それを見たリシェルには、ディナが別人になってしまったようにさえ思えた。そんなディナの様子にも、シグルトは穏やかな声を変えることなく続けた。
「スワルトの火竜を討ったばかりで、こちらの任務にも巻き込まれて、大変だったでしょう。ご苦労様でした」
「……別に私は何も。祖父に言われて応援に来ましたが、この魔物も結局シグルト様のお力で倒したようなものですし」
淡々と答えたディナは、それ以上話しかけれることを避けるように、シグルトから顔を背け、リシェルに向き直る。
「リシェル、無事でよかった。怪我はない?」
友達を気遣う彼女は、いつも通りの明るく、優しいディナだ。リシェルはほっとして頷く。
「うん、エリックさんが助けてくれて、先生も来てくれたから。ディナは大丈夫だった?」
「まあね。かなり疲れたけど。最後はヴァルセイラに手柄持っていかれたし」
「ヴァルセイラ?」
「知らなかったの? あのメイドドラゴンのことよ! あれはね……」
リシェルとディナがセイラについて話している横で、シグルトは既にこと切れた異形の魔物をじっと見つめている。パリスは彼の傍に少し寄ると、声を落として話しかけた。この魔物がどこから来たのか。法院の最高責任者の一人たる彼に伝えなければならない。
「シグルト様。この魔物ですが、おそらくルゼ――」
「わかっています。この件は私が内々に処理しますので。君は他言しないように。ディナにもよく言っておいてください。いいですね?」
シグルトの口調は有無を言わさぬものだった。内々に処理……という言葉に少々不穏なものを感じたが、彼がそういうならば、パリスにもちろん異存はない。
「はい。僕に何かお手伝い出来ることがありましたら――」
点数稼ぎのために言いかけた言葉を、パリスは途中で止めた。急に辺りが暗くなったのだ。いや、違う。自分たちがいる場所だけ、日の光が遮られている。何か上空にある、大きなものの影によって――
見上げた先にあるものに、その場にいた全員が凍り付く。
それは、横たわる魔物の体から、にょきりと蛇のように立ち上がった、蠍の尾だった。
「どんだけしぶといのよ!? 作り主に似てしつこいったら!」
ディナはさっとリシェルを自分の背に庇いながら、呆れと焦りの入り混じった声で怒鳴る。
黒光りする殻で覆われた蠍の尾の、その鋭い先端は、まるで狙いすましたように、まっすぐにリシェル達がいる場所へ振り下ろされた。
パリスとディナが、魔力を発生させるよりも早く。
蠍の尾は、リシェル達の元へ到達する前に動きを止め――――突如、発火した。
針のように尖った先端から生まれた、青い炎はあっという間に尾を伝い、横たわる魔物本体の体まで燃え広がる。
不思議と熱さは感じない。本物の炎ではなく、魔力そのものが炎の形を取っているようだ。
青い炎の中で、魔物の体はすぐに黒い物体となって、形を失い崩れ落ち、塵となって散っていく。
あれほど生命力の強い魔物を、一瞬で灰にしてしまった。
パリスやディナとも比較にならない、信じられない程甚大な魔力に肌がビリビリとひり付く。人間にこれほどの魔力を生み出せるものなのか。
だが、魔道士として少し成長したリシェルにはわかる。この場で魔力を発しているのは一人しかいない。
リシェルは、ディナの肩越しにシグルトを見た。
青い炎に照らされ、生み出された陰影が作る、その表情は――――無だった。
塵と化す命と、揺らめく炎を映し出す紫の瞳にも、彼自身の感情は何も見えない。
どこまでも虚ろで、まるで何も感じていないかのような――――
背筋にぞくりと冷たいものが走る。
(紫眼の悪魔――――)
頭の中に、師の二つ名が浮かんだ。
(先生は……こんな風に、カロンの村を……アーシェを……)
すべてを燃やした時も、彼はこんな目をしていただろうか。
リシェルに見られていると気づいて、シグルトは弟子へと顔を向けた。強張った表情の弟子を見て、安心させようとするかのように、微笑む。虚ろだった目に柔らかな光が宿った。
だが、その優しい笑みとは裏腹に、彼が全身に纏う魔力は禍々《まがまが》しいまでに強大だった。
彼から感じる魔力は、パリスの静かで少し冷たいものとも、ディナの力強く温かなものともまるで違う。
冷酷で、残酷で、無慈悲で、絶望的で。
魔力は魂の発する波動だという。
だとするなら、彼の魂は――――
程なく魔物は完全に塵となり、後に残ったのは黒く煤けた地面と、そこから風で飛ばされていく灰のみとなった。
「す、すげぇ……」
じっと固唾を飲んで、この強敵の呆気ない最後を見守っていた兵のうちの誰かが漏らした呟きは、この場にいる全員に共通する心の声だった。
場を圧倒した当の本人ーーシグルトは、周囲の反応など興味もないのか、さっとリシェルの腕を掴み、ディナの背後から自分の傍へ引き寄せた。
「これで任務は終わりでしょう。リシェルは連れて帰ります。よろしいですね、殿下?」
急に話かけられ、離れたところで事態を見ていたクライルは、間の抜けた声を上げる。
「え? 先に帰るってこと?」
「ええ、ちょっと仕事中に無断で抜け出して来てしまったものですから、急いで戻らないと」
シグルトの言葉に、パリスとディナは状況を悟り、顔を引きつらせた。
「シグルト様、まさか陛下や他の導師の方々の許可を得ずにこちらへ……?」
「大問題になるわよ、それ……」
二人の魔道士の言葉は聞こえなかったかのように、シグルトはそっとリシェルの背に腕を回した。
「さあ、帰りましょう」
「あの、でも、先生。私、皆さんのお手伝いを……」
見たところ、怪我人が幾人も出ている。エリックには効かなかったが、覚えたばかりの治癒魔法が役に立てるはずだ。それに、エリックの怪我の具合も気になる。
「パリス君とディナがいれば十分でしょう」
だが、シグルトは頷かなかった。
「パリス君、ディナ、申し訳ないけれど、後のことはお願いします」
「は、はい! お任せ下さい!」
「……」
背を正して応じるパリスに対し、ディナは黙ったまま。
だが、シグルトはディナの返事を待つことなく、再びリシェルを促す。
「さ、帰りますよ」
「でも……」
「リシェル。お願いだから言うことを聞いてください。どれだけ私が心配したか……君も一緒でなくては、私は安心して帰れません」
せっかく自分も皆の役に立てるかもしれないのに、ここで帰るのは不本意だった。だが、自分を守るためにわざわざ王都から駆け付けてくれた師に、一人で帰れ、と言えるほどリシェルは恩知らずではない。
「……はい」
リシェルが渋々頷くと、シグルトはさっと身を屈ませ、弟子の膝裏にも腕を回した。
「え、ちょっと! 先生!?」
大勢の前で横抱きに抱え上げられ、リシェルは顔を真っ赤にして抗議しようとした。
だが、ふわりと体が宙に浮き、シグルトの足が見る間に地面から離れていくのを見て、驚いてとっさに師の首に抱きついてしまった。
抱えられたまま、たどり着いた先は、巨大な竜の背の上だった。固い藍色の鱗の上にそっと降ろされる。地に伏せていた魔竜は主を背に乗せると、赤い目を開き、ゆっくりと体を起こす。
「えーいいなぁ! そのドラゴンに乗って帰るの! ? 僕も乗せていってよ! 早くおうちに帰りたーい!」
クライルが子供のように嬉々とした声でシグルトにねだる。
「……申し訳ありませんが、定員2名なもので」
「いやいやいやいや! どう見ても20人は乗れるよね!? ねねね、お願い! 僕たち“仲良し”でしょ!?」
「……」
食い下がるクライルを、シグルトは心底疎ましそうに見下ろした。
「……ご冗談を。殿下と“仲良し”などと……恐れ多い」
パリスがクライルを呆れたように諭した。
「事後処理がいろいろあるんですから、殿下に勝手に帰られたら困りますよ」
「ええ~そんなのエリックとかにやらせておけばいいじゃん。僕いらないって」
騒ぐクライルにこれ以上構うのは時間の無駄と判断したのか、シグルトが自身の使い魔に命じる。
「さ、行きましょう」
主の命に、魔竜ヴァルセイラの代名詞でもある、皮膜を持つ八枚の翼が開かれた。ばさりばさりと翼が羽ばたき、魔竜の巨体が地を離れ、徐々に上空へと持ち上がっていく。
「リシェル! また王都で会いましょう!」
竜の羽ばたきで起こる風に髪を乱しながら、ディナがこちらを見上げ、手を振ってくる。リシェルもまた、初めて出来た女友達に、了解の意を込めて精一杯手を振り返した。
「リシェルちゃーん! またね~」
「怪我治してくれてありがとな!」
クライルや、ザックスにダートン、顔見知りになった兵たちも、手を振ってくれていた。
その中から、黒髪の騎士の姿を求める。彼もまた、こちらを見上げていた。
その漆黒の瞳に、森の中で見せた熱情も切なさも今はない。ただ、ほんの少し悲しげで。
(エリックさん、あなたは私の何を知っているの? 私はあなたの、一体何なの?)
お前が傍にいてくれさえすれば――
エリックの言葉を思い出し、リシェルは早まる鼓動とともに、少しづつ小さくなっていく彼をじっと見つめ続けた。
「つかまってください」
なぜか少し不機嫌なシグルトの声に、リシェルははっとして師の胸元にしがみついた。
魔竜が一気に前方へ加速する。風圧に目を閉じたリシェルは、気づかなかった。
この場を去る寸前、ほんの一瞬だけ、シグルトとエリックが互いに敵意の籠った眼差しを交わし合っていたことに。
「……しっかし、あいつ、まさか本当にリシェルを助けに来たの? 守護結界ほっぽりだして? 最悪導師クビになるわよ?」
リシェルたちを乗せた竜の姿が遠く青空に消えていくと、ディナがぽつりと呟く。
まだ信じられない様子のディナに、パリスは息を吐いた。
「……ディナ様、これでシグルト様のリシェルへのお気持ち、おわかりになったでしょう? シグルト様は――」
その時、背後でどさっと鈍い音がした。
「エリック様!?」
顔面蒼白のエリックが地に倒れていた。黒髪を汗ばんだ顔に張り付かせ、赤い騎士服とマントを、その血でさらに濃く染め上げながら。
次回はイチャイチャ(というか先生がベタベタ)回。
Twitterに、昔拍手のお礼で載せていたSSを手直しして上げてあります。本編完結したら番外編でこっちにも載せる予定ですが、すぐ読みたい方はTwitterの方ご覧ください。
本編の間に番外編挟むのが嫌なので、何か番外編書いたらとりあえずTwitterに上げて、本編完結後にまとめてこちらに掲載しようかなと思います。
完結……いつだろ……