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53 懇願

「気づいたか」


 目が合うと、エリックは強ばった表情を緩めた。


「私……?」


 一体何が起こったのだろうか。気づけば地面に横になっている。なぜ自分はこんなところで寝ているのか。


「覚えていないか? 蛇に襲われて、頭を強く打ったんだ。少しの間だが、意識がなかった」


 言われて、記憶が甦る。そうだ、茂みから蛇が現れて、転倒して――

 リシェルは手をついてゆっくり身体を起こした。頭が鈍く痛む。だが、耐えられない程ではない。


「起き上がって大丈夫なのか?」


「はい。もう大丈夫です」


 これ以上、心配はかけられない。

 エリックの体の向こうに、蛇の死体が数体転がっているのが見えた。戦いは終わったようだ。それから、エリックへ視線を戻し、気付く。まだぼんやりしていた頭が一気に覚醒した。


「エリックさん、その怪我!」


 エリックの左腕の服が、べったりと濡れている。赤い騎士服のせいで気付くのが遅れたが、血だ。服の少し裂けた部分から、蛇の太い牙の咬み痕が覗いている。


 エリックは強い。先程の戦いも、蛇たちを圧倒していた。普通に戦って、怪我を負うとは思えなかった。


「もしかして、私のせいで……?」


 原因はそれしか考えられない。急に倒れた自分を助けようとして、敵に隙を見せてしまったのではないか。


「別に。少し油断しただけだ」


 エリックはまたいつもの無表情に戻り、ふいと顔を背けて言う。だが、僅かに呼吸が乱れているし、左腕をだらんと垂らしたまま、まったく動かさない。傷が痛むのかもしれない。


「今、治しますから!」


「いや、大丈夫だ。毒もないようだしな」


「私だってもう治癒魔法、使えますから!」


 リシェルは両手を揃え、エリックの傷口に向けた。意識を集中させる。

 掌が淡く緑色に発光した。だが、傷口は塞がらない。やがて光は消えてしまう。


「もう一度!」


 再度、魔力を生み出すが、やはり傷口には何の変化もない。


「あれ? なんで…… 」


 間違いなく魔力は発生しているし、やり方は合っているはずだ。ザックスの時は成功したのに、なぜ傷が治らないのか。


「……もういい」


 エリックは隠すように傷を右手で押さえた。


「ごめんなさい……私が未熟だから」


 悔しい。今度こそ彼の役に立てると思ったのに。そもそもこの怪我も自分のせいに違いない。役に立つどころか、足を引っ張ってばかりだ。


 自分の不甲斐なさにうなだれるリシェルに、エリックはしばしためらった後、言った。


「違う。お前のせいじゃない。俺には……魔法が効かないんだ」


「え? どうして?」


「……そういう、体質なんだ」


 魔法の効かない体質。そんなものがあるのだろうか。だが、エリックは魔道士や魔物とも互角にやりあっていた。彼には確かに常人とは違う、特別な何かがある気がしていたから、リシェルは信じることにした。


「そう、なんですか? じゃあ、どうしたら……あ!」


 辺りを見回し、近くに生えている草に目を止めると、リシェルはそちらへ駆け出した。雑草の中からいくつか選んだ草を引きちぎって、エリックの元へ戻る。


「よかった。これ、トト草です。消毒と止血効果があるんです。手当てするので、傷口見せてください」


 シグルトが魔法を教えてくれないから、リシェルは独学でもどうにか学べる薬草学の本は飽きるほど読んできた。その知識が今、初めて役立った。


 エリックも手当てが必要だとは思っていたのだろう。黙って、負傷した左腕の服の袖を引きちぎった。


 蛇に噛まれた傷は、広くないものの深いようで、少し動かすだけで血が流れ出る。リシェルは、持っていた水筒の水で傷口を洗い流すと、トト草をよく揉みこんでから傷にあてがい、ハンカチできつく縛った。

 白いハンカチに赤い血が滲んでいく。


「これでいくらかは……でも、血が酷い……」


 下手に歩けば、出血が悪化しそうだ。


「私、戻って助けを呼んできます」


 立ち上がりかけたリシェルの腕を、エリックが掴んで引き留めた。


「いい。たいした怪我じゃない。しばらく動かなきゃ血は止まる」


「でも……!」


「一人で行くな。またあの蛇と遭遇したらどうする気だ?」


「それは……」


 そうなれば、リシェル一人では対処できない。パリスに教えてもらっている攻撃魔法も、未だ成功したことがないのだ。

 リシェルは目を伏せた。


「ごめんなさい……私……本当に役立たずで……何もできなくて……」


「手当てしてくれただろう」


「でも……」


 それくらい、多分エリック自身でもできただろう。だが、騎士は遮るように続けた。


「いいんだ……ここにいてくれれば」


 平静ではあるが、どこか不安の滲む声。リシェルの身を案じて、一緒にいるように言っているのだろうが、まるで本当に一人にされるのを恐れているようにも聞こえた。


 彼らしくないが、怪我をして少し弱気になっているのだろうか。


「はい……」


 リシェルはエリックを休ませるため、彼を近くの木に寄りかからせると、大人しくその横に座った。

 近くに生き物の気配はないが、遠くから獣のような咆哮や爆発音、ばきばきと木々が折れる音がする。


「セイラたち、まだ戦ってるみたいですね……」


 戦いは長引いているようだ。彼らなら大丈夫だと信じたいが、怪我などしていないだろうか。


「クライル様たちはどこに行ったんでしょう? ご無事だといいですけど……」


 そちらも心配だった。自分もそうだが、クライルもまた何者かに狙われているのだ。エリックと離れている間にもしものことがあったら……不安は尽きない。


「……」


 だが、エリックは仲間のことも、主のことも心配しているのかいないのか、何か考え込んでいる風で、答えない。

 リシェルは、先程から気になっていることを尋ねてみることにした。


「あの……エリックさん」


「なんだ?」


「さっき、私が倒れていた時、誰かの名前を呼んでいませんでしたか?」


 意識を失う前と、取り戻す前に、彼が誰かの名前を叫んでいた気がする。はっきりとは覚えていないのだが、リシェルの名ではなかった。レーナだったか、エナだったか……


(もしかしたら……私の本当の名前……?)


 もし彼がカロンで、かつて自分のことを知っていたのなら、自分の本当の名前も知っているはずだ。


「……別に。気のせいだろう」


 エリックは顔を伏せた。

 誤魔化されている。リシェルは直感した。また、彼は何も答えないつもりなのだ。


「エリックさんは、いつも何も教えてくれないんですね……」


 思わず責めるような口調になってしまった。カロンのことも、彼自身のことも、彼はほとんど何も語ろうとしない。何か事情があるのだろうとは思う。リシェルがシグルトではなく、エリックを信じるというなら、すべて話すと言ってくれた。だが、少しは彼のことを教えてもらわなくては、信じるという判断も下せないではないか。


「……悪いな。何も答えてやれなくて」


 また無視されるかと思ったが、意外にも謝られる。


「お前も、過去がなくて不安だろうにな……でも、俺は……」


 エリックは俯くと、今初めて気づいたことを、自身に確認するかのように、ぽつりと呟く。


「そう……多分、俺は……怖いんだ」


「え?」


 怖い? どういうことだろう?

 自分に過去のことを教えるのが怖いということか。


「カロンにいたとき、俺には……家族が……家族のように思っている人間が、二人いた」


 リシェルとは目を合わさないまま、エリックが言った。過去のことを話してくれる気になったのか。リシェルは全身を耳にして、エリックの呟くような声に意識を集中させる。


「そして、六年前のあの日、二人とも失ってしまった……」


「……亡くなったんですか?」


 先生に殺されたんですか――続く問いは言葉にできなかった。


「一人は……生きてる。もう一人は……わからない」


 エリックはさっき家族を失った、と言った。ということは、カロンの戦いで二人と離ればなれになり、一人は生きているとわかったが、もう一人は生死不明ということなのだろうか。

 言葉少ない彼の事情を察しようとし、その推察が合っているか確認しようとしたのに、リシェルの口は勝手に動いていた。

 

「……会いたいですか?」


 離ればなれになった家族。当然会いたいだろう。聞くまでもないことだ。それでも尋ねてしまったのは……彼に、顔も知らない自分の家族を重ねてしまったからかもしれない。自分の家族も、もし生きているなら、リシェルに会いたいと思ってくれているだろうか。


「……」


 エリックはその質問には答えなかった。ただ、右手で、手近にあった草をぎゅっと握りこむ。何本かの草がぶちっと音を立てて千切れた。


「俺はもう、誰も失いたくない……」


 その時、遠くで獣の断末魔のような絶叫が響き渡った。続く、何か大きなものが地に倒れるような音。それから、ずっと聞こえていた戦いの音が止み、静けさが訪れる。


「あ! きっと、みんながあの魔物を倒したんですよ! 私、戻って様子を――」


「……行くな」


 勢いよく立ったリシェルの腕を、エリックが再び掴んだ。そのまま、少しふらつきながら立ち上がる。


「エリックさん? まだ立たない方が……」


「俺と来い」


「え?」


 ずっと逸らされていた黒い瞳が、今はしっかりとリシェルを捉えている。


「え? あの、どこへ? みんなのところへ戻らないんですか?」


「王都へは……あいつのところへは戻るな。このまま俺と来い」


「あいつって……」


 リシェルの戻るところ……シグルトのことだろう。


「お前が……あいつのことを慕ってるのはわかってる。でも、あいつはお前を騙しているんだ」


「それは……」


 シグルトはカロンでしたことも、アーシェを殺したこともずっと黙っていた。違う、とは否定できない。


「俺は知ってる。六年前、あいつがお前に何をしたか……」


 エリックの言葉に、じわりと胸に嫌なものが広がる。シグルトはまだ、自分に隠していることがあるのか。


「どういうことですか?」


 エリックは不意に苦しげに眉を寄せた。リシェルの腕を掴む手に力がこもる。


「それを……それを知れば、お前はきっと――」


 不吉な予感を振り払うように、エリックは軽く目を閉じたあと、再びリシェルを見つめる。


「……俺はずっと、真実を知りたいと思ってきた。大切なものを取り返したいと……でも、そんなものどうでもいい。お前がもう変わってしまったんだとしても……それでも、お前が……お前が傍にいてくれさえすれば……俺は……」


 熱い。腕を掴むエリックの大きな手が、ささやくような声が、漆黒の瞳が。常の冷たさとは真逆の、熱を帯びている。リシェルの心臓がどくんどくんと音をたてた。

 これではまるで……愛の告白のようだ。


「頼む。何も聞かず一緒に来てくれ」


 エリックの懇願。頷けば、彼と行った先で、知ることが出来るのかもしれない。自分の過去を。ずっと求めていた、自分が何者かという答えを。そして、自分とエリックの関係を。


「俺を……俺のことを信じてくれないか?」


 リシェルの目に迷いを見て、エリックはさらに言葉を重ねようとした。


「俺と、お前は――」


「リシェル!」


 突然、背後から声が響いた。


(え?――――)


 よく知っている、懐かしい声。

 六年間、何度も何度もこの声に名を呼ばれて来た。

 今ここにいるはずがないのに――けれど、エリックの顔が険しくなったのを見て、確信する。

 リシェルは振り返った。


「先生……」


 そこにいたのは、濃紺のローブをまとい、紫の瞳に不安を浮かべながら立つ、自分の保護者――シグルトだった。


ようやくお迎えが来ました。

無口なエリックと違って、シグルトとクライルがいる場面はさくさく筆が進みます。先生登場で更新スピードあげられるといいなぁ。

頑張ります。

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